「カフェラッテはマグで飲む」






「……」

とあるマンションの前、橋本信仁(はしもと のぶひと)は悩んでいた。
…これから起こるであろう出来事、展開される出来事に。

「……はあ」

大きく、深いため息。
信仁はこのマンションの3階に住む彼女、大道春佳(おおみち はるか)に呼ばれていた。
…いや、正しくは招待されていた。

「……」

―ピ

信仁は無言のまま携帯を取り出し、受信メールの履歴を開く。
そこには昨日の日付、午後3時に送られてきた春佳からのメールがあった。

『件名:ご招待♪

本文:明日、休みだよね?
だったらお昼前にウチに来て♪

…え?何をするかって?

ナ・イ・シ・ョ!

必ず来てね!遅刻は許しません!』


―ピ

「…別に聞いてねえよ」

力なくそうツッコミを入れ、携帯を仕舞う信仁。
そしてもう一度、さっきより重く深くため息を吐く。

…実は信仁、呼ばれた理由を知っていたりする。

今日、春佳が自分の部屋に信仁招いてする事、それはお茶会。

どうやら彼女、一昨日立ち寄った喫茶店で注文したカフェラッテをいたく気に入り、その日のうちに道具一式と美味しく淹れる本を買ったらしい。

ちなみにこの情報を信仁にリークしたのは一緒にその喫茶店に行った春佳の友人。

その友人とは昨日、春佳からメールが来る少し前に偶然会ったのだが、その時にこんな話をされた。

「…あの、今日春佳と一緒に喫茶店に行ったんですけど、そこでまたいつものアレが始まっちゃって…」

とても申し訳なさそうに、そしてご愁傷様ですと言わんばかりの彼女。
信仁はその報告を受け、ただ「そうか…」としか言えなかった。

…春佳の友人が言う「アレ」、信仁が頷くしかない「アレ」。
それは彼女の性格?性分?が引き起こす、少し…いや、かなり困ったクセのようなもの。

何かを気に入ると、とことんそれを追求する。
そして飽きるまで、もしくは満足のいくレベルに達するまで、ずっとずっとずっと繰り返す。
それが春佳を取り巻く人間が影で言う「アレ」になる。

基本的に「アレ」は食べ物で発動する事が多く、一番最近だとナムルにハマっていた。

どこかの焼肉屋で食べたのがメチャクチャ美味かったらしく、以降半月の間、ずっとナムルを作っては食べ、作っては食べを繰り返していた。

当然その余波は信仁や友人サイドにも及ぶ訳で、特に付き合っている信仁に関しては、毎日弁当のおかずがナムルという、完全なるビビンバランチがしばらく続いた。
しかもそれだけでなく、期間中は常に信仁の家と春佳の家の冷蔵庫全てがナムル入りのタッパで埋め尽くされた。

その前は和菓子。
旅行のお土産で貰った京都か金沢の和菓子にひどく感動し、それからほぼ毎日、ネットで取り寄せ注文した全国各地の名店の和菓子が届けられた。
その上2人が休みの日は近隣の和菓子店巡り。1日で10件以上の店を渡り歩き、そこで食べる+家で食べる分を買うから大変。今度は冷蔵庫の中が和菓子で埋め尽くされた。

さらにその前は何故か魚肉ソーセージ、過去には駄菓子の「ジャンボのしいか」にハマっていた。

そして今回はカフェラッテ。飲み物で「アレ」が発症するのは初めてかもしれない。
まあ何にせよ展開は読める…というか、ここまで付き合って読めない訳がない。

おそらく春佳は大量のコーヒーとミルクを用意し、信仁の到着を待ち構えているに違いない。

それはまさに実験台。
彼女に悪気は全く無いのだが、付き合わされる身としてはどうしてもそういう言い方をしてしまう。

「…はあ」

今度は声に出してのため息。
だが信仁は気を取り直したようにマンションの中に入って行き、エレベーターに乗り込む。

相変らずその表情は複雑、渋い事この上ないようにも見えるが、どこか諦めに近い感情、「…ま、付き合ってやるか」という優しさも見て取れた。

信仁と春佳が恋人の関係になって今年で3年目、お互いの事はかなり理解し合えている。

だからこそ、他にたくさんの魅力や、可愛いところがある事を知っている信仁だからこそ、こうして許容してこれたのではないか…

「…」

そんな事を考えながら、そして昨日会った春佳の友人に言われた事を思い出しながら、信仁は彼女の部屋へと向かう。

『明日辺り春佳からメールが来ると思います。…橋本さん、大変かと思いますが、春佳に付き合ってあげてください』

「…残念、明日じゃなくてあの後すぐだったよ」

信仁は春佳の友人のセリフに対し、そう呟いて軽く微笑む。
彼女もまた「アレ」の被害者であり、それ以上に春佳の事をよく知っている理解者なのだ。

…ホント、いい友達を持ったよなアイツ。

エレベーターは既に3階に着き、信仁は春佳の待つ部屋へと一直線に歩いていく。
手には小さな箱。中身はカフェラッテに合うであろうシンプルなイチゴのケーキが2つ。

『もしカフェラッテパーティーにお呼ばれしたら、このお店のケーキを持っていくといいですよ』

信仁は春佳の友人にこうも言われていた。

「…本当に春佳はいい友達を持ったよなー」

もう一度、今度は声に出して。

そしてちょうどその時、信仁は春香の部屋の前に着いていた。





「さ、上がって上がって」

「…言われなくても」

「む。「お邪魔します」くらい言いなよー」

「いいじゃねえか、そんな事で文句タレるなら土産のケーキはやらんぞ」

「うわ、ズル…」

「ズルくねえよ」


ベルを鳴らして2秒、さすがの信仁も驚くスピードで春佳はドアを開け、彼氏の訪問を歓迎した。

すでに部屋の中からはコーヒーのいい匂いが立ち込めているが、それでも信仁は何も言わず、春佳の口から説明があるまで待った。

そして大層勿体ぶった説明(『一昨日、私は運命的な出会いをしました!』から始まる壮大なカフェラッテストーリーが展開した)を経て、どうして信仁を部屋に招いたかを白状。
「うわ、ラッキー!カフェラッテに合いそうなケーキじゃん!すごいよ信仁!」と、持ってきた土産にメチャクチャ喜んだ後、いよいよお茶会…というかカフェラッテ祭りに突入する。

「さ、座って座って。今日のために少し部屋の模様替えをしたんだ」

「はー、毎度の事ながらよくやるな。こればっかりは関心するよ」

「へへへ。もっと!もっと褒めて!最低でも7時間分は褒めて!」

「わかったわかった、じっくり褒めてやる」

…7時間かかったのか、この模様替え…

信仁は適当に労いの言葉をかけつつ、模様替えしたばかりの春佳の部屋を見渡す。

おそらくヨーロッパ圏のティータイムを意識したであろう部屋は意外と雰囲気がよく、テーブルに飾られた花もなかなかセンスがよろしい。

本当にどこかの金持ちの家に招待されたような気分になる信仁だが、よく見るとテーブルの足元は段差を埋めるために雑誌、それも分厚い少女マンガ誌が敷かれていたり、コーヒーメーカーの横には卓上醤油(上の部分が赤くて下がビンのヤツ)&コショウのビン(勿論SB食品)がチラリと見えていたり…と、完全にヨーロッパのティータイムを演出しきれていない。

だが、その努力は信仁が誰よりもよく判っていた。
こういう演出に春佳は7時間もかけたのだ。それはもてなしてもらう側としてはかなり嬉しい。

勿論信仁が彼女の家に遊びに来たのは初めてではない。というか何回も泊まっている。
お互いそれなりの歳だ、あんなことやそんなことだって何回もしてる間柄である。

しかし、それでも新鮮な気分に、少しでも本物に近い雰囲気を味わってもらおうとする気遣いに、信仁は言葉には出さないものの、それなりに感動していた。

「…はい、まずは買ってきてもらったケーキね」

「おう」

キレイな皿に乗せ替え、買った時以上の見栄えを放つケーキが登場。
そしてその横には皿と同じ模様のカップとソーサーがあった。

「あれ、もしかして今日のために買った?」

「ううん、これは前からあるヤツだよ。ただ使わなかっただけ」

「ふ〜ん」

そう言いながら信仁は空のカップに目を向ける。

「ああ、そうか。カフェオレだもんな。目の前で注いでくれるのか」

確かTVか何かで見た事がある。
熱々のコーヒーとミルクを客の目の前で空のカップに注ぐ…というヤツを春佳はしようとしているのだろう。

最初から注がれて出てくるとばかり思っていた信仁はようやくこの空のままでカップを出された意味を理解する。

「ぶー、カフェオレじゃないもん、カフェラッテだもん」

「いやいや、同じだろ…」

一度キッチンの奥に引っ込んでいた春佳がそう言い、頬を膨らませながら戻ってくる。
手には細い口のケテル、おそらく火にかけていたミルクが入っているのだろうが、とりあえずそれをコーヒーメーカーの横に置き、改めて信仁に注意を始める。

「同じじゃないよ〜、全然違うもん、少しは違うもん!」

「どっちだよ…」

全然と少しを同意語にするという荒業をやってのける春佳に対し、思わずツッコミを入れてしまう信仁。

しかし春佳の中ではカフェオレとカフェラッテに相当の差があるらしく、一度は置きかけたミルクを持ってワタワタと暴れ始める。

「とりあえず!これはカフェラッテ!自販機で売ってるのがカフェオレ!」

「いやいや、それは違…ああっ、頼むからそれを置け!こぼれたらどうすんだ!」

「…じゃあ今日私が信仁にご馳走するのは?」

「カフェラッテです!」

「よろしい」

信仁の返答にご満悦な様子の春佳。完全に言わせている感もなくもないが、本人がそれでいいのなら問題ないのだろう。

「ふう…」

一方の信仁は冷や汗タラタラ、あのまま手が滑って熱々のミルクが…みたいな事を考えてしまい、これから先間違ってもカフェオレとは言うまいと固く誓う。

…でも自販機で売ってるのがカフェオレ、ってのは違うだろ。偏見だろ。

と、やっぱり心の中でツッコミ&訂正を入れる信仁。
後でその誤解と偏見は解かなければ…と思う辺り、彼は難儀な性格のようだ。

「さて…」

気を取り直して…と言いたげ、春佳はポンと両手を叩き、目を輝かせる。

「今日はカフェラッテお茶会にお越し頂きましてありがとうございます♪」

…お、ノリノリ。

信仁は楽しそうに挨拶を始める春佳を見てそう思うも、ここで口を開くとまた何か起きると判断し、そのまま黙って聞く事に。

「まずは一杯目、愛情たっぷりのカフェラッテをご賞味下さい♪」

…まずは一杯目、と来ましたか。
やっぱり相当な杯数、リットル単位で飲ませる気だ…と、予想していたとは言え、思わずたじろいてしまう信仁。
しかしすぐに覚悟を決め、今まさに注がれようとしているカフェオレ…ではなくカフェラッテに視線を移す。

―コポコポコポコポ…

右手にコーヒー、左手にミルクを持ち、それなりの高さからカップに注いでいく春佳。
おそらくこうする事でかき混ぜなくてもコーヒーとミルクが均一になるのだろう。

…ふ〜ん、やるなあ。

信仁は小さなカップ目掛けてこぼさず注ぐ春佳のテクニックに関心し、「すごいな」と素直な感想を抱く。

元々春佳は万能タイプというか器用、独特のクセを発揮出来るのも彼女の鋭い感性や洞察力、飲み込みの早さや学習能力の高さがあってこそである。

確かにやりすぎな感は往々にしてあるが、先に挙げたナムルにしろ他の料理にしろ、味はとてもいい。

…ただ、その量や回数が異常なだけなのだ。

「さあどうぞ。熱いうちに召し上がれ♪」

そんな事を考えている内に目の前に置かれたカップは注がれたカフェラッテで一杯に。
信仁は勧められるがまま、言われるままにカップに手を伸ばし、そのままゆっくりと口を付ける。

「…」

どう?美味しい?と言わんばかりの春佳。
その表情は真剣そのもの、明らかにさっきまでとは違う「本気」が見て取れた。

「…」

信仁もそんな春佳の思いに答えるべく、しっかりと注がれたカフェラッテを味わい、なるべく的確にそれを伝えようとする。

「…うん、美味い」

色々と味を表現する言葉を捜し、評論家が吐くようなコメントを…と思っていた信仁だが、結局出てきたのは限りなくシンプルな言葉。

「えー、素っ気ねー」

「うっせ。ホントに美味い時はあんま言葉が出ねえんだよ」

信仁の反応に当然ながら批判…というか口を尖らせて文句を言う春佳。
しかし直後の言葉を聞くと態度は一変、ニコッと笑顔を見せる。

「にゃはは、嬉しい事を言ってくれるねえこの子は」

「…オメエより年上だ」

「もう、いいじゃないそんな事。…それより今の言葉、本心?ねえどうなの?マジコメント?」

「ウソはつかねえよ。マジコメントだ」

「やった」

小さくガッツポーズ、そしてまた満面の笑顔を振りまき、今にも踊りだしそうな春佳。
しかしその手にはまだ熱々のコーヒー&ミルクが握られており、信仁は慌ててそれを阻止しようと春佳にもカフェラッテを勧める

「ほら、春佳も早く自分の分を作って飲めよ」

「うんっ」

素直に頷き、今度は自分の前に置いてあったカップにコーヒーとミルクを注いでいく。
程なくして春佳のカフェラッテが完成、おそらく今まで何度も練習を重ね、相当な量を飲んだと思われるが、それでも彼女は本当に美味しそうに、そして幸せそうに自分で作ったカフェラッテに口を付ける。

「あー、いい!やっぱりカフェラッテは最高だね!」

…そうだよな。前の時もその前の時も、しばらくはこの状態が続くんだよな。

上手く淹れる練習で飲み過ぎているのでは?という心配は杞憂、取り越し苦労であった事に気付く信仁。

そしてこれからしばらくの間、信仁が持ってきたケーキと熱々のカフェラッテという組み合わせで楽しいお茶会が続く。

春佳の「美味しいカフェラッテの淹れ方講座」(本に書いてあった事の受け売りと思われる)から始まり、コーヒーの道具は意外と高いという話、春佳がカフェラッテにハマるきっかけとなった店の話…と、お喋りに花が咲く2人。

だがそれも2時間を越え、目新しい話のネタが尽きかけるとさすがにトーンダウン。
普段あまりお茶やコーヒーの類を飲まない信仁は結構お腹がタプタプだったりする。

「あー、まだ作り足りないなー」

「おいおい、今日のところはもういいだろ…」

「いや!まだであります!まだカフェラッテ成分を摂取出来るであります!」

「誰だよそれ…」

そう言いながらカップに注がれた通算9杯目となるカフェラッテに口を付け、残りを一気に飲み干す信仁。
彼の中ではこの一杯で最後、続きは後日…という考えがあったのだが、春佳の考えは全く違っていた。

「よし、決めた!」

「うわ、何かヤな予感…」

「信仁が飽き始めたのはずっと同じカップで飲んでたからだよ!」

「いやいや、中身に飽きたに決まってんじゃねえか」

器のせいにするなよ…と信仁。
しかしその正当な意見は残念ながら春佳には届かない。

…彼女は何故か、ハイになっていた。

「ノン!カフェラッテ、美味しい!カフェラッテ、飽きない!」

「何でちょっとカタコトなんだよ…」

「うっさいなー、人間ちいさいぞー」

「なっ、このヤロ…」

こっちは的確にツッコミを入れたのに、返って来た言葉が「人間ちいさい」という仕打ち…
これには信仁も少々カチンときたが、その時にはもう春佳は目の前におらず、キッチンの中へ入っていた。

「ちょ、少しは俺の話をだな…」

そう言いながら立ち上がり、自分の言い分を述べるべく春佳の後を追おうとする信仁。
しかし当の春佳は何かを探すのに夢中、信仁の声はほとんど筒抜けで終わってしまう。
これは少し信仁が不憫かもしれない。

「…あ、これはいいかも。それと…アレも使ってみよっと♪」

「…」

夢中になった状態、「アレ」の真っ只中にいる春佳には何を言っても効果ナシ、後でゆっくりじっくりネチネチと説教だな…と信仁。

こういう絶妙ともいえるバランスで2人は繋がっているのだが、当の本人達にその意識はゼロ。
まあ上手くいくカップルというのは得てしてそういう部分があるのだが…

「ほら信仁、早くイスに座る!」

「わかったわかった、だから押すなよ…」

「動くのが遅い!」

「もう腹がタプタプなんだって…」

「いいからキリキリ動く!早くしないとそのカフェラッテタンクと化したお腹に…」

「戻る戻る!戻るから何もすんな!」

…と、完全に春佳の言われるがままの信仁。
そしてここからお茶会という名のカフェラッテ螺旋回廊が始まる。

第2ラウンドと銘打たれ、新たに大量のコーヒーとミルクを用意する春佳。
しかしテーブルの上には先程までカフェラッテを注いでいたカップは影も形もなく、ケーキを乗せていた皿もソーサーも片付けられていた。

「…一体何をする気だ春佳?」

半ば強制的にイスに座らされ、これから起ころうとしている事、春佳が企んでいる事を理解出来ていない様子の信仁。

一方の春佳はと言うと、純粋な笑顔と何か含み笑いにも似た笑顔を繰り返し、何かの準備・用意をしている。

「…よし」

「…だから何が「よし」なんだよ…」

「えー、それでは…」

春佳は信仁の問いには答えず、司会進行チックな口調で話し始める。
その手にはお盆が持たれており、およそカフェラッテとか関連性がないであろう物が乗っていた。

「先程も言った通り、ここからは変化をつけるため、一杯ずつカフェラッテを注いでいく入れ物を変えまーす」

「入れ物って…」

コップやカップと言わず、定義域の広い言葉を使う春佳に警戒の色を隠せない信仁。
その嫌な予感は見事的中、ここからお茶会は完全におふざけモード、食べ放題飲み放題のお店で繰り広げられる、適当な組み合わせクッキングのような試みが始まってしまう。

まずはお猪口でカフェラッテ。

「おいおい、これに注ぐのは無理があるだろ。こぼれるって…」と言う信仁に対し、「大丈夫!根拠はないけどきっと大丈夫!」と答える春佳。
結果は何とかこぼしはしなかったが、あまりに容積が少ないため、コーヒーとミルクのバランスがメチャクチャ。信仁は「ちょっと色のついたミルク」を飲む羽目になってしまった。

続いてはこれぞ日本の心(春佳談)という事で、ご飯を盛るお茶碗でカフェラッテ。
器の大きさ、口の広さは申し分無しなのだが、先のお猪口の非ではない違和感に美味しさは感じれなかった。
おそらくそれは信仁が頭の中で「カフェラッテ茶漬け」を想像、ご丁寧にそれを食べているイメージまで思い描いてしまったからかもしれない。

次に控えし入れ物は何とラーメン用の丼。
「さっきまでが和洋折衷なら、今度は中洋折衷だ!」という春佳の意味不明な主張により実現。茶碗の遥か上を行く違和感、そして容量に大ピンチの信仁。
ご丁寧に「これを使って飲んでね」と渡されたレンゲがまた追い討ちをかけた。

そして次は何とボウル。早くも食器の枠を越え、調理器具で攻めてくる春佳に信仁も閉口。
しかも量が半端ではなく、さらに飲みにくさも手伝い、ここで信仁はギブアップを宣言。

…が、その時にはもう次の刺客、次の次の刺客まで完成していた。

ボウルの次はヤカン、そして最後のボスは土鍋…という凶悪っぷりに、そのラインナップを聞いただけで気持ち悪くなる信仁。

さすがに春佳もその様子を見て我に返り、すぐさま悪ノリで開催したお茶会第2ラウンドを中止する。


―そして20分後。

「うー、やっと落ち着いてきたー」

「ゴメンね、本当にゴメンね…」

「いいって、もう気にすんな」

「でも、だって…」

オロオロとしつつも、しっかりと信仁の手だけは握り続ける春佳。
その献身的な姿は先程までとはうって変わり、まるで別人のよう。
しかしこの優しい部分こそが彼女本来の性分だったりする。

「俺はもう大丈夫だって。そんなに心配すんな」

「ホント?お腹とか痛くない?」

「ははは、さっきまで満杯まで鍋に注いだカフェラッテを飲ませようとしてたヤツとは思えないな」

「ううう、ゴメンなさい…」

「…いいって、もう許すって」

もしあの後も悪ノリを続け、花瓶やバケツにまで手を伸ばしていたらさすがに信仁も本気で怒るつもりでいたのだが、この程度であれば許せる範囲。
…まあ多少具合は悪くなったが、何もそれは完全なる悪意からの事ではない。
勿論出来るのであればこうなる前に制御して欲しいのだが…

「…」

目に見えてしょんぼり、猛反省してます…と言わんばかりの春佳。
確かにこの部屋の惨状、テーブル及びキッチン内にたくさん残っているカフェラッテを見れば落ち込むだろう。
さすがにどの入れ物に入ったカフェラッテも冷たくなってしまい、とてもじゃないが飲みきれない。

「…ま、残ったのは冷蔵庫で冷やして飲むなり、コーヒーゼリーみたいにして片付けていくか」

「うん…」

「それじゃあ明日から2人でチビチビやっていきますか」

「え…」

予想外、といった感じの表情を見せる春佳。
その目は明らかに「…いいの?」と言っていた。

「まさか春佳1人で全部飲む気でいたのか?そりゃちょっとキビしいだろ」

「で、でも…」

「大丈夫、まあ出来たて淹れたてよりは多少味は落ちるかもしれないけど、十分飲めるって。…マジで美味かったぜ、春佳の淹れてくれたカフェラッテ」

「…」

しばらく無言。
そしてグスンと鼻をすする音が何度か聞こえた後、ようやく春佳が口を開く。

「…優しいね」

「何?今まで気付かなかった?」

「ううん、そんなコトないよ」

「そりゃよかった」

信仁はそう言うとゆっくり立ち上がり、目で「…ちょっとここにいて」と春佳に言い、キッチンへと消えていく。

そして少しぎこちないながらもコーヒーメーカーを作動させ、ケテルに牛乳を入れて火にかける。

どちらも一杯分の量だったため、コーヒーが出来上がるのも牛乳が温まるのも数分で完了。

「…ええっと」

それまで何度も春佳が作っているのを見ていた信仁。
その様子を思い出しながら、作業の1つ1つを確認するようにしてカフェラッテを完成させる。

出来上がったカフェラッテが注がれていたのは少し大きめのマグカップ。
それは以前、2人で買物に行った時に購入した春佳のお気に入りだった。

「…おまたせ」

お気に入りのマグカップに入ったカフェラッテを春佳に手渡す信仁。
そして彼女が座っていたソファーの隣に腰掛け、優しい目で春佳を見つめる。

「春佳はほとんど飲んでないから一杯くらい入るよね?」

「う、うん…」

「よかった。…ホラ、こういうあったかい飲み物ってホッとするじゃん?今の春佳、結構参ってるみたいだし、もしかしたら効果あるかな…って」

「…」

「まあ見よう見まねだからそんなに美味しくないかもしれないけど…、とりあえず一口でも飲んでみてよ」

「うん…」

…軽くふーふーと息を吹きかけ、ゆっくりと口をつける春佳。
両手でマグカップを持つ仕草はまさに女の子といった感じ。信仁はそんな可愛さ溢れる春佳を見て、たまらず頭を撫でたくなる衝動にかられる。

「ちょ、ちょっと、飲みにくいよ…」

「あ、悪ぃ」

「少し待ってて。すぐに飲むか―」

突然頭を撫でられた事には何も触れず、本当に申し訳なさそうにそう言って髪を触れるのを待ってもらう春佳。
だが急いでしまったのか、少しカップを傾けすぎてしまい、熱々のカフェラッテを唇の上に付けてしまう。

「〜〜っ」

「バカ、急がなくていいんだって。ゆっくり飲め」

「はーい…」

信仁の言う通りにする春佳。
もう一度ふーふーと息を吹いて湯気を飛ばすと、今度はゆっくりと少しずつカフェラッテを飲んでいく。

「どう?」

「…おいしい、すっごくおいしいよ」

そう言ってグスリと鼻を鳴らし、再度マグカップに口をつける。
そしてまた少しカフェラッテを飲み、今度は幸せそうな笑顔で信仁を見つめる。

「そりゃよかった」

涙で少し潤んだ目で、しかも至近距離で見つめられた信仁はそう言うと恥ずかしそうに視線を逸らす。
しかしその視線を逸らした先にはまた春佳の笑顔。こうなる事を予想し、先回りしていたのだ。

「…ちっ」

「あはは、照れてる照れてる〜」

「うっせ」

すっかり元気を取り戻した春佳。信仁はそれを確認すると、努めて普段通りの様子で春佳に接する。

…そしてしばらくじゃれあった後、ふいに信仁がこんな事を口にする。

「なあ春佳、やっぱカフェラッテはマグカップで飲むのが一番いいな」

…と。





                                   「カフェラッテはマグで飲む」  END  








<トップへ>



inserted by FC2 system