「プリンヨーグルトライス」




――ぺた、ぺた。

「……」

――ぺた、ぺた、ぺた。

「うんしょ、うんしょ」

「……」

楽しそうに、そして一生懸命手を動かしている彼女を眺める俺。
普通であれば頑張っている彼女を見ている彼氏というのは誇らしげで、それでいてどこか優しい眼差しを向けているのだろうが、俺は半分冷めた目、半分怒りながら無言でその様子を見ている。

――ぺた、ぺたん。

「うん、できた」

香奈子(かなこ)はそう言って満足そうに頷くと、完成したばかりの”力作”を眺めてニッコリ笑う。
そしてそのぺったんの結果出来上がったブツを俺に手渡そうとするのだが――

「はい、マサちゃん。どうぞめしあが――」

「ていっ!」

ペシッ!

「あいたっ!?」

俺の方に差し出した香奈子の腕に対し、カウンター気味に入る俺のデコピン。
力の加減一切無し、デコを陥没させてやろうと本気で思うだけの勢いで放った俺のデコピンは見事にクリーンヒット。香奈子は涙目になりながら額を押さえ、何が起きたか判らない、といった感じで俺を見てくる。当然その表情は批難轟々、今にも不平不満を漏らしてきそうだった。

「ちょっとー、いきなり何するのよー」

予想通りというか何というか、とりあえず俺に小突かれたという事だけは理解した香奈子が俺に向かって言い寄ってくる。

「やっぱりどうしてデコピンを食らったか判らないか……」

「知らないわよー。こっちは昌也(まさや)の事を思って、愛情込めてごはんを――」

「無駄なモンも込められてるんだよ!」

ピシッ!

再び俺の攻撃。今度は脳天、頭が真っ二つに割れるイメージでチョップを繰り出す。これも見事にヒット、ツインテにしている香奈子の髪の分け目に沿うように俺の手が突き刺さる。

「いたっ! また叩かれたー!」

「自業自得だ!」

暴力反対、納得のいく説明をしなさいよー! という視線を向ける香奈子。それに対し俺はもう一発、いや、何発でも追加攻撃をするぞ、と言わんばかりの空気を発する。俗に言う「ずっと俺のターン!」というヤツだ。……俗に言うかなあ?

「だーかーらー、何がいけないのよぅ〜」

「……マジで判らんのか?」

「マジで判らんのよぅ」

「マジか……」

「うん、マジマジ」

「ジーマー?」

「うん、ジーマー」

発する言葉の大半がマジという不毛かつ頭の悪そうな会話を繰り広げる俺と香奈子。この辺は普通の(?)バカップルみたいだな、と思う。……ジーマーって何だ。

「……仕方ない、この俺が懇切丁寧に教えてやろう」

「うー」

「まあイスに掛けなさい」

「何だよー、昌也は私のお父さんかー?」

「もし俺がお前の父親なら、俺は1歳の時に子作りを開始していないといけないな」

「うわ、何てマセガキ……」

「いやいや、そうじゃねえよ」

マセガキってレベルじゃねえだろ……
それに話が大きくずれてるって。逸れてるって。
俺はそう心の中でツッコミを入れながら、それでも一応ちゃんと言われた通りイスに座る香奈子を見る。ったく、素直なんだかあまのじゃくなんだかバカなんだか判んねえヤツだぜ。

「ねー、ほら座ったよー。せーつーめーいー」

「へいへい」

香奈子に急かされつつ、イスに腰掛ける俺。そして「ふう」と軽く一息つき、どうやって目の前の敵を完膚なきまで言いくるめるかを考えながら説明を始める。

「……あのな、お前が料理下手である事、不器用である事は俺も重々承知しているつもりだ」

「うみゅ」

目の前にあるテーブルには冷めつつある味噌汁と唐揚げ、そしてキンピラゴボウが並んでいた。
これらは全て俺の手によるもの、冷食でも総菜屋で買ってきたものでもない。

「まあ俺はメシを作るのも嫌いじゃないし、決して不味い訳でもない」

「うん、昌也の作るご飯はおいしいよ?」

「……サンキュ」

だから早く食べようよーと言いたげ、隙あらば唐揚げの1つでもつまみ食いしてやろうとしている香奈子。まあそのためだけに俺の料理を褒めている訳ではないだろうが、ここで甘い顔をしていては次に進めない。俺は憮然とした表情で、そして心の篭もっていない感じ全開で礼を言うと、キッと香奈子の目を見ながら話を続ける。

「しかしだ。俺が全て料理を作り、皿を洗い、スーパーに買物に行くのは不公平。だから簡単な事は香奈子にも手伝ってもらう事にしてるし、それは香奈子も了解してるハズ……だよな?」

「うん」

コクリと大きく頷く香奈子。どうしてそんなに自信たっぷりなのか、俺にはさっぱり理解出来ない。本当に簡単な事しかしてないのに……

「……で、今日は香奈子に米を盛る事だけを頼んだ。そうだな?」

「うん、そうだよ」

「そしてさっき、料理が出来上がり、俺は香奈子に米を盛れと言った。その時香奈子はどのくらいの盛りにするかを俺に聞いてきたよな?」

「うん」

「俺は何て言った?」

「普通盛り。茶碗からはみ出さないくらい」

「……そうだな」

香奈子は俺に言われた事を思い出すよう、頭上を見上げながらそう答える。……3分くらい前に言った事なのにどうしてそんな回顧っぽいリアクションを取るんだこの小娘は。

「ね? 別に問題ないでしょ?」

「ああ、そうだな……って言うとでも思ったか!」

ピシッ!

不本意ながらもノリコッコミを入れてしまう俺。別に関西の血が流れている訳ではないのだが、香奈子といると指摘する側・注意する側・監視する側に回る事が多い……というか9割方そうなので、どうしてもツッコミのノリになってしまう。困ったものだ。

「いたたたた……」

「はうー」

「ああもう、話が先に進まねー!」

ノリツッコミをしたのは俺以外の何者でもなく、また誰かに頼まれてやった訳でもないので、やや逆ギレ気味ではあるのだが、そんなのお構いなしで香奈子に当たってみる俺。……結構俺も話が脱線するタイプなんだろうな。

「とりあえず、だ」

「ひゃい……」

コホン、と咳払いをしながら話を戻す&総括しようとする俺と、素直にそれに従おうとする香奈子。涙目で俺に叩かれた箇所を擦っている仕草が何ともラブリーなのだが、そこに触れていると話が永遠に進まないのでスルーする。

「確かに俺は茶碗からはみ出さない程度に米を盛れ、と言った」

「うん」

「しかしだ、力一杯ごはんをヘラで詰め込み、さらにペタペタペタペタと念を込めて押さえつける必要はないだろ!」

そう言って俺はビシィッと茶碗を指差し、香奈子に向かって目を見開く。おそらくこれがマンガなら「カッ」とか「すわっ」とかいう文字が背後に書かれるに違いない。

「違うよー、あれはヘラじゃなくて杓文字(しゃもじ)って言うんだよー」

「……」

が、悲しい事に俺のビシィッもカッも香奈子には通じていない……というかこの心の叫びが届いていなかったらしい。この状況においてマジでどうでもいい揚げ足を取ってきやがった。

「……」

「……」

へへん、どうだーと言わんばかりの得意顔で俺を見る香奈子。それに対し俺はゴゴゴゴ……と周囲の空気の凄みを増させ、怒りの感情をグラグラと煮えただらせていた。

――プチ

そしてその瞬間はやってくる。俺はフレッツなんとかを凌ぐ光の速さっぷりで腕を突き出し、香奈子が身構える前……いや、身体が反応を示す前に強烈な一撃を繰り出す。

ズベシッ

「ぐもももも……」

デコピンが当たったとは思えないような音に、デコピンを食らったとは思えない悶絶っぷり。香奈子はそのままテーブルに突っ伏し、唐揚げが盛られた皿を避ける事なく顔面着地。周囲に大量の千キャベツをまき散らす。

「ったく、これじゃせっかくふっくら炊いた米が台無しじゃねえかよ」

「ず、ずいまぜん……」

唐揚げ皿にダイブしたままの状態で謝りの言葉を口にする香奈子。声がくぐもって聞こえる&それに合わせてキャベツが揺れる様はなかなかにシュールであり、存分に滑稽でもある。

「うわ、箸が刺さっていかねえし。つーか逆さにしても落ちてこねえ……」

とりあえず反省もしているみたいだし、謝りの言葉も聞けたので、俺は香奈子の愛情&その他がたっぷり込められたご飯茶碗を改めて&じっくりと確認する事に。……まあ、その、何と言うか、今喋った通りの状態な訳なのだが、まさかここまでとは思わなかった。箸が刺さっていかないとかあり得るのか? 米の限界とか超えてないのか?

「む〜、ううー」

「それはヘコんでるのか? それとも俺に対しての批難か?」

「だってー、わざわざそこまでしなくてもいいじゃん。それをさ、何かあてつけみたいにさ、これ見よがしにやってくるんだもん」

口を尖らせながら、俺を正面からは見ずに視線を絶えず横に向けながら香奈子が文句を言ってくる。ちなみに今の香奈子の顔は頬と髪にキャベツが、鼻先と額には唐揚げの脂分が付着し、それはもう可愛くない顔になっているのだが、それを指摘するとまた面倒な事になりそうなのでパス。……人間知らなくてもいい事だってあるんだ。まあこの場合、後で「どうして言ってくれないのよ!」とか俺が責められる事になるんだろうけど。

「いやいや、これは普通にスゲーだろ。嫌がらせとか関係なく考察しちまうって」

「ぶー」

香奈子の前でもう一度、茶碗を逆さにして上下に振ってみせる俺。今回もやっぱりキツキツに詰められた米は完璧に重力に逆らい、落ちてくる素振りすら見せなかった。というかもう餅状になっているのでは?

「これを見てもまだカナはその態度を変えないか?」

「にゅ〜ん」

否定とも肯定とも取れない、不思議ワードを口にする香奈子。さっきは一時的に反省の色が見て取れたのだが、どうやらすっかり薄れてしまったようだった。……何だこのニワトリも真っ青の鳥頭っぷり。

「……ふむ、それじゃあ仕方ないな」

「な、なにをするつもりよ……?」

ふう、と息を吐き、考えを固めた俺と、その変化に敏感に反応する香奈子。何がどうなったのかは判らないが、とりあえず警戒はしておく……といった感じだろうか。なかなかに鋭いな。

「なあ、1つ聞くけどさ。香奈子はこの茶碗に押し付けられた謎物体を俺に食わせる気だったんだよな? これを食べ物だと認識してたんだよな?」

「ぶぅ、謎物体じゃないもん」

「じゃあ元炊きたてライスだな」

「うう、イジワルぅ〜」

そう言ってしょんぼりする香奈子。今の俺のセリフがイジワルかどうかは判らないが、まあここは話を進めよう。……もうすぐ面白いものが見れるのだから(邪笑)

「……さて、と。これの名称は何でもいいとしてだ」

「むにゅ?」

「カナ、お前これ食ってみろ」

「へ……?」

「俺が食う分の米は自分で盛るからさ。カナは自分が丹精込めて持ったこっちの茶碗でメシを食えよ」

特に感情を表に出す事もなく、含み笑いも他意も込めず、あえて(わざと?)普段の調子で喋る俺。それはこの提案に何ら罰ゲーム要素が入っていないと、戒めもお咎めもないように見せかけるためのもの。ここで変にニヤニヤしたり演技がかった言い方をするときっと何か言ってくるに違いないが、こうして普通に喋る事でそれらの芽を摘む事が出来るのだ。……どうだ、参ったかこの小娘が。

「……う〜」

そんな俺の思惑には気付いたものの、それを打破するだけの案は生まれなかったのだろう。香奈子はしばらく考え込んだ後、手詰まり宣言とも取れる唸り声を上げて両手をブンブンと、時折クネクネと振り回す。……お前の行動回路は園児並か。

「さあ、さあ!」

ここで追い打ちを、トドメを刺さんとばかりに俺は茶碗と箸をずいっと香奈子に突き出し、無理矢理手に持たせる。この茶碗を香奈子の手に持たせた瞬間、俺の勝利は確定となった。

「……」

まるで市販のカップヨーグルトかプリンのようなフラット極まりない表面の茶碗を持たされ、しゅんとする香奈子。さすがに言葉も出ないようだ。これはもう諦めたと思っていいだろう。

「ささ、遠慮なさらずに! いつものようにモシャモシャと食べて下さいな」

「ううう……」

「もしよければ俺の唐揚げも食っていいぞ? ただしその茶碗の中身を全て平らげる、というのが条件だけどな」

「にゅうううう〜っ」

イジワル、鬼、悪魔、人でなし、下衆野郎、ベトフィリア……と、思い付く限りの悪口、罵詈雑言を頭の中で並べている様子の香奈子。とりあえず最後のは違うくね?

「……」

「……」

さあ、どうするね? と余裕しゃくしゃくで香奈子を見据える俺と、脳内悪口ボキャブラリが尽きてしまった様子の香奈子。同じ無言ながらも、この両者の精神的余裕の差、立場の優劣の差は劇的に大きい。

「……」

「……うー」

お、悩んでる悩んでる。まあどうせ大した事は考えてないんだろうけど、頭を使うのはいい事だ。存分に頭を回転させなさい。
俺はそう思いながら目の前で1人四苦八苦している香奈子を見る。おそらく出てくる選択肢は1・根性で食べる、2・泣き倒して謝る、3・逆ギレ……という3パターンしかないだろうが、ここは向こうの出方を見よう。

「……ご」

「ん?」

ようやく唸り声ではない、真っ当な言語を口にしようとする香奈子。『ご』から始まる言葉といえば……ごめんなさいか? それともご飯がどうこう言ってくるのだろうか?

「……ご」

「……ご?」

急がず慌てず、俺はゆっくり言葉を聞きだそうと香奈子の発した言葉をなぞる。微妙にモジモジしている辺り、これは謝るルート行きか?

「……ごめんなさいなんて言うとでも思ったかー!!!!」

「逆ギレーっ!??」

なんと正解は俺の期待を裏切る3・逆ギレ。香奈子は右手にペッタンご飯、左手に箸を持って立ち上がり、それを今にもこちらに投げ付けんばかりの勢いで俺に向かってこようとする。勿論2人の間にはテーブルがあるのだが、今の香奈子だとテーブルを乗り越えてこっちに来てもおかしくない凄みがある。……これはマズイ。非常によろしくない。

「ちょっ、ちょっと待て! 頼むから投げるなよ!?」

「どっちをっ!?」

「そりゃあ刺さるから箸だろ……って、両方ダメに決まってるんだろ!」

俺の言葉を途中まで聞き、香奈子が右手を高々と上げたところで慌てて修正を入れる俺。確かに箸は目に刺さる危険があるので投げられると困るが、茶碗だって存分に困る。というかダメージ量で考えたら茶碗の方がヤバイ。普通に鈍器だっつーの。

「どっちかにしなさい! つーか片方は受け入れろ!」

「受け入れるかバカ!」

何でそんな不利益しか被らない二択を選ばないといけないんだよ。俺は加奈子の要求を断固拒否、バッサリ斬り捨てた後に反撃に出る。

バッ!

「ああっ」

ほんの一瞬の隙を突き、俺は加奈子の手から茶碗を奪い取り、向こうが慌てているところに便乗し、箸も強奪する事に成功。香奈子の持つ攻撃手段をゼロにする。

「ふう、これでもうお前は何も出来まい」

「なんだよー、返せよー」

両手をブンブンと伸ばし、再奪取を計る香奈子。それに対し俺は十分な距離を取った上、慢心する事なく細心の注意を払ってヤツの手の動きを見る。これでもう2度と形勢逆転される事はないだろう。

「かえせー、わたしの鬼詰めごはんー!」

「鬼詰めって……おいコラ」

なるほど、自分の中ではそう呼んでやがったか。俺は自分の手に戻ってきたカップのヨーグルトorプリンのような形状の元ライスに軽く視線を向けると、すぐさま香奈子に睨みを利かせる。

「ぐあ……」

しまった、鬼詰めって言ってるのがバレた! 的な表情を見せる香奈子。だがそれも束の間、ヤツは何ら悪びれる様子も見せず、再び両手でプリンorヨーグルト状ライスを奪い取ろうと両手を伸ばしてくる。

「ていっ、せい!」

「そう簡単に取らせるかよ!」

「うるさい! 英検準1級取得者をなめるな!」

「それ今全然関係ねえっての」

いや、まあ確かに漢検準1級はスゴイけどさ。茶碗争奪においてその資格は必要ねえだろ……
俺はそう冷静かつ的確なツッコミを入れつつ、香奈子の繰り出す手を次々とかわしていく。その奪おう・奪わせまいとする両者の動き、気迫はなかなかのもので、とてもじゃないが普通の台所で展開していいレベルのものではなかった。例えるならそれは戦国時代、相手の首を獲ろうと一騎打ちを繰り広げる武将のそれに近いものがあった……というのはさすがに少し言い過ぎか。

「えいっ、このっ!」

「無駄無駄無駄無駄ァッ」

伸びる香奈子の腕、それをかわす俺の腕。そんな攻防が何度も、幾度となく繰り返される。香奈子の攻撃(?)パターンは限られている上、動きが直線的なのでとても読みやすい。もしかしたらこれは後々繰り出されるフェイントの仕込み? とも思ったが、ムキになってる今の香奈子に限ってそんな頭脳プレイはやってこないだろう。俺はそう考えながらも万が一の事を考え、ありとあらゆる角度・方向からの手の伸びに備える。

……その後、用意周到&冷静かつ余裕な俺と、力押し&勢い任せに攻撃を仕掛け続けてくる加奈子のやり取りは続き、時間にして15分程元ライス争奪戦が行なわれる。なぜか途中から箸はお互い度外視、何なら箸など最初から無かったかのような状態で、2人は茶碗のみを巡って争っていた。
意外と激しい動きは俺と香奈子、双方の体力を消耗させ、どちらも軽く息が上がっている&額にうっすら汗を浮かべている状態。……晩飯を目の前にして何をしてるんだ、という話なのだが、ここまできたらもう後には引けない。両者痛み分け、ドローなんて結果は納得できなかった。

「……ったく、しつこいな」

「マサの方こそ、いい加減観念しなさいよね……」

ハア、ハアと肩を上下に動かしながらも、共に一歩も譲らない……というか強がりを口にする俺と香奈子。このまま息が整うまで言葉での牽制、駆け引きでも続けて時間を稼ぐか。そう俺が考えている時だった。

「……あっ!」

「ん、どした?」

何かを思い出したような様子の香奈子。その表情からしてそこそこ重要、大切な事のように見えた俺は反射的に構えを解いてしまう。
……が、それがいけなかった。

「隙ありッ!」

「ぬおっ!?」

バッと伸びる加奈子の右手。完全に油断していた俺は反応がワンテンポ……いや、ツーテンポ近く遅れてしまい、それまでであれば十分な距離を取って回避出来ていた香奈子の手が軽く俺の腕にぶつかってしまう。その結果――

スルッ

「ああっ!?」

「やっべ!」

ちょうど手首の辺りをはたかれたような形となり、しっかり握っていたはずの茶碗が俺の手から離れていく。直接的な原因は香奈子の手による衝撃だろうが、おそらく汗で指先が滑りやすくなっていたのだろう。

「ちいっ!」

クンッ、ツルッ!

何とか床に落ちる前に、割れてこぼれて大変な事になる前にキャッチしようと慌てて茶碗を掴もうとする俺。しかし手は茶碗の隅に当たるだけ、まるでお手玉のように宙に舞ってしまう。

……ええい、落ち着け!

しっかり茶碗の動きを見て腕を伸ばせば掴めるはず。俺は自分に冷静になるよう言い聞かせ、不規則に回転しながら浮いている茶碗を取ろうとする。
100円ショップで買った安物だし、そこまで愛着があるかと聞かれれば答えはNoだが、割れても全然平気かと聞かれればこれまた答えはNoである。俺は片付けの面倒さ、再び買いに行く手間を回避するため、どうにかしてキャッチしようとするのだが……

「ああもう、わたしが取るっ!」

「ちょっ、バカ、横から出てくんな!」

お手玉を繰り返す俺を見て業を煮やしたのか、ここで加奈子が望んでもいなければ頼んでもいない参戦を表明。テーブルの向こうから回り込んできて俺の横から手を伸ばしてくる。

「もう、どいてよ!」

「うっせえ、こっちは狭いっつーの!」

「だったら後ろに下がっててよね!」

「はあ? 何だとコラ?」

もういいから私に任せなさい、アンタにはムリよ! と言わんばかりの口調の香奈子に対し、瞬時に怒りが沸点にまで達する俺。つーかこうなったのも全てオメーのせいだろうが。

「ああっ、もう邪魔しない!」

「黙れ、俺が取るって言ってんだろ!」

チョン、ツンッ、ツルッ!

飛び交う言葉、その中を舞う元ライス。茶碗は2人の指先に触れては軽く浮き上がり、横や縦にクルクルと回転しながら余計に掴み難くなっていく。その様はまるで大道芸、コンビで行なうちょっとしたジャグリング状態になっていた。

「ああもう、ちょっと手を出すのをやめろ!」
「ああもう、ちょっと手を出すのやめてよ!」

と、ほぼ同時にほぼ同じ言葉を発する俺と香奈子。おそらく2人共このお互いが足を引っ張り合う状態を打破しようと相手の動きを制止しようとしたのだろう。

「……っ!」

「くっ!?」

お互いの言葉を聞き、ピタリと手を動かすのを止めてしまう2人。そうなると当然今まで宙を舞っていた茶碗はそのまま下に一直線、床に目がけて落ちていってしまう訳で……

ドンガシッ!

と、茶碗は大きな音と共に床に激突。2人が口を開くタイミングは見事に合っていたものの、結局それはバッドタイミングになってしまった。

「……」

「……」

お互い顔を見合わせる俺と香奈子。その顔は「あーあ、やっちゃった」という呆れたものではなく、どちらかと言えば反省寄り、真剣に落ち込んでいる色合いの方が強かった。

「……うう」

「はあ……」

今日一番のしょんぼりっぷりを見せる香奈子と、目を瞑りながら深いため息を吐く俺。どちらも相手側に責任を擦り付けようとする意図はなく、自分が悪いと言いたげな感じになっていた。

「……どうしよ」

「まあ……どうしようもないだろ。あの高さから落ちたんだからな」

そう言って加奈子の問いに答え、床に落ちてしまった茶碗を見る俺。宙に浮いている時はあれだけ色々な方向に回転が加わっていた茶碗だが、見事に床に対して垂直に、つまり米が盛られた面が真下になって落ちていた。茶碗が落ちた時のドンガシッという音はそのため、落下時の床との接触面が硬く盛られた米だったためにドンという音が鳴り、続いてその衝撃によって茶碗本体にダメージが回ったと思われる。まあ何にせよ間違いなく茶碗は割れてしまっているだろう。

「……ごめん、なさい」

「ん、別にいいさ」

悪いのは香奈子1人じゃない、こっちにも存分に責任があるさ。それはそんな意味合いを込めてそう言うと、香奈子の頭にポンと手を乗せて2、3回軽く叩く。

「うにゅ」

普段であれば「子供扱いするな」とか「人の頭をポンポン叩くなー!」とか言ってくるのだが、今回ばかりは大人しく甘んじる……というか素直に受け入れる香奈子。微妙に恥ずかしがっている&怒られなくてホッとしている感が見て取れてかなり可愛かったりするのは内緒だ。

「さて、片付けるか」

「うん」

「そんじゃ悪いけど新聞紙とビニール袋を持ってき――」

「りょーかいっ」

まだ全部言い終わっていないのだが、香奈子はそう言ってすぐさま行動を開始。あっという間に頼んだものを手にして戻ってくる。

「はい」

「ん、サンキュ」

軽く礼を言いながら差し出されたブツを手に取る俺。割れた茶碗の回収や後片付けは破片やら何やらがあって危険なので俺の仕事となる。どうやらその役割分担は香奈子も判っているらしく、手伝いたいのはやまやまだけど見てるね、という表情でいた。

「……ごめんね」

「だからもういいっての」

「……ありがと」

いくら安物であっても人の物を壊してしまったというのはバツが悪いのだろう。香奈子は再度謝りの言葉を口にする。それに対し俺はあえてぶっきらぼうに、「もう一度謝ってみろ、また強烈なデコピンをお見舞いしてやるぞ?」的な意味合いを込めて返事をする。すると香奈子はそんな俺の気持ちを全て理解した様子で一言、呟くようにそう言って笑顔を浮かべる。

「……ったく、どうしてオメーはこう何かやらかさないと素直にならんかね」

「うー」

「こうなる前にだな……って、まあいいや」

「うにゅ〜」

何だよー、言いかけた事は最後まで言えよー。きっと心の中ではそんな事を言っているのだろう。香奈子はジト目で俺を見ながら頬を膨らませながらも、短い唸り声を上げるだけ。……ホント、いつもこうなら助かるだけどな。

「そんじゃま、とりあえず茶碗の回収から始めますか」

見たところ茶碗に欠けている部分はなく、周囲に破片が飛び散っている様子もない。まあ至極細かい欠片はあるだろうが、こういう状態ならまずは大きい物から手を付けたほうがいいだろう。俺はそう思い、おもむろに茶碗に手を伸ばす。すると指先が触れた途端――

ピシ……パカッ。

「え……?」

「……へ?」

思わず漏れる2人の声。その言葉にならない言葉は何も大袈裟なものではなく、、目の前で起きた出来事の凄さをまざまざと、ある意味的確に表現していたのかもしれない。
茶碗はまずそれまで肉眼では確認出来なかったヒビが出現。俺が触れた箇所は茶碗のちょうど中心だったのだが、ヒビはそこを基点に縦一文字に広がり、やがてそれは茶碗を左右真っ二つに分断する。そして次の瞬間、まるで花が咲くかのように茶碗がめくれ、中から真っ白で見事な半球状のご飯が出現。2枚に割れた茶碗はその場にひっくり返り、花弁のようにご飯の横にくっ付いて止まる。

「……花だね」

「……花だな」

元ライスと元茶碗による衝撃のコラボ作品(?)を挟み、俺と加奈子はそう言って再びそれを凝視。元ライスは力一杯押し固められ、床に落ちた状態はまさに某プッチンプリンそのもの。しかし唯一違うのはその色合い。卵の黄色にカラメルの黒というプリン特有のコントラストは見られず、2人の中央に堂々と座している物体はヨーグルトのように真っ白だった。

「……プリン」

と、香奈子が誰に言うでもなく、呟くように口を開く。

「……ヨーグルト」

と、今度は俺がボソリと口を開く。別に加奈子の言葉に触発されたとか、対抗して何か言おうとしたのではなく、本当に偶然のタイミングで言葉を発していた。

そして――

「……ライス」

2つの声が見事に、完璧に重なる。勿論これもどちらかが推し量った訳でもなく、合わせようと考えてやった事でもない。ただひたすらに2人が思った事、頭の中に浮かんだ単語を口にしただけなのだ。

……プリン・ヨーグルト・ライス。

その一見奇妙な単語は俺と加奈子が偶然生み出した造語。いや、産物と言った方がいいかもしれない。おそらく普通ならこれをプリンヨーグルトなんちゃら、なんて言い方はせず、ライスフラワーとか茶碗フラワーとか、『花』要素を全面に押し出した呼び方にするのだろうが俺達はちょっと違う。……いや、結構かなり大分違うかもしれない。でもまあそれが俺達らしくていいような気がする。

……ちなみにこの後、2人はしばらく見つめ合ってから大爆笑する事になるのだが、その辺は普通のカップルと大差ないだろう。

とりあえずそんなこんなで今日、俺と加奈子の間にストレンジ極まりないオモシロワードが生まれました、という事で。

……あーあ、から揚げ冷めちゃったな。






                             「プリンヨーグルトライス」 END







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