「ドロップ」



「……何で?」

「いや、アメだしこれでいいかなと」

カラカラ、という音が聞こえる。
懐かしい音。そして特有の音だと思う。

「俺、のど飴がいいって言ったじゃん」

「あ、ごめん」

またカラカラ、と乾いた音が鳴る。
昔はこの音を聞いただけでワクワクしたものだが。


――ここは旅先のコンビニの駐車場。

俺は同行者であり彼女でもある飛鳥(あすか)に買物を頼み、長時間ドライブの疲れを癒すべくシートを倒して横になっていた。

予定している本日の目的地まではまだ3時間は車を飛ばさないといけない。
ちょうどいい休憩ポイントも近くにないため、俺はいつも利用している青と白を基調としたコンビニに寄る事に。
飲物も欲しかったし、軽く小腹も好いていた。幸いこのコンビニは俺の好きなおにぎりが多い。少し値は張るが鮭ハラスの特選おにぎりは絶品だ。
なので俺は買出しに行くという飛鳥におにぎりと緑茶、それにのど飴を買うよう頼み、車内でしばしの休息を取っていたのだが……

――カラカラ

飛鳥の手首にかかる白いビニール袋。それが揺れる度にあの音が鳴る。
何故か飛鳥は俺が頼んだのど飴ではなく、缶に入ったドロップを買ってきていた。

「俺、レモンとかゆずとか好きなの知ってるだろ?」

「でもホラ、レモンも入ってるよ?」

「レモン以外もたくさん入ってるじゃん」

「う……」

俺は判っている。飛鳥はわざとドロップを買ってきた。
もし俺が風邪気味だったのなら言った通りにのど飴を買ってきたと思う。
しかし今回はただ単に食べたくなった、という理由。その事を俺は飛鳥に喋っていた。
だから飛鳥はあまり重要性を感じず、このカンカンに入ったドロップを買ってきたんだと思う。
たまたま目に付き、懐かしさのあまり即購入を決意……。飛鳥なら往々にしてありえる行動パターンだった。

「はあ、もういいよ」

「そうそう、諦めは大切だよ」

「……次俺をイラつかせたら降りてもらうからな」

「ああっ、ごめんごめんごめんなさいすいません」

「テメー謝る気全然ねえだろ」

誠意の欠片もない飛鳥の言葉に怒るのもバカバカしくなり、俺はそう言いながらコンビニ袋を奪い取る。
そして中から俺の分であるおにぎりとペットボトルのお茶を取り出し、残りを飛鳥に投げ付ける。

――カラカラ。またドロップが鳴った。

「ちょっとー、食べ物投げちゃいけないんだよー?」

「じゃあ今すぐスペイン飛んでトマト祭り中止にしてこい」

「極端だなあもう」

飛鳥は「ぶう」と頬を膨らませてそう言い、ふてくされたような顔でコンビニ袋の中に手を突っ込む。
ヤツが取り出したのはおにぎりセット。すでに米に海苔が巻かれている、しなしなしたヤツだった。

「うわ、味覚障害者がいる」

「ひどいなあ、しな〜っとしてるのが食べたい気分だったの」

「そんなのババアの手作りおにぎりだけでいいだろ。パリパリした海苔だからこそのコンビニおにぎりだろ?」

「エゴだなあ」

飛鳥は冷ややかな目で俺を見ると、そう一言呟いてパックのラップを剥がし始める。頼み事も守らないくせに何と生意気な。

「あ、その漬物1切れくれ」

「何でよ、漬物はこのおにぎりセットの影の主役よ?」

「おにぎりと漬物しかないのに主役と影の主役がいるのかよ。バランス悪い配役だな」

「もう、うるさいなー」

口ではそう言いながらも飛鳥は観念したように漬物を1枚掴み、俺の口元にペチペチと当ててくる。なかなかに屈辱的な食べさせ方だった。

……パリポリパリ。

それでも俺は目の前にある、鮮やかなオレンジ色のダイコン味噌漬けの誘惑に負け、黙って口にそれを放り入れて噛み砕く。いい音が鳴った。

「うん、美味い」

「残りは私のだからね?」

「わかったよ。それよりテッシュかペーパータオル取ってくれ」

さすがに3枚しかない漬物を俺が2枚食う訳にはいかない。本当は全部勝手に食べたい所だが、それをやると後々面倒な事になる。
俺はもう手を出さないと早々に宣言、自分のおにぎりを食べる事にするのだが、その前に手を拭くべく飛鳥に声をかける。確かそっちに何か拭くものがあったはずだが……

「え、どこにあるの?」

「あれ? 飛鳥の足元にないか? そこじゃなかったら助手席の後ろにあるはずだけど?」

「ちょっと待ってね、多分後ろにあると思う」

「ああ」

俺が頷くと飛鳥は持っていたおにぎりセット、そして飲物とドロップが入ったビニール袋をポンと俺の膝元に置く。

「……うわ、オメエおにぎりにキャラメルマキアートっておかしいだろ?」

「いいじゃない、別に何と組み合わせるかは私の勝手でしょ?」

「でもなあ、これは寿司に牛乳以上の気色悪さだろ……」

ガサゴソと袋の中を漁り、俺ならまず買わないであろう飲物を一瞥。
残るカンカンに入ったドロップを取り出し、俺は何気なくパッケージを眺めてみる。ドロップは昔と全く変わっていない……と思いきや、微妙にマイナーチェンジを遂げているようだった。

「何か……絵が変わったっぽいな」

「うん、そんな気がする」

「つか今もやっぱハッカ入ってるのか?」

「入ってるんじゃない?」

「アレ、完全にハズレだろ」

「そうそう、最後まで残るのは大体ハッカだよねー」

首を後部座席に突っ込み、そこら辺に転がっているであろうテッシュかペーパータオルを探す飛鳥がそのままの体勢で返事をしてくる。
身を乗り出し、運転席と助手席の間に挟まっている彼女の姿はなかなかに滑稽で、また絶好の悪戯チャンスでもあった。

「……1つ言っておくけどヘンな事したら怒るからね」

「へいへい」

しかし敵もさるもの、俺の微妙な変化を感じ取ったのか、何かやらかす前にとても太い釘を刺されてしまう。
まあ付き合いが長ければこれも当然か。俺は脇腹をくすぐるorブラのホックを外す悪戯を断念。直接触れる系は諦め、ビジョナリティな方向で攻める事にした。

「……言われなくても何もしませんよっと」

そう言いながら俺は上身体を助手席の方に伸ばし、飛鳥のスカートの中を覗き込む。別にもう見慣れた感はあるのだが、旅先の車内というシュチュエーションに普段では味わえない興奮を期待して……とか言うとすごい変態みたいだな俺。まあいいや、そうじゃなかってのは薄々気付いてたし。

「ふーん」

「どうしたの?」

まだ手を拭くものは見つからないらしく、飛鳥の声は座席の向こうから聞こえてくる。
俺はそれをいい事にベストアングルから飛鳥のスカートの中、好きな人にはたまらないであろう”面積の割には高価な布製品”を堪能する。

「あれだな、飛鳥って薄いオレンジ好きだよな。あと控え目なふりふりと」

「……!?」

一瞬考え込むも、すぐに何の事を言っているのか理解した飛鳥。
ビクンと身体が動いたかと思った次の瞬間には彼女の怒った顔が俺の目の前にあった。とりあえず俺は軽く死を悟った。

「あー、すまない。君が可愛すぎて」

「グーとパー、どっちがいい?」

「でも俺はどちらかと言うと青系のしましまが好きだな」

「……目と鼻と下半身の大事な部分、潰されるとしたらどこがいい?」

「まあ最悪何も穿かないってのも俺的にはアリ――」

「天誅!」

パチーン!

「いてぇ!!」

まず平手が飛んでくる。見事なスナップ、完璧な放物線は俺の頬からこめかみにかけてをクリーンヒット。軽く脳みそが揺れた。

グニュッ!!

「はうんっ!?」

続いて垂直落下系の拳が俺のデリケートな部分のほぼ中心を躊躇い無く落とされる。2つのゴールデンボールが4つに分割されたんじゃないかというくらい痛かった。

「ったく、次やったら削ぎ落とすよ?」

「〇#$д%£cЙGф!?」

意図せず宇宙語で答えてしまった。人間極限まで追い詰められると色んな事が出来るんだな、と思った。というかすぐ傍には自分のおにぎりもあるというのに、よくもまあ加減一切無しで攻撃してくれたな。これでおにぎり落としても文句は言えないぞ?

「はーあ、何でこんなエロガッパのためにテッシュ探してるんだろ……」

ため息交じりの飛鳥の声。ブツブツ言いながらももう一回身体を突っ込んで後部座席を探している辺り、コイツは本当にいいヤツだと思う。
……いや、本当にいいヤツなら俺の人肌いなりを粉砕したりはしないか。

「……」

しかし痛い。まだズキズキする。さすがにこれはやりすぎ、報復行為にも程があるんじゃなかろうか。
俺はすりすりと優しく自前のウインナー(さすがにフランクフルトとは言えない)を撫でながら、行き過ぎた報復に対し、やめておけばいいものの、”お釣り”を返そうと考え始める。

……さて、どうするか。

もうセクシャルな事は出来ない。そこまで俺は命知らずではないし、まだまだ子孫繁栄行為に未練がある。
なので俺は微笑ましい系の悪戯、お茶目な自分をプチ演出出来る悪戯を思い付き、早速実践してみる事に。当然飛鳥には気付かれないよう、隠密行為で行なう。

……カサ

微かに鳴るコンビニ袋の音。俺はなるべく音を立てないようにカンカンのドロップを取り出し、フタに付いているシールを剥がす。
そしてポケットから小銭を取り出し、フタをこじ開けて静かに反転。コロコロと転がってきた数粒のドロップを手のひらに乗せ、そこから赤いイチゴ味のドロップを選別する。

「あれー、おかしいなー? ここにあるはずなのになあ……」

すぐ隣には飛鳥の腰と尻と太腿。ちょこちょこ触れてくる位置に敵はいる。
しかしやるべき時は今、このタイミングを逃せばもう機会はない……!
俺はそう考え、思いついた悪戯を実行に移す。その作戦とはこうだ。

「……」

焦らず、確実に。
俺は飛鳥のおにぎりパックを手に取り、剥がしかけのラップをきれいに捲り、2つのおにぎりを反転させる。そして巻いている海苔の境目を見つけ、そ〜っと引き剥がす。
これでまずは第一段階完了。俺はいまだモソモソ動いている飛鳥に注意しながら、次なる工程へ。

……ぐいっ。

俺は米がむき出しになった部分を割き、中に入っていた具を取り出す。
1個目は梅干、2個目はタラコ。それらを取り除くと、俺はその窪みにドロップを代わりに入れる。

……むにっ。

しっかり奥まで押し込んだところで剥がした海苔を巻き、完全に張り付けたら再び反転。最後にラップを元の状態に戻し、俺は何食わぬ顔で梅干とタラコを口に入れる。

「あ、やっと見つけたー」

ちょうどその時、飛鳥が座席の下に潜り込んでいたウエットテッシュを発見。
あまりのタイミングのよさに内心驚きつつも俺は冷静を装い、ガマンして梅干の種を飲み込む。さすがに今どこかに吐き出すのは無理があった。

「はい、テッシュ」

「お、おう、サンキュ」

そう言えば俺、手を拭かないで飛鳥のおにぎりに細工したんだったな。ちょっと申し訳ない気分になる。しかも具をドロップに変えちゃってるし。

「ああもう、これ探してる間に飲物ぬるくなっちゃった。これも全てどっかのバカでエロで変態のせいね」

「……」

カッチーン。
そんな音が俺の頭の中で響いた。
はい前言撤回。申し訳ないとか思わなきゃよかった。
雑菌付きまくった手でおにぎり握りなおせばよかった。一回わざと落とせばよかった。ドロップと一緒に俺の陰毛混ぜ込めばよかった。

「何? 怒ってるの?」

「別に」

「素直じゃないなー」

「お互いにな」

このやり取り、普通のカップルなら相当に険悪で目も当てられない雰囲気なのだろうが、俺達にしてみれば結構頻繁、何なら日常と言ってもいいくらいだった。

「仕方ないな、微妙にぬるいキャラメルマキアートだけど我慢して飲もうっと」

「チッ、どうせなら両手で握って温めとけばよかったぜ」

「また子供みたいな悪戯考えてる」

はいはいすいません、子供ですよ俺は。クソガキですよ俺は。
心は子供、身体は大人、某名探偵も真っ青のダメ人間ですよ。
俺はわざとらしく口笛を吹き、何も聞こえていないアピールをする。
まあそれはある種フェイク、メイントラップであるドロップおにぎりに気付かせないための演技だったのだが。

「まあいいや。そんじゃ俺は鮭ハラスでも堪能するかな」

「私も食べようかな」

俺はお気に入りの高価なおにぎりを取り出し、@とかかれた先端部分に手をかける。このおにぎり取り出しシステムを考えた人に敬意を表しながら。
一方の飛鳥は俺の膝元にあった海苔がペタッとくっ付いたおにぎりセット(細工済み)を自分の膝元に置き、何の疑いもなくラップを剥がしている。
1回捲ったようにはとても見えないラップと、1度海苔が剥がされ中身が変わったようには見えないおにぎり。俺はこれから起きるであろう展開を想像し、緩んだ顔を元に戻そうと必死になっていた。そして必死といえば、悪戯が判明した後に下されるであろう敵の攻撃、これをどう防ぐかも必死に考えていた。

「うん、うまいうまい」

続くAとBの手順を踏み、海苔を完璧に身に纏ったおにぎりが姿を現す。
俺はそれをまずパクリと1口齧り付き、もしかしたら最後の晩餐になるかも知れぬ米の味を噛み締める。そこに加わる鮭ハラスの塩味がたまらなかった。

「それじゃあ私は……タラコからっと」

飛鳥も俺に負けじとおにぎりを手に取り、パクリと口を付ける。
どんなに豪傑で凶暴で攻撃性が強く躊躇いなく彼氏を殴る飛鳥でも、やはりそこは女の子。俺のように1口で具まで到達する事はなく、現段階では異変に気付いていない。しかし次の瞬間、それは訪れた。

バリッ

「!?」

最初のバリッという音に続き、ジャリジャリという飴玉を噛み砕いた時特有の音が鳴る。きっと飛鳥の口内では米と海苔の中に場違いな甘さとイチゴの香りが広がっている事だろう。

「……」

そんな飛鳥を見た俺はまず無反応。まあ小刻みに震え、笑いを堪えてはいるのだが、まだここで「ハーッハハ、引っかかったな小娘!」と声を上げる訳には行かない。もう少しこのドロップおにぎりを食べてしまった飛鳥の反応を細かく観察しなくて――

「貴様かーーっ!!」

「ふぐわっ!??」

俺に訪れたのはまさかの展開だった。
てっきり「何コレー!?」→おにぎりを調べる→「ペロッ……これはドロップ!」→こんな事ある訳ない、誰かの悪戯? →「お前かー!!」という順番を経て俺に攻撃の矛先が向けられると思っていたのだが、途中の経過を全てスルーして俺に拳が飛んできた。何という素早い思考回路、コイツはエスパーか?

「どうして判った!?」

「わからないでかー!!」

「はうんっ!!」

2発目の拳が完璧に俺の顎に入る。ボクシングの試合なら間違いなくマウスピースが飛んでいるだろう。まあ代わりに鮭ハラスがいい具合に飛んで行ったけど。

「あーもう気持ち悪ーい!! 何でほんのりタラコの味が付いたご飯と一緒にドロップ食べなきゃいけないのよ!?」

「……素直にのど飴買ってこないからじゃね?」

ボソリとそう呟く俺。しかし飛鳥の殺気しか含んでいない視線を受けて口を開くのを止める。これ以上のダメージは旅行の続行に支障をきたす事間違いなしだ。

「まったくもう、いつの間にこんな手の込んだ事を……」

「俺がお前のパンツばっか覗こうとしてる男だと思うなよ?」

「全っ然! 全っ然カッコよくないから!」

「それは残念」

俺は吹っ飛んだ鮭ハラスを拾い、フーフーと息でホコリを取りながらそう答える。当然ながらその言葉に感情はなく、努めて飄々と。
説明するまでもないだろうが、これも先程同様のフェイク。もう1つの梅干おにぎりの中身を確認させない、確認しようと思わせないための手段だった。

「うん、腐っても鯛だね。落ちても鮭ハラスは美味い」

「チッ、踏み潰しておけばよかった……」

「怖い事言うなあ。そんな事言うと残ってるおにぎり奪うぞ?」

「やめてよ。もうまともなおにぎりはこれしかないんだから」

「さいですか」

……よっちゃ、まともって言った。全然気付いてないんでやんの。
俺は心の中で小さくガッツポーズ。飛鳥がさっきと同じようにバリッという音を立て、2回目となるドロップおにぎりの罠にかかる姿を想像する。

「あーうまかった。そろそろ出発するぞ?」

「え、ちょっと待ってよ。私はまだ食べ終わってないのよ?」

「別に飛鳥が運転する訳じゃねえだろ」

いいからオメーは助手席で1人アホ顔晒して握り飯でも食ってろ、と付け加えたいのをぐっと堪え、俺はそう言って急かす素振りを見せる。
すると飛鳥はまんまとそれに引っかかり、急いで残りを食べようと元梅干おにぎりに手を伸ばす。
そして中を割って確認するでもなく、海苔を剥がした後がないかを見る事もなく、がぶりと口を付ける。

バリッ

「なっ!?」

まさかの2連続ドロップおにぎりに驚く飛鳥。普通2個あるおにぎりの片方が細工されていたらもう一方も疑ってかかると思うのだが……まあ飛鳥だしな。
一見しっかりしてなさそうでやっぱりしっかりしてない、それが飛鳥クオリティーだ。こうでないと面白くないし、こういう部分があるから俺はコイツと付き合ってるんだと思う。まあパンチやら何やらで代償はお高く付くが。

「ぷっ、ぷぷぷぷぷ」

「……」

思いっきり至近距離から指を指し、これ以上ないくらい小癪な笑顔を浮かべる俺。対する飛鳥は無言でわなわなと、そしてぷるぷると震え、ゆっくりと下を向く。
そして一呼吸間を置き、小さな声で「そうきますか」と呟く。超怖かった。何かを確認するように2、3度頷いたのがまた恐怖を誘発した。

……嵐が来る、それも大きいのが。

そう本能的に察した時だった。

「にかいめぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

「ふぐああっ!?」

渾身の右裏拳が俺のみぞおちを完璧に捉える。俺の呼吸を一瞬止めた飛鳥の拳は小刻みに震え、まるでジークンドーを極めたアクション映画俳優の決めポーズのようだった。黄色に黒線の入ったジャージを着ている飛鳥が俺には見えた。

「……おい、シートにめり込んだぞ今」

「うっさい死ね!」

「ストレートな言い方だなあ」

ここまでキッパリと、一寸の迷いなく死ねと言われると逆に清々しい。
何かこのまま死んでもいいかなー? と思えてくるから不思議だ。まあさすがに死ぬ気はないけど。

「……なあ、1つ聞いていい?」

「何よ?」

「もしかして怒ってる?」

「もしかしなくても怒ってる」

「あっそ」

「……もっかい座席シートに埋まってみる?」

パン、パンと乾いた音が聞こえる。
飛鳥は片手をグー、片手をパーにして拳を鳴らしていた。とてもじゃないが女の子がやる仕草ではなかった。

「すいませんでした許してください」

「じゃあ今すぐ同じの買ってこーい!」

「ひいっ、ただいまー!」

俺はそう言って勢いよくドアを開け、これまた勢いよく外に飛び出し、スタコラサッサという効果音が似合うような走り方でコンビニの入口に向かう。
そして俺は飛鳥の視線が及ぶ範囲から抜けるまで大慌ての演技を続け、その後は普通におにぎりセットを持ってレジに並ぶ。

「ありがとうございましたー」

「あたためますか?」という問いと「袋にお入れしますか?」という問いの双方にNoと答え、俺はおにぎりのパックだけを持ってコンビニの外へ。

「……うわ、まだ怒ってた。っていうかこっち見てるし」

まさか俺が出てくるのを睨んで待っている訳はないだろう、と思っていたのだが、そのまさかな展開が待っていた。
飛鳥は助手席から俺を、俺だけを見ていた。こんなに見つめられたのは付き合い始めてから今までなかったんじゃないか、というくらい。
ただ残念というか悲しむべきというか、その目は恋人を見て微笑んでいるとかいう類のものではなかった。例えるなら看守が牢屋に入る囚人を監視しているような視線。瞳は完全に「買ってきたんだったらさっさと戻って来い」と言っていた。

「……」

こりゃあ厄介な事になるかもなー

俺はそう思いながら自分の車へと近付く。持ち主は俺だし、運転手も俺なのに、今はこの車が飛鳥の所有物のように思えてならなかった。

――カラカラ

ふいにそんな音が聞こえた……ような気がする。
乾いた音。それでいて懐かしい音。

――カラカラ

また聞こえる。聞き間違いではない。
この音はカンカンに入ったドロップを振った時の音。
俺はその音源となるものの存在を知っていた。そして今それが飛鳥の手に握られている事も今さっき気付いた。

「……」

――カラカラ

飛鳥がまたカンカンを振る。何か言いたそうな目で。何か俺に危害を加えそうな目で。

「あー、間違いないな……」

俺は全てを悟った。完全に飛鳥の思考が読めた。

「こりゃ俺もイチゴドロップおにぎり、食わせられるな……」

そう呟き、俺はドアに手をかける。

「おかえりなさい♪」

飛鳥はここに来て急に表情を変え、笑顔で出迎える。
その手には予想通りドロップが2つ置かれていた。

ただ、1つ予想外なのはドロップが赤色ではなく、透明な色だったという事。

……ああ、ハッカ味のおにぎりか。

俺は手を額に当て、「参ったなあ」という表情を浮かべる。


――旅行はまだ始まったばかりだった。





                                         「ドロップ」 END


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