「チカラの意味」

あらすじ

主人公の片瀬は「能力者」と呼ばれる、悪霊退治を生業としている青年。物語は日々の生活を非日常の世界に置く彼の「日常」を描いたところから始まり、次第に大きく深いテーマ性を含んだものへと展開していく。
繰り返される霊との戦闘、そして同僚や依頼主など、多くの人との出会いを経て成長していく片瀬。その過程で彼は能力者としての強さ、人間としての強さとは何か、という大きな問題に直面する。
自分なりの答えを見つけようと悩み、考え、そして一歩ずつ求めるものへ片瀬は近付いていく…というのが大まかなストーリーになります。


登場人物

・片瀬
本作の主人公。剣に法術に魔導具に…と、様々な武器・アイテムを扱える霊能力者。
戦闘スタイルはそれらを複合した多彩な戦い方を好み、敵の性質や環境に合わせて使い分けて戦う。


・宮内
片瀬の同僚。仲間の中では一番年齢の近い先輩になり、片瀬が新人の頃からよく組んで仕事をしている。
能力はあらゆる物質に自分の霊気を通わせ、自在に操るというもの。

・水野
片瀬の後輩。元気で明るい性格のムードメーカー的存在の能力者。
まだ能力者としての経験は浅いが、オリジナルの魔導アイテムを創り出す力は見た目によらず強力。

・織原
ベテラン能力者。戦闘時における片瀬達のリーダー的存在で、経験と強さを兼ね備えた頼れる人物。
空間を曲げたり、次元を歪ませる能力を持ち、それらを体術を組み合わて戦う。

・三浦
片瀬の同期に当る能力者。強靭な肉体と強い精神力を持ち、また頭の回転にも優れる。
能力は自身の身体に神獣の力を宿し、一時的に獣化して戦う、というもの。

・橘
織原と同期の能力者。普段は事務作業を行っているキレイなお姉さんだが、その霊力は絶大。
結界などの防御系法術のスペシャリストで、同僚からの信頼も厚い。

・神代
最強と称される能力者。片瀬が憧れ、尊敬している人物。
儀式法剣と符術を駆使した戦闘スタイルは一切の無駄がなく、最強の名に相応しい力を持つ。






「チカラの意味」



  序章 ―非日常の日常―


 10月。世間一般ではまだまだ秋と思われる季節。しかし…
「寒いっつーの。」
 車を降りた瞬間、無意識に出る言葉。愚痴と言ってもいいのかもしれない。決して寒さに弱いわけではないのだが、つい数時間前までいた都心との温度差はそれほどまでに違う。
 
 ここは東北の片田舎にある温泉宿。この辺りではかなり有名で、古い歴史のある宿らしい。地図として買ったガイドブックに美白の湯と名物の鍋にリピーター続出、と書かれていたのを思い出す。
「まあ鍋は食べるとして…と、その前にやることをやらないとな。」
 俺はトランクから荷物を取り出し、駐車場を後にする。新雪で少し歩きにくいが、足取りは軽い。それは今回の仕事はそれほど面倒なものではない、というのが自分の中にあるのだろう。
…そう、俺にとって今日の仕事はごくごく普通の、それこそ『日常』と呼べるものでしかなかった。

   ・

「すいません、予約していた片瀬と言いますが…」
「いらっしゃいませ。…片瀬様、ですね。お待ちしていました、ただいま係の者にお部屋の方を案内させますので。」
「どうも。」
 受付係の言葉通り、記帳を済ませる前に案内のお姉さんが現れる。どうやら普通の客として応対するようになっているようだ。
 
 もしかしたら宿の中でもごく一部の人間しか知らされていないのかもな…。そんなことを考えながら歩いていると、前を歩いていたお姉さんが立ち止まった。
「お客様、こちらが本日のお部屋になります。」
 そう言ってお姉さんはドアを開ける。部屋は入り口からでも大きな窓が見える、景色のいい部屋だった。
「あの〜、お客様。この細長い包みは何が入ってるんですか?」
 背後からお姉さんの遠慮がちな声。振り返ると俺の荷物をどう置くか迷っているようだった。まあそうでなくてもこの包みは気になるだろう。
「それ、カメラの三脚が入ってるんです。カメラマンなんですよ、俺。」
「あ、そうなんですか〜。じゃあこちらには風景写真を撮りにこられたんですか?」
「ええ。キレイな所だから撮って来いって言われて。…そうだ、どこかおススメの場所ってあります?」
 始めて来た人間より地元の人の方がよく知ってると思って、と付け加える。
「そうですね…。今は雪があって歩いていくのが大変なんですけど、山の奥に小さなお社があるんですよ。その辺りの景色はとってもキレイなんですけど…」
「けど?」
 そう聞き返すと、お姉さんの表情が変わり、困ったような顔になる。
「あの…、これはお客様に言ってはいけないことになってるんですけど、その辺りってすっごく気味が悪いんですよ。よくあるじゃないですか、テレビでやってる怪奇スポットみたいなの。そんな感じなんです。だから景色はいいんですけど、おすすめとは…。あ、でもそこまで行かなくてもキレイな所はたくさんありますよ。ほら、ここから見える橋の辺りなんかもいいと思いますよ?」
 そう言ってお姉さんは外を指差す。見てみると確かにいい景色だったが、俺を山の中へ行かせないようにしているとしか思えなかった。
「そうですね。…ありがとう、参考になりました。」
「いえ、そんな…。ええっと、それではお客様、お食事は7時から、お風呂は夜10時半までとなっておりますので。」
「あ、はい。」
「それではごゆっくりどうぞ。」
 やはり気まずさを感じたのか、お姉さんは早口で説明と挨拶を済ませて部屋を出ていった。
「…山奥の社か。」
 俺はふう、と一つ息を吐き、荷物に手を伸ばす。細長い包みを開けると、そこには三脚ではなく白木造りの小太刀が出てくる。もちろん本物だ。

 …そう、俺の職業はカメラマンではない。依頼を受けては悪霊退治や霊障害を取り除く、そんな特殊な力を持つ『能力者』が俺の本当の職業だ。ここへ来たのも仕事、つまり依頼を受けたということになる。
 話によると、最近この宿の周辺で不自然な霊気の乱れがあったらしい。それから度々怪奇現象が起こるようになり、心配になった宿の主が依頼をしてきたのだ。今のところ宿の中で変わったこともなく、特に何も感じないのだが…
 やはりさっきの会話に出てきた山奥にある社が気になる。俺はその場所へ向かおうと刀の入った包みを持ち、部屋を出ようとした。

 するとちょうどその時、コンコン、とドアをノックする音が。…依頼主だろうか?
「はい。開いてますからどうぞ。」
 少しの間の後、遠慮がちにドアが開く。
「失礼致します。」
 そう言って入ってきたのは2人の男性。やはり宿の人間だった。
「今回の依頼主…ですね?」
「は、はい。初めまして片瀬様。この度は遠いところをお越し頂き、誠にありがとうございます。」
 深々と頭を下げる老人。おそらくこの人が宿の主だろう。俺は細かい前置きを飛ばし、本題に入る。
「依頼をされてから自分が来るまでの間、何か変わったことはありませんでしたか?」
「は、はい。被害という程のものではありませんが、従業員の中に気味の悪い気配を感じたという者、突然体調を崩したものが数名おります。」
「そうですか…」
 もう1人の男性が口を開く。
「あの、やはり悪霊か何かの類なのでしょうか?」
「まだはっきりとは言えませんが、おそらくはそうかと。ですが早急に解決しますので安心して下さい。」
「はい、どうかお願い致します。」
 2人はそう言って深々と頭を下げ、部屋を出て行った。
「…さて、行くか。」
 俺は再び包みを手にし、部屋を後にした。

  ・

「ん?」
 外に出てすぐだった。宿の庭の中に小さな社があることに気付く。かなり古く、朱色の塗りも所々剥がれてきている。しかし社は微弱ではあるが、この宿を護るように霊気を発していた。
「すごいな、こんなにボロボロになっても役目を果たしているなんて…」
 この社を建てた人物はかなりの力を持っていたようだ。俺は感心しながら社に近付く。
「ん、これは…?」
 よく見てみると1ヶ所だけ明らかに最近付いたと思われる傷があった。この傷の付き方は物理的な力ではなく、霊的な力によるものだ。木目を無視した不自然な亀裂が一直線に走っているのがその証拠、そしてその亀裂は社があると言っていた山の方向を指していた。

「…そうか」
 頭の中で仮説が出来上がる。ここと山の中にあるという社は同じ人物の手で建てられたに違いない。一つはこの宿を護るため、そしてもう一つはかつてこの地にいた何者かを封じ込めておくためにだ。ここにある社が傷付いたということは、当然あちら側も無事ではないだろう。長い年月の経過により、力が弱まったのだろうか?
 これは思っていたより大変な仕事になるかもしれない、俺は装備の手薄さに不安を感じながら、山奥の社を目指して歩き始めた。

  ・

 山の奥へ続く道は思っていた以上に雪が多く、次第に今自分が歩いている所が道なのかどうかも怪しくなってきた。
「…おかしい。」
 俺は足を止めて周囲を見渡す。霊的な障害だろうか、方向感覚が乱されているのが判る。 それでもなんとか神経を集中させ、惑わされないように歩き始める。しばらくすると深い山の中なのにも関わらず、全く草木が生えていない場所に出た。

「怪しいな…」
 俺は包みをほどき、小太刀を握る。そして周囲に気を配りながらその中心まで進んだ。自然にできたとは思えない円形状に広がる地形。改めて周りを見回すと、全ての木がこの土地を避けるように成長していた。
この場所に何かあるのは明らかだ、きっとこの辺りに社があるに違いない。俺はさらに細かく周囲を見渡すと、1本の木が目に留まった。ここから見える木の中では一番太く、この木だけはなんとか真っ直ぐに伸びていた。
 近くまで寄ってみると、根元には宿にあったものと同じ社が隠れるように建っていた。社は木から落ちた雪で半分近く埋まり、全体を見ることができない。俺は壊れている部分がないか調べるため、少しずつ雪をどかしていく。次第に姿を現す社は思った通り宿にあったものより痛みが激しかった。だがしかし、最近付いたような傷は見当たらない。俺は詳しく調べようと社に触れてみた。
「!」
 俺は思わず手を引っ込めてしまった。木を触ったとは思えない感触、例えるなら腐った肉のような感じだった。
 これはもう傷どころの問題ではない、この社はすでに機能を果たせるような状態ではなかった。霊気を発することもない社は俺が触れた部分から音も無く崩れ、まるで溶けていくように消えていく。やがて土台の石だけが残り、社は完全に消滅してしまった。

 次の瞬間、場の雰囲気が一変する。空気が淀み、邪悪な瘴気が周囲を包む。
 ザザッ!、俺は素早く刀を抜き、背後に感じた霊気に向かって構える。
「出たな…」
 目の前の空間が歪み、そこからゆっくりと敵が姿を現す。全身を固そうな毛で覆われた巨大な獣の化物、おそらく動物霊の集合体だろう。狼や熊を足したような身体からは強力な霊気を発している。
 …動物の霊力は時として人間の霊力を大きく上回る事がある。目の前に現れた敵はその典型的な例で、並の人間が出せる霊力を遥かに超えていた。さらに今回はそんな動物霊の集合体、予想外の強敵だ。 
「この装備では弱かったか…」
 山に登る前に感じた不安が的中する。今回の仕事では大した敵に遭うことはない、そう決め付けていたのがいけなかった。俺が今手にしている小太刀は使い勝手はいいが、それほど強力な武器ではない。
「グアアッ!」
 敵が先手を取って攻撃してくる。大きな身体に似合わず、意外と動きが素早い。
 ブンッ!、俺は鋭い爪の攻撃をジャンプでかわし、そのまま肩口目がけて斬りかかる。
 ガキッ!
「くっ!?」
 完全に捕らえたつもりだったが、硬い毛に守られ、今の一撃は小さな傷を付けただけだった。
「グオオッ!」
 敵は間合いを詰め、両腕を振り回して反撃してくる。攻撃は強力だが、動きが大きいのでかわしやすい。
 ブンッ、ブンッ!、連続して繰り出される攻撃をかわしつつ、俺は敵の戦力を冷静に分析する。
 …パワーとスピードはあるが、霊力はそれほど高くなさそうだ。敵は強い部類には入るものの、この程度なら今まで何度も戦っている。特に典型的なパワータイプを相手にするのは慣れていた。

 ダッ!、俺は大きく後ろに跳び、敵から離れる。そして刀を地面に突き刺し、両手に炎の霊気を集中、火炎球を造りだす。
「はあっ!」
 ボンッ!、俺が放った火炎球は見事命中、炎が敵の全身を包んで燃え上がる。
「グアアァッ!」
 敵の叫び声と焼け焦げる臭い、今の一撃でかなりのダメージを受けたようだ。
「一気に決めるか。」
 俺はそう言って懐から一枚の札を取り出し、念を込める。すると札は青白く光を発し、指先を離れて浮かび上がる。この強力な霊気に敵が気付いた時にはもう遅かった。
「グワッ!?」
 札は敵の身体に貼り付き、さらに光の強さを増していく。青白い光に包み込まれ、敵の姿が見えなくなる。
「ウガアアァッ!!」
 光の中から何重にも重なった叫び声が聞こえる。動物霊の集合体だった敵が札の力で引き離されているのだ。一体、また一体と動物の霊が消えていき、やがて集合体の核となっていた熊の化物だけが残る。さっきまでとは比べ物にならない程弱い霊力、しかし敵はそれでも俺に向かってくる。
 シュッ、ズバァッ!!
「ガアァァッ!」
 一刀両断。並以下の強さでしかない敵は小太刀でも容易に倒すことができた。

「ふう、任務完了…ってトコかな。」
 俺は刀を鞘に収め、念のために土地の浄化を行ってから宿へ戻ることにした。

  ・

 その日の夜。俺は無事に仕事も終わったこともあり、せっかくだからと夕食に名物の鍋を頼んでみた。出てきた鍋は熊やイノシシ、鹿の肉がたくさん入った猟師風の肉鍋。どれもさっき倒した集合体の中にいたであろう動物だけに、俺は多少ブルーな気分で鍋を食べた。
              




 
第1章 ―越える想い―


「どうも。片瀬、ただいま戻りました。」
 10月28日、つまり東北での仕事を終えた翌日である。ついでに言うと時刻は11時半。俺は朝イチで宿を発ち、東京にある「会社」に戻って来ていた。
「おう、ご苦労さん。で、どうだった?」
 目の前にいる気さくそうなオッサン。この人が俺の務める会社の社長だったりする。  

 …能力者の強さも要求する謝礼もバラバラ、詐欺やインチキも多いこの世界。そんな状況に困っていた依頼主と本物の能力者のため、双方にプラスになるように派遣会社のような形態を作ったのがこの人だ。俺達は社員という形で雇われ、依頼内容に合わせて一番適した人間が仕事を行っている。
「ええ、意外と強い敵でしたよ。依頼書を見たときは宿で死んだ人間の霊かな、と思っていたんですけど…」
 俺は昨日の仕事内容を社長に話す。
「…そうか、もう少し遅ければ大変なことになっていたかもしれんな。」
「はい、封印が完全に解かれる前に着いて本当によかったと思います。」
「まあ無事に解決したんだ、よしとしようじゃないか。」
 社長はそう言ってくれたが、軽率な判断で必要のない苦戦を強いられたのは事実だ。今度からは気をつけなければ…
「あ、そうだ片瀬。」
「はい?」
 頭を下げ、自分の机に向かおうとする俺を社長が呼び止める。
「お前、仕事が終わった後に別注文で鍋頼んだだろ?その分はきっちり給料から引いておくぞ。」
「ええっ!?そんなのアリですか!?」
「当たり前だ。ウチには美味いものを食わせるための経費、なんてのはないんだよ。」
「それくらいいいじゃないスか…」
「言いたかったのはそれだけだ。もう戻っていいぞ。」
「…はい。」
 俺は食い下がる気も失せ、そのまま自分の机に向かうことにした。

  ・

「よう、お疲れさん。」
 机に戻るとすぐに隣の席の宮内さんが声をかけてくる。

 …この長身でナイスガイが宮内さん。歳は俺の4つ上、俺がここに入ってきた時に色々と教えてくれた人だ。どんな物にも自分の霊気を通し、思い通りに動かすことができる能力を持っている。この力を使えば木の葉も鋭い刃物に、小石がライフルの弾丸以上の威力を持つ武器に変わる。周囲の物全てに気を通して攻撃することも可能で、大量の敵を相手にする時の強さは他の能力者を大きく上回る。
「どうも、ただいま戻りました。あ、これお土産です。よかったら食べてください。」
 そう言って俺は宿の名前が書かれた包みを渡す。
「お、美味そうなまんじゅうだな。」
 背後から別の声。振り返るとそこには通りすがりと思われる織原さんが立っていた。
「オリさん、その包みを開ける前に中身を言うのやめましょうよ。つまんないじゃないですか。」
 宮内さんが文句を言う。
「スマンスマン、本当に美味そうだったからな。…お、中のあんには栗とクルミが入ってるのか。」
「俺の話、聞いてますか?」
 マイペースな織原さんは宮内さんの言葉を軽く流し(つまり無視)、俺に話しかけてくる。
「片瀬、俺も1つもらうぞ。」
「あ、はい。どうぞ。」
 俺がそう答えると、織原さんは包みに手を当て、少しだけ霊気を放出させる。次の瞬間、織原さんはまんじゅうを1つ手にしていた。

 …これが織原さんの能力。透視能力と空間を曲げて物を動かす力を持ち、さらにあらゆる格闘技をマスターしている。空間を曲げての攻撃は非常にトリッキー(というか卑怯。正面から殴りかかってきたのに拳は後頭部を直撃、といった攻撃をしてくる)で戦いにくい。霊力も高く、接近戦では絶対の強さを誇る能力者だ。空間を曲げる力は自分に対しても使用可能で、異空間に身を隠すこともできる。歳は三十代の中頃、俺らの中ではかなりのベテランだ。

「まったく、あのオッサンはほんとにガキみたいな事を…」
 織原さんが立ち去った後、宮内さんはブツブツ言いながら包みを開け、まんじゅうを口にする。
「うん、美味い美味い。…サンキュー片瀬、
 俺も今度遠くに行くことになったら何か買ってくるよ。」
「あ、そんな気をつかわなくてもいいですよ。」
 普通の会社のオフィスで交わされるような会話の中にある、普通じゃない話題と不思議な力。いつからだろう、自分がこんな世界の中にいることに何も感じなくなったのは…

「あ〜っ、キヨビン帰ってきてたんだ〜!おっかえり〜!」
 珍しく真面目なことを考えていると、その雰囲気をぶち壊すような声が聞こえてきた。声は俺の机の向こうからしたのだが、書類や分厚い本、それによく分からないガラクタが文字通り山になっていて、声の主の姿が見えない。するとその時、俺の机の下からゴソゴソと何かが動く音が。
「うんしょ…っと。はろ〜、キヨビン。どうだった?冬の一人みちのく温泉旅は?」

 …いつものように俺の足元から這い出てきたコイツの名前は水野有希。俺より年下でキャリアも短いのだが、いつもちょっかいを出してくる困ったヤツだ。まあこの場にいるという事はコイツも能力者な訳で、頭の中で思い描いたイメージを具現化する力を持っている。たまに用途不明の謎アイテムを造ってしまうこともあるが、基本的には相当強力な魔導アイテムが出来上がる。見た目からは想像できない(水野の超個性的なセンスがそのまま具現化するため)威力、効果を持つアイテム生成の他、古い魔導具の扱いにも優れる水野。精神的にまだ弱いところが欠点だが、アイテム同様、見た目以上の力を持っている能力者だ。

 …ちなみにコイツが俺を呼ぶ時に使う「キヨビン」とは器用貧乏の略したものだ。周りの能力者に比べ、大きな特徴を持たない俺。しかし剣技、法術、符術と何でもそれなりにこなし、特殊なアイテムの扱いにも慣れている。これだけ聞けば何も問題はなさそうなのだが、実はその分だけ所持アイテムも多く、他の能力者よりもかなり大変なアイテムの管理、維持をしなければならない。そんな俺を見た社長が器用貧乏と言ったのがきっかけで、なぜかその言葉を気に入った水野が略して使っているのだ。
「温泉旅…。そうだ、温泉に入るの忘れてた。」
「え〜っ、なんで忘れるかな〜?」
「まあ色々あったんだよ。」
「そういえばさっき社長となんか話してたな。敵とか鍋とか聞こえてきたぞ?」
「それがですね…」
 宮内さんも会話に入ってきたこともあり、俺は2人に昨日の事を話した。

   ・

「…へ〜、大変だったね〜」
「本当にそう思ってんなら笑いながら話すなよ。」
「まあ片瀬もこのツイてない話を笑いのネタにして元を取ることだな。」
「もう笑いは水野で十分取りましたよ…」
 俺はそう言いながら、まんじゅうを1個取り出す。
「おい小娘、土産だ。食ってさっさと自分の机に戻れ。」
「サンキューで〜す。それじゃあ十分に笑わせてもらったんで仕事に戻りますね〜」
「そこから帰るな!」
 ついでに少しは机を片付けろ、と付け加え、机の下を通って戻る水野の尻に向けて注意する。この目の前にある荷物の山は俺ではなく、水野が作ったものなのだ。
「…ふう。さて、報告書を書かないとな。」
 俺は引き出しから一枚の書類を取り出す。今回の仕事内容と結果、詳細をまとめて報告書を作成しなければいけないのだ。
 こういう所は本当にサラリーマンっぽいな、と思いながらペンを回し始める。俺はこの作業が非常に苦手で、書類作成は開始数分にして早くも詰まってしまった。

   ・ 

 10分後。俺はペンを置き、あまり進まない書類作成を中断させる。
「…一息つくか。」
 何か飲み物でも買ってこよう、俺は立ち上がり、廊下にある自販機へと向かった。

 この会社は5階建ての雑居ビルを貸切りで使っていて、どの階にもエレベーター前にちょっとした休憩スペースがある。俺はジュースを買い、横にあるソファーに腰掛ける。暖房の効いたオフィスから出てきたので、ひんやりとした廊下の空気が気持ちよかった。そのまましばらくぼんやりとしていると、ガコッという自販機からジュースが出てくる音が聞こえてきた…ような気がした。
「よう、片瀬。」
 自分の名前を呼ばれたことで、ようやく遠くにいっていた意識が戻ってくる。
「…三浦か。」
 軽く頭を上げると、そこには大柄な男が立っていた。

 …彼の名前は三浦和也、獣化能力を得意とする能力者だ。鍛え抜かれた身体と自分の能力を最大限に生かしたパワーファイトを身上とし、殴り合いの乱打戦に長けている。力だけに目がいってしまいがちだが、頭の回転も速く、精神的にもタフなヤツだ。
 三浦と俺は同い年で、ここに来たのも同時期だ。そのため昔はよく2人で組んで仕事をしていが、最近はそんな機会もめったになくなり、共に一人前の能力者として忙しい日々を送っている。そういえば一緒にメシを食いにいくこともすっかりなくなってしまったな…。

「どうだ最近?」
 三浦は俺の隣に座ると、正面を向いたまま話しかけてきた。
「…何も変わってないさ。」
 俺も正面を向いたまま答え、仕事内容が変わってもやる事は同じだ、と言葉を付け足す。
「そうか…」
 三浦はそう言うと手にしていたコーラを一気に飲み干し、缶を握り潰して立ち上がった。
「たまには下に来い。理屈抜きで身体を動かすことも俺は大切だと思っている。…それとだ。」
 ゴミ箱に缶を捨て、間を取る三浦。そしてこの会話で初めて俺の目を見て話す。
「考え事をしていても少しは周囲に気を配れ。いくらなんでも無防備すぎるぞ、さっきのお前は。」
 そう言って三浦は背中を向け、軽く手を挙げて去っていった。
「…無防備すぎる、か。」
 痛い所を突かれてしまった。確かに最近の俺はぼんやりしている事が多く、自分でも少し気にしていた。三浦の言う通り、少しは周りを気にしないといけないな…。
 俺はようやくプルタブを開け、中身を口に流し込む。気合いを入れる意味も込め、三浦のように一気に飲み干そうとしたのだが…
「う…」
 どうやら俺にジンジャーエール一気飲みは無理があったようだ。それでも2口で飲み干し、座ったまま空き缶をゴミ箱に投げ捨てる。手首のスナップを効かして投げた缶はキレイな放物線を描き、見事ゴミ箱に入った。しかし缶の中に少し中身が入っていたらしく、ソファーからゴミ箱まで水滴が落ちまくっていた。
「ヤバ…」
 俺は慌てて立ち上がり、心の中で掃除のおばちゃんに謝りながら逃げるようにこの場を後にした。

   ・

 自分の席に戻り、報告書の続きを書き始める。しかし今度はさっきの三浦の言葉が気になってしまい、ペンは止まったままだったりする。

 …そういえば最近下に行ってないな。俺は三浦の「たまには下にこい」という言葉を思い出す。
この階の下は天井や床に特殊な力がかけられていて、地形や広さなどを変えて実戦訓練が出来る修行部屋になっている。俺も前はよく利用していたが、仕事が忙しくなるにつれて使わなくなっていった。しかし三浦は今でも時間を見つけては下で鍛えているようだ。さっきの言葉を真に受けた訳ではないが、俺も今度久しぶりに行ってみようと思う。
 しかしその前に…。俺は机の上に視線を戻す。そこにはやっと半分書き終えた報告書。
「まずはコレを片付けないとな。」
 俺は再度ペンを取り、真面目に机に向かった。

  ・

「ふう。」
 気合いを入れて机に向かっただけあり、なんとか報告書を完成させる。後はコレを提出してハンコをもらえばオッケーだ。俺は出来上がった報告書を持って立ち上がり、ある人の机に向かう。
「橘さん、これお願いします。」
「あら片瀬君。はいはい、報告書ね。」

 …この超美人のお姉さんは橘さん。普段はこうして事務能力のない俺らに代わって事務、経理の仕事をしているが、もちろん能力者だ。橘さんは防御系能力のエキスパートで、結界や防御壁を張らせたらこの世界でもトップクラスの力を持っている。その気になれば街一つを結界で包むことぐらいは可能らしく、霊力の値が格段に高い。どう見ても二十代中頃だが、実は織原さんと同い年というある意味そこらの能力よりビックリの秘密の持ち主だ。

「あら、片瀬君あそこの温泉に行ってきたんだ。いいな〜、私が行けば良かったかな、この依頼。有名なんだよ、この温泉。」
 橘さんは報告書に目を通しながら話しかけてくる。その言葉は本当に自分が行けば良かったと思っているようだ。
「そうらしいですね。俺はよく知らなかったんですけど。」
「そっか。やっぱり男の子はお風呂に興味ないのかな?」
「そんな事はないと思いますよ。俺だって嫌いじゃないですし。」
「ふ〜ん。」
「それと橘さん、『男の子』はやめてくださいよ。この前宮内さんにも言ったらしいじゃないですか?『俺はまだ一人前として見てもらえてないのかも…』ってマジ落ち込んでましたよ。」
「宮内君にそんなこと言ったかな…?」
 顔を上げ、少し考え込む橘さん。何気なくつく頬づえがとても色っぽい。
「そうだ、この前宮内君が持ってきた書類に間違いがあって、その時『ダメな子なんだから』って言った気が…。」
 うわ、『男の子』よりヒドい…
「それ、かなり傷付きますよ。さらにその後『めっ』とか言ってないでしょうね?」
 宮内さんの口に人差し指を当てている橘さん…。そんな光景が目に浮かんだ。
「う〜ん、もしかしたら言ったかも。…ダメだった?」
「はい。」
 俺はキッパリ答える。
「そっか。別に子供扱いしてる訳じゃないんだけどな〜」
 宮内さんクラスの能力者をも悩ませる橘さん。会社内に流れる『橘最強説』はあながち ウソではないかもしれない…。
「まあそれはいつか直すとして、と。」
 ウソだ、それは無い。俺は心の中でそうツッコミを入れた。
「ところで片瀬君、この数字は1?7?」
「え〜と、1です。」
「もう、もっとハッキリと書く!」
「はい、スイマセン…。」
 素直に謝ると、クスッと笑いながら数字を直す橘さん。それがもう子供扱いしてると思うのだが…
「うん、後は大丈夫だね。」
 そう言って橘さんはハンコを押し、報告書をファイルに綴じる。
「お疲れさま。じゃあ今度は2人でこの温泉に行こうね。」
 その後、わざとらしく「キャッ、誘っちゃった」と言い、頬を赤くする橘さん。やはりこの人にはかないそうにない。
「もうカンベンして下さいよ。いっつもそうやって俺をからかうんですから〜」
「いいじゃない、こういう話をするのって片瀬君と織クンぐらいなんだから。」
 何がいいのかイマイチよく解らないが、深く考えないほうがいいだろう。
「さ、片瀬君も自分の机に戻る!何か仕事があるんじゃないの?」
「あ、はい。それじゃあ戻ります。」
 本当は特にやることはなかったのだが、とりあえず自分の席に戻り、何か予定を立てることにした。一応道具の整理や武器の手入れなど、候補はあるのだが…
「よし、まずメシを食おう。」
 どの候補にもイマイチ魅力を感じなかったため、とりあえず昼食を取ることにした。

 水野か宮内さんでも誘ってみよう、そう思っていると、ちょうど宮内さんが自分の席に戻ってきた。
「宮内さん、もしよかったらメシ―」
 ガシッ、そこで俺は宮内さんに首を掴まれ、セリフを途中で止められた。
「片瀬、今ヒマだよな?な?」
「え、まあ…」
「よし、仕事手伝え。その代わり昼メシは俺がおごる。いいな?」
「分かりましたよ、断らないですから放して下さい。」
「ああ。」
「全く、強引なんスから…。で、どんな仕事なんですか?」
「それはメシ食いながら話すよ。まあそんなに大きな仕事じゃない。ただ…」
「ただ?」
 宮内さんは俺の問いかけには答えず、無言で壁に掛けていた上着を手にし、袖を通しながらオフィスから出て行った。
 どうやら今回の仕事は宮内さん好みではないな、俺はそれだけは理解し、慌てて後を追った。

 エレベーター待ちの宮内さんを見つけ、急いで歩いていると、手前にある休憩コーナーから水野がいきなり出てきた。
「あ、キヨビンちょっと聞いてよ〜。今ソファーに座ったらジュースがこぼれてて服に染み込んじゃったよ〜。ベトベトする〜」
「うっ」
 一瞬固まる俺。
「おい片瀬、早く乗れ。」
「あ、はい!悪い水野、今ちょっと急いでるんだ。」
 助かった。このまま話していたらボロがでていたかもしれない。コイツは意外と鋭く、少しでも怪しい素振りを見せるととことん追及してくる。
「う〜」
 俺にグチをこぼしたかったのか、エレベーターに乗り込むまでずっと俺を見ながら唸る水野。もしかしたら疑っているのか?
 …いやいやいや、気のせいだ。水野は自分の服でこぼれたジュースを拭いてくれたいいヤツだ、…だから許してくれ。都合のいい解釈とまだバレてもいないのに許しを乞う俺。正直かなりカッコ悪かった。

  ・

 やけに長く感じたエレベーター内での弁解&懺悔タイムを終え、俺と宮内さんは会社の外に出た。
「片瀬、お前何か食いたいのあるか?」
  さっきからずっと無言だった宮内さんがようやく口を開く。表情は『仕方ない、仕事だもんな』と言わんばかりの諦め顔だったが、どうやら腹をくくったようだ。
「そうですね、ラーメン、カレー、牛丼…以外でお願いします。」
 ガクッと頭を下げる宮内さん。
「やけに安上がりじゃねーか、と思ったら以外かよ。…まあいいや、天丼とカツ丼ならどっちがいい?」
「それじゃあ天丼で。」
「よし、んじゃ行くか。」
 そう言って歩き出す宮内さん。俺達はすぐに適当な店を見つけ、中に入った。

「俺は海老天丼。お前は?」
「えっと、かき揚げ天丼大盛で。」
「はい、ありがとうございます〜」
 水とおしぼりを持ってきたおばちゃんに速効で注文を済ませる。
「さて、まずは今回の仕事の説明だな。」
 おしぼりで手を拭きながら宮内さんが話を切り出す。
「片瀬は去年の今日、何があったか覚えてるか?」
「去年の今日、ですか?」
「ああ。俺達の世界でじゃなく、世間一般での出来事でだ。」
 俺はしばらく考えてみたが、何も思い出せなかった。この仕事をしていると、どうしても世間の出来事や流行に疎くなってしまう。
「…すいません、特に思い当たることは無いです。」
「そうか。まあ仕方ねえよな、俺らも忙しいんだ。でも片瀬なら『ハイブリット』って言えば思い出すんじゃねえか?」
 ああ、そうか。俺は宮内さんの言葉通り、その言葉で去年の今日に何があったか思い出した。

 …ハイブリット。日本の音楽界において、人気、実力共にトップクラスのバンドだ。結成して間もない頃から非常に高い評価を受けており、3年もしないうちに日本を代表するバンドになった。しかし去年、メンバーの1人であり、主に曲を作っていたギタリストが事故で亡くなっていた。
「今日だったんですね、コウジの命日。」
「お、やっぱり判ったか。実は今日の仕事っていうのはその1回忌があるんだが…」
 その時だった。
「はい、お待たせしました。かき揚げ天丼のお客さんは?」
「あ、はい。俺です。」
 かなり悪いタイミングで天丼が2人の前に並べられ、話の腰を折られてしまう。
「食いながら話すか。」
「そうですね、じゃあいただきます。」

  ・

「ありがとうございました〜」
 10分ほどで食事を終え、おばちゃんの声を背に店を出る。
「結構美味かったな。」
「そうですね。」
 腹も膨れ、満足げな宮内さん。一方の俺はメシを食っている時に聞いた事を思い出していた。

 …ハイブリットのギタリスト、コウジは演奏のテクや作曲のセンスも優れていたが、それ以上にルックスの良さが話題になっていた。そんな彼が亡くなってしまったのが去年の今日、朝方にスタジオで死んでいるのが見つかった。死亡原因は睡眠薬か何かとアルコールの同時摂取。偶然やってはいけない組み合わせになってしまったらしい。その後しばらくはお決まりの自殺説や殺人説が飛び交ったが、本当に偶然による事故だったようだ。

 で、ここからが今回の仕事に関係してくるのだが、このコウジ死亡を聞いた熱狂的なファンが後を追うように自殺したのが問題なのだ。これもお決まりと言えばお決まりのパターンなのだが、決定的に違うのは数が多すぎたということだろう。仲間同士の集団自殺、一緒に死のうというホームページの出現などにより、最終的な自殺者は3桁を越えた。
 そして今、その自殺者の怨霊が1回忌を行う会場に集まっているらしい。1度は中止も考えたそうだが、理由が理由だけに正直に話す訳にもいかず、中止になった時のファンの暴動も考えられる…。そこで急遽俺達の会社に依頼が来た、という訳だ。

「ったく、中止でいいじゃねえか…」
 一度は腹を決めたように見えた宮内さんだが、やはりボヤキが入る。なぜ宮内さんがここまで今回の仕事を嫌がっているのかというと、この人は女の子の集団が大の苦手なのだ。宮内さんいわく、彼女らの奇声、叫び声はどんな霊的障害よりも自分を苦しめ、集団になった時の彼女らはどんな化物よりも厄介、らしい。さっきメシを食っている時、ちょうどテレビで俺達がこれから向かう先の中継映像が流れていたのだが、会場周辺は休日の渋谷並の混雑。正直あれは俺も少し行きたくないと思った。
 さらに他にも「寺社仏閣の敷地内にあるものは霊気を通しにくい」や、「敵は数が多いだけで弱そう」などの理由(わがまま含む)が宮内さんをやる気のないモードに再突入させていた。
 これは俺が頑張らないといけないかもしれないな…。俺は天丼程度では釣り合わない手伝いをすることになりそうな予感がしてならなかった。

  ・

 俺達は大通りに出てタクシーを拾い、行き先を運転手に告げる。
「天高寺まで。」
「はい。…お客さん方もアレですか?あの1回忌のヤツ。」
「まあね。」
 先に乗り込んだ宮内さんが答える。
「そうですか。それにしてもすごい人気ですね、今日これで天高寺まで行くのは4回目ですよ。」
「へえ、そうなんですか。」
「もう凄い人ですよ。さっきテレビで中継出てたけど、あれからもっと増えてるんじゃないですかね?」
「…」
 眉の辺りが険しくなる宮内さん。
「あの辺りは道が狭いし、駐車場もないですからね。門の前までは行けないかもしれませんよ。」
 まるで祭りの人出を報告するようなどこか楽しそうな口調、何も事情を知らない人にはその程度のことなのだろう。
「じゃあ少し前で降ろして下さい。…いいですよね宮内さん?」
「ああ。確か開始が少し遅くなったはずだ、急いで行く必要もないだろう。…本当は昼からやるはずだったんだが、ハイブリットの曲に夕方がどうこうっていうヤツがあるんだって?」
「はい。結構有名な曲です。」
「どうしてもその曲を使いたいんだとさ。まったく、少し前まで中止を考えてたなんてウソみたいだぜ。」
「そうなんですか…。ところで宮内さん、もしかしてハイブリットの曲、あんまり知らないんですか?」
 俺はさっきの宮内さんの言葉を聞いて、ふと思ったことを聞いてみた。
「ああ、あまり音楽は聴かないな。片瀬はどうなんだ?」
「そうですね、前はそれなりに聴いてたんですけど、この仕事を始めてからはあまり聴きませんね。忙しくて聴くヒマがないっていうのもありますけど。」
「まあそうなるよな。」
 俺の答えを予想していたような口調で話す宮内さん。お互い忙しい生活を送っているのでよく判るのだろう。
「お客さん達は参列に行くんじゃなさそうですね。もしかして事務所の人とか?」
 今までの会話を聞いてファンではないと思ったのだろう、運転手のおっさんがそう聞いてきた。
「いや、俺達はただのガードマンですよ。あまりにも人が多くなったんで増員を頼まれて。」
 あまりウソはつかずに怪しまれない解答をする俺。横で宮内さんが『お、上手く返したな』という顔をしている。
「そうですか、大変ですね。」
 と、運転手も納得したようで、それ以上詮索することはなかった。

  ・

 タクシーに乗って20分は過ぎただろうか、目的地の寺まではもうすぐだった。次の通りを曲がったところで降ろしてもらおう、そう思った時、運転手がふいに話しかけてきた。
「お客さん達に言うのもなんなんですけど…」
「はい?」
「今日あそこに行くのは4回目だ、って言いましたよね?で、行く度に感じるんですけど、何か寒気がするんですよ。初めは今日は寒いからな、と思ってたんですけど、何回もここに来る内に普通の寒さとは違う気がして…。着けば判るかもしれませんが、気を付けて下さい。…すいません、なぜかお客さん達にはこのことを言わなきゃいけないような気がして…」
 運転手は真剣な表情だった。この人には少し霊感があるのだろう、本能的に危険を察知している。
 …もしかしたら昨日同様、思っていたより大変なことになるかもしれない。俺はどんな状況にも対応できるよう、手持ちのアイテムの確認をする。
「片瀬。」
 窓の外を見つめたまま、宮内さんが声をかけてくる。
「…昼飯1回じゃ足りなかったかもな。次までに食いたいものを考えておいてくれ。」
「はい、わかりました。」
 遠回しに今回の仕事は思っていたほど楽ではない、と言う宮内さん。やはり俺と同じく何かを感じたのだろう。

  ・

「あ、ここで降ろしてくれ。」
 この先の角を曲がれば目的地、というところで宮内さんがタクシーを止める。
「ありがとう。…釣りはいい。」
 そう言って万札を渡し、宮内さんはタクシーを降りるとすぐに目的地に向かって歩き始めた。俺もその後を追おうとしたが、その前に運転手に声をかける。
「さっきの話ですけど、お気遣いありがとうございます。…気を付けますんで。」
「はい。お仕事、頑張って下さい。」
 お互いに軽く頭を下げた後、俺は宮内さんを追って足早に歩き出す。すぐに追いつき、横に並ぶ俺。するとそれを待っていたかのように宮内さんが話しかけてきた。
「…なあ、気付いてるか?」
「ええ、寺の周りを囲んでる霊の数、ハンパじゃないですね。いい目印になりますよ。」
 目的地の寺、天高寺はまだ見えないが、集まった霊はここからでも見える。すでに寺の上空は霊で埋め尽くされていた。

  ・

「うわ、いますね…」
「どっちもな。」
 最後の角を曲り、寺の正門が見えるところまで歩いてきた俺達。道は参列者と路駐車で埋まり、その中には数多くの霊体が混じっていた。さらにその周りには霊魂が飛び交っていて、これもまたかなりの数だった。

 …霊体と霊魂、普通の人は言葉を聞いただけでは違いが分からないかもしれないが、実は明確な差がある。霊体を簡単に説明すると一般的な幽霊のイメージ、と言えばいいだろうか。つまり「人の原型が残っている」のが霊体だ。一方の霊魂は俗に言う「人魂」のような形をしていることが多く、普通の人にはほとんど見えない。宮内さんが『どっちも』と言ったのはこのことだろう。
「それにしても…」
「どうした?」
 俺は寺の正門から続く参列者の行列を見る。
「並んでる人達、ヤバいですね。」
「ああ、まったくだ。霊体と見分けのつかねえヤツもいるぜ。」
「いや、それもありますけど…」
「解ってる、半分以上がやられてるってんだろ?」
 並んでいるのは大半が女の子で、そのほとんどが生気のない顔で突っ立っているか泣いていた。本当に悲しかったりショックでそうなっているであればいいのだが、宮内さんの言う通り、半分以上は軽度の霊障によるものだった。この程度であれば命に関わることはないが、早く元に戻したほうがいいだろう。
「うわっ!」
ちょうど俺達が寺の正門に着いた時、入り口を囲んでいた報道陣の中から悲鳴が聞こえてきた。見てみると集音マイクを持ったスタッフが座り込んでいる。
「おい、どうした?」
 隣にいたスタッフが声をかける。
「い、今マイクの調整をしてたらいきなり変なノイズが入って…」
「マジかよ、俺のカメラも映像ブレまくりなんだよ。…他の局の連中もそうらしいぞ。」
 そのスタッフの言う通り、明らかに霊障と思われる機械類の故障に他の撮影チームも機材で苦労していた。
「ダメだ、予備のカメラも使えない…」
「すいません、ちょっと来て下さい!」
「おい、電源点かねえぞ。」
 そんな言葉が飛び交う中、俺達は門の前に立っていたガードマンに名を名乗り、寺の中に入った。

 門をくぐった途端、俺達はそれまでとは明らかに違う澄んだ空気と安定した霊気に包まれた。
「立派な寺ですね。」
「ああ、ここまで霊的防壁の徹底された土地も珍しいぜ。」
 手入れの行き届いた庭を歩きながら、この寺の様子を観察する俺達2人。宮内さんが言うように、寺の霊的な守りはかなり固い。その証拠に外にあれだけいた霊の類は一体も入ってきていなかった。それでも何とか敷地内に入ろうと、数体の霊魂が突進を繰り返しているが、その度に防御壁に阻まれて押し戻されていた。
「これだと寺の中じゃ戦えねえな…」
「そうですね。」
 だからと言って外で戦う訳にはいかない、少し戦い方を考える必要があるな…
「おい、片瀬。」
 考え事をしていた俺を呼び、顎と目線で本堂がある方向を指す宮内さん。よく見ると1人の坊さんがこっちに向かって歩いてきていた。どうやら俺達に用があるようだ。
「始めまして。私、この寺の住職をしております清念(せいねん)と申します。」
 近付いてきた坊さん…いや、住職は深々と頭を下げる。
「始めまして。宮内といいます。」
「片瀬です。」
「本日は本当にご苦労様です。…流石にお2人共かなりのお力をお持ちのようですね。」
 顔は笑っていたが、目ではしっかりと俺達の力量を測っている住職。しかしその鋭い目はすぐに力を失い、一転して悲しみに満ちた弱々しいものになる。
「…この寺にはもう霊魂に対抗できる力を持つ者はおりません。本来ならば私達のような僧が外にいる霊魂を鎮めなければならないと言うのに…。」
 しみだけでなく、悔しさも混じっている住職の言葉。情けないことに俺は何も言えないでいた。
「この程度の事が出来なくて何が僧侶でしょう。こんな大きな寺に住み、大層な格好をしているというのに、やれる事といったら力を持たない読経と形だけの鎮魂だけです。」
「…住職。」
 滅多に聞かない強い口調で宮内さんが住職の話を止める。
「そこまで考え、それだけ悩めば十分です。それすら気付かぬ寺院の人間は腐る程いる。あまり己を責めないことです。…確かに戦うことは無理かもしれない、だが俺達に出来なくて貴方が出来ることも沢山あるはず。…違いますか?」
「宮内さん…」
 ここまで厳しく、それでいて諭すように話す宮内さんを見たのは初めてだ。
「昔、住職が今言った言葉と同じ事を口にした僧に会いました。俺はその時何も言えなかった。必死になって考えたが、何一つかける言葉が見つからなかった。」
 ショックだった。それはまるで今の俺じゃないか…。
「実は今の言葉、その時一緒にいた先輩が言ったことをそのまま言っただけなんです。言葉は借り物ですが、本当にそう思ったんで言いました。…どうか分かって下さい。」
「…」
 黙ったままの住職。やがて肩が、そして頭が小刻みに震え出す。
「私にはもったいない言葉です…」
 涙を流し、心の底から絞り出すような声。
「今まで長きに渡って仏法に仕えてきましたが、まだまだ未熟者のようです。…宮内様、ありがとうございました。」
 そう言って住職は深々と頭を下げる。それは挨拶の時とは深みも重みも違う、本当の意味でのお辞儀だった。
「…それでは本堂へ参りましょうか。依頼された方もあちらにいらしておりますので御挨拶でも。」
 頭をあげ、普通の口調に戻った住職。その顔にはそれまであった迷いはなく、目からも悲しみが消えていた。
 …強い人だな、と思う。果たして今の俺にこの人のような強さはあるのだろうか、宮内さんのように言葉で人を変えることが出来るのだろうか…。
「そうだな。よし、行くぞ片瀬。」
「はいっ。」
 いつもより大きく、気合の入った返事。繰り返される自問自答を振り払い、俺は2人の後に続いて歩き出した。

   ・ 

「凄いですね…」
 本堂に入るとまず目に入ってきたのが献花用の祭壇だった。見上げないといけない程大きなコウジの写真、何人分の花が置けるのか分からないくらい広い棚…。その大きさは毎年終戦記念日にテレビで見る祭壇とほぼ同じだった。そしてその横には数え切れない花輪が置かれ、各界の有名著名人、一流の芸能プロダクションにレコード会社、そして様々な企業が送り主に名を連ねていた。これを見ただけでもコウジがどれだけ世間や社会に影響を与えたかが分かる。
「ああ、こりゃどう見ても個人の葬儀じゃねえな。」
 さすがにこれには宮内さんも素直に頷く。
「実はそれで全部じゃないんですよ、送られてきた花輪は。」
 そう言いながら1人の男が祭壇の裏から現れた。
「この方が依頼主の今野様です。」
 横にいた住職が依頼主を紹介する。
「どうも、ハイブリット所属事務所の今野です。今回は急な依頼で申し訳ありませんでした。こちらも色々とあったもので…。どうかよろしくお願いします。」
 今回の依頼主、今野さんはそう言って頭を下げた。俺は軽く会釈をしながら何気なく今野さんを見てみる。見るからに高そうなスーツにネクタイ、胸ポケットに忍ばせているサングラス…。これが業界人と言われる人なのだろうか、どこか普通の人とは持っている雰囲気が違っているように思えた。まだ若く、年齢も俺と大して差はなさそうなのだが、やけに大人びて見える。若くして成功を収めた人間、俺はそんな印象を受けた。
「スイマセン、社長。ここのセッティングなんですケド…」
「社長、SMEレコードの多田様がお見えになりました。」
 祭壇の裏から社員らしき人が現れる。相当忙しいのだろう、かなり慌てていた。
「2人とも少し待ってくれ、今すぐ行く。」
 今野さんはそう言うと、申し訳なさそうに俺達を見る。
「すいません、十分にお話も出来ませんでしたが、この通りまだまだやる事が残ってまして…。とりあえず今すぐ本日の予定表を持ってこさせます。何かありましたらすぐにお知らせ下さい、全てそちらに合わせるように調整しますので。」
「いや、依頼人をこれ以上忙しくさせる訳にはいきません。俺達はそちらの予定に支障のないように動きますので。」
「…助かります。それではくれぐれもお気を付けて。」
 本当に助かるのだろう、今野さんは宮内さんの言葉に少し表情を緩める。しかしその顔はすぐに元に戻り、待たせていた社員と共に祭壇の奥に消えていった。
「大変そうですね。」
「はい。3日位前から準備を始めているのですが、ずっとあの調子です。おそらくほとんど眠ってないかと。」
 俺の言葉に住職が答える。
「社長…か。若いのに大したもんだ。」
 宮内さんはそう言いながら会場に並べてあった椅子に腰掛ける。
「片瀬、予定表をもらったらすぐに仕事に移るぞ。外にいるヤツらが入って来ると厄介だ。」
「はい。」
 どうやら宮内さんの頭の中には既に大体の仕事の手順が描かれているようだった。

   ・

「遅くなりました、これが今日の予定表になります。」
 1分と待たずにスタッフが現れ、俺に1枚のコピー用紙を手渡す。そこには葬儀に合わせて分刻みで動く裏方の作業がビッシリ書き込まれていた。
「参列者を入れるのは何時だ?」
 宮内さんが椅子から立ち上がり、開場時間を聞いてくる。
「ええっと、4時半ですね。」
「あと2時間弱か…」
 チラリと時計を見て時間を確認すると、宮内さんは何かを決意したように大きく頷いた。
「よし、行くぞ片瀬。」
「はい。」
「…住職、それではちょっと行ってきます。なるべく敷地内は荒らさないようにするので安心して下さい。」
 宮内さんはそう言うが、正直信用出来ない。
「本当ですか宮内さん?…住職、やっぱり多少の覚悟はしておいた方が…」
 ガゴッ!、宮内さんの拳が俺の後頭部を直撃する。
「痛ッ、何するんですか!宮内さんの能力と戦い方だと間違いなく地形が変わりますよ、だから俺はショックを和らげるために前もって住職に…」
「そうならないように色々考えたんだよ。住職、本当に大丈夫ですから。」
「いえ、何をなさっても構いません。例え建物が壊れたとしても私は文句を言える立場ではありませんから。」
 初めから多少の被害は覚悟していたのか、住職は笑いながらそう言ってくれた。
「よかったですね。」
「ったく、信用ねえな。…まあいいか、ほら行くぞ。」
 宮内さんはボリボリと頭を掻きながら外へ向かって歩き出す。
「あ〜あ、1人で行っちゃった。じゃあ住職、俺も行きますんで。」
「はい、お気を付けて。」
 無事を願うように両手を合わせる住職。
「よしっ」
 俺は気合を入れ、宮内さんの後を追った。

  ・

「片瀬、こっちだ。」
 外に出ると、すでに宮内さんは庭の向こう側にいた。そして俺が気付いたのを確認すると、さらに奥に向かって歩き出す。急いで追いかけると、宮内さんは外壁の前で俺を待っていた。
「よし、それじゃあ俺が考えた作戦を簡単に説明しておこう。いいか?」
 俺は無言で頷く。
「まず初めにこの壁に穴を開ける。」
 ガクッ、俺は頭から倒れそうになった。
「ちょっと宮内さん!さっき何も壊さないようにするって言ったばかりでしょ!?それをいきなり全否定ですか!?」
 当然の批判。しかもこの寺で一番大事な霊気の壁を壊すと言う。もしこの場に住職がいたら倒れていたかもしれない。
「落ち着いて聞け。穴と言っても、後で俺らが埋めれるくらいの小さな穴だ。」
 ここで宮内さんが言っている「埋める」は霊壁のことだろう。
「でも一緒に外壁も壊れるんじゃ…」
「そればっかりは仕方ない。左官屋の出番だな。」
「…」
「呆れるなよ。ここからが被害を出さないように考えた作戦なんだから。」
「はあ。」
「いいか、まず…」

 宮内さんの説明が始まる。最初に壁を壊す、という時点であまり期待していなかった宮内さんの作戦だが、意外にもかなり考えられていた。
 まず開ける穴は2つ、外にいる霊がなんとか1体通れる位の大きさにする。俺達はその穴の前で敵を待ち伏せ、出てきた先から1体ずつ確実に倒していく…。これが宮内さんの作戦だ。大量の敵を安全かつ効率的に倒せる上、周囲への被害も少なそうだ。
「ここは会場からも遠いし、外に騒ぎがバレない。完璧じゃないですか宮内さん。」
「…悪い、そこまでは考えてなかった。ただ広いからここにしただけなんだ。」
「ソウデスカ…」
「ま、結果オーライってヤツだ。ほら片瀬、さっさと始めるぞ。」
 やっぱりこの人は綿密に計画を練るタイプじゃないな、俺は改めて宮内さんの性格を認識した。

  ・

「まず穴の位置だな…」
 宮内さんはそう言って足元にあった2つの小石に気を送り、ふわりと浮かび上がらせた。
「このくらいの間隔でどうだ?」
 高さ1メートル、幅4メートル位の所で石が止まる。
「そうですね、その辺でいいと思います。」
 もう少し離れていてもよかったが、どちらかが倒し損ねた時を考えるとこの位でいいだろう。
「よし、じゃあ開けるか。片瀬はそっちを頼む、あんまり大きくすんなよ?」
「分かってます。」
 俺と宮内さんはそれぞれ小石が浮かんでいる前に立ち、穴を開ける用意をする。
「さて、と。」
 宮内さんは上着に手を入れ、数枚のコインを取り出す。コインは世界各国の貨幣や記念コインで、前もって霊気を吹き込むことで威力を上げた『弾』だ。この程度の戦いで使うにはもったいない代物なのだが、この寺にある物は思っていた以上に霊気抵抗が高いらしく、余計な霊力の消費を抑えるために仕方なく使うようだ。「割に合わねえな」とボヤきながらも宮内さんは全身に隠し持っているコインの枚数を確認している。
 一方の俺は何を使うか迷った挙句、アメジストの指輪に決めた。
「お前はそんなのも使えるのか?」
 感心した様子で宮内さんが聞いてくる。
「ええ、意外と使い勝手がいいですよ。弱い結界なら簡単に切り裂けますし、霊力を吸収することも出来るんです。見た目もいいんで重宝してますよ。」
「そりゃ便利だな。しっかし片瀬はいろんなモン扱えるんだな。」
「まあそれが俺の能力みたいなものですからね。…さ、やりましょうか。」
「ああ、それじゃあいくぞ。」
 ピンッ!、宮内さんはコインを1枚弾き飛ばし、一気に霊力を放出させる。するとコインは金色の光に包まれ、壁に向かって飛んでいった。
 ガシャァン!、厚いガラスが割れるような音が鳴り、霊気の壁に穴が開く。
 続いて俺も指輪に霊気を集中させ、壁に向かって拳を突き出す。霊気を込めたアメジストは輝きを増し、やがてその光は一本の筋になって霊壁に伸びていく。壁は光に照らされた部分だけが溶け、宮内さんが開けたのと同じ大きさの穴が開く。
「ほう、見たところ力の放出を調節出来るみたいだな。」
「はい、扱いに慣れれば出来ますね。…ええっと、これで後は敵が出てくるのを待つだけですよね?」
 俺は目線を穴から外さないようにしながら宮内さんに問いかける。
「…いや、待つのも面倒だ。片瀬、集魔の札を作ってくれ。一気に片付けたい。」
「分かりました。」
 そう言って俺が取り出したのは退魔の札。しかし俺が霊気を送ると、途端に正反対の効力を持つ集魔の札に変化する。手持ちの札を無駄なく有効に使うことが出来る符術の中位技だ。
「いきます。」
 指先から札が離れ、2つの穴の間に向かって飛んでいく。集魔の力を持った札が壁に張り付き、周囲を邪悪な気で覆う。
「来るな。」
 宮内さんは懐に手を入れ、いつでもコインを飛ばせるように構える。
「来ますね。」
 俺は袖口に隠していた銀製のナイフを取り出し、霊気を送って刃を長剣程の長さまで伸ばした。
「キイィィッ!」
 俺達の言葉通り、2つの穴からほぼ同時に悪霊が襲い掛かってきた。
 ヒュッ!、ブンッ!宮内さんがコインを飛ばし、俺が剣を振る。
「キャアァァッ!!」
 2体の霊体はかん高い悲鳴を上げて消えていく。どちらもまだ若い女の子だった。
「キキィッ!」
「ガアァッッ!」
 すぐに次の敵が現れる。続けざまに穴から出てきた敵は全部で7体。宮内さんが4体、俺が3体を相手にする。
「くらえっ」
 素早くコインを飛ばし、的確に敵を仕留めていく宮内さん。込めている霊気の質の違いか、コインは貫通するものと爆発するものの2つのタイプがあり、宮内さんはそれを上手く使い分けている。
 ビュンッ!、ゴオォッ!、俺も負けずに一太刀で2体の敵を切り落とし、残りの1体を火球で焼き払う。集魔の札の効果は絶大のようで、狭い穴から次々と敵が飛び出してくる。
 ヒュッ、ドゴォッ!
「グアアァァ!」
「キャアアァッ!」
 剣を振る度に悲鳴が上がるが、コインが起こす爆発でその声がかき消される。途中から俺も火球を多用するようになり、打ち落とすように敵を倒していく。
「フン、歯ごたえがねえぜ、なあ片瀬?」
「普通は手ごたえ、って言いませんか?」
 戦いながら会話を交わせるだけの余裕。数は多いが、この程度では相手にもならなかった。

  ・

 しばらくすると穴から出てくる敵もいなくなり、敷地内に残っていた敵も全て倒した。
「これで全部…ですか?」
 構えていた剣を下げ、周囲を見渡す。敵の姿は見えないが、なんとなく違和感があった。
「…」
 宮内さんも俺と同じなのだろうか、じっと何かを考えている。
「少ねえな…」
「はい?」
「外にいた悪霊はもっといたはずだ。しかも今倒したのはザコ霊体がほとんど、厄介そうな霊魂を何体か外で見たんだが…」
 言われてみれば確かにそうだった。俺も寺の周りに集まる霊魂を何体も見ていたし、倒した霊体も少ない。
「まだここから離れないほうがよさそうですね。」
「そうだな。他に入ってこれる場所はないんだ、ヤツらはきっとここから来る。…ま、それまで待機だな。」
 そう言って宮内さんは外壁に寄り掛かる。俺も手にしていたナイフから霊気を抜き、懐へと戻した。

  ・

 穴に気を配りながら待つこと数分、俺は今まで戦っていた場所を見つめていた。そこには俺と宮内さんの足跡しかなく、あれだけ斬った悪霊は影も形も残っていない。
 …もしあれが全て生身の人間なら今頃ここは死体の山だな、俺はふとそんなことを考えていた。
 手段・過程はどうであれ、倒された霊というのは大体すぐに消えてしまい、跡形も残らない。しかし強い力を持つ霊、あるいは特定の土地に相当な恨みを持っていた霊は何らかの形で現世に痕跡を残すことがある。よく怪談話に出てくる「切ると血を流す木」や「泣き声が聞こえてくる岩」などがいい例で、霊が倒された場所に噂や言い伝えが残るのはそのためだ。怪談話のように人を呪い殺したり怪我をさせるだけの力はないと思うが、近寄らない方が無難だろう。
「…」
 俺は膝をつき、地面に手をかざす。さっき倒したヤツらは強くもなければ土地に恨みを持っていた訳でもない。若くしてその命を絶ち、何らかの跡すら残すことなく消えていく…。
 悔しいだろうな、と思う。同情とはまた少し違うが、幸せとは程遠い結末で現世を去ってしまった者達にそんな感情を抱いた。

「それにしても…」
 いくら考えても仕方ないことだ。俺は頭を切り替え、宮内さんに話題を振ることにした。
「ん?」
「今はちょっと予定外でしょうけど、今日の宮内さんは冴えてますよね。作戦立てもしっかりしてるし、周りもメチャクチャになってないじゃないですか。」
「おいおい、敵があんなに弱いんだ。周りに被害を与える訳ないだろ?」
「まあそうなんですけどね。」
 一応同意はするものの、安心は出来なかった。宮内さんとは何回も一緒に仕事をしてきたが、戦いの後はいつも周りが大変なことになっていた。その酷さは目も当てられない程で、俺も初めてその光景を見た時は言葉を失った。地面は土が剥き出しになり、建物は土台が残ればまだいい方。飛ばした岩はクレーターを形成し、突き刺さった木は根と枝が逆になっている…。そんな光景を何度も見てきた俺には今回の仕事が奇跡に思えた。
「片瀬、お前今失礼な事考えてないか?」
「いえ、別に。」
「…確かにお前と組んだ時に周囲を破壊した事はある。それがたまたま重なっただけだ。この前壊した山奥の廃村、あれは敵が強かったから仕方ないだろ?」
「まああの時はいいですよ。じゃあその前の湖畔の別荘、あれはどう説明します?建物全て湖に沈めなくてもいいじゃないですか。」
「あれはそうするしか…」
「!」
 その時だった、俺は穴の向こう側から敵の霊気が集まっているのを感じ、瞬時に戦闘態勢に入る。
「第2ラウンド開始だな。」
 先に穴の前で構えていた宮内さんがそう言うと、まるで合図したかのように霊魂が穴から飛び出してきた。
「一気に来た!?」
 1体づつしか通れないように開けた穴だが、敵は素早く連続で飛び出してくる。
「ちっ、止めれるか!?」
 ドゴォォッ!、宮内さんは数枚のコインをまとめて飛ばす。
「くそっ!」
 俺も火炎球で援護しようとしたが、一番先に飛び出してきた悪霊に邪魔をされる。
 ブンッ、ズシャァッ!、素早く剣を振り下ろし、悪霊を斬り付ける。
「くっ!」
 さすがに霊体とは違い、一撃では仕留めきれなかった。その間に宮内さんの攻撃をかわした敵が数体襲い掛かってくる。
 ゴオオォッ、俺はすぐに火球を造り出し、敵を焼き払う。だがその炎の先からは早くも次の敵が俺を狙って飛んできていた。
「片瀬、気を付けろ!コイツら統制が取れてやがる!」
 少し離れた所で戦っている宮内さんが叫ぶ。コインは相変わらず正確に敵を撃ち抜いていたが、一撃ではなかなか倒れない。しかもダメージを負った敵は一度後退し、代わりに別の霊魂が新たに戦闘に加わっていた。

   …くそ、これは厄介だ。俺は敵を斬りながら宮内さんに近付き、お互いに背中を合わせて戦うことにした。
「助かるぜ、これで背後を気にしなくて済む。…しかしさすがはファン同士、チームワークは抜群だな。」
「ええ、ここまで連携の取れた悪霊は初めてですよ。」
 ヒュッ、ゴオオォッ!、コインと火球が飛び交い、絶えず爆発が起こる中での会話。霊体と戦っている時にも会話はあったが、残念ながらあの時程の余裕はなかった。
「なあ、俺らもチームワークのいいトコ、見せてやるか?」
「や、宮内さんスタンドプレイオンリーじゃないですか。」
 それでも軽口だけは減らない2人。しかし次の瞬間、その軽口も止まってしまう出来事が起きた。
「宮内さん、あれ!」
「何っ!?」
 なんと俺達が戦っている霊魂の後ろで残りの霊魂が合体を始めたのだ。集まった霊魂は傷付いて後ろに下がっていた霊魂も吸収し、霊力を急激に高めている。
「はあぁッ!」
 俺は敵が完全に集まる前に攻撃を仕掛けようと火炎球を飛ばした。が、数体の霊魂が盾になり、集合体にダメージを与えられない。
「くっ、無理か!?」
 今度は連続で…、そう考えた俺は再度炎の霊気を集中させる。
「待て片瀬!」
 だがそれを宮内さんに止められる。
「どうやらこれ以上の合体はなさそうだ。見ろ、残ってるのは援護や盾として本体を守る気だぜ。」
 宮内さんの言う通り、敵は集合体を中心に陣形のようなものを組んでいる。
「ったく、統制がとれた霊魂の群れがここまで厄介だとはな…。」
 チッ、と舌打ちをしながらも、宮内さんは一歩前に出る。
「…デカいのは俺がやる。片瀬、悪いが残りを頼む。」
「…」
 無言で頷き、素早く敵の後ろに回り込む。その時、敵の集団に一瞬の隙が出来たのを俺は見逃さなかった。
 バッ!、左手を突き出し、吹き荒れる暴風のイメージを頭の中に浮かべる。それまで使っていた火炎球に比べてかなり強力な霊気が腕に集まり、バチバチと空気が裂ける音が鳴り始める。
「行けえぇぇッ!」
 ゴオオオッ!、叫び声と共に俺の手から竜巻が発生し、無数の空気の刃が敵の集団を包み込む。竜巻は敵本体の周囲にいた霊魂を切り刻み、敵の陣形を一気に崩す。本来ならこの術はもう少し霊気を溜めて放つものなのだが、それでも今の一撃で敵の大半は片付けた。残るは本体と数匹の霊魂のみ、俺はバラバラに散った霊魂を1体づつ仕留めるため、霊気の剣を手に斬りかかっていく。
「それじゃあ本体は任せましたよ!」
 ズシャッ!、一番近くにいた霊魂を切り裂きながら宮内さんに向かって叫ぶ。俺達の会話を聞いてか、集合体は宮内さんに攻撃の的を絞って突進を繰り返している。攻撃は単調だが、そのスピードとパワーはかなり強力だった。宮内さんが突進をかわす度に敵は地面に突き刺さり、大きな穴を開けている。
 まさかここまで強くなるとは…、おそらく宮内さんもそう思っているだろう。それ程までに敵の力は上がっていた。
「ヤバイな…」
 ズバッ!、俺は残りの霊魂を斬りながら宮内さんが戦っている方向を見る。それまでほとんど寺の土地を荒らさずにきたが、さすがにもう無理のようだ。集合体の攻撃もそうだが、何より怖いのが『こりゃ楽しくなってきたぜ』的な表情の宮内さん。このままだといつものパターンになりかねない。
「…寺を守らなければ。」
 俺はそう呟き、早く敵を倒して援護に向かおうとした。
「〜〜ッ!」
 しかしそうはさせまいと残りの敵が俺の周りを囲み、奇声を上げながら一斉に襲い掛かってきた。
「くっ、早い!?」
 竜巻に飲み込まれても倒れなかっただけあり、残った霊魂はなかなかの強さだった。俺は攻撃を身体のひねりと反動でかわしつつ、すれ違いざまに剣を振る。
 ブンッ、ズシャッ!、襲い掛かってきた敵のうち、二体が倒れる。だがそれでも敵はひるむことなく再度攻撃を仕掛けてきた。
「…」
 執念は凄まじいが、同じ攻撃を繰り返すだけでは勝てない。まして数が少なくなったのであればなおさらだ。

   …この一撃で決めよう。俺は手にしていた剣をしまい、両手に霊気を集める。
「はあっ!」
 気合と共に溜めた霊気を放出する。俺が放ったのは魂還り(たまがえり)やターンアンデットと呼ばれる光の霊気。扱いにくく、消費する霊力も大きいが、威力は相当のものだ。
 パアッ、という爆発にも似た輝きが俺の両腕を中心に広がっていく。敵はその光に包まれた先から消えていき、光が収まった時には襲い掛かってきていた霊魂は全て消滅していた。
「…ふう。」
 俺は大きく息を吐き、霊気を放出したままだった体勢を戻す。指先に少し痺れた感覚はあるものの、まだ余力は十分残っていた。
 〜ッ、ドンッ!
「っと、休んでる場合じゃないな。」
 遠くから聞こえてくる戦いの音に気付き、俺は再びナイフに霊気を送り込む。
「よしっ」
 ダッ、と勢いよく走り出し、俺は宮内さんの援護に向かった。

  ・

 穴を開けた壁の辺りを越え、俺が戦っていた場所とはかなり離れた所で宮内さんは戦っていた。俺と別れてから相当激しく動いていたらしく、戦いの場は庭の近くに移っていた。
 ゴオッ、ドオォン!、突進してきた敵を宮内さんがかわし、集合体が地面に突き刺さる。両者が戦っている場所からはまだ少し離れていたが、俺の立っている所まで振動が伝わってくる。
 …デカくなっても突進攻撃は変わらず、か。敵は高い霊力を持っていながらも、力で押すスタイルで宮内さんに攻撃を繰り返している。
 ドオオォンッ!、また敵が地面に突き刺さる。見たところ宮内さんに傷はない。しかし一方の霊魂の集合体は俺が見た時より小さくなっていた。
「フンッ!」
 突進で出来たくぼみから這い上がるように出てきた敵を宮内さんのコインが捉える。
 ドンッ、ボオッ!、爆発が起こり、その煙で敵の姿が遮られる。すぐに煙は晴れ、再び敵は姿を見せるのだが、現れた敵は明らかに少し小さくなっていた。
 おそらく敵は何度も宮内さんの攻撃を受け、その度に集まっていた霊魂が剥がれ落ちて小さくなったのだろう。だとしたら宮内さんはかなり優勢のはず…、それなのに俺が援護に入ったら何を言われるか分からない。
「宮内さん、生粋の戦闘好きだからな…」
 どうしても戦いに参加するのを躊躇してしまう。戦局を見る限りでは俺が危惧している状況にはならなそうではある、しかし…
 俺はチラリと時計を見る。個別での戦いが始まって既に十数分、穴を開けてからなら1時間近くになる。宮内さんの戦闘スタイルを考えると、この時間は少々長い。
「イライラし始めてなければいいんだけどな…」
 速攻撃破が身上のため、宮内さんは長時間チマチマと戦うのをかなり嫌がっている。今回は自分から『周りを破壊しない』と言った手前、いつもの豪快な攻撃が出ていない。俺はそれが心配だった。
 ゴオオッ!、もう何度目になるのだろうか、敵が突進を仕掛けてくる。それを宮内さんは難なくかわし、コインを飛ば―
「さないっ!?」
 絶好の攻撃チャンスに何もしない宮内さんに俺は驚いて声を上げる。しかし何故か宮内さん本人も驚いた表情だった。その後も敵は突進を繰り返すが、宮内さんはかわすだけで一切反撃をしない。

   …間違いない、コイン切れだ。俺はそう確信した。戦闘序盤から惜しみなく(もったいないとは言っていたが)コインを飛ばしていた宮内さん。ここまで戦いが長くなるとは思ってないだろう、そろそろ忍ばせておいたコインが尽きてもおかしくはない。
「!」
 それまでずっと敵の攻撃をかわしていた宮内さんの足が止まる。後ろに下がり続けていたため、戦いの場はいつの間にか庭の中になっていた。宮内さんが立っている所はちょうど庭の中心、背の高い木と岩に囲まれていて、
 どう考えても次の攻撃は避けきれない位置にいる。
「くそっ!」
 ザッ、俺は地面を蹴り、急いで宮内さんの元へ駆け寄ろうとした。
「来るなッ!」
「ッ!?」
 俺は反射的に足を止める。それは宮内さんの叫び声を聞いたからではなく、同時に発せられた強力な霊気によるものだった。この霊気が及ぶ範囲には入ってはいけない、俺の本能がそう警告していた。
「そうだ…、離れていろよ…」
 宮内さんはそう言うと、さらに全身から霊気を放出し始める。
 ゴ、ゴゴゴ…
 地面ではなく、空間全体が揺れる。これだけの霊気なら空間に影響を与えてもおかしくはなかった。
「ふんっ!」
 宮内さんが気合を入れ、発していた霊気の性質、形状を変える。それまで全身を包んでいた霊気は外に向かって伸び始め、何本もの帯状に変化する。その霊気の帯は宮内さんの周囲にあった岩や木、そしてその木を支えていた杭に絡み付き、引き抜くように持ち上げる。
 メキメキ…、ズボッ!、という音と共に浮かび上がった岩や木は一定の高さで止まり、尖った部分を敵に向ける。霊気の帯を通し、自分の気を送り込んだ物体はどんなに重くても自由に操れる宮内さん。その能力を最大限に生かした攻撃が始まろうとしていた。
「…終わり、だな。」
 俺は巻き添えを避けるため、少し後ろに下がる。敵がこの攻撃に耐えれるとは思えない。同時にこの庭も無事ではなくなるが、いかんせんもう遅い。
 やっぱりこうなるのか…、俺は半ば諦めながら戦局を見つめる。もちろん住職には申し訳ないなという気持ちはあるが、このまま戦っていたとしても(俺が参戦していたとしても)敵の突進で庭は破壊されていただろう。俺は弱体化してもなおこれ程の力を持つ敵にそう思わざるを得なかった。
「うおおおぉッ…」
 ブンッ、ドゴゴオオォッ!!、浮いていた岩や木が一斉に飛んでいき、次々と敵に命中する。
『ッ、〜〜ッ!!』
 宮内さんの叫び声も聞こえなくなる程の轟音の中、敵は神経に直接届くような悲鳴を上げる。この悲鳴は耳からでは聞こえないかもしれない、だが俺には何重にもダブって響く叫びが鮮明に聞こえた。
「〜ッ、…ッ」
 次第に弱く、小さくなっていく敵の声。やがて霊気も感じられなくなり、集まっていた霊魂は全て消滅した。

「ふう…」
 宮内さんは一つ息を吐くと、まだ霊気を通したままだった岩や木を再び浮かばせる。よく見みると敵がいた場所の周辺は全く乱れていなかった。
「言ったろ?『破壊はしない』って。地面にぶつかる寸前で止めておいたんだよ。」
 そう言いながら宮内さんは浮かんでいた岩や木を元の場所に戻し、霊気の帯をほどく。
「へ〜、本当に今回はしっかり考えてたんですね。」
「…なんか引っかかる言い方だな。」
 俺の素直な感想に少々不満気な言葉を漏らす宮内さん。しかしその表情は明るく、本当にそう思っている訳ではないようだ。
「それにしても…」
 改めて、といった感じで周囲を見渡す宮内さん。
「壁の穴以外は俺達のせいじゃないんだが…」
 地面には無数に出来た敵の突進の跡。岩と木が無事でもこれではあまり意味がなかった。
「ここまで酷くなる前にどうにかなったんじゃないですか?」
 俺は大小様々に出来たくぼみを見ながら宮内さんに問いかける。途中からだが戦いを見ていた俺としては、もっと早くケリを付けれたように思えてならない。
「まあな。確かに片瀬の言う通り、コインが切れるまで同じ攻撃を繰り返したのは俺のミスだ。…本当は戦いで勝ち方にこだわるのはよくないんだが、どうしても『最後は大技で華々しく』ってのが俺の頭にあってな。」
「宮内さんってそういう所にこだわりますよね。」
 その気持ちは分からなくもない。霊気を使った戦いにおいて、その時の精神状態というのは勝負に大きく影響を与える。宮内さんの場合、『いかに戦いを楽しむか』が大きなウエイトを占めるため、決して今の戦い方がダメだとは言えない。…出来ればこうなる前に倒してくれたほうがよかったのだが。
「まあ今日はそのせいで少々高い代償を払っちまったけどな。」
 おそらくコインと庭のことだろう、確かに代償は少ないとは言えない。
「さて、くぼみの事は後で住職に謝るとしてだ。片瀬、壁の穴を塞ぎに行くぞ。」
 気持ちを切り替えたのか、それとも早く仕事を終わらせたいのか、宮内さんはそう言って足早に歩き出す。
「あ、はい。」
 俺もその後を追おうとしたが、すぐに足が止まる。
「…?」
 ちょうど会場がある辺りだろうか、何か変に騒がしい。宮内さんもそれに気付いたのか、
 いつの間にか俺の隣にまで戻ってきていた。 
「何かあったみたいだな。…片瀬、今何時だ?」
「ええっと、まだ4時ちょっと過ぎってトコですね。」
 俺はポケットの中から懐中時計を取り出し、宮内さんに時刻を教える。
「…参列者を入れる時間にしては早すぎる。片瀬、念のために見てきてくれ。俺は急いで穴を埋めてくる。」
「はい。」
 俺は軽く頷き、すぐに本堂へと向かった。騒ぎは近付くにつれて鮮明なものとなり、何かが激しく倒れる音に混じって今野さんと思われる怯えた声が聞こえてくる。

「!」
 会場の入口となる扉の前に着いた時だった。そこには一体の霊魂に巻き付かれている住職の姿があった。
「か、片瀬さんっ!」
 開いたままの扉のすぐ奥から俺を呼ぶ声が聞こえた。見ると今野さんが床に座り込んで震えている。
「ぐ…」
 住職も俺に気付き、助けを求めようと口を開く。しかし巻き付いていた霊魂に首を絞められ、言葉にならない。
「住職っ!」
 俺はそう叫ぶと同時に霊気の剣を造り出し、霊魂だけを狙って攻撃する。
 ヒュッ!
「何っ!?」
 完全に捉えたかと思った突きが空を斬る。霊魂は俺が剣を突き出した瞬間に住職の身体を離れ、本堂の中へ逃げて行った。
「住職、大丈夫ですか!?」
 俺はすぐに敵の後を追おうとしたが、今にも倒れそうな住職を放っておけなかった。外傷はないものの、住職は完全に生気を奪われていた。
「うう…」
 それでも何とか意識を取り戻し、立ち上がろうとする住職。
 よかった、どうやら命に別状はないようだ。
「片瀬さん…、あの、私は…?」
「すいません、俺達が気付かない間に敵がこっちに逃げてきたようです。住職はそいつに…」
 ハッという表情を浮かべ、住職は慌てて辺りを見回す。
「思い出しました、それで私を襲った霊魂はどこに…?」
「倒そうとはしたんですが逃げられてしましました。今は本堂の中にいるはずです。」 
「それでは中にいる今野様が危ないのでは
!?」
「いや、それは大丈夫です。」
 住職と話しながらも俺は絶えず神経を本堂に向けていた。その間に中から感じたのは敵の霊魂以外では今野さんのみ、運良く作業をしていた他の人達の気配は感じられなかった。
 俺はその事を住職に伝え、ようやく立てるようになった今野さんに近付く。
「ケガはありませんか?」
 見たところ外傷はなかったが、念のために聞いてみる。
「は、はい。大丈夫です。」
 少しは落ち着いたのか、今野さんは俺の問いかけにしっかりとした口調で答える。
「…あれが霊なんですね。」
「ええ、今野さんも見たと思いますが、ヤツはこの会場の中にいます。」
 俺はそこで言葉を区切り、会場のどこかにいるであろう霊魂の気配を探る。
「…2人とも外に出て下さい。俺はヤツを倒します。」
「は、はい。それではお気を付けて。」
 2人が本堂を出て行くのを確認し、俺は奥へと進んでいく。本堂から発せられる霊気に紛れたのか、敵の霊気は全く感じられない。しかしそれは敵の霊気が大して強くない、ということでもある。

「…」
 倒れたイスの中を歩き、立ち止まっては辺りを見回す…。それを何度か繰り返し、祭壇の前まで来たが、敵は一向に姿を見せない。まさか逃げ出したか?、そんな事を考えていると、入口から今野さんの声が聞こえてきた。
「どうですか片瀬さん?」
 今野さんはおそるおそる、といった感じで顔を出し、申し訳なさそうに聞いてくる。
「いや、まだ見つかってません。」
「…どうしましょう、少し時間を遅らせますか?」
「そうですね…」
 まだ敵を見つけていない上、会場の状況を考えると時間的にかなり厳しいだろう。元々予定を変更してもいい、と言われている事もあるし、ここは素直に時間を延ばしてもらう。
「すいません、じゃあ少し―」
 その時だった。
 メキメキッ!、という木が裂ける音が鳴り、同時にそれまで全く感じなかった敵の霊気が鮮明なものになる。
「上か!」
「危ない、片瀬さん!」
 俺と今野さん、2人の声と視線が重なる。その先にあるのは祭壇の一番上に飾られていた巨大なパネル、伝説となったギタリストの写真だった。敵はこの裏で気配を殺し、隙を突いてパネルを落下させたのだった。
 …くっ、駄目だ!
 俺は瞬時に集めた霊気を放とうとしたが、寸前で止める。この体勢からでも敵を仕留める事は可能だったが、それにはこのパネルごと吹き飛ばさなければならなかった。さすがにこの予備までは用意していないだろう、これを壊してしまうと葬儀の開催は絶望的だ。
「片瀬さんっ!」
 早く逃げろと言わんばかりに叫ぶ今野さん。
 しかし俺はこの場を離れようとはしなかった。何かいい案があった訳ではない、ただ俺の中にあった「密かな決心」が逃げる事を許さなかった。

 …葬儀の成功。それこそが今さっきまで戦っていた霊への供養であり、純粋なファンだった彼女達の想いだと俺は思っていた。
 おそらくパネルを落とした霊はそんな彼女達の想いを巧みに利用し、ただ悪戯に騒ぎを起こそうとしているのだろう。その証拠にこの霊からは悲しみややりきれなさといった感情が一切感じられない。あるのは他人の想いを利用して悪さをしようとする低俗な恨みの意識のみ、そこに他の霊が強く抱いていた故人への想いは何一つ含まれてはいなかった。
「…俺は」
 ギュッと拳を握り、頭上にいる悪霊を睨み付ける。あまりの怒りでそう見えているだけなのか、それともただ単に空気抵抗が大きいからなのか、パネルの落ちてくるスピードはひどくゆっくりに感じられた。
「そんなゲスが許せねえんだッ!」
 そう叫ぶと同時に俺は霊気を全身から放出させる。霊気は大気の渦となり、真上にあったパネルが押し戻されて宙に浮く。そして次の瞬間、俺は自分の放った大気の流れを上手く使い、本堂の天井付近まで跳び上がる。
「はあッ!」
 素手の状態から霊剣を造り出し、大きく振りかぶる。剣は完全に敵を捉えていた。
 ズシャアァッ!、俺の放った渾身の一撃が決まる。敵は斬られた先から吹き飛び、さらに後から起きた衝撃波で跡形もなく消え去った。
「ふんっ!」
 俺は剣を振り切った反動を生かし、床に向かって急降下をする。しかし大気の渦は消えかかり、それまで浮いていたパネルは再び落下を始めていた。
 …駄目だ、間に合わない!
 決して諦めたくはなかったが、目の前に映るビジョンはそれを打ち砕くのに十分な力を持っていた。
 今までの戦いが無駄になってしまうのか…、絶望的な状況の中、俺は彼女達に何もしてやれなかった事を悔やみ、申し訳ない気持ちで一杯になっていた。
「く…」
 諦めと悔しさが声となって現れる。同時に握っていた霊剣から力が抜けていき、その感覚に気付きながらも何も出来ない自分がまた悔しかった。
『―ッ!!』
 その時、少し離れた所から声が聞こえた。今野さんか、それとも戻ってきた宮内さんか…。だがどちらにしてもこの状況が変わることはない、そう思っていた。
『〜めるな!』
 もう一度声が聞こえる。さっきよりハッキリと聞こえる声、それは今野さんでも宮内さんでもなかった。
 …誰だ?
 聞いたことがない声ではないが、俺の周囲にいる人間のものではない。
「康二…」
 つぶやくような今野さんの声が聞こえた。それはこの状況には似合わない、ひどく冷静な声。そしてそれは場違いとも思われる言葉だった。
 …コウジ?
 俺は今野さんが発した言葉を頭の中で何度か繰り返し、そして気付いた。そうだ、この声はハイブリッドのコウジの声だ、と。
『あきらめるな!』
 さらにもう一度、今度は完全にコウジのものだと判る声が本堂に響き渡る。俺はつられるように声が聞こえた方向、自分のほぼ真下に視線を向けた。
「…ウソ、だろ…」
 そこにコウジはいた。いや、正確にはコウジの霊がいた、になるのだが…。
『悪いな、いきなり怒鳴っちまって』
 コウジの霊が俺に話しかけてくる。そのあまりの普通さに俺は驚き、言葉を返すことが出来なかった。
 生身の人間とまともな会話が出来る霊というのはそういるものではない、しかもコウジはまだ死んで間もないのだ。そしてそれ以上に俺を驚かせたのがコウジの今取っている行動だった。
『自分の後始末だ、これくらいさせてもらわないとな。』
 俺の思っていたことを読んだのか、コウジが先に口を開く。コウジは全身から黄色い光を放ち、もう少しで床に叩きつけられるところだったパネルを支えていた。
 よく考えてみれば俺とパネル、落ちるまで時間はごく僅かのはずだった。それがコウジの放つ光により、俺が放った空気の渦と同じように浮き上がらせていたのだ。俺はようやく自分の置かれた状況を理解し、コウジを助けようと床に下りる。
「すまない、遅くなったが今加勢す…」
 コウジの隣に着地した俺はそこで言葉が止まってしまう。上から見た時は分からなかったが、コウジの霊体は太腿から下が薄れて見えなくなっている。それは明らかに無理な力を放出したために起こる霊体の消滅だった。
「やめろ!消えるぞッ!」
 気付くと俺は大声で叫んでいた。こうして消滅した霊は2度と現世には戻れない…、そのことを知っていた俺はすぐに止めに入る。
「後は俺に任せろ!もう力を使うなッ!」
 俺はそう言いながら素早く両手に力を集め、パネルを持ち抱える。大きくて頑丈なパネルは見た目以上に重く、壊してはいけないこともあって力の加減が難しい。しかしこれ以上コウジに力を使わせる訳にはいかない、何としてでも消滅だけは避けたかった。だが…
「ッ!?」
 急に両腕にかかる負担が減る。まさかと思い隣を見ると、コウジが再び力の放出を始めていた。
『…悪いな、さっきも言った通り、自分のことは自分で始末するさ。』
 すでにコウジは腰の辺りまで消えていたが、全く気にする様子はなかった。
「馬鹿野郎ッ!!」
 俺は両手から放出する力を上げる。コウジが止める気がないのなら、その前に俺がパネルを戻してやる、そう思っていた。
 …よし、もう少しだ。いける、大丈夫だ。
 コウジは消させない、それだけを考えていた。たった何回か言葉を交わしただけだが、俺はコウジの人柄・魅力が解ったような気がした。今も外で並んでいる人達、悲しみのあまり死んでしまった人達、さらにここにはいないがまだまだ大勢いるであろうコウジを想う人達。
 そして…、俺はすぐそばにいる今野さんを見る。人間として、ミュージシャンとして彼を好きになった人達のためにも、共に頑張ってここまできた人達のためにも、俺が出来ることはただ一つ。
「絶対に消させはしねえぜ、コウジ!」
 俺はそれまでの両手からではなく、全身から霊気を放出させる。霊気はパネル全体を包み込み、宮内さんの能力のように動かすことが出来た。俺はそのままパネルを操り、ゆっくりと元の位置に戻す。
「間に合ったか…」
 緊張の糸が切れたのか、それとも慣れない物を操る力に霊気を使いすぎたのか、俺はその場にしゃがみ込んでしまう。
『大丈夫か?』
 心配そうなコウジの声。何とか消滅はまぬがれたものの、すでにコウジの胴体は胸から下が完全に消えていた。
「俺のことより自分を心配しろ、そっちのほうこそ大丈夫なのか?」
『はは、そうだな。…心配はいらない、身体が消えても意外と平気だ。』
 まるで古くからの友人のように言葉を交わす2人。そこへ今野さんも駆け寄ってくる。
「片瀬さん、康二…」
 心配そうな表情の今野さん。言いたいこと、聞きたいことがたくさんあるのだろう。
「安心してください、全て無事に解決しました。」
 俺はそう言って今野さんを落ち着かせ、コウジの安否を中心に説明を始めた。

  ・

 5分後、穴を塞いでいた宮内さんが合流。俺は簡単に経緯を説明し、すぐに次の作業に入った。
「…よし、いいか?」
「大丈夫です。」
 寺の門の前、通路である石畳を挟んで最終確認を行う俺と宮内さん。その2人の足元、門から会場となる本堂までの石畳の両側には等間隔にキレイな石が並んでいる。

 …この石は寺の宝物庫に長い間眠っていた「導魔石」というアイテムで、簡単に説明すると霊的結界の中に霊を通す道を作るもの。一周忌に並んでいる霊にも祭壇まで来てもらい、花をあげさせたいというコウジと俺の願いを聞いた住職が使わせてくれた希少アイテムだ。これを使えば純粋に葬儀に参加しようと並んでいる霊達も境内に入ることが出来る。
「片瀬、今何時だ?」
「ええっと、4時20分ですね。」
「そうか、間に合ったな。」
「はい。」
 葬儀の開始は当初の予定通りの時刻に始めることが出来そうだった。

 そして時刻は4時30分。全ての準備が完了し、予定通りに葬儀が始まる。宮内さんの合図で門が開かれ、参列者は寺の奥へと進んでいく。一周忌の会場となった本堂の中ではコウジが作った名曲『夕日の雲の中で』が流れ、次々と花が祭壇に置かれていく。
「どうしてもこの曲を使いたい、って言ってたのが何となく判るな。」
 隣にいた宮内さんが口を開く。
「そうですね。」
 俺は素直に頷く。
「…さて、そろそろ最初に入ってきたヤツらが出て行く頃だ。片瀬、最後の仕上げに入るぞ。」
「はい。」
 そう言って俺と宮内さんは出口の前へと歩き出す。最後の仕上げというのは献花を終えた霊の序霊、そのため2人の手には天昇札という俺の作った破魔札が束で握られていた。
 扉の前に立った俺達は一般の参列者に気付かれないように札を構え、霊が通る度に素早く貼っていく。

 …ペタッ、……ペタッ…
 霊に札を貼るのを始めて十数分、相当数あった札もほぼ無くなりかけた辺りで最後の1人が前を通る。
「…ふう。」
 大きく息を吐く俺。宮内さんと2人とはいえ、一体の見逃しもなく札を貼るのは結構疲れる。
「おい、片瀬…」
 その時だった。宮内さんが少し驚いたような口調で俺を呼び、出口の先を指差す。その方向を見てみると、何とそこには札を貼った全ての霊が集まっていた。霊達は俺と宮内さんの視線に気付くと、その中の一体が前に出て深々と頭を下げる。それに合わせて残りの霊も頭を下げ、全員が揃って頭を上げる。
『ありがとうございました』
 そんな声が聞こえたような気がした。いや、確かに彼女達はそう言ったのだろう。顔を上げた彼女達はみな笑顔を浮かべたまま泣いていた。
「…っ」
 視界がぼやける。俺はそこで自分が知らない内に涙を流していることに気付いた。
 想いは霊力の有無を越え、届けるべき相手にしっかりと届く…。そんな当たり前のことを俺は忘れていたのかもしれない。
「しっかり成仏しろよ…」
 普段は滅多に聞けない優しい声で宮内さんが彼女達に言葉をかける。すると彼女達はその言葉に合わせるかのように足元から消え始め、光の粒が周囲を舞い散る。その光は外から差し込む夕日と重なり、幻想的な光景を作り出していた。
「…片瀬、本当のファンってのはアイツらのことを言うんだろうな。」
 彼女達が完全に消えてしばらく経った後だった。ずっと夕日を見つめていた宮内さんがつぶやくように言葉を漏らす。
「そうですね。」
 俺はそう答えると、ゆっくりと祭壇に向かって歩き出す。そして数本だけ残っていた献花用の花を一輪手に取り、花であふれそうな祭壇にそっと添える。
「…これでよかったんだろ?」
 いいファンを持ったな、と付け加え、俺は祭壇に飾られたパネルに目を向けた。
「片瀬さん。」
 ちょうどその時、裏口から今野さんが姿を現す。色々と作業が残っているのだろう、脇には何枚もの書類とファイルを抱えていた。
「今野さん、どうもお疲れ様です。」
「いえいえ、そちらこそ。片瀬さんも宮内さんも本当にお疲れ様でした。」
 そう言うと今野さんは祭壇に向かって歩き出し、俺と同じように花を添える。
「康二、これが今日来てくれた人のメッセージ、そしてこっちが全国から送られてきた手紙だ。…読んでくれ。」
 脇に抱えたファイルから2つの大きな封筒を取り出し、花で埋まった祭壇の上にそっと乗せる今野さん。
「…今日の出来事はこれからの私の人生で絶対に忘れられないものになるでしょう。」
 と、ここで言葉を区切り、俺と宮内さんのほうを向く。
「葬儀の最後、私にもファンの方々が見えました。…本当にファンのみなさんには感謝しないといけませんね。」
「ええ、そう思います」
「ですが片瀬さん、実は康二が死ぬ少し前、私に悩みを話してきたことがあるんですよ。」
「悩み、ですか?」
「はい…、『俺の音楽はしっかり伝わっているのか、伝えたいことが届いているのかが判らない』と言っていました。今まで一度もそんなことを言わなかったので驚きました。多分かなり真剣に悩んでいたと思います。」

 …しばらくの間。しかしその沈黙を破ったのは以外にも宮内さんだった。
「大丈夫です、きっと伝わってます。彼には今日集まった何倍、何十倍という数のファンがいる。しかも本当のファンだ。」
「…ええ。そうですね、私もきっとそうだと思います。」
 今野さんは笑顔だった。それまでの営業的なスマイルではなく、年相応のいい笑顔だった。

「おっと、もうこんな時間か。…それでは今野さん、俺らはそろそろ行きますので。お仕事、大変だとは思いますがどうか頑張って下さい。」
 壁に掛かった時計を見た宮内さんがそう言って場を締める。すでに夕日はほとんど沈み、辺りは暗くなり始めていた。
「はい、片瀬さんも宮内さんもお仕事の方、危険だとは思いますが頑張って下さい。」
「ええ、それでは。」
 お互いに頭を下げると、俺と宮内さんは本堂を後にする。今野さんはしばらく深々と頭を下げた後、ずっとその場に立って俺達を見送っていた。

  ・

「それでは住職、お元気で。」
「今度お茶菓子でも持ってきますよ。」
 寺の正門の前、俺と宮内さんはそれぞれ住職に別れの挨拶を済ませていた。
「はい、この近辺にご用の際はどうかお寄り下さい。お待ちしておりますので。」
 優しい表情の住職。庭に作った無数のくぼみも笑顔で許してくれた上、残った導魔石までもらってしまっていた。
「それでは失礼します。」
「どうもありがとうございました。」
 俺と宮内さんはもう一度お礼を言い、大通りへと続く道を歩き出す。

「…今日は色々ありましたね、宮内さん。」
「ああ。」
「今野さんも住職もいい人でしたね。」
「そうだな。…おい、片瀬。」
 そう言って急に立ち止まり、宮内さんが俺を見る。
「な、何ですか?」
「…葬儀の時、本堂で流れてた曲のタイトルは?」
「はい、『夕日の雲の中で』ですけど。」
「買う。」
「は?今ですか!?」
「ああ。で、その後お前にメシをおごる。」
「はあ…、いきなりっスね。」
「おごるって言ったろ?何でもいいぞ、船に乗った刺身だってオッケーだ。」
「いや、それはいいです…」
「そうか?まあいい、とりあえず買いに行くぞ。」
「はい。」
 話がまとまった所で再び歩き出す2人。大通りに出るとすぐにCDショップを見つけ、早速店内へと入る。そこで宮内さんは「ついでにな」と誰かに言い訳をするようにハイブリットのCDを全て買った。
「買いましたね〜」
 店を出た後、まさか全部買うとは思わなかった俺はすぐに宮内さんに話しかける。
「ああ。」
 大きな袋を抱えた宮内さんは少し満足そうな顔だった。
「…あの、宮内さん。」
「ん?」
「今日はメシ、いいです。早く帰って聴いて下さい、それ。」
「…そうだな。」
「ちなみに俺のオススメは2枚目のアルバムに入ってる『PIROUETTE』って曲です。名曲ですよ。」
「分かった。」
「それじゃあ俺はここで。」
 そう言って俺は横断歩道の前で立ち止まる。
「ああ、じゃあな。」
「俺、明日はオフなんでゆっくり休ませてもらいます。」
「そうか。」
 その時ちょうど信号が変わり、2人の目の前にタクシーが止まる。
「俺はコレで帰るか。」
 宮内さんはそう言うと、止まっていたタクシーの窓を軽くノックする。
「今日は付き合ってもらって悪かったな。」
 ドアが開き、車内に乗り込む間際に宮内さんが礼を言う。
「いえいえ、お疲れ様でした。」
「片瀬もな。」
 軽く手を挙げる宮内さん。それを合図にするようにタクシーが走り出す。

「…さてと、俺はメシでも食うかな。」
 一人になった俺はそうつぶやき、青になった横断歩道を歩き出す。
「〜〜、〜」
 俺は無意識のうちに『夕日の雲の中で』を口笛で吹いていた。




第2章 ―芸は身を…?―


 天高寺の仕事から3日後、俺はゆっくりとオフを満喫し、昨日今日と片手間で済む仕事をこなしていた。
 今日の仕事は踏み切りの前に現れるという飛び込み自殺者の除霊。俺は現場に着いて5分で原因を解明、すぐさま怨念のこもっていた場所を浄化して除霊は完了となった。時刻は午後1時、予想以上に早く片付いたため、俺は少し寄り道をしてから会社へ戻ることにした。ちょうど買いたい本もあり、自宅に完備している買い置きの缶コーヒーも無くなりかけている。
「…そうだな、ついでにコンポでも見てみるか。」
 運良くこの近くには大きなショッピングセンターがある。俺はそれを思い出し、久し振りに色々と見て回ることにした。

 10分後、俺は目的のショッピングセンターに到着。すぐに目当ての本を買い、次に家電コーナーへと向かうことにした。
「…ん?」
 エレベーターに乗っている時だった。ガランガラン、という音と共に景気のいい声が聞こえてきた。
「福引きか…、もうそんな季節なんだな。」
 少し早いかもしれないが、商売的にはもう年末セール、クリスマスフェアを行う時期になっていた。そういえば街の中にも赤と緑のクリスマスカラーが目に付いたような…
「ま、俺達には関係無いか。」
 この仕事に就いてからというもの、世間の出来事、特に行事関係にはかなり疎くなっていた。忙しくてそれどころではない、というのが一番の理由なのだが、それ以上に『自分には関係のないこと』という意識が俺の中では大きかった。

 …結局俺は家電売り場を見て回るだけで何も買わず、最近のコンポの性能や売れ筋モデルなんかを店員に聞くだけ聞いて店を後にした。

  ・

 オフィスに戻ると、珍しいことに織原さんと三浦が机に向かっていた。
「あれ、どうしたんですか?2人とも滅多に書き物なんかしないのに…」
「おう、片瀬か。お疲れさん。」
 織原さんは顔を上げてそう言うと、大きく背中を伸ばす。
「…お前は報告書を溜めてないんだよな。羨ましいぜ。」
 ああ、と俺は声を上げる。織原さんのその一言で俺は状況を把握した。
「2人とも報告書、かなり溜めましたね?うわ、これなんか日付が8月ですよ!?」
「…俺は7月のもある。」
 それまで無言だった三浦が会話に入ってくる。しかしその手は止まることなくペンを動かし続け、頭も上げようとしない。どうやら三浦の方が織原さんより書類の量が多いようだ。まあ7月の書類がある時点でそれは明らかなのだが。
「毎年年末になる度に『来年は溜めずに書こう』って思ってるんだがな…」
「俺もです。でも大体2月の終わり頃で挫折するんですよね。」
「お前もか、オレもそうなんだよ。」
 お互いの言葉に大きく頷き、激しく同意し合う2人。
 …まったく、仕方ないなこの人達は。
「ええっと、とりあえず頑張って下さい。このままだとボーナスに響く上、もれなく橘さんのお説教が付くことになりますからね。」
「う…」
「それは勘弁してくれ…」
 橘さんの名前を出した途端、2人は猛スピードでペンを動かし始める。さすがは橘さん、効果は絶大だ。
「じゃあ俺はジャマになると悪いんで自分の机に戻りますね。あ、あと字が汚くても怒られますから気を付けて下さい。」
 俺の言葉に2人の手がピタリと止まる。
「ヤバ…」
「書き直しか…」

  ・

 沈む2人に別れを告げ、自分の席に戻る俺。
「ふう、こまめに書類を出してて正解だったな。」
 キレイとまではいかないが、それなりに整頓されている机を見ながらつぶやく。

 …この会社には残業手当も出張手当もなく、労災もないという非常に社員に優しくない会社だ(まあ正確にいうと会社ではないが)。だがその代わり給料は完全出来高制で、金額の上限は一切無い。そこに普通ではあり得ない危険な仕事、ということが加わり、俺達が月に手にする金は相当の額になる。
 ちなみにウチの査定基準は実務内容+会社の金庫番である橘さんの独断と偏見(!)で決まり、仕事の後に提出する報告書がかなりのウエイトを占めている。織原さんと三浦が必死になっているのはそのためで、2人は締め切りであるボーナスの日に何とか間に合わせようとしている…という訳だ。

「よう片瀬、今戻りか?」
 隣の席に座っていた宮内さんが俺に気付き、話しかけてくる。
「はい、ついさっき帰って来ました。」
「お疲れさん。…そうだ片瀬、オリさん達見たか?」
「ええ、2人ともかなり溜め込んでましたね。」
「3百枚近くあるみたいですよ。」
 そう言いながら水野が机の下から顔を出し、会話に入ってくる。
「マジか?そりゃ間に合わねえだろ…」
 机に向かって頑張っている2人に視線を向ける宮内さん。その目は哀れみに満ちていた。
「ねえキヨビン、間に合わなかった分はどうなるの?」
 水野が俺に聞いてくる。コイツも書類を溜めたりはせず、すぐに提出するほうだ。
「俺も報告書は溜めないからな…。宮内さん、知ってます?」
「ああ、確か次の年までに提出すればほぼ全額払われるって話だ。そうそう、昔オリさんがほぼ2年分の給料とボーナスを溜めたことがあったんだが、その時はちょっとした国の国家予算並の金が振り込まれたらしいぞ。」
「…」
 思わず絶句。個人の収入が国家予算かよ…。
「その頃はメチャメチャ景気が良かったみたいで、依頼者のほとんどが通常の料金とは別に謝礼をくれたんだ。オリさんはそれもほとんど使わずに貯めててさ、そこに2年分の給料だろ?さすがに銀行の普通預金じゃ問題が出て…」
「ちょ、ちょっと待って下さい。…今、普通預金と?」
「ああ、定期預金のほうがいいのにな。」
 いや、論点はそんなところじゃ…
「まさか個人名義で?」
「ああ。」
 当然だろ、と言わんばかりの口調の宮内さん。そこに水野も口を挟んでくる。
「だって織原さんは個人じゃん?」
「…」
 この2人、本気で言ってる…。っていうか銀行も変だと思えよ、いくら景気がいいって言っても個人の通帳に国家予算だぞ?
「ん?どうした片瀬?」
「…いえ、話を続けて下さい。」
「おう。それでオリさんは色々考えたんだが、特に買いたい物も使うアテも無いってコトで、とりあえずスイスの銀行に全額移したんだよ。」
「それは一気に…、ですか?」
「そうだ。そしたらその銀行、オリさんが金を下ろした直後に潰れたんだよ。その後からかな?急に景気が悪くなったのは。」
「へ〜、織原さんって運いいね。」
 違う、違うぞ水野…。
「まあそんなことがあった、って話だ。さてと、確か俺も何枚か報告書が溜まってたな。よし、一気に片付けるか。」
「う〜ん、じゃあ私は何しようかな〜」
 そう言いながら2人は自分の席へと戻っていく。
「…今の話、時期的にいって間違いなくバブルの時だよな…」
 バブルが崩壊したのは織原さんのせいかもしれない…。驚愕の新事実だった。

  ・

「あら、片瀬君じゃない。」
 遅い昼飯を済ませ、会社に戻るところで橘さんと出会う。
「あ、橘さん。買い物ですか?」
 スーツの上に真っ赤なコートを羽織った姿が似合いまくる橘さん。その手には大きな紙袋を抱えていた。
「ええ、ファイルと伝票を買いにね。報告書を溜めてくれた人のために専用ファイルを用意しないといけないじゃない?」
「そうですね…」
 俺は乾いた笑顔で答える。
「片瀬君はちゃんと書いてくれるもんね〜、えらいえらい。」
 満天の笑顔の橘さん。口調は相変わらずだ。
「そうだ、さっき社長が片瀬君を探してたみたい。多分お仕事じゃないかしら。」
「分かりました。すぐに行ってみます。」
 そう言って俺はまだ寄るところがあるという橘さんと別れ、会社へと向かう。
「片瀬く〜ん、今度は一緒にお買い物に行こうね〜!」
 背後から橘さんの大きな声。振り返るとわざわざ袋を置いて両手を振っていた。

  ・

「社長、何か俺に用があるとか…」
 会社に戻った俺はすぐに社長に会いに行く。
「おう、悪いが今から1件頼めるか?さっき飛び込みで依頼が来てな、かなり急いでいるようなんだ。」
「構いません。詳しい依頼内容を聞かせて下さい。」
「すまんな、本当は三浦か織原にやってもらおうかと考えていたんだが…」
 そこで社長は話を区切り、チラりと2人を見る。
「あんな状態じゃあな。」
「そうですね、正しい判断だと思います。」
「はは、ありがとさん。…そうだ、この礼として片瀬のボーナスに少し色を付けておくよう橘に言っておこう。」
「いや、そこまでしてもらわなくてもいいですよ。」
「そうか?じゃあ三浦と織原の給料を引いて片瀬に回すか。」
 ニヤリを笑いながら話すが、あながち冗談とは思えない社長の発言。
「それはいい案かもしれませんが、後が怖いんでやめて下さい。」
「2対1じゃさすがの片瀬も分が悪いか。さて、仕事の内容だが、その前に…と。」
 そう言って社長は手元にある勤務表とオフィス内を見比べ、誰かを探し始める。
「お、いたいた。水野、ちょっとこい!」
「は〜い。」
 物で埋もれた机から水野が顔を出し、パタパタと駆け寄ってくる。
「何ですか社長?」
「水野、いきなりで悪いが仕事だ。片瀬と組んで行ってくれ。」
「ん〜。はい、了解です。」
 数秒の考慮時間は経たものの、水野はあっさりと快諾する。
「よし、それじゃあ早速依頼内容を話そう。今回の仕事先はテレビ日本、収録を妨害する霊の退治だ。年末の特番を撮りたいらしく、もう時間が無いそうだ。敵は悪霊と思われる霊魂が2体、被害状況や依頼者からの話を聞く限り、それほど強い力は持ってなさそうだ。…以上、何か質問はあるか?」
「いえ、俺は特にありません。水野は?」
「私もないです。」
「そうか、それじゃあすぐに向かってくれ。2人とも頼んだぞ。」
「はい。」
「行ってきまーす。」
 俺と水野はそう返事をすると、すぐに準備に取りかかった。

   ・

 2分とかからずに装備を整え、俺達は会社を後にする。ここから目的地のTV局まではかなりの距離があり、電車とタクシーを乗り継ぐ必要があった。
「水野、俺の車で行くぞ。」
「は〜い。」

 会社があるビルの裏側には駐車場があり、移動に車を使うことのある社員は全員ここに停めている。俺はその中から自分の愛車である白のセリカに乗り込み、エンジンをかける。
 ブオオォォッ、
「…よし、今日もいい調子だ。」
 ポンポン、とハンドルを叩き、車に向かって声をかける俺。改造を重ねて最大まで出力を上げてはいるものの、あまりうるさくならないように仕上がっているのが嬉しい。
「キヨビンって運転する時、すっごく楽しそうだよね?」
 そんな俺の様子を見てか、水野は興味深げにハンドル周りの細かい部分に目を向ける。
「…まあ実際運転は楽しいからな。宮内さんや織原さんも結構好きみたいだし。」
 俺の車の横には織原さんのムスタング、宮内さんのBMWロードスターと並び、それぞれ持ち主の個性に合わせた手の加え方がされている。
「ふ〜ん。でもキヨビンの車ってそんなに高くないよね?お金ならあるんだし、もっとスゴイのに乗ればいいじゃん。」
「ん〜、車ってのはそういうもんじゃないんだよ。嗜好品要素が強いって言うか、好みや思い入れの要素が大きいんだ。」
「ほうほう。」
「俺の場合もその典型的なパターンで、免許を取る前から「この車に乗りたい」っていうのがあったんだよ。」
「へ〜、これまた男の子ドリーム炸裂な発言ですね。」
「うるせ。…さて、エンジンも暖まったしそろそろ行くぞ。」
「は〜い、ゴーゴー!」
 ブオオォォ…、ブオォッ!
 俺は水野の発車の合図(?)に合わせてアクセルを踏み、目的地へと車を走らせる。愛車の調子は良好、道路もそれほど混んではいないため、考えていた時間より早く着きそうだった。

  ・

「ねえキヨビン、どうしてそんなに強くない悪霊相手に2人で行くのかな?」
 出発してから1時間弱、湾岸沿いを軽快に走っている時だった。そろそろ目的地のTV局が見えてくる、という辺りで水野が疑問を口にする。
「そうだな。」
 それは俺もずっと考えていたことだった。この程度の仕事なら1人でも十分に解決出来るはず、それをわざわざ2人で行かせるのには何か理由があるとしか思えなかった。
「…何かあるね。」
「ああ。なんか最近厄介な仕事が多いんだよな…」
「巻き込まないで下さいね。」
「知らん、俺に言うな。」
「え〜、そこも「任せとけ、水野とこの星はオラが守る!」的な少年マンガ直撃の発言をするところなのに〜」
「んなこと言わねえっての。」
 何やらよく解らない理由で不満を漏らす水野。コイツは俺に何を求めているのだろうか。
「ん?」
 その時、目的地と思われる建物が見えてきた。あの特徴のある外観は間違いなくTV局だろう。
「おい水野、そろそろ着くぞ。」
「あ、ホントだ。結構早く着いたね〜」

 時計を見ると時刻は午後5時20分。俺が思っていた以上に早い時間にテレビ日本へ到着することが出来た。俺達はすぐに中に入り、受付のお姉さんに名を告げる。そして待つこと数分、通路に飾られていた過去の名番組の写真を見ていた俺達の元に1人の男性が現れる。
「すいません、お待たせしました。私、田崎と申します。とりあえず応接室を用意していますので、詳しい話はそちらの方で…」
 俺達は田崎と名乗った男性に案内され、見るからに立派な応接室へと通される。中に入るとすでにテーブルにはコーヒーが用意されていた。

「…では改めて自己紹介を。私はテレビ日本製作部、責任者の田崎と申します。」
「わざわざご丁寧にどうも。自分は片瀬、そして彼女は水野と言います。」
「初めまして。」
「はい、片瀬様に水野様ですね。それでは今回の依頼の説明をさせていただきますのでどうぞお座りになって下さい。」
 俺と水野が軽く挨拶を済ませると、田崎さんは早速本題へと話を進める。どうやら急を要するという社長の言葉は本当のようだった。
「実は今回、こうして依頼をするに至った一連の騒ぎですが、そもそもの原因は4年前に起きたトラブルによるものなんです。」
「4年前、ですか。」
「はい。…片瀬様、水野様、お2人はTVをよくご覧になられますか?」
「いえ、俺はあまり。」
「私は結構見てるかな?」
「そうですか。」
 そこで田崎さんは一旦間を置き、コーヒーに口を付ける。俺はその行為と先の質問に何か大きな意味があると踏み、次に田崎さんが発する言葉を待つ。
「…この4年間、私達の局で放送する年末の特番は全てスタジオではなく、どこかのホールや野外で収録が行われる音楽番組がメインでした。」
「そうなのか水野?」
「ん〜、そう言われればずっと歌番組だったような気がする。」
 水野の答えに田崎さんは軽く頷き、話を続ける。
「勿論バラエティも毎年何本かはやりましたが、ほとんどが人気番組の名場面集や未放送の部分を編集したものです。それより以前は新番組の宣伝を兼ねた出演者対抗のクイズ番組が目玉だったのですが…」
「それは俺も覚えてます。」
「最近はどの局でもやってますよね。」
「ええ。本当はウチの局でもやりたいんです。ただ…」
「毎年この時期になると悪霊が現れ、収録が出来なくなる、ですか?」
「その通りです。ある年はセットを壊され、またある年は照明を落とされたりと、スタッフや出演者が危険な目に遭うため、スタジオでの番組収録は中止にしてきました。」
「それで歌番組が続いてたんだ。」
 なるほど、と言わんばかりに納得する水野。
「はい。ですが歌番組ではどうしても数字で他局に負けてしまい、今年は絶対にバラエティで行け、と上から命令が出たんです。事情を話しても信じてもらえませんし、運の悪いことに今年から上の人間が変わってしまいまして…。彼はバラエティ、お笑いの出なんですよ。」

 …数字、つまり視聴率は絶対と言う訳か。しかもそこに出身畑の違いによる問題が発生したとなれば厄介この上ないだろう。
「なるほど。これでスタジオ収録をしなければならない理由が分かりました。では次に4年前、悪霊が出るようになった原因について聞きたいのですが。」
「はい。…それは4年前のちょうど今頃のことでした。年末の特別番組の内容も決まり、後は収録を残すのみという時期に、司会をすることになっていた1組の芸人さんと番組プロデューサーの間で大喧嘩があったんです。当然その芸人さんは司会を降ろされ、それ以後この局での出演は一切無くなりました。」
「うわ、あるんですね、そういうの。」
「そうですね、この業界では決して珍しいことではありません。ですが奇妙なのはここからなんです。」
 それまで淡々と喋っていた田崎さんの表情が微妙に曇る。
「それから間もなくでした。理由は全く分かりませんが、なぜか他の局も彼らを使わなくなったんです。…結局彼らはそれから1年と持たずに事務所をクビになりました。噂ではそのプロデューサーが裏で色々と根回しをしたとか言われてましたが、さすがに他局や事務所にまで影響は与えれませんよ。」
 …ということは、その芸人がクビになったのは全くの偶然だったのだろうか?
「あの、その芸人さんはそれからどうなったんですか?」
 水野が質問をする。それは俺の中にもあった疑問だった。
「それが…、彼らの消息を知る者は誰一人としていないんです。亡くなったのという話も聞いていませんし…」
 田崎さんはそこで声のトーンを落とし、顔を少し近づける。
「ですがその後、彼らを降ろしたプロデューサーの番組は全て失敗。企画もキャスティングも良かったのですが、数字が全然取れなかったんです。…そして上からラストチャンスと言われて臨んだ番組の制作途中、彼は原因不明の発作を起こして死亡。そうするとまあ当然噂が流れる訳ですよ、『彼が死んだのはあの芸人達の呪いだ』という噂が。」

 …おかしい。今の田崎さんの話にはいくつか気になるところがあった。
「おかしいですね…」
「ああ。」
 水野もそれに気付いたのか、俺に同意を求めてくる。
「何か説明に不明な点でも…?」
 俺達のやり取りに田崎さんが不安そうな顔をする。
「…今の話だと、その芸人さんは死んだとは限りませんよね。確かにプロデューサーが亡くなったのは気になりますが、スタジオ収録を妨害するのは死んだ人間の霊、つまり悪霊だと聞いています。そうなると今の話に出てきた芸人さんが原因だ、と決めるのはどうかと。さすがに人気のあった芸能人が亡くなったのなら誰かの耳に入ると思いますが…」
「しかし私も1度その悪霊を見たのですが、間違いなく彼らでした。」
 …顔がしっかり見えた?
 俺は田崎さんの言葉に耳を疑う。悪霊・善霊問わず、霊魂で顔立ちまではっきり見えるというのはそれなりに強い力がないといけないのだが…
「田崎さん、もしかして彼らの霊は決まった場所にしか出ないのでは?」
 今の話の中で俺は1つ思い当たることがあり、確認してみることにした。
「そうですね…、そう言われれば目撃された、被害があったというのはこの局で1番大きい第1スタジオ、それに少し離れたところにある第5、6スタジオだけです。」
「他の場所には全く出ない?」
「はい。」
 そうか…。
「キヨ…あっ、片瀬さん。」
 いつものようにキヨビンと言いかけ、慌てて苗字で呼び直す水野。さすがに他人の前でその呼び方をされるのは恥ずかしいので、こういう場では苗字で呼ぶように言ってある。
「…水野も気付いたか?」
「はい。それって悪霊じゃなくて怨念ですよね?」
「多分な。」
「あの…、どういうことですか?」
 またしても2人だけで納得し、勝手に話を進める俺達に田崎さんが説明を求めてくる。
「あのですね、おそらく田崎さん達が見たものは悪霊ではなく、怨念という生身の人間から発せられる意識体だと思うんです。」
「…よく解らないのですが、つまり霊とは別物と?」
「まあそうなりますね。簡単に説明すると霊との大きな違いは2つ、出現場所がその人間の思いが強く残っているところに限定されること、その人間が生きている場合は完全に消え去ることはない、ということですかね。」
「そんな…、それでは退治は無理なんですか?」
 愕然とする田崎さん。その言葉には悲壮感、絶望感が漂っていた。
「いえいえ、完全な消去は出来ませんが、悪さをするのを止めることは可能です。」
 まだ俺の話は終わっていなかったのだが、田崎さんのあまりの落ち込みように慌ててフォローを入れる。話としてはここからが重要だった。
「ほ、本当ですか?」
「はい、安心してください。で、話を続けますが、田崎さんにも思い出の場所ってありますよね?旅行先や学校、自分の家や職場とかでもそんな場所があると思うんですけど。」
「ええ、確かに。」
「そういうところには必ずその人間の念が残るんですよ。別にそれ自体は普通に起こることなんですが、今回はそれが非常に強いマイナスの念だった、というところに問題があるんです。念というのは本来なら年月が経てば薄れていくものなんですが、その念を生んだ人間がまだ強く思っているか、何らかの理由があって消えずにいることが少なくないんです。それを俺達が解明し、被害・影響を与えれない程度まで念を小さくすれば問題は解決すると思います。」
「そうですか、よかった…」
 ふう、と大きく息を吐く田崎さん。
「説明は以上です。…ではすぐにでも原因の解明に移りたいのですが。」
「はい、それではご案内致します。」

  ・

 俺と水野は田崎さんに案内され、まず始めに1番出現回数が多いという第1スタジオへ向かった。特番や看板番組の収録に使うメインスタジオらしく、入口横には見たことのあるセットやクイズ番組の回答席などが置かれていた。
「うわ〜、本物だ〜」
 あまりTVを見ない俺でも知っているものがあるくらいなのだ、水野にとってはここにある全てのセットが何の番組に使われているのか判るのだろう。さっきから水野は何かを見つけては嬉しそうに声を上げている。
「おい水野、そろそろ仕事しろよ〜」
 そう言って一応水野に注意をし、俺はスタジオの奥へと進む。
 高い天井にスポットライト、クレーンに乗ったカメラ…と、見慣れない物に目を止めつつも、しっかりと怨念がこもっていそうな場所を探していく。

「…」
「どう?何か分かった〜?」
 ちょうど俺がスタジオを1週して戻ってきた時だった。ようやく仕事をする気になった水野が状況を聞いてくる。
「お前も少しは自分で調べろよ、まったくこっちは色々…。」
 と、言いかけたところで俺はあることを思い付く。
「そうだ。水野、お前コンパス持ってないか?なければ風水で使う羅針盤でも構わないんだが。」
「…何で私が羅針盤を持ち歩いてないといけないんですか。しかもコンパスがなければ羅針盤でも、って普通逆でしょ!?」
「軽い冗談だ。まあ羅針盤の方が詳しく調べれるってのはあるんだけどな。…で、コンパス持ってるか?」
「ん〜、コンパスならあったと思いますケド…」
 そう言って水野はゴソゴソとバックを漁る。
「あ、ありました。はいど〜ぞ。」
「サンキュ。」
 俺は渡されたコンパスを手の平に置き、方位を調べる。
「でもキヨビンならコンパスなんか使わなくても方位くらい分かるでしょ?」
「まあな。だがあまりにもこのスタジオの方位が悪いんで、一応確認して見たくなったんだ。」
「え?どういうコトですか?」
 水野が首を傾げる。
「なあ、お前方位学って知ってるか?」
「えっと、少しかじった程度ですけど…」
「そうか。…いいか水野?、このスタジオの壁はそれぞれ東西南北に向かって垂直になってるんだ。」
 俺はそう言って水野にコンパスを見せ、話を続ける。
「まず入口側が北で、セットが山のように積まれているのが東だ。南は全面が壁になっていて、西がこのスタジオでは正面の扱いになる。…どうだ、何か解ったか?」
「もしかして方角、かなり悪い?」
「ああ、最悪だ。」

 …たかが方角とあなどってはいけない。昔から建物、特に間取りには方位の良し悪しがあると言われているが、これにはしっかりとした理由があるのだ。その中には採光や風向きといった自然環境を考慮したもの、日当たりの悪いところに水周りを置くと痛みが早くなる等の建築的な理由、それに宗教的な要因も絡んでくるのだが、これらと同等かそれ以上に重要なのが「気」の流れだ。中国や特に香港なんかではかなり注意されていて、気の流れが最重要視されることも珍しくない。昔は日本もそうだったのだが、最近は外見ばかりが重視され、ほとんど考慮されていない。そんなこの国の建築事情の中でも、このスタジオの方位の悪さはトップクラスだった。さらにそこへ追い打ちをかけるように使用状況の悪さが加わっている。

「…」
 俺は改めてスタジオ内を見渡し、問題のある場所をチェックしていく。
 …まず出入口が北にしかないこと。一般的に悪い気というのは北から入ってくるため、門や扉を設置するのは好ましくない。せめて南側に気の通り道があればいいのだが、このスタジオの南は壁しかないため、悪い気が溜まる一方になっている。
 次に問題なのは東側。太陽が昇ってくる東は日光と共に良いとされている気が流れてくる方角だ。だがその気は山のように積まれたセットに遮られ、流れは見事に止まっていた。ちなみに反対の西側はそれほど問題はなかったが、出来れば東から流れてくる良い気を受け止めるようにして欲しかった。要は東とは逆に高いものを置けばよいのだが、西を背にして番組を録るようになっている造りのため、そう簡単にはいかなそうだった。

 …以上、方位学的観点から見たスタジオ内部の総評は「良い気の流れを自ら止め、悪い気を進んで溜めている」という、怨念が消えずに残るには絶好の方位・使用状況になっていた。
「どうだ水野、しばらくここに住んでみるか?年が明ける頃にはかなり痩せれるぞ。」
 俺は水野に現状を説明した上で、あえて意地悪く聞いてみる。あまりにも揃いすぎた悪条件は軽口を叩かずにはいられない程だった。
「エンリョしときます。」
「青白い肌、不健康に痩せた身体、生気の抜けた顔…。守ってあげたくなる要素満載の薄幸美少女になれ―」
「なりたくねえっつうの!」
 怒る水野。どうやら病弱薄幸美少女にはなりたくないようだ。
「さてと、おふざけはこのくらいにしとくか。」
 俺はそう言って気持ちを切り替え、スタジオの外で待機させていた田崎さんの元へと向かう。隣では水野がまだ何か言いたそうだったが、とりあえず無視することにした。
「田崎さん、ちょっといいですか?」
「はい、何でしょうか。」
「確認ですが、このスタジオが1番出るんですよね?」
「ええ、それが何か?」
 …よかった。これで他のスタジオの方が出るのであれば、ここより方位・使用状況が悪いことになる。さすがに俺もこれ以上酷い部屋は見たくなかった。
「いえ、これで大体の原因が解りました。いいですか田崎さん、このスタジオを調べてみたところですね…」
 こうして俺は田崎さんに方角の問題や使用状況について説明を始めた。

  ・

「そうだったんですか。なるほど…」
 俺の話を聞き終えた後、田崎さんは問題があると指摘された場所を見ながら何度も頷いていた。
「それでですね、多少物を移動したいんですが大丈夫ですか?一応現場のスタッフの方にも了解を取ったほうがいいかと思うんですが…」
「ええ、そうして頂けるとこちらとしても助かります。それではすぐに何名かスタッフを向かわせましょう、移動するとなると人手も必要でしょうしね。」
 田崎さんはそう言って電話を取り出し、至急このスタジオに来るよう指示を出す。
「よし、これでこっちは何とかなるな。おい水野、俺達も動くぞ。」
「え〜、荷物運びですか〜?」
「違う。気の流れを良くするために南側の壁に気の通り道を作るんだ。」
「あ、なるほど。」
「わかったらすぐに準備しろ。大きい部屋だからな、広い道にするぞ。」
「はいな。」

 俺と水野はスタジオの南側に向かい、気の通り道を空ける用意に移る。道と言っても実際の形状は穴に近く、先の天高寺で宮内さんと一緒に空けたものに似ている。しかし今回は規模が大きい上、時間が経っても塞がらないようにするため、事前に綿密な計画を練る必要があった。
 その間に田崎さんがスタッフ数名を連れて登場。話し合いの結果、作業や収録の邪魔にならないようにセットを移動させることにした。
「それでは高いものはなるべく北側に、他は西側に置くようお願いします。」
「はい、分かりました。」
 セットの移動は田崎さん達に任せ、俺と水野は自分の持ち場に戻る。

   ・

「…それじゃあ手順を確認するぞ。まず水野が一時的に周囲を浄化、その後に俺が一気に穴を開け、安定するまで2人で霊気を送り続ける。まあ5分もあれば完了するだろう。」
「了解で〜す。」
 お互いに役割を決め、実行に移ろうとしたその時だった。1人のスタッフが血相を変えてスタジオに飛び込んでくる。
「た、田崎さん、大変です!ヤツらが5スタに…!」
「何っ!?、5スタは今使ってないハズだろ!?」
「それが新人の塚山があの中に…」
「まさか特番のセットを入れたのか!?あれだけ入れるなって言っただろう!」
「ス、スイマセンッ!」
 そこへさらに1人のスタッフが現れる。
「高畑っ!、塚山があの中に!」
「バカ!何で止めないんだ!」
  先に入ってきたスタッフが怒鳴る。2人はかなり動揺していた。
「水野。」
「はいっ!」
 瞬時に事態を理解した俺達は素早く荷物の中から武器を取り出し、通路へと走り出す。
「田崎さんっ、5スタの場所は!?」
「私が案内します!」
 田崎さんはそう言うと、俺達を先導するように走り始める。

「こっちです!」
 俺達は田崎さんの後を追い、狭い通路を何度も曲りながら第5スタジオへと向かう。
「ハア、ハアッ、片瀬さん、この先の突き当たりが5スタです。私は、後で…」
 非常用の階段を登りきったところで田崎さんがペースダウン。肩で息をしながらも道順を説明し、その場に座り込む。
「分かりましたっ、急ぐぞ水野!」
「は、はいぃ〜」
 最後の曲がり角を全力で駆け抜けると、突き当たりに数人のスタッフが固まっているのが見えた。
「下がってろ!」
 俺は大声でスタッフをどかし、閉まっていた扉を蹴り開ける。
 ガンッ!
 勢いよく扉が開き、俺はそのままスタジオの中へと入っていく。スタジオ内は照明が点いていなかったため、薄暗くて状況がよく判らない。俺はまず明かりを点けようと、壁に沿って歩き、スイッチを探すことにした。
 …パリッ、
 何歩か進んだ時、足元からガラスの割れる音が聞こえた。よく見てみると床一面にガラスの破片が散らばっている。欠片を手に取ってみると、ガラスは照明の電球が割れたものだった。
 おそらく照明は全滅だろう、そう判断した俺はそのまま進んでいくことにした。すると奥からバラバラ…というガラス片が落ちる音と、何かが動いているのが見えた。
「ううっ…」
 急いで近付くと、置いてあったセットに覆いかぶさるように1人のスタッフが倒れていた。おそらく中に入っていったというのはこの人のことだろう。顔面血だらけだが、割れたガラスが刺さっただけで大事には至っていない。俺はスタッフを背負い、一旦スタジオから出ることにした。
「あ、キヨビン…?」
 その時、遅れていた水野がようやく到着、息を切らしながら俺の方に向かってくる。
「遅い。」
「う、スイマセン…。」
 まあこれだけの距離だ、水野には少しツラかったかもしれない。…自称「かよわい能力者」だしな。
「それより水野、ケガ人だ。俺はこのまま通路まで運んでくる、お前はそのままスタジオの中を調べててくれ。」
「了解です。」
 そう言って水野は自作のゴーグルを装着し、奥へと進んでいく。一見おもちゃのようなゴーグルだが、様々な機能が付いた水野自慢の一品だ。当然暗闇の中でも動けるようになっている。
 水野と別れた俺はスタッフを通路まで運ぶと、周りにいたスタッフに手当てを頼む。一応他にケガがないかを調べていると、田崎さんが慌てて駆け寄ってきた。
「塚山っ!」
「大丈夫、血は出ていますが軽傷です。気を失っていますので、手当てが終わったら安静に出来る場所で寝かせておいて下さい。」
「は、はい。」
 俺は田崎さん達が冷静さを取り戻したを確認し、スタジオの中へと戻る。水野のゴーグルから発せられる光によって、少しだけ明るくなったスタジオ内部を見回す。どうやら照明が割れた以外は大して被害は無さそうに見えた。
「どうだ水野、何か分かったか?」
「ん〜、置いてあったセットが少し壊れてますね。後は特に何も無いです。」
 水野がセットの一部をライトで照らすと、確かに何かで叩いたようなへこみがあった。
「…これが敵の仕業だとしたら、物理的な力は大したことないな。」
「そうですね。」
「…ん?」
 水野がそう答えた時だった。パリッ、というガラスが割れる音と共に、バシッィ、ドカッ!というラップ音がスタジオ中に響き渡る。
『大したコトないやとゴラア!?』
『…ざけんな』
 ハッキリと聞き取れる声が天井から聞こえ、俺達の前に怨念が姿を現す。
「出たか…」
 胴体は1つだが、胸の辺りから2つに分かれている姿の敵。その先にある2つの顔は確かに昔TVで見たことのある芸人の顔だった。
「何コレ、2体じゃないの?」
 まるで奇形児のような敵の姿に嫌悪感丸出しの水野。すると2つの顔が水野を睨み、一気にまくし立てる。
『何やこのガキ?やんのかオラ!?』
『…コロス』
 さすがは芸人の怨念、ここまで喋りまくる敵は初めてだ。俺もまさか怨念にここまでインネンを付けられるとは思ってもみなかった。…が、今回はケンカを売る相手が悪すぎる。
ブンッ、俺は懐からナイフを取り出し、霊気の剣を造り出す。同時に水野も中世のピストルを模した魔導具を腰から抜き、標準を合わせる。
『アカン、こいつらヤバイ!』
『…クソ』
 2人が取り出した武器を見た怨念は突然急降下を始め、床に散らばっていたガラス片を巻き上げる。
『ええか、お前らの好きには絶対にさせへんぞ!』
『…ブチ壊す。』
 怨念は俺達の強さに気付いたのか、捨て台詞を残してそのまま床へと消えていった。

「…ふう、逃がしちまったな。」
「ヤな感じ。」
 それぞれ手にしていた武器を収め、怨念が去ったスタジオを見渡す俺と水野。思わぬ奇襲を食らったが、敵は予想していた通りの強さでしかなかった。
「掃除、大変そうですね。」
 そう言いながら足元に散らばったガラスに目を向ける水野。一方の俺は怨念が逃げる際に漏らした言葉が気になっていた。
「…アイツら、俺達がやろうとしていることを知ってるような口調だったな。」
「もしかして見てたんじゃないですか?」
「そうだとしたらマズいな…」
 急いで戻った方がいいかもしれない、そう思っていると、誰かがこちらに向かって走っている音が聞こえてきた。
「片瀬さん、いますか!?」
 通路から聞こえてきたのは田崎さんの声だった。
「はい、2人ともここに。」
「大変です!今度は第1スタジオに出たという連絡が!」
「ちっ、やっぱりか!」
 嫌な予感が的中する。敵は俺らのいない間に第1スタジオをメチャクチャにする気だ。 
 …あんなふざけた怨念にいいように振り回されてたまるか!
 俺は再度舌打ちをすると、ダッシュで第1スタジオへと向かった。
「また走るんですか〜?」
 後ろから水野の情けない声が聞こえてくるが、今回はしっかりと俺についてきていた。
「ここは右だよな!?」
「はいっ」
 階段を下り、お互いに道順を確認しながら走り続ける2人。やがて「第1スタジオ↓」と書かれた張り紙を発見、俺はラストスパートをかける。しかしすでにスタジオの中からは何かが激しくぶつかり合うような音が聞こえていた。

 ダンッ!
 スタジオ内へと踏み込んだ俺の足音が辺り一面に響く。
「…っ!?」
 さっきまで聞こえていた音は消えていたが、代わりに異様な光景が俺の目に飛び込んできた。スタジオに置かれていた物という物が浮かび上がり、ユラユラと揺れている。そしてその下ではセットの移動を頼んだスタッフが全員どこかを押さえながらうずくまっていた。
「な、何コレ…」
 少し遅れて入ってきた水野も思わず言葉が詰まる。と、その時、浮かんでいたイスが動き出し、倒れていたスタッフの背中をめがけて飛んでいく。
「ぐわあっ!」
 鈍い音とスタッフの悲鳴が重なって聞こえる中、ぶつかっていったイスが再び浮かび上がり、元の場所に戻る。
『ギャハハハッ!どうや、ワシらの強さが分かったか!』
『…フッ』
 浮かんでいたセットの奥から声と共に怨念が現れる。
『おっと、少しでも動いてみぃ、このゴミ共の命は無いで。』
『…ミナゴロシだ』
 懐に手を入れる前に釘を刺される。見ると水野も腰に手をかけたところで止まっていた。
「…ねえキヨビン、何かコイツら強くなってない?」
 水野が小声で話しかけてくる。
「ああ、俺も今そう思ってた。」
 強くなったと言ってもたかが知れている程度だが、さっき出合った時よりは明らかに力が増していた。もちろんこの状態からでも敵を倒すことは出来るのだが、今は真下にいるスタッフの安全が第一だ。
「ったく、中途半端な強さだぜ。」
『ああ〜ん?何か言ったかコラ!ここにおる芸人の怨念が集まれば怖いものなんてあらへんのじゃ!』
 …このスタジオに溜まっていた負の念を吸収した、という訳か。
 戦局的には少々厄介になったが、裏を返せば敵を一気にまとめて倒すチャンスでもある。そう考えた俺はこの状況を打破するため、頭の中にあった作戦を実行に移す。
「水野、スタッフ全員を守れるようなアイテムってあるか?」
「はい、銃の横にあるこの小ビンなら全員を包むくらいの結界が張れます。」
 そう言って水野はチラリと腰の辺りを見せる。
「よし、俺は今から竜巻で浮かんでる物を吹っ飛ばす。その前に水野はスタッフに結界を張ってくれ。」
「はい。」
 バッ、俺は水野が返事をすると同時に両手を重ね、前に突き出す。そして左右それぞれの手に質の異なる風の気を集め、目の前の空間で反発させ合う。
『な、何やらかす気かは知らへんが、そうはさせへんで!』
『…行け』
 ヒュッ、ビュンッ!
 敵の言葉が合図になり、それまで宙に浮かんでいたセットが俺を狙って飛んでくる。しかしその動きは途中で止まり、俺の造り出した風によって少しづつ押し戻されていく。
「キヨビン、こっちは終わったよ!」
 敵の視線が俺に向けられている間にスタッフの元へ向かっていた水野が声を上げる。
「でかした水野!」
 俺は結界が張られたことを確認し、それまで抑えてきた風の気を放出させる。
 ゴオオオォォッ!
 両手から放たれた気は竜巻へと姿を変え、浮いていた全てのセットを飲み込んでいく。
『何やコイツ、バケモンや!』
『…チッ。』
 敵は竜巻を避けようと慌ててスタジオの天井へと逃げていく。しかしその動きを読んでいた俺は瞬時に霊剣を造り出し、すでに天井へと跳び上がっていた。
「はあっ!」
 ヒュン、ズシャッ!、横一文字に放った斬撃が決まり、敵の胴体を真っ二つに切り裂く。
『ギヤアァァッ!』
 重なり合った2つの悲鳴がスタジオ中に響き渡り、半身を失った敵は急激に力を弱めていく。
「おっと、このまま消えられるとまた厄介なことになるな。」
 そう言って俺は1枚の呪縛札を取り出し、怨念に張り付けた。

  ・

『ちくしょう、離せコラァ!』
『…解け。』
 ケガを負ったスタッフの手当ても終わり、元の作業へと戻った俺達。その横には札を張られ、身動きが取れなくなった怨念が騒ぎ続けていた。身体はもう完全に消え、残っているのは首から上だけだったが、そのうるささは全く変わっていない。
「何で頭を残したかな〜?」
 水野が迷惑そうな顔をこちらに向ける。
「…スマン。」
 俺は返す言葉もなく、素直に詫びる。完全な消滅を防ぐためとは言え、札を頭に張ったのは間違いだった。
 田崎さんに説明した時にも話したが、怨念というのは完全に消えることは無い。もちろんこの怨念も例外ではなく、このまま放っておけば再び他の怨念を吸収して悪さをするようなことも十分に考えれる。俺はそうならないように呪縛札を使ったのだが…
『離せ〜!、ワシらが何したゆうねん!』
「十分に迷惑かけたでしょ!あ〜もう、うるさいな〜」
 …こんな状況だ。
「ねえ、何とかしてよ〜。これじゃ集中して仕事出来ないって。」
「…ふう、仕方ないな。」
 俺はそう言って怨念に近付く。
『何や、やるんかコラ!?上等や、こちとら手足が無くとも芸人の根性で―』
 バゴッ!、霊気を込めた拳が炸裂、怨念を黙らせる。
「これでいいのか?」
「オッケーです。さ、お仕事お仕事〜♪」
「よし、やるか。」
 スタジオの反対側では田崎さん達が散らばったセットを集め、運び直している。幸いスタッフは全員軽いケガで済み、早くも作業に復帰していた。
「それじゃ始めるぞ。」
「はい。」
 気を取り直し、俺と水野は霊気の道を造る準備に入る。まず周囲の浄化をするため、水野が気を集中する…が。
『おいコラ、今のは卑怯や!もう1回勝負や、今度はやられへんで!』
 これが芸人の根性なのだろうか、何と怨念が目を覚まし、それまで以上に騒ぎ始める。 かなり強めに殴ったはずなのだが…
「あ〜もう!」
 その声にガクッ、と膝から崩れる水野。同時に集中していた気も途切れてしまう。
「キヨビン〜!」
「…スマン。」

  ・

 その後も怨念は持ち前の芸人根性(?)でことごとく復活し、その度に作業を中断させられていた。さすがにこれ以上強く殴ると完全に消えてしまう恐れがあるため、どうすることも出来ない。せめて「霊を黙らせる札」的なものがあればいいのだが、そんな状況を想定したアイテムは2人とも持っていなかった。
「ちくしょう、いいか水野っ、今度は成功させるぞ!」
「はいっ!」

 …こんなやり取りをもう何回繰り返したのだろうか、そんな時だった。
『し、しもうた、もうネタがあらへん!』
『…ぐ』
 すでに罵声や挑発で気を乱すことの無くなった俺達に対し、得意のネタで邪魔をしていた怨念。だがどうやらそれも全て使い切ってしまったようだ。
 …よし、今ならいける!
 そう確信し、俺は迷うことなく壁に向かって霊気を集中させる。するとその直後、水野が周囲の浄化に成功。周囲を流れる空気が清々しく澄んだものに変わる。
「キヨビン、後はお願い!」
「任せとけ!」
 水野の声を受け、俺はそれまで溜めていた霊気を一気に解き放つ。
 パアアァァッ!…ピキッ、パリパリッ!
 俺の手を離れた霊気は青白い光となり、壁の手前で激しく輝き出す。そして次の瞬間、空間が裂ける乾いた音が鳴り響き、気の通り道となる霊道が少しずつ広がっていく。

「…ふう。」
 俺は霊道の広がりが軌道に乗るのを確認し、大きく息を吐く。霊道はすぐにその効力を発揮し、スタジオ内に溜まっていた負の念や悪い気を正常な流れに戻し始めていた。
「やったね、キヨビン!」
「ああ、やっと終わったな。」
 周囲の空気が澄んでいくのを肌で感じ、ようやく事態が解決したことを実感する2人。ふと時計に目を向けると、時刻はすでに深夜0時を回っていた。
「もうこんな時間か…」
 もっと早く敵の正体や状況を把握していればここまで時間はかからなかっただろう、俺は社長の「今日中には帰れないかも」という言葉通りになってしまったことに少しだけ悔しさを感じていた。
「…おっと、敵と言えばまだコイツらがいたか。」
 そう言って俺は視線を怨念に向け、ゆっくりと近付いていく。スタジオ内にこもっていた念や気が霊道に流れていく中、芸人の怨念だけは頭に張られた呪縛札のおかげで何とかその場に残っていた。
「そういやさっきまで札を剥がせって騒いでたよな?希望通り剥がしてやるぜ。」
「うわ、何か悪役っぽいセリフ〜」
「…あれだけ暴言を吐かれたんだ、これくらい言わせろよ。」
「あ、やっぱりムカついてた?」
「当たり前だろ、俺はそこまで人間が出来ちゃいねえよ。途中からほとんど放送禁止用語で罵られたんだぞ?」

 …さすがにあの言葉責めはツラかった。今までにも戦いの中で精神的なダメージを負ったことは何度もあったが、こういうケースは初めてだった。
「私も結構言われたけど、キヨビンはホントにひどかったからね〜」
「あれで快感を得れるような変態さんならよかったんだが、あいにく俺はそんなキャラじゃないんでな。…さて、と。」
 ピッ、俺はそこで話を中断し、勢いよく札を剥がす。するとそれまで怨念をつなぎ止めていた力が消え、一気に霊道の流れに飲み込まれていく。
『ひいぃ、アカン、吸い込まれる!?』
『…くっ』
 怨念は一応の抵抗を見せるが、次々と流れてくる他の気に巻き込まれ、ついにスタジオから姿を消す。もし何かのきっかけで再びあの芸人の想いが怨念となって現れても、もう悪さをする程の力を持つことはないだろう。

「…終了、だな。」
「あ〜、長かった。」
 水野がペタンと座り込む。
「お2人ともお疲れ様です。こっちもようやく終わりましたよ。」
 俺達の様子を見ていたのか、ちょうどいいタイミングで田崎さんが駆け寄ってくる。
「そうですか、それはよかった。…水野、ホラ立て。」
「は〜い」
 水野が立ち上がり、俺の横に並ぶ。
「それでは田崎さん、これから依頼の完了報告を行います。一応決まりなんでしっかり聞いて下さい。」
「はい。」

  ・

 形式的な完了報告を終え、俺と水野は荷物をまとめて帰る用意を済ませる。
「…それでは田崎さん、これからもセットの置く場所には気を付けて下さい。」
「ええ、肝に銘じておきます。」
 俺達は最後にもう1度スタジオ内をチェックし、異常がないことを確認してから田崎さんに別れの挨拶をしていた。
「これで年末の特番が録れますね。」
「はい、今からセットを組めば明日には収録が出来ます。本当に助かりました。」
「頑張って下さいね。番組、楽しみにしてますから。」
「ありがとうございます。その言葉、製作者にとって一番励みになりますよ。」
 と、そこで田崎さんは何かを思いついたように両手をポン、と叩く。
「そうだ、これから撮る番組のスタッフロールにお2人の名前をスペシャルサンクスとして入れるというのはどうでしょう?」
「ええっ?」
「いいんですか〜?」
 全くの想定外のことに思わず声を上げる俺。一方の水野は欲しかったおもちゃを目の前にした子供のように目を輝かせている。どうやらもう名前が載った気でいるようだ。
「おい水野、俺達はあまり名前を知られちゃマズいってことぐらい判るだろ?」
 そう言って俺はやんわりと断ろうとする。本当はこの程度なら問題はないかもしれないが、個人的に自分の名前が出るというのが嫌だった。
「大丈夫ですって、それよりTVに名前が出るなんてそうあることじゃないんですから、ここは素直にオッケーしましょうよ〜」
 …いや、俺も水野もいつTVに出たっておかしくないぞ。ニュースの容疑者扱いでならすぐにでも顔入りで全国デビューだ。
 俺はそう言おうとしたが、純粋に感謝の意味で提案してくれた田崎さんの気持ちを考慮し、その案を受け入れることにした。
「…そうだな。それではすいません田崎さん、お言葉に甘えさせてもらいます。」
「そんな、こちらからお願いしたんです、片瀬さんが頭を下げることはありませんよ。」
 穏やかな笑顔で答える田崎さん。こうして2人の名前が番組の最後に流れることが決定。「出来れば目立たないように…」という俺の意見は水野に却下され、プロデューサーである田崎さんの後に堂々と名前が出ることになった。

  ・

「それにしてもよかったねキヨビン。」
「ん、名前のことか?」
「うん!これでみんなに自慢できるね〜」
「…俺はしないけどな。」
「またまた、そんなこと言って〜。本当は嬉しいんじゃないの?」
 俺と水野は「入口まで送る」という田崎さんの言葉を丁重に断り、2人で駐車場へと向かっていた。田崎さんは残念がっていたが、すでに修羅場と化したスタジオ内を見てしまっては俺達としても断るしかなかった。
「田崎さん、いい人だったね〜」
「ああ、そうだな。」
 それでも田崎さんは別れ際に「今度必ず遊びに来て下さい、その時は局の最上階にあるレストランで食事でもご馳走しますから。」と言い、いつの間に用意したのか俺達2人にVIPパス(どうやらこの局にある全ての施設がタダで利用できるようだ)を渡してくれた。
「ああっ、キヨビン!」
 ちょうど車の前に着いた時だった。いきなり水野が大声を上げる。
「どうした?そのパスで何か食いたい、って言ってもまだどこも開いて…うおっ!?」
 そこまで言ったところで俺も驚いて声を上げる。全く車を見ていなかったので気付かなかったが、俺の車のボンネットには無数の花束が置かれていた。
「…田崎さんか。」
 急いで用意させたのだろう、花はどれも大物芸能人の楽屋に置かれているような豪華なものだった。
「うわ〜、何かやることがギョウカイジン、って感じだね〜」
 水野はそう言って置かれていた花束に手を伸ばす。
「…ギョウカイジンか。そういやこの前も芸能関係の仕事をしたな。」
 俺は水野が抱えている花束から天高寺での一件を思い出していた。
「え?そんなの聞いてませんよ。」
「そうか、水野には話してなかったな。ちょっと前に宮内さんの手伝いでハイブリットのコウジ―」
「ハイブリット!?」
 その名前を聞いた瞬間、水野の目つきが変わる。もしかして俺は何かマズいことを言ってしまったのだろうか?
「しかも今、コウジって言いましたね!?…ああ〜っ!、この前の1周忌だ!」
 ヤバイ、俺はそこでようやく水野がハイブリットのファンだということを思い出す。
「依頼が来た、ってコトは何かあったんですね?何が起きたんですか?教えてくださいよ〜、っていうか言え!」
「分かった!、話すから落ち着け。とりあえず車に乗ってくれ、その話は運転しながらしっかりするから、な?」
「はい、乗りました!」
「はやっ!」
 何と水野はすでに助手席に座わり、シートベルトまでしていた。俺にはドアを開ける音すら聞こえなかったのだが…
「ほら、早く〜。教えてくれないんなら私が運転しますよ?」
「スマン、それだけは勘弁してくれ。」
 そう言って俺は慌てて運転席へと乗り込み、エンジンをかける。さすがにまだコウジに会いに行く訳にはいかなかった。

 …これはコウジの霊と会ったとかいう話はしない方がいいかもしれない。俺はそう思い、頭の中で上手く話を組み立てていく。
「ええっとだな、まずあの日の依頼は―」
 深夜の湾岸沿いを走り出した車の中、そんな始まり方で説明を始める俺。
 夜景の中を2人でドライブ、普通ならデート以外にありえないシュチュエーションなのだが…
「ちっくしょ〜、宮内のヤツ、私を誘えっつ〜の!」
 …これだ。




 間章 ―転機の夜―


 仕事を終え、会社に戻る頃にはすでに夜中の1時を過ぎていた。日付がかわり、今日は12月30日。誰が何と言おうと文句無しで年末だった。
「俺らには関係無いとはいえ、今年ももう終わりか。」
 そう呟き、1つ息を吐く。白い息の先に星空が広がり、俺は今がこの街で唯一空が澄む季節、冬だということを再認識する。空もそうだが、それ以上に俺は乾いた風の吹くこの季節が好きだった。

「それにしても…」
 視線を戻し、俺はついさっきまでの仕事内容を思い出す。
「あの依頼主には参ったな。」

 今日の仕事先はヤクザの組長の屋敷、依頼内容は最近起きた抗争によって死んでしまった組員の霊の退治だ。敵の数はあまり多くなかったが、生前は組の特攻隊として活躍していた者ばかりらしく、皆それなりに強い力を持っていた。中には日本刀を携えて現れる者もおり、戦っている姿はヤクザ映画そのものだった。…ただ決定的に違うのは場所もセットではなく、武器も演者も全て本物だということだが。
 その他にも戦いの場にいた組の人間と敵の見分けが付かず、危うく生身の人間を数人斬ってしまいそうになったりと、色々と大変だったのだが、一番の問題はその後だった。
 映画のような戦いに勝利し、仕事は無事終了。するとそれを見ていた依頼主の組長がやたらと感激し、いきなり俺を主賓とする大宴会に発展。しかしこれがいけなかった。その宴会の最中、俺が少しでもよそ見をしようものなら、芸をしていた若い組員に「客人を退屈させた責任を取れ!」と組長が激怒。目の前で小指を詰めさせようとするのを必死で止めると、今度はその組員による迫真の土下座。戦いの時以上に気の抜けない宴会となってしまった。
 やっと宴会が終わると、次に待っていたのは組長の娘さん。「嫁に貰ってくれ」と組長が頭を下げると、同時にその場にいた人間全員が深々と頭を下げる。娘さんも「ふつつかものですが…」と何故かその気になっていた上、いきなり布団を敷いた部屋に入れられてしまった。
 その後、俺は必死に組長を説得。ようやくこの時間になって帰ってこれた、という訳だ。
「娘さん、結構キレイだったな…」
 …いやいやいやいや、俺は邪念を頭から追い出そうと頭を振る。しかしその行為は大量のアルコールを摂取していた俺の具合を悪くさせるだけだった。
 重い頭に多少フラフラしながら歩くこと数分、ようやく俺は会社の前へと辿り着く。まさかここまで仕事が長引くとは思っていなかったため、色々と机の上に置きっぱなしにしていた。家のカギもその中にあり、俺は自分の部屋に帰るためにわざわざ会社に戻っていたのだ。

 ゴゴゴ…、
 エレベーターのドアが開き、目的の階へと着く。非常灯の明かりしかない通路は薄暗く、静かなビルの中で聞こえるのは自分の足音と自販機の機械音だけだった。
「…ん?」
 その時、俺はオフィスから微かに人の気配がするのを感じ取った。ドアが閉まっているので中の様子は見えないが、ウチの社員がこんな時間に明かりも付けずに残っている訳がない。そうなると考えられるのは事務所荒らしが妥当だろう、年末になると多くなると聞くし、特にここはカギも掛かっていない。ウチの会社は犯罪に対するガードが大甘なのだ。
 …仕方ねえな。
 俺はそう思いながらも静かにドアノブを握り、ゆっくりと捻る。そして少しの間の後、一気にドアを開け、素早くオフィス内へと入り込む。
 ガチャッ!
「おいおい、ドアはゆっくり開けるものだぞ、片瀬。」
「え…?」
 暗闇の中から聞こえてきたのはこの状況にはふさわしくない、ゆっくりと落ち着いた声だった。その声の主は暗い部屋の中、普段は誰も使うことの無い机に向かって何か書き物をしていた。
「神代さん…ですか?」
「やあ、久し振りだね。」
 そう言ってにこやかに笑い、俺に向かって軽く手を挙げたこの人物の名前は神代(かみしろ)さん。この会社で、いやこの世界でも最強と噂される能力者だ。

 …千年以上の昔から続く悪霊退治を生業にしてきた家系に生まれた能力者の中の能力者、それがこの神代さんだった。幼い頃からこの世界に身を投じ、その類稀な素質と能力に加え、経験をも兼ね備えた俺達のジョーカーだ。戦闘スタイルは剣術と呪符を中心とした法術のみ。古代から伝わる神道系の戦い方だが、その技はどれを取っても俺が太刀打ち出来るようなものではない。1つを極め、それを絶対の強さにする神代さん。俺が心の底から尊敬し、目標としている能力者である。
「調子はどうだい?がんばってる?」
「はい、何とかやってます。」
「そうか。」
「あの、神代さんは何でここに?」
 一応ここの社員という扱いにはなっているものの、神代さんが会社に顔を出すことはほとんどない。仕事内容も俺達とは別格で、聞くところによると皇居の中や全国にある大きな寺社を巡り、その土地を護るのが主な仕事になっているらしい。
「はは、僕もここの社員だからね、書くものは書かないといけないじゃないか。書類をまとめる橘君にも悪いし、何より僕だけ特別扱いされるのはよくないよ。」
 神代さんの机の上を見ると、何枚もの報告書が置かれていた。
「それでこんな時間に…?」
「まあね。これでも抜け出すのに苦労したんだ、少し遅くなったのは許してもらいたいな。」
 この時期、神代さんは皇居や神宮で行われる新年の行事の準備で忙しいはずだ。行事と言っても普通の人が元旦に見るようなものではなく、祈祷などの重要な儀式を取り仕切っている。それなのにわざわざ時間を作り、こうして書類の作成までしている神代さん。俺はその人の良さを改めて認識する。
「大丈夫ですよ、まだ提出してない人間が2人程いますから。」
 そう言って織原さんと三浦の机に目を向ける。そこにはまだ未提出の書類が積み重なっていた。
「相変わらずだね、彼らは。」
 少し呆れた様子の神代さん。しかしその表情はどこか楽しそうだった。
「…そうだ。話は変わるが、符術は上達したかい?」
 札を取り出すジェスチャーをしながら神代さんが聞いてくる。実は俺に符術の基礎を教えてくれたのはこの人なのだ。
「そうですね、かなり我流ですけど形代を使えるようになりましたよ。」
「ほう、確か前に会った時は召雷を覚えたばかりだったから…。すごいな、かなり上達したじゃないか。」
「ありがとうございます。」

 …形代(かたしろ)とは札に自分の気を送り込み、一時的に分身を造り出す高位の符術だ。ちなみに召雷は中位に位置する術で、形代よりかなり下になる。神代さんは上達したと言ってくれたが、それだけ会っていなかったというのもあるだろう。
「他の能力はどうだい?」
「はい、相変わらず色々と使ってます。」
「片瀬は型に捕らわれないからな。羨ましいよ。」
「何言ってるんですか、神代さんの方が凄いですよ。俺なんかじゃどう頑張ったって到達出来ない能力の持ち主なんですから。」
「…ありがとう。まあ僕にはこれしか無いからね。」
 いつだっただろう、神代さんは俺に『能力者として優秀と言われるより、人として普通の評価を得ることの方が嬉しい』と言ったことがある。当時の俺にはその言葉の意味が全く理解出来なかったが、最近になってようやく真意が掴めてきたような気がする。俺達は強くなればなるほど抱える物が大きくなり、同時に一般社会から遠ざかっていく。能力者としての成長、成功というのは人としてどうなのだろうか、と思うことは今の俺にでもある。それが神代さんのような人ならなおさら強く思うだろう。
「おっと、悪いな片瀬。どうやら少し気が滅入っていたみたいだ。…そんならしくない顔をするなよ。」
「あ、すいません。…それより神代さんにも気が滅入ることなんてあるんですね。」
「はは、当たり前だよ。誰だって82時間も炎の前で延々と祈ってれば気が滅入るさ。」
「…それ、普通の人なら死にますって。」
「まあそういうことで全然身体を動かしてないんだ。片瀬、よかったら下で少し相手になってくれないか?」
「ええっ、今からですか!?」
「そうだが?」
「だって神代さん、抜け出すのに苦労したって…。時間は大丈夫なんですか?」
「それなら問題はないさ。で、頼まれてくれるか?」

 …もうさっきまでの酔いは完全に醒めていた。目の前にいるのは俺の知っている限り最強の能力者、神代さん。今まで1度も相手をしてくれなんて言われたことは無かった。
「…俺でよければ。」 
 気付くと俺は自分でも不思議なくらい冷静な声でそう答えていた。いつかは手合わせを、と思っていたからかもしれないが、緊張や恐怖といった感情は全く出てこなかった。
 自分の力を試したい、俺は今どの程度まで神代さんと戦えるのかを知りたい。ただその思いだけが俺の中に強くあった。
「よし、それじゃあ片瀬は先に下に降りててくれ。僕はあと2枚だけ書類が残ってるんだ、それを書き終えたらすぐに行くよ。」
「はい。」
 俺はそう返事をすると、自分の棚にある中から最強と思われる装備を持ち出してオフィスを後にした。

   ・

 先に修行部屋に着いた俺はまず身体をほぐし、入念に準備を整える。
 …少しでもいい戦いにしたい、最低でも神代さんを失望させるような結果だけは避けなければ。
 俺はそう決意し、持ってきた剣に手を伸ばす。使うのは片刃の長剣。刀身は日本刀に似ているが、日本刀特有の波文が無く、握りの部分は西洋剣のような仕様になっている。この剣は寸法や造りを全て俺に合わせた特注品で、かなり無理を言って造ってもらった物だ。
 スッ…
 鞘から剣を抜き、両手から霊気を送り込む。
 すると剣は青白い光を発し、秘められていた霊剣としての力が目覚めていく。
「…」
 ダッ!、俺は全力で床を蹴り、そのまま一気に剣を振り切る。空気に対する抵抗を最小限に抑えた恩恵は大きく、普段使っている武器に比べて空を斬る音が格段に小さい。当然攻撃威力やスピードも増している。
 …ヒュッ、シュ、ヒュヒュッ!、俺は連続で斬撃を繰り出しながら突き進み、壁の前で反転する。
「はあっ!」
 その短い時間の中で俺は左手に炎の気を集め、体勢が整うと同時に放出。突き出した手から炎の渦が飛び出す。
 ゴオオオォォッ!、轟音と熱波が交錯し、辺り一面は炎に包まれる。普通ならビル全体が燃えてしまうところだが、この部屋にかかっている特殊な力により、すぐに炎は消えていく。

「強くなったじゃないか。」
「あ、神代さん…」
 いつから見ていたのか、ドアの前には神代さんが立っていた。その手には愛用の古代剣、儀式用の法剣が握られている。剣は鞘から抜かなくても一発で霊剣と判るだけの強力な霊気を発していた。
「準備はいいのかな?」
「はい、大丈夫です。」
 俺がそう答えると、神代さんはゆっくりと
 正面に立ち、流れるような動きで剣を構える。
「さあ、それじゃあやろうか。」
 言葉はいつもの優しい口調だったが、神代さんの全身から発せられる気は完全に戦闘態勢に入っていた。当然ながらその構えに隙はない。
「…くっ」
 俺も何とか剣は構えたものの、ケタ外れの力量を持つ神代さんに対して何も出来ず、ジリジリと後ろに下がってしまう。得意の素早い斬り込みで自分のペースを作りたいのだが、どうしても神代さんの間合いに入ることに躊躇してしまう。
「…どうした片瀬、別にこれは真剣勝負じゃないんだ。自分の戦い方をしてみろ。」
 そんな俺の心境を察したのか、神代さんはそう言って受けの体勢に入る。それは明らかに俺の攻撃を誘うものだった。
「分かりました。…全力でいきます。」
 さすがにそこまでされては俺も攻めるしかなかった。だがそれは生半可な攻撃ではなく、それ相応の力と覚悟を持ったものでなければいけない。神代さんはそれを望んでわざわざ防御に回ったはずだ。
「たあっ!」
 俺は気合を入れると同時に風の気を剣に集め、正面から一直線に攻撃を仕掛ける。しかしそのまま斬り合いに持っていこうとは考えていなかった。
 ブンッ!、あと数歩でお互いの間合いに入るところで俺は大きく剣を振り、巨大な竜巻を造り出す。すると空気を吸い込もうとする力によって目の前の空間が歪み、その反動でさらに空気の刃が無数に発生。竜巻と一緒に神代さんへと飛んでいく。
 ダッ、俺はその後方から大きく飛び込み、接近戦を挑もうと斬りかかった。竜巻と空気の刃はかなり広い範囲を巻き込み、その中心にいた神代さんを包み込む。これである程度の動きを止め、斬り合いに持ち込めれば…、俺はそう思っていた。
 ザッ!、神代さんはそんな俺の攻撃に対し、剣を床に突き刺して全身に気を溜め始める。
「はあぁっ!」
 叫びに近い声を上げ、瞬時に集めた気を放出する神代さん。すると全身から発せられた気が空間を震わせ、衝撃波となって俺が放った竜巻と刃をかき消していく。
「ッ!?」
 衝撃波は俺にも届き、飛びかかろうとしていた体勢が大きく崩れる。それでも俺は何とか斬撃を放とうと、バランスを失ったまま剣を振る。
 ヒュッ、ビシィィッ!
 俺と神代さん、お互いの剣が激しくぶつかり合い、霊剣特有の乾いた音が鳴り響く。だが防御に回っていた神代さんと攻めていた俺とでは相殺という結果の意味合いが大きく違っていた。
 ダッ、ビュンッ!、すぐに反撃の体勢を取り、閃光のような斬撃を放つ神代さん。その攻撃は早いだけでなく、重い上に確実な命中精度を誇る。
 シュッ、ヒュン、パシッ、カアァンッ!
 刺突から横への薙ぎ払い、そして斬り返しと連続で繰り出される攻撃を何とか回避する俺。今のは体勢の良し悪しもあったが、やはり剣での真っ向勝負では神代さんに分がある。そこで俺は法術を織り交ぜて戦う手段を取り、剣での近距離攻撃と術での遠距離攻撃を変則的に行うことにした。
「たあっ!」
 ヒュン、スッ、ヒュッ、ゴオオォッ!
 俺は高速で相当数の斬撃を打ち込み、最後に特大の火炎球を飛ばす。
 ボオオォォッ!!、炎は俺と神代さんの間で爆発し、熱気を含んだ爆風が吹き荒れる。

 …今の攻撃が当たったとは思えない、おそらく神代さんはこの爆炎の奥から俺を狙っているだろう。
 俺はそう考え、全神経を炎の奥へと集中させる。それと同時に俺は懐から攻撃札を数枚取り出し、素早く扇状に広げる。札は召炎、雷激、土竜の3種。異なる属性を組み合わせることにより、威力を飛躍的に高める符術の高等テクニックだ。術者に求められる能力と負担は大きいが、今の俺に出来る攻撃の中でこれ以上の威力を持つ術は無い。かなりオッズの高い賭けだが、これに全てを託すしかなかった。
 …どこだ、神代さんはどう攻めてくる?
 決して外すことの出来ない攻撃のため、俺は必死で神代さんの気配を探る。
「!、そこだッ!」
 俺から見て左上部、右利きの人間にとって一番反撃しにくい方向から神代さんは攻めてきていた。上手く煙に紛れているが、俺はその微かに発せられる気配をしっかりと感じ取っていた。
「いけっ!」
 手にしていた札に念を込め、俺は迷うことなく煙の奥へと飛ばす。すると次の瞬間、俺の目には剣を振りかぶった神代さんの姿が映っていた。それはまさに一瞬の差、もし俺の動きがもう一呼吸遅ければ完全に負けていただろう。しかし今、その僅かな時間の差を制したのは神代さんではなく俺だった。
 ゴアアァァッ!、札はそれぞれ秘められていた力を発揮、炎と雷が絡み付いたことで威力を増した土の竜が神代さんを襲う。
 ドムッ、ボオォッ、バチィッッ!
 俺の放った攻撃は見事に直撃し、轟音に混じって土石と閃光が周囲を飛び交う。
「まだまだぁっ!」
 この絶好の機会を逃すわけにはいかない、俺はたたみかけるように両手から火炎球や風の刃を連続して打ち込む。再び起こった爆発で神代さんの姿は見えなくなっていたが、一度感じ取った気配を探り、的確に追っていく。
 …だがそれも長くは続かなかった。
「何っ!?」
 フッ…、と急に神代さんの気配が消え、俺の放った攻撃が煙の中を素通りしていく。
「ど、どこだっ!?」
 慌てて手を止め、俺は肉眼と神経の両方で確かにさっきまでそこにいた神代さんの姿を探す。
「…形代だよ。」
 上に跳んだか?と思い、天井を見上げた時だった。耳元から神代さんの落ち着いた声が聞こえ、同時に背後から強大な霊気の高まりを感じた。
 …だめだ、やられる。
 俺は自分が絶望的な状況に立たされていることを察し、その恐怖感からか目の前が真っ暗になってしまった。
 ヒュンッ、ズバアァッ!
 剣が空を斬る音が聞こえた後、ワンテンポ遅れて肩口から全身にかけて衝撃が走る。痛みを感じたのはさらにそれから少し時間を置き、床に叩き付けられた時に一気に訪れた。
「うああぁッ〜!」
 激痛、なんて言葉では済まされない痛みに一瞬意識が飛ぶが、神代さんの斬撃は一度床にぶつかった程度で勢いが弱まることはなかった。俺はそのまま床を転がり、壁に強く打ち付けられたことで意識が戻る。
「ぐ…」
 ザクッ、俺は剣を杖代わりにして何とか立ち上がり、ぼやける視界と意識の中で必死に神代さんの気配を追う。
 …まだだ、まだ戦える…
 そう何度も繰り返し、自分に言い聞かせるようにして剣を構える俺。するとそこへ神代さんが姿を現し、ゆっくりと近付いてきた。
「片瀬、君は本当に強くなった…。精神的な部分というのはそう簡単には変われない、それを君はこんなにも早く壁を越えたんだ。」
 神代さんはそう言いながら俺の正面に立ち、
 剣を構え直す。
「さあ、次で勝負をつけよう。肉体的にはボロボロかもしれないが、一定の強さを持った者同士の戦いにおいて一番重要なのは精神力なんだ。片瀬にはそれを肌で感じ取ってもらいたい。」
 精神力が重要…、そんなことは十二分に理解しているつもりだった。だがよく考えてみると、今までの戦いにおいて俺はそこまで追い詰められたことが無かったように思える。
 それは運のいいことなのかも知れないが、これからもそうだとは限らない。もしかして神代さんはそれを見抜き、こうして身を持って教えようとしているのか…?
「…くっ」
 剣を持っただけで肩の傷が開き、思わず手を離しそうになる。だが俺は何とか剣を握り、臆することなく神代さんの間合いに入っていく。幸い霊力にはまだ少しだけ余裕があり、法術・符術を放つことは可能だった。勝負をつける、と言うからには剣のみで挑みたかったが、潔いと玉砕は違う。俺は自分なりの戦い方、ベストだと思われるスタイルで勝負することを選び、目の前に立つ最強の能力者に最後の攻撃を仕掛けようと動き出す。
 スッ…、剣先を神代さんに合わせ、刀身に添えていた左手に風の気を集中。先程の広範囲をカバーする竜巻とは違い、力を一点に凝縮させる「風突」という術を放つ。
 スパアァンッ!、銃声に似た音が響き、圧縮された空気の固まりが神代さんを襲う。俺は音速に近い風突を使い、攻め入る隙を作ろうと考えていた。この身体では連撃を打ち込んでも競り負けることは必至、剣を振るのは勝負を決める最後の一撃のみにしなければならない。
「〜っ!」
 ブンッ、上体を横に大きく反らし、風突をかわす神代さん。しかし予想していた以上に早かったのか、僅かにだが軸足が揺らぐ。
 …今だ!
 ダッ、ヒュンッ!、俺はその一瞬を見逃がすことなく飛びかかり、一切の躊躇もなく剣を振る。
「っ!?」
 すでに俺は神代さんの懐にまで達し、その身体を完全に捉えていた。だがそこで俺の見たものはスス…、と滑らかに動く両足と、待ち構えていたように繰り出される神代さんの斬撃だった。
 …そんな、まさ、か…
 ゆっくりと、本当にゆっくりと経過する時間の中、俺は斬撃の音を聞くことなく床に崩れ落ちる。
 …
 ドサッ、普通ならそんな音が聞こえるはずだが、これもまた音は全く聞こえない。まるで世界が静寂に支配されたかのような錯覚、それは死の前兆のようにも感じられた。

 …やばい、な。
 今自分が倒れている床が冷たいのか暖かいのか、固いのか柔らかいのか、俺はそんな感覚すら無くなっていた。そして次第に身体から力が、霊気が、そして生気が抜けていく。
 …そこで俺は完全に意識を失った。

  ・

 どのくらいの時間が経過したのだろう、まず初めに思ったことはそれだった。その前に確認すべきことはたくさんあったが、今の俺にはまだそれらを順序良く並べて解決するだけの余裕はなかった。
「…!」
 ガバッ、俺は意識が戻っていることにようやく気付き、慌てて身体を起こす。不思議と身体に痛みはなく、何なら至って元気なくらいだった。周囲を見渡してもさっきまでの戦いの痕跡は消えていて、この部屋に入ってきた時と変わらない光景が広がっている。
「気が付いたか。さすがは片瀬、回復も早いな。」
「神代さん…」
 俺の斜め後方、神代さんは壁に背を預けて座っていた。手には俺の剣を持ち、窓から差し込んできた月明かりに刀身を照らしている。
「…いい剣だ、特注品かい?」
「は、はい…」
「片瀬ならもっとこの剣の力を出せるはずだ、これからも大事に使ったほうがいい。」
 そう言って神代さんは俺に剣を手渡す。
「あの、俺はどのくらい気を失ってたんですか?」
「そうだな…、20分ってところかな。」
「すいません、この後も色々と予定があるのに…」
「大丈夫、時間に関しては何ら問題ない、初めにそう言っただろ?…それに動きたくてもまだ動けないんだ。」
 ほら、と言わんばかりに神代さんは脇腹を指差す。見るとそこは炎で焼けただれ、大量の血が流れた跡があった。
「こんな傷を負ったのは久し振りだよ。」
 ケガの度合いは決して軽くはないように思えたが、どこか楽しそうな口調で話す神代さん。よく見てみると癒しの術を使った後らしく、傷口はすでに塞がりかけていた。
 そうだ、俺もかなりの傷があるはず…。そう思い、自分の身体を触ってみるが不思議と傷は見当たらない。
「ああ、片瀬のケガはもう治したよ。」
 俺の様子を見た神代さんが口を開く。
「そうですか…。すいません、本当にありがとうございます。」
「おいおい、その傷を負わしたのは僕なんだぞ?君が謝ることはないさ。」
 神代さんはそう言うとスッと立ち上がり、少し真面目な表情で俺を見る。
「それにしても片瀬は戦い方が上手いな。自分の力を把握しているだけじゃなく、相手に合わせた戦法の切り替えが的確に出来ている。やっぱり君はすごいな、僕の若い頃とは大違いだ。」
「…それはいくら何でも褒め過ぎですよ。俺は神代さんがそこまで言うだけの強さを持っているとはどうしても思えせん。」
「片瀬、僕は過大評価も過小評価もしない。それは君も知っているはずだ、違うかい?」
「そ、それは…」
「いいか、君は強い。このまま成長していけばいつか僕を追い越すだろう。」
 そこで神代さんは一呼吸置き、より真剣な表情に変わる。
「…だから気を付けろ、君はここまで強い力と多くの潜在能力を持っているのにも関わらず、能力者として何かが足りない。」
「何か…ですか?」
「ああ、それが何なのかは僕にも解らない。だが今の片瀬には能力者として大事なものが1つ欠けているように感じてならないんだ。…片瀬、君は自分の内面をもっと鍛えた方がいいかもしれない。これは僕の憶測だが、そうすることで自分から足りないものが見えてくる、判ってくるんじゃないかな。そうすれば君は本当の強さを、能力者としての強さの定義、真意を知ることが出来ると思う。」
「…」
 俺はどう受け答えればいいのか判らなかった。本当の強さ、定義、真意…、その全ての語句が重くのしかかり、見えない壁に行く手を阻まれているような感覚が広がっていく。
「済まない、少し難しく言ってしまったかもしれないな。要は『しっかりと今を生きること』、それさえ覚えておけば片瀬はきっと気付くさ、僕が保証しよう。」
「は、はい…」
 一応は頷くものの、まだしっかりと神代さんの言葉を捉えきれていない俺。だがそれでも神代さんは満足したらしく、いつもの穏やかな顔に戻っていた。
「まあ『解った時が気付いた時』ってやつだな。あまり考えすぎると気が滅入るだろうから、頭の片隅に置いておく程度にしておくといいさ。…それじゃあ傷も治ったことだし、僕はそろそろ行くよ。」
「あ、それじゃあ送ります…よ?」
 そう言って俺が立ち上がった時にはもう神代さんの姿は無く、そこには空間を歪ませた形跡があるだけだった。
「そうか、神代さんも空間移動が出来るんだもんな…」
 誰ともなしに呟く俺。神代さんとは次にいつ会えるのかが分からないため、別れの挨拶はしっかりとしておきたかったのだが…
「ま、仕方ないか。」
 俺はふう、と軽く息を吐き、諦めを付けて修行部屋を後にする。だがどうしても神代さんに言われたことが頭から離れず、使った道具をしまうために上の階へと向かう間、ずっと自分なりに見解を出そうと考えていた。

  ・

「…」
 自分の机に戻り、俺は一通りの手入れを終わらせる。しかし頭の中では思考の堂々巡りが終わることなく続き、あまり考えすぎると気が滅入る、という神代さんの言葉通り、遺憾なく気を滅入らせていた。
「しっかりと今を生きる、解った時が気付いた時…か。」
 俺はとりあえずこの2つの言葉を頭の片隅に留めておくよう自分に言い聞かせ、それまでの思考を切り替えるようと勢い良く席を立つ。
 日付は変わり、今日は12月31日。それは俺にとって大晦日以上に重要で大切な「来年からの目標」が出来た1日となった。




 第3章 ―悲しみの少女―


 新しい年が始まり、もう4日が過ぎていた。
「…ヒマですね、宮内さん。」
「…ああ。」
 俺はそれまでパラパラとめくっていた雑誌を机に放り投げる。あまりの退屈さに水野の机に置いてあったファッション雑誌を読んでみたのだが、興味を惹くものが全くなく、5分と経たないうちに読む気が失せていた。
「…ふああぁ〜〜」
 応接用のソファーで横になっていた宮内さんが大きなあくびをする。するとそれにつられて俺も思わずあくびが出てしまった。
 大晦日から元旦、そして今日になっても仕事の依頼は1件も来ていない。正月がヒマなのは毎年のことなので、今このオフィスにいるのは俺と宮内さんの2人だけ。社長を始め、社員の大半は帰郷中である。そのため特に予定もやることも無かった俺達2人がこうして元旦から出勤し、仕事をすることになっていたのだが、なんとまさかの依頼ゼロ。いつもはそれでも1〜2件は仕事が来るのだが…

「あ〜あ、それにしてもヒマだな。」
「ですね。」
「何か面白い話でもないのか?」
「もうないですよ。」
 新年2日目から何度となく繰り返されている会話を始める2人。元旦は神代さんの話をしたり、今までにあった○○な依頼、というお題トークで盛り上がっていたが、3日目にはお互いネタが尽きてしまった。その後はトランプで時間を潰していたのだが、それもすでに限界。そんな非生産的な新年を過ごすこと4日、俺達の退屈度は頂点に達していた。
「トランプでもやります?」
 もちろん俺はやりたくないが、ヒマに耐えかねて一応聞いてみることにした。
「…いい。」
 予想通りの反応が返ってくる。2人大富豪は相手の手札が分かるので勝負にならず、2人神経衰弱は本当に精神力を削るだけに終わり、2人ダウトに至っては俺にAと2が4枚ずつ配られたため、始める前に辞めた…。そんなことを今日の朝方までやっていたのだから当然と言えば当然だろう。
「ですよね…」
 俺はそう言うと、俺はだらしなく椅子に座りながらぼんやりと天井を眺める。しばらくそうしていると、ソファーから宮内さんのいびきが聞こえてきた。
「うわ、また寝てる…」
 ヒマだと言いながらすぐに眠る宮内さん。これも今年に入ってからもう何度となく見てきた光景だった。

 どうしよう、俺も少し寝ようかな…。そう思った時、ガチャリというドアが開く音が鳴り、誰かが入ってくる。
「あ、片瀬君〜」
 甘いボイスと共に現れたのはなんと橘さん。休暇中のはずだが、服装はいつものスーツ姿に加え、普段はあまり手にすることのない鞄まで持っていた。
「あけましておめでと〜!、今年もよろしくね〜」
 橘さんはいつもの笑顔で新年の挨拶をすると、そのまま俺の机に向かって歩いてくる。
「おめでとうございます。…あれ?でも橘さんって確か明後日からの出勤ですよね?」
 机の上に置かれていた勤務表にはそう書かれていたはずだ。これはヒマな時に何度も見たので間違いないだろう。
「うん、そうだよ。今日は片瀬君に用があって来たの。」
「はい?」
 まるで告白するかのように頬を赤らめる橘さん。やはり今年になってもこういうところは変わらないようだ。
「んん、どうした片瀬〜」
 2人の会話が聞こえてきたのか、目を覚ました宮内さんがソファーから顔を出す。
「あ、宮内君だ。はろ〜」
「た、橘さん!?」
 予想していなかった人物に驚く宮内さん。その様子だと眠気は一気に醒めたようだ。
「今日まで2人だったんだよね。仕事の依頼は来たのかな?」
「いや、それが1件も…」
「ふ〜ん、今年は平和だね。…そうだ、とりあえずお茶でも入れよっか。」
 ちょっと待っててね〜、と言いながら橘さんはお茶の道具を取りに給湯室へ入っていく。

「…おい片瀬、どうして橘さんがここにいるんだ?」
 当然の疑問を口にする宮内さん。しかしそれは逆に俺が聞きたいことだった。
「さあ、詳しいことは分かりませんけど、何か俺に用があるみたいですよ。」
「片瀬にか…、何だろうな?」
 2人はしばらくそんなやり取りをしていたが、結局本人から説明してもらおうという結論に落ち着く。その後、お茶を持ってきた橘さんと3人でソファーに座り、俺は詳しく話を聞くことにした。
「橘さん、さっき言ってたことの続きなんですけど…」
「うん、実は片瀬君に手伝ってもらいたい仕事があるの。」
「え、でも依頼なんて来てませんよ?」
「ええっと、それなんだけどね、今回のお話は私のところに直接来た個人的な依頼なの。それでどうすればいいかを社長に電話で聞いたら「別に受けても構わない、何なら会社で暇そうにしている片瀬でも手伝わせろ。」って言われてここに来たんだけど…。片瀬君、手伝ってくれるかな?」
 なるほど、そういうことだったのか。俺は橘さんの説明を聞き、大体の事情を理解する。
「俺は全然構いませんよ、ただ…」
 そこで宮内さんをチラリと見る。
「ん?別にこっちは俺一人でも大丈夫だ、気にせずに行って来い。」
「あ、はい。それじゃあ橘さん、俺でよければお手伝いさせてもらいます。」
「ホント?、ありがと〜。宮内君もゴメンね。」
 パンッと手を合わせ、本当に申し訳なさそうに宮内さんを見つめる。
「いや、その、謝る程のことじゃないっスよ。社長公認ですし。」
 少し照れながら答える宮内さん。やはり橘さんには弱いようだ。

「橘さん、早速ですけど依頼内容を詳しく聞かせてもらえますか?」
 手伝うことになった以上、俺も仕事の中身を知っておく必要がある。そのため少しでも早く最低限の情報を頭に入れておきたかった。
「うん、そうだね。まず依頼者は私の高校時代のクラスメート、今はそこで先生をしてるの。で、今から行くのもそこね。」
 その言葉を聞いた時、なぜか宮内さんがピクッと反応する。
「私の母校ってすごく古くて、悪霊とかも結構出ちゃうんだ。在学中は定期的に退治してたけど、卒業してからは全然行ってなかったの。多分それも理由の1つなのかな、友達の話だと最近急に不思議なことが起こるようになったみたい。で、私に相談をしてきた…という訳。被害状況とかともっと詳しいことはあっちに着いてからその友達に話してもらおうと思ってる。…とりあえず簡単に説明するとこんな感じかな。」
「そうですか、大体の事情は判りました。じゃあすぐに出発しましょう、移動は俺の車でいいですよね?」
「ありがとう、そうしてもらえると助かるな。…あ、そうそう。出発する前に連絡するように言われてたんだ。ちょっと電話してくるね。」
 橘さんはそう言って自分の机に向かい、電話をかけ始める。
「おい、片瀬。」
 ポンポンと肩を叩き、それまで黙っていた宮内さんが俺を呼ぶ。
「何ですか?」
「お前、橘さんの母校知ってるか?」
「いえ、全然知らないです。」
「横浜の聖・マリア女学院だぞ。」
「ええっ、本当ですか!?」

 俺が思わず聞き返した聖・マリア女学院というのは日本で1番古いミッション系の女子高だ。同時に日本最強のお嬢様学校としても知られ、俺には後者の印象の方が強かった。
授業科目に茶道や生け花があり、昼食は高級フレンチ…、そんな噂を高校の頃によく耳にしていた。まあそれは妄想の産物でしかないだろうが、橘さんがそこの卒業生だというのには正直驚いた。
「凄いだろ?」
「はい。学生の時に色々と噂が流れていたのを思い出しましたよ。」
「はは、そういや俺らの頃もあったな。」
 笑いながら話す宮内さん。どうやらこの手の噂はどこにでもあったようだ。
「…ん?おい片瀬、今思い出したんだが、お前あの学校に入ってもいいのか?」
「…う」
 そうだ、これから向かう場所は女子高、しかもミッション系のお嬢様学校だ。果たして俺なんかが入っても大丈夫なのだろうか?
「もしかして女装しなきゃいけなかったりしてな。」
 今回は完全な部外者のため、笑いながら適当なことを言う宮内さん。
「…身長が182もあって筋肉質の女ですよ?普通に入るより問題ありますって。」
「はは、でもそれで何も怪しまれることなく女だって思われたりしたら面白いよな。んで成り行きで更衣室なんかに入ることになって、そこで男だってバレて大変なことに!」
「大昔のマンガじゃないんですから。そんな世代のギャップを感じさせること言わないで下さいよ。」
「スマンスマン、冗談が過ぎたな。でも今のマンガにはこういう話って無いのか?」
「そんな昭和の学園モノに出てくるようなベタな話、確信犯的なネタじゃない限り出てこないですね。」
「そうか…。まあいいや、可愛い子でもナンパして楽しんでくるんだな。」
「俺は仕事で行くんですってば。大体そんなこと橘さんの横で出来る訳がないですよ。」

 …と、そんな下らない話をしている間に橘さんは電話を済ませ、俺達のところへ戻ってきた。
「お待たせ〜、それじゃあ準備して行こっか?」
「あ、はい。」
 橘さんにそう言われるまですっかり道具の用意を忘れていた俺は急いでタナに向かい、持っていく武器を選ぶ。
「橘さん、やっぱり長剣とかはマズいですよね?」
「う〜ん、やめたほうがいいかも…」
 さすがに少し困った顔になる橘さん。まあいくらなんでも長剣はナシだろう。俺は目に付くような武器を避け、腰に下げてもバレないアセイミナイフという小刀をチョイスする。この武器は月の光を長時間浴びさせることによって魔力を持たせたもので、北欧に古くから伝わる霊剣の一種だ。
「たまには使ってやらないとな。」
 俺はそう言って刃渡り15センチにも満たないナイフを手にし、他にも細々としたアイテムを適当に詰め込んでいく。

   ・

「…では行ってきます。」
「おう、まあ気を付けてな。」
「悪いけど1人でお留守番、お願いね。」
「はい。」
 俺達は宮内さんに軽く挨拶をし、オフィスを出ようとする。だが橘さんがドアノブに手をかけようとした時、ふいに宮内さんが俺を呼び止めた。
「おい片瀬、ちょっといいか?」
「あ、はい。」
 そう言いながら俺が近寄ると、宮内さんは耳を貸すよう手招きをする。 
「どうしたんですか?」
「あのな、よく考えてみたら今日は学校休みだわ。」
「…あ」
 そうだった。今日は1月4日、冬休みの真っ只中である。おそらく校舎には誰もいないだろう。
「よかったな、これで女装する必要はなくなった訳だ。まあ片瀬がどうしてもって言うんなら俺は止めないがな。」
 おかしくて仕方ない、といった感じの宮内さん。無人の女子高に女装した俺が1人で立っている…、そんな絵を想像しているのだろうか。とりあえずそれはどこをどう見ても変質者にしか映らない。
「ま、しっかり仕事してこい。面白い土産話に期待してるぜ?」
 そう言って宮内さんはソファーへ戻り、再び横になる。
「…暇よりはマシか。」
 俺は自分で自分をを納得させ、ドアの前で待っていた橘さんの元へ歩き出す。

「すいません、お待たせしました。」
「ううん、それじゃ行こうか。」
 橘さんはそう言うと、ごく自然に腕を組んでくる。
「あの…、少し恥ずかしいんですけど?」
「いいの。お正月だから特別〜」
 いや、おそらく今日が平日だろうと腕を組んでくるに違いない。俺はそう思いながらもそのまま駐車場へと向かうことにした。

   ・

「へ〜、それで神代さんを相手に戦ったんだ?」
 目的地に付くまでの間、車の中で俺は年末に神代さんに会った話を橘さんにしていた。
「はい。最後に何とか一撃当てたんですけど、完敗でしたね。」
「それでもスゴいよ、あの神代さんと戦ったんだから。」
「今になって考えると俺もそう思います。…で、その後なんですけど、神代さんは俺に色々と話をしてくれたんですよ。」
 俺はあの日の会話、神代さんに言われた言葉を思い出し、橘さんに話すことにした。

「…そっか。」
 数分後。話が終わり、それまで黙って聞いていた橘さんが口を開く。
「何となく判るな、神代さんが片瀬君に言ったこと。」
「えっ?」
 いつもとは違う、神妙な声で話し始めた橘さん。助手席を見ると、そこには今まで見たことの無い悲しげな顔をした橘さんがいた。
「片瀬君に足りないもの、か…」
 視線は窓の外、流れる景色を眺めているようにも見える橘さん。だがその目はもっと遠くにあるものを見ているようだった。
「大丈夫、片瀬君ならきっとすぐに見つけられるよ。」
 俺の視線に気付いたのか、橘さんはすぐにいつもの笑顔に戻り、話を続ける。
「それで神代さんとお話した後はどうしたの?」
「それがですね、挨拶も済んでいないうちにいなくなっちゃったんですよ。」
「…そっか、神代さんも忙しい人だからね。今はどこで何をしてるのかな?」
 どうやら橘さんも神代さんの仕事内容は知らないようだった。
「あ、そうそう。話は変わるけど、片瀬君は元旦から今日まで何をして過ごしてたのかな?」
「う…」
 そう聞かれて俺は答えに詰まる。さすがにずっとトランプをしていたとは言いたくない。
「ええっと、俺はずっと会社にいることになってたんで、元旦から宮内さんと2人で仕事待ちしてました。でも1件も来なかったんで、寝正月になるのかな?…そう言えば今年になって宮内さん以外の人と話すのって、弁当を買いに行ったコンビニの兄ちゃんを入れなきゃ橘さんが2人目ですね。」
「わ、寂しいお正月…」
 やはり同情されてしまった。まあ普通に考えれば当然のことか。
「じゃあお餅もおせちも食べてないの?」
「はい、そうなりますね。」
「ダメだよ〜、少しはお正月らしいことをしないと。」 
「…スイマセン。」
「もう、コンビニのお弁当ばかり食べてると身体に悪いことくらい知ってるでしょ?」
 …こうして俺は目的地に着くまでの間、なぜか普段の食生活について注意を受けることになってしまった。

   ・

「橘さん、大体この辺りですよね?」
 車は横浜の中心街を抜け、「いかにも」といった感じの高級住宅街を走っていた。
「うん、もう少しだよ。…う〜ん、懐かしいな〜」
 橘さんはさっきからずっと何かを見つけては「懐かしい」を連呼している。
「あ、あのお店もまだやってるんだ〜」
 その声につられて見てみると、そこにあったのは小奇麗な喫茶店。他の街なら周囲から浮きそうな建物だが、ここなら何ら違和感は無かった。
 …俺にはちょっと合わない街だな、そう思いながら車を進めていると、道の先に高い塀があるのが見えてきた。
「ん、あれかな?」
 塀の奥には大きな建物、屋根の上に十字架もある。ここで間違いないだろう。
「うん、そうだよ。うわ〜、何も変わってないな〜」

 …これがあの聖・マリア女学院か。俺は嬉しそうに母校を眺める橘さんと一緒に校舎を見てみる。それは超お嬢様学校、と言われて浮かぶイメージを何一つ崩すことのない造りだった。
「橘さん、入口が閉まってるんですけど、どこに車を置けばいいんですか?」
 俺は校門の手前で一旦車を止め、どうすればいいかを橘さんに聞いてみる。
「あ、裏に回ってもらえるかな。」
「はい。」
 言われるままにハンドルを切り、塀に沿ってぐるりと反対側へと車を進める。しかし敷地が広いため、なかなか裏口が見えてこない。
「本当に大きい学校ですね。」
「まあ校舎以外にも色々とあるからね。」
 橘さんは何気なく答えるが、この広さは半端ではなかった。その後少ししてからやっと裏口を発見、そのまま敷地内へと入るのだが、俺はそこでまた驚いてしまう。
「学校とは思えませんよ…」
「そう?」
 すぐに駐車場が見えてくると思っていたが、車はそれからさらに奥へと入っていく。道は公園の遊歩道のようで、すぐ横には手入れの行き届いた芝生が広がり、テニスコートや噴水も見える。
「あ、そこが車を停める場所ね。」
 そう言って橘さんは少し先にある小さな建物を指差す。その脇には確かに車が数台置けるスペースがあったが、この学校の駐車場にしてはあまりにも小さい。校舎からかなり離れていることからも、おそらくここは横にある建物専用のスペースだと思われる。
「これは何の建物ですか?」
 …橘さんの話にあった霊障が起きている場所というのはここなのだろうか。俺はそんなことを考えながら車を降り、じっくりとこの建物を見てみる。かなり古いようだが、造りは立派で頑丈そうだ。しかし俺が判るのはその程度で、ここが何の施設として使われているのかといった重要なことはさっぱりだった。  
「ここ?生徒達の寮だよ。」
 俺の問いにさらりと答えながら橘さんは入口にある呼び鈴を押す。
「ええっ!?」
 女子高の寮!?、校舎に入るより桃色度が高…いやいや、問題アリだろ!
「ちょ、ちょっと、いいんですか橘さん?
 なんかこう、男子禁制とかいう決まりが…」
 さすがに「嬉しい」より「マズくね?」という感情が強くなった俺だが、橘さんに異議申し立てをする間もなく寮のドアが開き、中から1人の女性が現れる。
「いらっしゃ〜い、元気してた?」
「カナ〜、久し振り〜!」
 寮から出てきた女性と橘さんはお互いに手を取り、再会に喜び合う。俺はその間に入っていく訳にもいかず、2人の様子を黙って見ていた。カナと呼ばれた女性は橘さん同様、かなり若く見える。同級生ということは30歳は越えているはずなのだが、全くそうは見えない。…不思議だ。
「あ、ゴメンね片瀬君。」
 ひとしきり会話を終えたところで橘さんが俺に気付く。
「カナ、この人が電話で話した片瀬君。」
「あ、初めまして。皆口加奈子です。」
 丁寧に頭を下げ、自己紹介をする皆口さん。「初めまして。片瀬です。」
 同じように挨拶を済ませると、皆口さんはすぐに自然な笑顔で俺に話しかけてくる。
「すいません、お正月だというのに…。このコに無理矢理連れてこられたのでは?」
 そう言って橘さんをチラリと見る皆口さん。
「いえ、そんなことはないですよ。自分から手伝いを買って出たので。」
「本当ですか?それならいいんですが…」
 皆口さんはそこでまたチラリと、今度は少し疑いの眼差しで橘さんを見る。
「大丈夫だってば〜、片瀬君もそう言ってるじゃない。」
「でもねえ…、まあいいわ。とりあえずここじゃなんだし、話は中に入ってからにしましょうか。」
 そう言われ、俺と橘さんは寮の中へと招かれる。
「あの…、こういうトコって俺なんかが入ってもいいんですかね?」
 宮内さんのネタ話ではないが、やはり問題があるのではないかと思い、俺は皆口さんに聞いてみる。
「はい、特に問題はありません。それとも何か問題を起こすようなことでもするつもりですか?」
 悪戯っぽい笑顔で逆に聞いてくる皆口さん。やはり橘さんの友人だけあって、こういうところは少し似ているなと思う。…非常にやりにくい。
「ほら片瀬君、早く入ろ。」
 そうこうしているうちに俺は背中を橘さんに押され、半ば強制的に寮の中へ入る。そのままの状態で廊下を進むと、リビングのような部屋へと通される。

「今お茶を持ってくるから適当にくつろいでてね。」
 皆口さんは俺達をソファーに座るよう勧めると、そう言って一旦部屋から出て行く。
「ここは応接間…になるんですか?」
「ん〜、ちょっと違うかな。プレイルームって言えばいいのかな?ここに住んでるコの自由な場所なんだ。お喋りしたりお菓子を食べたり…、楽しいんだよね〜」
「ああ、何となく分かります。女のコってそういうの好きそうですもんね。…じゃあ橘さんも学生の時はここに?」
「ううん、住んでたのはカナだけ。でもいっつも遊びに来てたからほとんど住んでたのと一緒かも。ここにお泊りして、次の日そのまま学校に行ったこともあるんだ。」
「へえ、そうなんですか」
 少し意外な感じだった。俺のイメージでは毎朝校門の前までリムジンが…、というのがあったのだが、今の橘さんの話を聞いていると、お嬢様学校というのが身近なものに思えてくる。
「お待たせ〜。はい、お茶とケーキね。」
 ちょうどその時、銀のトレーを手にした皆口さんが戻ってきた。見るからに高そうな純銀製トレーの上には綺麗なティーカップとケーキが乗り、これまた両方とも高そうな感じがした。
「あ、トゥインクルのタルトケーキだ。懐かしいな〜」
 そう言って目を輝かせる橘さん。だが俺はその横でケーキ本体ではなく、「トゥインクル」という名前に反応していた。その名前は確か横浜にある超高級洋菓子店で、去年のクリスマスにTVで特集されているのを見たことがあった。どのケーキも1個千円を軽く越える、というナレーションに宮内さんが「ふざけんな!」と言っていたのを覚えている。このTVを見たのはちょうど2人が昼飯を食っている時で、俺達は600円の定食を頼んでいた。
「このタルト、美味しいからつい食べ過ぎちゃうんだよね〜」
「そうそう、今のコ達もよく食べてるわ。」

 …やっぱ身近じゃねえや。俺は目の前で交わされる2人の会話を聞き、早くもさっき思ったことを撤回、補正する。おそらくこの紅茶も高いに違いないだろう。
「あの、そろそろ仕事の話をしたいんですが…」
 会話を楽しみながらゆっくり食べている2人には悪いが、俺は色々と聞きたいことがあったため、仕事の話を切り出すことにした。
「あ、そうだね。カナ、詳しい状況を教えてもらえる?」
「ええ。…と言っても説明するようなことは電話でほとんど話しちゃったからね〜。詳しいコトっていうか、直接被害のあった部屋を見てもらったほうがいいと思うんだけど。」
「…片瀬君、どうしよっか?」
「俺は別に構いませんよ。皆口さんの言う通り、その方がいいと思いますから。」
 俺がそう答えると、皆口さんはなぜか時計を見てからスッと立ち上がる。
「うん、そろそろ大丈夫ね。悪いけど少しここで待っててくれるかしら?」
 何か裏のありそうな笑みを浮かべ、返事も聞かずに部屋を出て行く皆口さん。ふと隣を見ると、なぜか橘さんも同じような顔をしていた。
「あの、そろそろって?」
「ふふっ、これは教えちゃってもいいのかな〜?」
 そう言って答えるのをもったいぶる橘さん。どうやら事情を知っているようだ。
「凄く気になるんですけど…」
「そっか。あのね、会社を出る前に電話をしてたのは片瀬君も覚えてるよね?」
「はい。」
「実はあの前にカナの方から連絡があって、『もし男の人を連れてくるなら寮に住んでるコ全員に部屋の大掃除をさせなくちゃいけない、だから前もって連絡してね。』って言われてたの。」
「はあ…」
「何かあった場合、みんなの部屋を見て回ることがあるかもしれないじゃない?、その時汚い部屋だったら恥ずかしいでしょ、みんな年頃の女のコなんだから。」
「なるほど、そういうことですか。…でもいくら大掃除って言っても、電話してからもうかなり経ってますよ?わざわざ見に行かなくても大丈夫だと思うんですけどね。」
「あ〜あ、片瀬君は甘いな〜」
 橘さんはそこで言葉を区切り、残っていた紅茶に口を付ける。
「ここに来るまでお掃除なんて一度もしたことないコがほとんどなんだよ?、だからみんなすっごく手際が悪いの。カナだって学生の頃はひどかったんだから。」
 …納得。
「ごめん、待たせちゃったね。それじゃあ被害の多い部屋から順に案内するわ。」
 みんな無事に掃除を終わらせていたのか、そう言いながら皆口さんが戻ってくる。
「うん、それじゃあ行こっか。」
「はい。」
 俺と橘さんはソファーから立ち上がり、皆口さんと一緒に問題のある部屋を見て回ることにした。まず初めに向かったのは、階段を登ってすぐのところにある部屋だった。
「ええっと、ここが一番多く騒ぎが起きる部屋ね。最近は特に多いんじゃないかしら。」
 皆口さんは俺達に軽く説明をしてからドアをノックする。するとすぐに中から「はい」と返事が聞こえ、ガチャリとドアが開いた。
「このコは北川さん、2年前からここに住んでるわ。」
「こ、こんにちは…」
 北川さんと呼ばれた女のコはペコリと頭を下げ、遠慮がちに挨拶をする。
「初めまして。早速なんだけど、お部屋の中を見せてもらってもいいかな?」
 いつもの優しい口調で橘さんが話しかけると、北川さんはコクリと頷いて俺達を自室に招き入れる。見るからにお嬢様、といった感じの彼女。部屋の中にはそれを裏付けるように豪華な家具が並んでいたのだが、どれも奇妙な傷が付いていた。
「明らかに霊障ですね。」
 俺は近くにあったタンスに近付き、傷の状態を確認、霊気を帯びていることから霊障と判断する。この他にも窓が不自然な模様を描いてヒビ割れていたり、床には何かを引きずって付いたと思われるスリ傷が見える。その傷を目で追っていくと、女のコ1人ではまず動かせないであろう大きなベッドに辿り着く。
 …これらの現象は一般的にポルターガイスト現象と呼ばれ、低級霊の仕業とも成長過程の子供が持つ超能力の暴走が原因とも言われている。正解はその両方で、どちらの場合もこういった現象が起きる。2つの違いは「そこに霊気が残っているかどうか」で決まり、今回のケースは間違いなく霊の仕業だった。
「そうね、あまり強い霊ではなさそうなんだけど…」
 そこで橘さんは表情を曇らせる。
「やっぱりおかしいですよね?」
「あ、片瀬君も気付いたんだ。」
「ええ。」

 2人が感じた違和感、それはこの部屋に付けられた傷の度合い、被害の程度にあった。
 こういった内容の仕事を数多くこなしてきた俺達には分かるが、傷は霊がわざと力を加減して付けたようにしか見えないのだ。ベッドは引きずるより浮かせる方が簡単だし、窓ガラスも割らずに綺麗なヒビを入れるのは粉々に割るより断然難しい。
「なるべく物を壊さないように、って感じですね。」
「うん。…ねえ北川さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいい?」
「は、はい。」
 そう言って橘さんは優しく、そして細かく質問をする。その後俺も2〜3質問したのだが、返ってきた答えはどれも首を傾げてしまうような不思議なものだった。北川さんはベッドが動いた時もタンスに傷が付いた時も自室にいたのだが、なぜか全く怖くなかった上、身の危険も感じなかったらしい。それどころか北川さんは「霊障が収まった時、誰かに謝られている感じがした」と言うのだ。
「霊に謝られている感覚、か…」
 俺はその話を聞き、先日のギタリストの一件を思い出す。式の最後にファンの霊魂からお辞儀をされた時に受けた感覚、あれがそうなのだろうか?
「ねえ片瀬君、とりあえず全部の部屋を見てみようよ。」
「あ、そうですね…」
 ここでずっと考えていても仕方ない、そう思った俺は次の部屋へと向かうことにした。

  ・

「…どこも同じだったね。」
「はい…」

 それから3人は寮に住む生徒の部屋を次々と見て回り、色々と質問をしては情報を集めていた。その結果分かったのは「被害回数の差はあれど、霊障の度合いはほぼ同じ」ということ。飾っていた絵が飛んだ、急にコップが割れた、壁を叩く音が聞こえた…、どれも典型的なポルターガイスト現象だ。しかし問題はその後、話を聞いた生徒全員が口を揃えて「恐怖感は無かった」と「謝られている感覚がした」と言ったことである。
「ん〜、分からないな〜」
「被害の内容、状況はほとんど同じなんですけど…、他は全くバラバラですからね。」
 そう言って新たに淹れてもらった紅茶に手を伸ばす。俺達は1度リビングに戻り、この不思議な状況について考え込んでいた。
「片瀬君、これからどうしよう?」
「そうですね、とりあえず今見ていない、使われていない部屋を全部調べましょう。橘さんもこの寮にある全ての部屋に入ったことがある、って訳じゃないんですよね?」
 俺の言葉に橘さんは大きく頷き、すっと立ち上がる。
「うん、じゃあすぐに調べにいこっか。今度は私達2人でも大丈夫そうだし、カナにはここで待っててもらった方がいいわね。」
「ですね。」
「分かった、もし何かあったら呼んでね。」
 …皆口さんが俺達に声をかけ、ドアの前まで見送ろうとした時だった。
「―ッ!?」
 バッ!、俺はこの部屋に霊気が集まっているのを察知し、瞬時に戦闘態勢に入る。   
ドン!、ドンッ!
 すると次の瞬間、壁や天井を激しく叩く音が不規則に鳴り、さらに霊気が高まっていく。
「カナっ、早く部屋から出て!」
 俺と同時に構えていた橘さんが厳しい口調で皆口さんに指示を出す。幸い皆口さんはドアの近くにいたため、すぐに部屋を出ることが出来た。
 フワッ…、ビュンッ!
 ちょうどその時、暖炉の上にあった置時計とローソクを立てる職台が浮かび上がり、俺に向かって勢い良く飛んでくる。
「はあッ!」
 俺は素早く札を一枚取り出し、先に飛んできた時計に投げつける。そしてすぐに風の気を左手に集め、上手く燭台に当てて床に落とした。時計も張り付いた札の力によって空中でピタリと止まり、そのままゆっくりと元の場所へと戻っていく。するとそれを合図にするかのように霊気が消え始め、リビングは元の静けさを取り戻す。
「…!?」
 霊気が完全に消える間際、俺は霊気の質が変わったのを感じ取った。それは確かに「誰かに謝られている感覚」としか言いようのないもので、よく考えてみると今の俺を狙った攻撃も殺意に満ちていた、という感じではなかったような気がする。
「大丈夫?」
 心配そうな表情で橘さんが近付いてくる。
「はい。…それよりも感じましたか?」
「うん、みんなが言っていた通りね。一体どうなってるのかしら?」
「…あなた達やっぱり凄いわ、あれくらいじゃ驚かないのね。」
 俺と橘さんが普通に会話をしているのを見た皆口さんがドアの前から話しかけてくる。
「あ、もう入ってきても大丈夫だよ。」
「ええ、何となくだけど分かるわ。それにしても迫力あったわね〜、久し振りに見たから驚いちゃった。」
 そう言いながら皆口さんは部屋に入ってくる。
「何かえらく落ち着いてますね?」
「ふふっ、学生の頃はよくこの子について悪霊退治を見てきたからね。」
 俺は横にいた橘さんに聞いたのだが、答えたのは皆口さんだった。
「そうそう、カナったら危ないって言っても全然聞いてくれないんだもん。」
 当時の状況を思い出したのか、困った顔で話し始める橘さん。
「ゴメンゴメン、よく考えてみると私ってかなり怖いことをしてたんだね。」
 皆口さんは少しだけ舌を出し、十何年という時間を経て反省する。
「それじゃあカナ、今みたいなことがあるかもしれないから、私達が調べものをしている間、十分に気を付けてね。」
「うん、そっちもね。…片瀬クン、この子をしっかり守ってあげるんだよ?」
 そう言って皆口さんは俺に向かってウインクをする。
「…わかりました。」
 やっぱり橘さんの友達だな、やることが非常に似ている。そう思いながら返事をすると、俺の思考を読んだかのように橘さんがクスクスと笑い出す。
「その困った顔、私にもよく見せるよね。」
「あの、そんなこと言ってる場合じゃ…」
「そうだね、じゃあ行きましょうか。」
「…はい。」
 軽くあしらわれた感はあるものの、俺はあえて反論せずに橘さんの後を追い、部屋を後にしようと歩き出す。

『あなたたちならだいじょうぶかも…』
「ん?」
 廊下に出ようとした時、ふとそんな声が聞こえた…ような気がした。
「どうしたの片瀬君?」
「あ、いえ、何でもないです。」
 …今の声に橘さんが反応しないということは俺の空耳だろう。そう思った時、また声が聞こえてきた。
『気付いて、そして助けて…』
「!」
 これは空耳なんかじゃない、確かに誰かが俺に話しかけている…
「誰だ、どこにいる?」
 俺は周囲を見渡しながら声を上げる。横にいた橘さんが驚いてこっちを見るが、俺の表情から状況を察したのか、そのまま黙っていた。
『地下室があるの…』
「地下室?」
『この先の部屋、床の下…ッ!』
 そこで急に言葉が途切れ、何も聞こえなくなる。だが俺は言葉の最後の部分から声の主に何か異変が起きたことを感じ取り、ダッと走り出す。
「何か聞こえたのね?」
 すぐに俺の後を追ってきた橘さんが走りながら聞いてくる。
「はい、この先にある部屋のどこかに地下室があるって…。声の主はさっき霊障を起こした霊だと思います。」
「地下室…、もしかしたら貯蔵庫かしら。行ってみましょ、ついて来て!」
「はいっ!」
 ダダッ!、俺と橘さんはさらにスピードを上げ、廊下を駆け抜ける。目的の部屋へはすぐに辿り着き、俺は勢い良くドアを開けると、そのまま中へと入っていく。
「…」
 部屋は橘さんが言っていた通り、様々な食料が置かれた貯蔵庫になっていた。大きな棚が何個もあり、どこも缶詰やワインで埋まっている。
「これは棚をどかさないといけないな…」
 見た限り床に怪しい部分はなかったが、棚によって隠れている可能性がかなりある。一刻も早く地下室の入口を見つけなければいけないのだが…
 ピシッ、パリィィンッ!
「!」
 その時いきなりワインが割れ、同時に複数の霊気を感じ取る。俺はすぐにナイフを構え、同じく戦闘態勢に入った橘さんと合流。互いに背中を預け、部屋のどこから敵が襲ってきてもいいように全ての方向に気を向ける。
「…出たな。」
 次々とワインが割れ、貯蔵庫が甘い香りに包まれていく中、棚に隠れていた敵がようやくその姿を現す。出てきたのは霊体が2体、片方は戦時中のもんぺ姿、もう一方は大正時代の女学生が着るような袴姿で、どちらも元はこの学校の生徒のようだった。
「キシャアァァッ!」
「キイイィ!」
 敵が先手を取って攻撃を仕掛けてくる。どうやら1対1で戦おうとしているらしく、もんぺ姿が橘さん、袴姿が俺に向かって突進してきた。
「くっ!?」
 スピード、パワーは中の上といったところだろうか。そう思いながら俺は向かってきた敵の攻撃をかわそうとしたが、狭い上に物がたくさん置かれているこの部屋ではいつものように動けない。
 シュッ、スパッ!
 慌てて迎撃の態勢に入った俺はすぐさまナイフを振り、敵に軽いダメージを与えると同時に反撃のチャンスを得る。目立たないように、という理由で選んだアセイミナイフだが、狭い場所での戦いになったことで想定外の効力を発揮、俺は周囲を気にすることなく腕を振りかぶって攻撃することが出来た。
「はあっ!」
 ヒュン、スッ、シュッ!、刀身の短さを生かし、連続で切り込む俺。対する敵は防戦一方で、力を全く出せていない。
「たあぁッ!」
 ズパアァッ、俺の下から一気に斬り上げる攻撃が決まり、敵に致命的なダメージを与える。部屋の反対側でも橘さんが光の法術を使い、優位に戦いを進めていた。
『やめて!』
「!?」
 ピタッ、俺はその声を聞き、攻撃の手を止める。それはちょうど目の前にいる敵にとどめを刺そうとした時だった。
『ダメ、お願いだからもう戻ってきて!』
「…?」
 その悲痛な叫びは俺に対してではなく、敵の霊にかけられているようだった。
「ググ…」
 不思議なことに悪霊はその言葉に素直に従い、スッと床に消えていく。

 …一体どういうことだろう、俺は自分達や寮に住む生徒達に危害を加えてはすぐに謝り、襲いかかってきた悪霊を止めたりするこの霊の言動、行動に疑問を感じていた。やっていることは矛盾だらけ、何がしたいのかも何を伝えたいのかも分からない。いや、その前に明確な行動理念があるのだろうか…?
『今のうちに早く地下室へ…、入口はここです。』
 霊は再び俺に語りかけると、霊気を使って床の一部を淡く光らせる。やはり地下への入口は棚の下に隠れていた。
「よ…っと」
 俺はすぐにその場に向かい、棚をどかす。すると確かに床材の継ぎ目とは別の溝が走っている部分があり、よく見てみると溝は1メートル四方の正方形を描いていた。
「ここが地下室の入口ね…」
 橘さんが後ろから床を覗き込んでくる。
「はい。ちょっと待って下さい、今開けてみます。」
 俺はナイフを差し込み、ぐいっとこじ開ける。するとカビ臭い匂いと共に石で出来た階段が姿を現した。
「…行きましょう。」
「うん。」
 よく見ると階段は短く、ここからでも地下室の扉が見えた。それでも俺達は細心の注意を払い、ゆっくりと階段を下りていく。
「微妙に霊気を感じるんですけど…罠ですかね?」
「う〜ん、何となくだけど私は違うと思うな。」
「そうですか…、そうですよね…」
 何も確証は無いのだが、俺も橘さんと同じでそんな気がしていた。が、どこか嫌な感じというか、予感めいたものが俺の中にあった。
 ギ、ギギギィ…、俺は自分の中に抱いていた負の感情を振り払い、ゆっくりと扉を開く。

 …寒い、地下室に足を踏み入れた途端、恐ろしく冷たい空気が流れてくる。凍えるような気、それは悲しみに満ちた少女の霊気。寮に住む女のコ達が感じ、また俺と橘さんも同じく感じた気だった。
「片瀬君、奥に…」
 横にいた橘さんが弱々しく声を上げ、俺の服の裾をギュっと握る。言葉はそこで途切れたが、言いたいこと、伝えたいことは十分に理解出来た。
「…くっ」
 そこに霊がいる、それは確かに判っていた。しかし俺は目の前に映った光景に言葉を失い、思わず何歩か後ずさりしてしまう。
 …1人の少女が無数の悪霊に縛られ、まるで十字架に貼り付けられたように身体の自由を奪われている。俺の目に飛び込んできたのは、あまりにも酷い状況に置かれた少女の霊の姿だった。
「…酷い、どうして…?」
 橘さんは寄生とも取れる周囲の悪霊に、そしてこのような状況に至った少女に対して言葉をかける。
「…」
 これは俺の予測でしかないが、おそらく少女の霊は長い間、それこそ橘さんが学生の頃からこうして苦しんでいたに違いない。それがどうして今になって表立った行動を取ったかは分からないが、きっと何らかの意味があるのだろう。
『来てくれて、本当にありがとう。』
 少し苦しそうな声で少女の霊が喋り始める。どうやらこの声は橘さんにも聞こえるらしく、真剣な表情で少女を見つめていた。
『見ての通り、私の身体はたくさんの悪霊に蝕まれてるわ。でもね、私はこの子達が生きている頃、悪霊なんかになる前を知ってるの。みんな本当にいい子で、明るくて眩しいくらいの瞳をしてた。それが大人達の勝手な事情や、大きな戦争で歪められて、こんなになってしまったの。私はずっと前からこの地を護ってきたから、それがよく分かるの。だからこうして自分の身体に取り込んで悪さをしないようにしてきた。でもそれもそろそろ限界みたい。』

 …そうか。俺は彼女の言葉で事態の全てを理解した。この地を護る者として、そして彼女が持っている優しさが引き起こした一連の騒動、それは今まで抑えてきた悪霊の制御が効かなくなることを危惧してのものだったのだ。
「…わかった、俺達が何とかしよう。そのためにリビングで力を試し、こうして導いてくれたんだろ?」
『ええ。…ありがとう、そこまで分かってくれて。』
「さあ、早く取り込んでいる悪霊を開放するんだ。後のことは俺達に任せてくれ。」
 俺はそう言って握っていたナイフに気を流し込み、霊気で刀身を長剣くらいの長さにする。さらに懐から破魔札の類を何枚も取り出し、万全の構えを取る。
 …彼女には悪いが、こうするより解決の手段はないだろう。このままにしておけば最悪の事態、つまり彼女自身が悪霊に取り込まれ、今まで抑えてきたものが全て無駄になってしまうだろう。しかし返ってきた言葉は予想外のものだった。
『…ごめんなさい、それが出来ないの。』
「!?」
『もう私達は切り離せないくらい同化が進んでいるの、今はまだ私の意識の方が強いからこうして話せるんだけど、それも長くはないわ。現に貴方達を襲った子を前もって止めることが出来なかったし、実は今も少し辛いの…』
「そんな、じゃあ俺にどうしろと!?」
『…私ごと斬って。』
 それは俺達がここに来る、来ないを問わず、前々から決めていたかのような落ち着いた声だった。彼女の瞳に迷いは一切無く、今ここで完全に消滅しても構わないという強い決意があった。
「…他に」
 ぐっ、と感情を押さえ、俺は冷静に話そうとする。が、やはり我慢が出来なかった。
「他に手段は無いのか!?気持ちは判るが、アンタが完全に消える必要は無い!」
「片瀬君…」
 横にいた橘さんが辛そうな声を漏らす。
「橘さん、他に何かいい方法は!?彼女を救う方法は無いんですか!?」
 自分でも気付かない内に俺は橘さんに怒鳴り散らしていた。しかし橘さんはそんな俺の言動に一切の感情、表情を変えることなく口を開いた。
「片瀬君、これは彼女が望んだこと。決して誰かに強制された訳でもない、本心からの決意なの。…それに本当は片瀬君も判っているんでしょ?もうこの方法しか残されていないことに。」
「ッ!?」
 違う、違うと言いたかった。そして橘さんには俺が思いつかないような解決策を口にして欲しかった。
『…お願い、早く私を…』
「片瀬君、もう彼女を…」
 少女の声と橘さんの声が交互に聞こえ、頭の中に響き渡る。
『殺して!』
「苦しめないで!」
 言葉の最後は完全に同時に発せられた。
 ブンッ!!、俺はありったけの霊気を使い、霊気の剣を創り出す。
「うああああぁぁ〜ッ!!」
 そして狂ったように、自分に対する無力さ、憤怒、憤り、そして何より彼女への申し訳なさなど、全ての感情を込めて走り出す。
「ちくしょおぉッ!!」
 ズバアァァッッ!、目を瞑って繰り出した渾身の一撃が決まり、「斬った」感覚が手に伝わる。
『アリガ…トウ…』
 目を瞑ったまま、ひたすら歯を食いしばっていた俺に彼女が声をかけてくる。
「…」
 その瞬間、俺は泣いていた。出来ればその言葉は聞きたくなかった、そう思いながら。
 カラン…、霊気の抜けたナイフが俺の手をすり抜け、床に落ちる。しかし俺はそれを拾い上げることもなく、しばらくその場に立ったまま動けないでいた。
「…どうして、どうして普通に戦ってくれなかったんだ…」
 ぽつり、と言葉が漏れる。
「もし何も言わず、ただの悪霊として対峙してくれれば、こんな思いをしなくて済んだのに…」
 いつもは隠していた、表に出すことのなかった自分の弱さが次々と出てくる。

 …痛い。強く握り締めていた拳が痛かった。しかしそれは本当の痛みを紛らわしている行為でしかない。そう、本当に痛いのは…
「片瀬君。」
 橘さんが足元に落ちていたナイフを拾い上げ、優しく微笑みながら俺に近付く。そして強く握っていた拳をゆっくりと開き、そっとナイフを持たせ、その上から両手で俺の手を包み込む。
「…納得出来ません。」
 もう手遅れなのに、自分がやったことなのに、そう思いながらも、出た言葉はこれだけだった。
「…片瀬君のこういうとこだよ、神代さんが言ってたのは。」
「…え?」
「物事にはパーフェクト、なんてことは無いんだよ。完璧だと思ってもそれはただ気付いていないだけ。『物事にパーフェクトは無い、あるとしたらベターがいくつかあるだけ。それすらない場合も往々にしてある』…これ、神代さんの言葉だよ。」
 橘さんは言葉を続ける。
「片瀬君はまだそれが解っていない。頭で理解しているだけなの。神代さんはそれを見抜いていたと思う。…本来ならこの世界に入ってすぐに気付く、思い知らされることなのに、力の強い片瀬君は今までこういう事態に遭遇することが無かった。それは少しだけいいことで、とっても危ないこと。」
「…」
 俺は何も言えなかった。
「彼女、最後にちゃんと『ありがとう』って言ったでしょ?だからああすることが一番よかったんだよ。片瀬君が思うパーフェクトな結末、じゃなかったけどね。…そう考えてあげないと彼女がかわいそうだよ。」
「…はい。そうですね。」
「うんっ」
 ようやく顔を上げ、橘さんの顔を見れるようになった俺。そこにはいつもの満天の笑顔を浮かべた橘さんがいた。

  ・

 その後、俺達は皆口さんの所へ戻り、結果と被害の報告をした。不思議なことに食料庫で戦いがあった時、寮にいた人間は誰も揺れや物音などを感じなかったらしい。「多分彼女のおかげね。」と言う橘さん、俺もそうだと思っている。それからワインの被害については予想通りというか、「気にしてないわ」の一言で済まされた。
「2人が無事なら問題ナシよ。」
 そう言って笑顔を見せる皆口さん。
「ありがとう、カナ〜」
 橘さんはそんな皆口さんの言葉に対し、まずは抱きつく。どうやらこれは昔から変わっていない行為らしく、皆口さんは「仕方ないなあ」という表情でしばらく抱きつかれていた。

 …本当に仲がいいんだな、と思いながら2人を見いていると、首に橘さんをぶらさげたままの状態で皆口さんが俺に話しかけてくる。
「ねえ、このコは片瀬クンにもこんな感じなの?」
「ええ、まあこういう時もあります。」
「…大変ね。」
「嬉しくもあるんですが、恥ずかしいっていう方が少し強いです。…こういう場合はどうすればいいのか…。何かいい方法ありませんか、先輩?」
「あったらいいわね。」
「…そうですね。」
 皆口さんの言葉に大きく頷く俺。そう、物事にはベターすら無い時がたくさんあるのだから…。

  ・

 帰りの車の中だった。
「ねえ片瀬君、あの時の説明、いる?」
「…」
 説明、というのはおそらく神代さん絡みの話についてだろう。
「いえ、大体は自分で理解しましたんで。」
「そっか。でもね、少しだけ話させて欲しいな。」
「それなら構いませんよ、どうぞ。」
「ありがと。」
 そう言って橘さんは窓の外、寮に向かう時も見ていた海を見ながら話を始める。ガラスの反射で少しだけ見えたその顔はやはり真剣なものだった。
「今日会った彼女、本当に優しい子だった。だから余計に苦しんでたと思う。悪霊になってしまった子達を止めたい、でも消滅はさせたくはない。それを1人でずっと悩んで、長い間続いて…。だから矛盾だらけなのね、彼女の行動って。物を壊す騒ぎだって生徒達にケガはさせないようにしたり、後で謝ったりする。私達に襲いかかってきた子だって本当は守りたかった。悪霊となった子達の行動を一部では止めて、一部では容認して…。自分でもその矛盾さに気付いていたんじゃないかな?」
 それって辛いよね、と小さな声で付け加え、橘さんは一度話を止める。
「そうかも、しれませんね…」
「…片瀬君、今日はいつもよりカッコよかったよ。」
「いきなり話が変わりましたが?」
 予想外の展開と純粋な恥ずかしさから、俺は少し歯切れ悪く言葉を返す。
「いいの、私の中ではちゃんと話が続いてるんだから。」
「はあ、じゃあそういうコトで。」
「あ、何か片瀬君の反応がカナに似てきたな〜」
「え、そうですか?」
「うん。」
 楽しそうに頷く橘さん。似てきたというより、橘さんへの対応が出来てきた、という方が合っているような気がするのだが…。
「嬉しいな〜、何か片瀬君が私のことをしっかり理解してきた、って感じがする。…そんな訳で、これからもよろしくね?」
「…」
 何だか妙に照れてしまい、いつもの対応が出来ない俺。しかしこれが橘さん流の元気のつけ方、優しさだということはしっかり理解出来ていた。
「…あの、宮内さんも待ってますし、ちょっと飛ばしますよ?」
 そう言って俺は返事も聞かず、アクセルを踏み込む。
「うわ、片瀬君ったら恥ずかしいのをごまかそうとしてるでしょ〜?」
「そんなことしませんよ。さ、もっとスピード出しますよ。」
「やっぱりカナに似てきた〜」
 助手席で騒ぐ橘さんをよそに、俺はさらにアクセルを踏む。

「…そういえば。」
 確か宮内さん、何か面白い土産話でも、って言ってたな。
 よし、女子寮のことをかなり脚色して話そう。俺は宮内さんがどんな反応をするか(おそらくその後、首を絞められるか何か奢らされるのは間違いないが)を考えながら会社を目指す。

「ふう。」
 …今日あったこと、か。
 橘さんに明るく振舞ったり、バカなことを考えたりしているが、頭の中ではやはり地下室での一件が離れることなくずっと残っていた。決していい思いではなかったが、忘れてはいけないし、忘れたいとも思わない。
「とりあえず俺なりに『今を生きる』しかないのかな…」
 俺は神代さんの言葉を再度口に出し、その真意を、そしてその後にあるであろう「本当の強さ」の意味を考える。

 …少しだけ、自分の求めるものに近付いたかもな。俺はそう思いながらギュッとハンドルを握り、やっと姿を見せ始めた「チカラの意味」を追いかける決心を固めた。




 最終章 ―チカラの意味―


 橘さんとの仕事を終え、俺は予定通り休暇に入った。久し振りのまとまった休みを有効に使うべく、色々と考えてはいたのだが…
「有意義、とは程遠い休暇だったな…」
 普段から休みを上手く使えない俺。仕事が全て、仕事が恋人、という人間ではないが、どうやら俺は自由な時間を満喫する術を知らないようだ。
 …結局休み中にやったことと言えば、部屋の掃除とちょっとした模様替え、後は買い物に何度か行ったくらいだった。他に挙げるとしたら、同じく休暇に入った宮内さんとメシを食いに行ったのが1回、それ以外の時間は部屋でゆったりまったりしていた。
「やっぱり普段の生活が一番だな。…さ、仕事仕事。」
 と、俺は自分に対して弁明、言い聞かせるようにわざわざ声に出して言ってみる。まあ実際その言葉は嘘ではなく、俺はいつもの生活に身を置くことが性に合っていると思う。
 そう、今の俺の日常に退屈で平凡な日などないのだ。休日は何も起こらなくていいじゃないか。
「よしっ」
 俺はやや行き先不明な気合いを入れ、会社があるビルの中へ入っていく。時刻は午後1時ジャスト。俺にとっての新年度、休暇明け第1日目は午後からの出勤だった。

   ・

 ガチャッ、
「おはようござ…」
 オフィスのドアを開け、挨拶をしながら中に入ろうとした時だった。俺は普段とは違う張り詰めた空気、ただならぬ雰囲気を感じ取り、言葉を途中で止める。
「あ、おはよう。」
 そんな俺に気付いた水野が小声で挨拶をしてくる。だがそれはいつもの無駄にテンションの高い挨拶ではなかった。
「…なあ、何かあったのか?」
 俺は水野に近付き、小声で聞いてみる。堂考えてもこの空気は異常だ。
「うん。今ね、社長にお客さんが来てるんだけど、何かヤバそうなんだよね。」
「ヤバそう?」
 どういうことだろう、俺は水野の言うヤバいの意味が摘めず、聞き返す。
「あのね、聞こえてきた話をまとめ―」
「片瀬、来ていたか。」
 水野が俺に説明をしようとした時だった。俺の声に気付いたのか、応接スペースの仕切りから織原さんが顔を出してきた。
「はい、今着きました。」
「そうか。…片瀬、いきなりで悪いが、ちょっとこっちに来てくれ。」
「わかりました。」
 いつになく真剣な顔の織原さん。これは本当にただ事ではなさそうだ。

「失礼します。」
 俺は仕切りの奥に入り、軽く頭を下げる。応接用のソファーには社長と橘さん、そして依頼者らしき1人の男性が座っていた。
「おはよう、片瀬君。」
「よう、来たか。」
 社長と橘さんはそれぞれ俺に挨拶をしてくる。しかし2人の表情は暗く、織原さん同様深刻な顔をしていた。
「彼もウチの優秀なスタッフです。…片瀬、こちらは榎本さん、仕事の依頼に来られた方だ。」
 そう言って社長は俺に依頼者を紹介する。
「初めまして、片瀬です。」
「…榎本です。」
 榎本さんと呼ばれた人物はそれだけ言うと、俺の顔をじっと見つめ、ゆっくりと視線を戻す。

 何だろう、この人は…
 今までに会った依頼者とは何か違う、俺はそう感じた。
 …恐怖に怯える訳でもなく、困りきった様子も見受けられない。冷淡とも取れる落ち着いた表情、態度。これまで超一流と呼ばれる企業の社長やヤクザの組長に会ってきたが、この榎本さんは全く感じが違う。上手く表現出来ないが、言うならば格が違う、そんな感じだ。
「…榎本さん、申し訳ないのですが、彼にも依頼説明をお願い出来ますか?」
 まだ依頼の内容、状況を把握していない俺のため、榎本さんに説明を求める社長。  
「はい。それでは他の皆さんにはもう一度聞いてもらうことになりますが、先程は言い忘れた箇所もあるかもしれませんので聞いてもらいましょうか。」
 榎本さんは社長の言葉に素直に応じ、すでに一度聞いているであろう橘さん達に前置きを入れ、今回の経緯を話し始める。
「…片瀬さんもご存知でしょうが、今年に入ってからというもの、都心での霊被害は急激に減っています。まあその霊障害の減少には私達が関わっているのですがね。」
「…」
「ああ、言い忘れていました。私はとある機関で働いている人間でして、霊についての研究、主に霊障害について調べている者です。…もちろんその公には知られていません、その機関は存在自体が重要機密ですからね。」

   なるほど、そういうことか… 
 俺は間接的に素性を明かす喋り方から、榎本さんが何者なのかを理解した。この人は政府の人間、しかも完全な『裏方』だ。
「…どうやら解ってくれたようですね。それでは説明に入りましょう、いいですか?」
「ええ、お願いします。」
「まず初めに私達の研究、仕事の内容を教えましょうか。…先程もお話した通り、私は悪霊と称される存在の研究を生業としています。その目的はこの国から悪霊、及び人間に害をおよぼす全ての心霊現象を排除すること。…そして私にはそれと平行し、貴方達のような民間の能力者集団ではなく、国家クラスによる対霊組織の構築も任されています。まあ後者は当分先のことになってしまいましたがね。」
 榎本さんはそう言ってふっと鼻で笑い、軽く左右に首を振る。一見誰かを馬鹿にするような行為に映ったが、その矛先は榎本さん本人に向けられているように感じた。
「…私達は独自に研究を重ね、それなりの結果や功績を残してきました。民間能力者の手を借りず、手探りの状態からここまで来ることが出来た…。それは施設で働く人間に自信を与え、また誇りでもありました。が、結局このことが驕りとなり、重大な過ちを引き起こしてしまったのです。」
「重大な過ち…」
「はい。実は先日、私達の研究施設の1つで大きな事故が起きてしまいました。被害は大きく、その施設にいた人間は全員が死亡、また救出に向かった者も帰っては来ていません。…おそらくこちらも全滅でしょう。」
 存在すら明かされていない、間違いなく国の極秘事項である対霊機関。その中の施設が1つ、全ての機能を失うまでの被害を受けたと言う訳か…
「では今回の依頼はその事故に関連したものなのですね?」
 俺がそう聞くと、榎本さんは静かに頷く。
「はい。…今まで私達は民間能力者の協力を拒み続けてきましたが、もうこちら側には十分な霊力を持つ人間がいないのです。」
 ここで榎本さんはグッと拳を握り、初めて感情を表に出す。それは悔しさと怒り、やるせなさを混ぜたような顔だった。
「考えが甘かった…。それが全てです。」
 大きく息を吐き、額に手を当てる榎本さん。
「今になって考えると、思い上がりもいいところです。昔からの知識や現役能力者の意見を取り入れず、全ての霊を排除する…。私達は霊の善悪、霊障害の実情も知らず、勝手な解釈をしていました。一方的な考え、こちら側の基準、物差しでしか計れない。こうして事態が悪化するまで気付くことすら出来ない。…全く、こういう所は表の連中と何ら変わりありませんね。」
 そう言い捨てるように言葉を切り、またしても自分をあざ笑うかのような仕草を見せる榎本さん。そして再び口を開き、説明を続ける。
「今回事故が起きた施設というのは、私達の間で『処理場』と呼ばれている建物です。そこでは名前が示す通り、悪霊の処理を行っていました。特種な集魔の力を使い、特定の地域に存在する霊を集める。次に堅固な防御壁で囲まれた部屋に収容し、各個体の強さを測定。そして数対ずつ別の部屋に通し、専門スタッフが霊を完全に消滅させる…。この工程を繰り返し行い、今後組織されるであろう対霊部隊員の能力を上げ、同時に霊との戦闘データを収集していました。」

 …いかにも政府の人間らしい、合理性を追求するやり方だな。俺はそう思いながら話を聞いていた。
「この作業は開始直後、予想通りの成果を挙げました。まずは施設近辺の霊を、そして少しずつ範囲を広げ、去年の終わりには都心から霊を集めようと集魔の力を最大限まで上昇させたのです。」
「都心にいる霊を…?」
 思わず聞き返してしまう俺。いくら何でもそれは無謀すぎる、この街の霊は半端な数ではないのだ。
「…やはり驚かれますか。片瀬さん以外にこの話をした時も、みなさんそういう顔をされましたよ。」
「…でしょうね。」
「その時は私も他の者も大丈夫だと思っていたんです。…しかし年が明ける頃にはその自信は消えていました。かなりの余裕があると考えていた収納部屋はすぐに埋まり、さらに予想を上回る力を持った霊が多数発見されました。そして一昨日、霊を集めるのを一度停止することが決定、こちら側の体制を立て直すことにしました。…今回の事故の原因、発端はここです。」
 話を始めてかなりの時間が経ったが、榎本さんは出されたお茶に口を付けることもなく、説明を続ける。
「…私達は集魔の力を切ることで、霊の集まりが止まると考えていました。しかし事態はそんな単純なものではありませんでした。ここが知識不足、霊への認識の甘さなのですね、施設は霊自体が他の霊を呼び寄せる力を持つことを考慮していなかったのです。」

 そうか、榎本さん達は霊の習性を何も理解していなかったのか…
 これは能力者にとって常識なのだが、霊は自分の力が弱ければ弱い程、仲間を集めようとするのだ。施設が機能しなくなるまで集められた大量の霊なら、相当数の霊を呼び寄せることが可能だろう。
「昨日、集まった霊が許容範囲を越え、施設内に溢れ返ってしまいました。そのため敷地内にいた人間は霊に襲われ、対霊戦闘要員として育てていた者も全員…」
 榎本さんはそこで目を閉じ、大きく息を吐く。

 …これでようやく話の初めにあった事故の経緯が明らかになったな。そう思いながら俺は自分達が何をすべきか、どんな敵を相手にするかを考える。与えられた情報から察するに、敵の数は今まで受けてきた依頼の中で一番多いだろう。力量に関しては未知数だが、決して弱くはないはず…、中には恐ろしい力を持つ霊も混じっていることも考えられる。
「…では俺達はその施設に向かい、敷地内にいる霊を倒してくる…。今回の依頼はそういうことでしょうか?」
「はい。現在施設は私達が張った結界により、霊は増えることも外に出ることも出来ない状況です。しかしその結界が破られるのも時間の問題…。お願いします、どうかみなさんの力で施設内の霊を排除して下さい。」
 榎本さんはそう言うと、一度姿勢を正してから頭を下げる。
「…と、いう訳だ。分かったか片瀬?」
 しばらくの沈黙の後、話をまとめるように社長が口を開く。
「…ええ、大変なことになりましたね。」
「事態は急を要する、悪いがすぐに現地に行ってもらうぞ。」
「もちろんです。…ただその前に1つだけいいですか?」
 そう言って俺は榎本さんに視線を向ける。今の話を聞いていて、どうしても言っておきたいことがあった。
「はい、何でしょうか。」
「…これは価値観、主観の問題かもしれませんが、霊に対して『駆除』や『排除』という言葉を使うのは適切ではないと思います。その霊が生前、どんな思いで死んでいったか、どうして成仏できずにいるのか、なぜ現世に影響を与えるのか…。自分達から見れば害でしかない霊にも、何かしらの意味や意義を持っているものです。誰かを助けたい、何かを守りたい、そんな思いを持っている霊がいることをどうか知って、そして理解して下さい。…以上です。」

 …依頼者を前にして、ここまで霊を擁護する発言をしたのは初めてだった。この手の話を依頼者にするのは好ましくない、それは十分に判っている。だが今回はどうしても我慢が出来なかった。人間側の物差しで全ての物事を計ろうとするのは傲慢以外の何者でもない…、国の人間である榎本さんには特にこの点を心に留めておいて欲しかった。
「片瀬…?」
「片瀬君…」
 そんな俺の言動と様子に、織原さんと橘さんが少し驚いた表情で俺を見る。
「…まあ片瀬の言わんとすることはよく分かった。が、榎本さんだって何も知らないという訳じゃない。その辺はお前も察してやれるな?」
「はい、申し訳ありません…」
 俺は社長の言葉に素直に頷き、榎本さんに出すぎた発言をしたことを詫びる。
「いえ、片瀬さんのおっしゃったことに間違いはありません。…言いにくいことをわざわざありがとうございます、肝に命じておきます。」
 榎本さんはそう言って頭を下げ、初めて見せる笑顔で社長に話しかける。
「いいスタッフをお持ちですね、うらやましい限りです。」
「はは、個性とアクと我の強いのが揃ってますが、信頼の置ける人材ではありますな。」
「それが何よりですよ。…さて、これで私からお話することは一通り終わりましたが、他に何かお聞きしたいことはありますでしょうか?」
 俺は榎本さんの問いかけに首を横に振り、社長に視線を向ける。
「榎本さん、説明ありがとうございました。それでは今から準備を整え、すぐに現場に向かわせますので。」
「分かりました。施設までの道順、敷地内の見取り図等は全てこの中に入っています。」
 そう言って榎本さんは社長にファイルを手渡す。
「申し訳ありません、本来であれば私が案内をすべきところなのですが、これから上の人間に今回の報告に行かないといけないので…。」
「いえ、場所さえ分かれば大丈夫です。ここからはどうか私達にお任せ下さい。」
「…そうですか。せめて政府専用機でも出せればよかったのですが、どうしても目立ってしまいますからね。この辺りが裏方の辛いところです。」
 目的地まではかなり時間がかかるのか、榎本さんはそんなことを口にする。
「いえ、そのお心遣いだけで結構ですよ。」
「そう言って頂けると助かります。…それではみなさん、どうかお気を付けて。」
 榎本さんはすっと立ち上がり、俺達に向かって頭を下げる。
「はい。よい結果を報告できるよう、全力を尽くします。では私達は準備に取りかかりますので。」
 いつになく真面目な口調で言葉を返す織原さん。その顔には相手を安心させるだけの力があった。
「…お願いします。」
 榎本さんはそれだけ言うと、再度俺達に頭を下げて応接スペースを後にする。その途中、少しだけ見えた榎本さんの横顔からは、何かを決心した強い想いが見て取れた。
 バタン、というドアが閉まる音が鳴り、オフィス内には俺達だけになる。するとすぐに織原さんが口を開き、指示を出す。
「橘、片瀬、すぐに出発の用意をしてくれ。おい、水野!」
「は、はいっ!」
 仕切りの奥に向かって織原さんが声をかけると、水野の慌てた返事が返ってくる。
「当然お前も行くんだ、急いで道具をまとめてくれ。」
「わかりました!」
「それと宮内と三浦は―」
 そういえばあの2人は朝イチで仕事が入っていたはず…、そう思った時だった。
「大丈夫っスよオリさん、とっくに戻ってきてますって。」
「話は途中からですが聞かせてもらいました、自分はいつでも行けます。」
 そう言いながら姿を現す宮内さんと三浦。2人はすでに万全の体制を整え、早くもやる気と使命感をみなぎらせていた。
「…よし、これで全員揃ったな。」
 社長は一瞬だけ口元を緩ませ、集まった俺達の顔を見て満足そうに頷く。
「分かっていると思うが、今回の仕事はかなり危険だ。具体的な敵の強さ、および個体数が不明という不利な状況…、最悪の場合、こちら側に犠牲が出るかもしれない。」
「…」
 犠牲、という言葉を聞き、思わず俺はゴクリと喉を鳴らしてしまう。

 …そこには怯えている自分がいた。宮内さんや三浦はやる気に満ちているのに、織原さんの顔にはあれだけ力がこもっているのに…
 正直、悔しかった。怖がっている自分が、そしてそんな自分を奮起させようともしない自分自身が悔しくて仕方なかった。
 するとそんな俺の心境を察したのか、社長が俺に向かって話しかけてきた。
「…片瀬、お前がここに来てから今日までの間、ウチは誰一人欠くことなくやってこれた。…だが、今まで戦いの中で命を落としてしまった者を俺は何人も見てきている。」
 社長はそこで言葉を区切り、深く息を吐く。始めは俺に向けて話しているようにも思えたが、次第に自分自身に言い聞かせるような口調に変わっていた。
「戦いの中に身を置くものとして、能力者として生きることを選んだ者として、『死』というものは常に隣り合わせ…、それは十分すぎる程、それこそ今ここにいる誰よりも知っているつもりだ。仕方のないこと、そう片付けることは出来る。…だがな片瀬、俺はそんなのは嫌だ。そんなことは絶対にしない。」
「社長…」
「…全員、無事に帰って来い。俺が言いたいのはそれだけだ。俺はもう誰の死も見たくない。」
 それまで抱いていた不安要素が嘘のように消えていく、そんな気がした。
「…了解しました。必ず全員無事でここへ帰ってきます。」
 社長の言葉にまず織原さんが答え、続いて俺が口を開く。
「そうですよ、織原さんの言う通りです。社長、俺達を信じてください。…絶対に全員無事に戻ってきます。」
「…ああ、分かった。」
 社長はそう言って軽く頷き、また少し口元を緩ませる。と、そこへ水野も会話に入ってくる。
「もう、さっきから社長らしくないですよ。いつもの感じでいてくれないと、私達の調子が狂っちゃいますよ〜」
「はは、そうだな。」
 水野らしい場を和ませる発言に重かった空気が和らぐ。
「…安心して下さい、みんなで帰ってくるって約束しますよ。それに社長がこうして心配してくれてるのに、死んじゃったりしたら何を言われるか分かりませんからね。おちおち死んでられないですよ。」
 少し軽くなったオフィスの雰囲気に、俺もいつもの軽口が自然に出る。
「ふん、俺もお前の死に顔を見てメシが不味くなるのは御免だからな。片瀬、俺の美味いメシのためにも死ぬんじゃないぞ。」
「…了解。それでこそ社長です。」
 完全に普段交わされる皮肉の言い合いになった俺と社長。それを見ていた織原さんが苦笑いしながら話をまとめる。
「それでは社長の食生活を守ることも含め、頑張ることにします。」
「頼んだぞ。」
「…さ、社長も織クンもお話はこれでお終い!片瀬君も早く準備!」
 パンッと手を叩き、そう言って場を仕切り直す橘さん。
「あ、はいっ」
 やはりというか、何というか、結局最後は橘さんがしっかり決めてくれる…。これもいつものことだな、そう思いながらロッカーへ向かう俺に、さっきまであった弱い気持ちは微塵も無かった。
 ガチャッ、ガラッ!
 俺は勢いよくロッカーを開け、中にあった箱やケースを全部出す。何本もある剣の中から取り出したのは、神代さんにも褒めてもらったとっておきの霊剣。そしてどんな状況にも対応できるよう、様々な魔導具や札を手に取っていく。
「よしっ!」
 考えられる最強の装備を整え、俺は気合いを入れてみんなが待つ社長の机へと向かう。するとそこにはすでに準備を終えた織原さんと橘さんの姿があった。
「…用意はいいな?」
「はい。」
 普段は何も持たない織原さんだが、今回ばかりは上着や袖口に何か仕込んでいた。
「…社長、それでは行ってきます。」
「ああ。頼んだぞ。…さっき言った通り、俺が望んでいるのは全員の無事だ。わかったな!」
「はいっ!」
「よしっ、じゃあさっさと行って来い!」
 ダッ、社長の声を合図に全員が動き出し、オフィスを後にする。当然俺も一緒に歩いていたのだが、ふと振り返るとドアが全開になっているのが見えた。
「…気合い入ってるのはいいんだけど、最後のヤツはドアくらい閉めろよな…」
 俺はそう言いながら一旦戻る。そしてドアを閉めようとした時、ドアの隙間から社長の姿が見えた。オフィスの中で1人、拳を握り締めながら険しい表情で目を瞑っている社長。本当に俺達のことを心配しているのが痛い程伝わってきた。
 …社長、大丈夫です。俺達の力を信じてください…
 俺は心の中でそう言うと、握っていたドアノブをそっと離し、静かにその場から立ち去った。

  ・

「遅いぞ片瀬、何してたんだ?」
 エレベーターの中、『開』ボタンを押し続けていた宮内さんが聞いてくる。あの後俺は急いで戻り、なんとか置いていかれずに合流していた。
「…あの、気合を入れて出て行くのはいいんですけど、最後の人はドアくらい閉めましょうよ。見事なまでに全開でしたよ。」
「あ、スマン。最後に出たのは俺だわ。」
 しまった、という顔をして謝る宮内さん。
「みんなすっごい勢いで出て行きましたからね〜」
「私も全然気が付かなかったわ。」
「突進!って感じだったからな。」
 水野と橘さんの会話に織原さんが混じる。アツく返事をし、飛び出すようにオフィスを出る…、というキャラに合わないことをしたせいか、みんなどこか恥ずかしそうだった。
「…社長、あのまま1人で突っ立ってすごい険しい顔してましたよ。」
 決してこの和やかな空気を壊す気はなかったが、俺はさっき見たことを話すことにした。
「そうか…、そうだろうな…。」
「だとしたら何としても頑張らなきゃ。…そうでしょ、片瀬君?」
「ええ、そうですね。」
 暗くなるかと思われた場の空気、それは俺の杞憂に終わった。織原さんも橘さんも真剣な顔にはなったが、暗さや気負いといったものはどこにもない。
 …そうだよな、みんな十分分かってるんだ。
 俺はみんなのやる気がさらに高まるのを感じ、負けずに気合いを入れ直した。

  ・

「じゃあ片瀬、先頭は頼んだぞ。」
「はい、任せてください。」
 そう返事をすると、織原さんは俺に目的地までの地図を渡し、自分の車へ戻っていく。

 …会社を出た後、俺達は駐車場に来ていた。目的地までの移動手段は車、俺と宮内さんと織原さんの車にそれぞれ2人ずつ乗って行くことで話がまとまり、先頭を走ることになった俺はすでに自分の車に乗り込んでいた。
「橘さん、ナビお願いしますね。」
 そう言って俺は助手席の橘さんに地図を手渡す。俺の車に乗るのは橘さん、宮内さんは水野と、そして織原さんと三浦が一緒の車に乗っている。
「うん、任せて。」
 こういう役目は得意、と自ら言うだけあって、すぐに地図を広げて目的地までの道順を調べ始める橘さん。
「…よし、行くか。」
 一方の俺も織原さんがハンドルを握ったのを確認し、車を発進させる。地図を渡された時に少しだけ目を通したのだが、目指す施設は富士山の南東、鬱蒼(うっそう)とした森が広がる地域にあるようだった。

  ・

「うわ、すごい入り組んだ道…。この地図が無かったら着けなかったかも。」
 出発して数分、大通りに出たところで橘さんが声を上げる。ちらりと隣を見ると、いつの間に取り出したのか、橘さんの手には赤ペンが握られ、地図に線が引かれていた。
「その赤いラインが目的地までの道順…ですか?」
 思わずそんな当たり前のことを聞いてしまう俺。序盤は直線が多いのだが、赤い線は後半から一転して複雑に曲がりくねっている。橘さんの言う通り、地図を持たない状態で辿り着くのはほぼ不可能に思えた。
「…多分林道や農道に見せかけて作った道なんじゃないかな。分かれ道が等間隔にあるんだけど、施設に着く道は1本だけ。上手くカモフラージュしてるわ。」
「そういうトコはさすが国の機密事項、って感じですね。」
 俺はそう言いながらちらりとバックミラーに目を向ける。幸いなことに道路はいつもより空いていて、後ろの2台はしっかり付いてきていた。
「ねえ片瀬君、大体どのくらいで着くかって分かるかな?」
 車内にある時計と地図を交互に見ながら橘さんが聞いてくる。確かに到着時刻は気になるところだ、大まかでも知っておきたいだろう。
「そうですね…、都心を抜けたら結構飛ばせるんですけど、曲がりくねった道の状況がわかりませんからね。まあ3時間ちょいはかかるかと。」
「あ、そのくらいなんだ。」
「ええ、まあ何と言っても後ろにスピードキングが2台控えてますからね。」
「…う〜ん、事故っちゃダメだよ?」
 一応俺達の運転を信用してくれてはいるものの、橘さんはそう言って複雑な顔になる。

  ・

 それから3時間後。俺の予想はほぼ当たり、車は山道を走っていた。
「あ、片瀬君。次を左に曲がって。」
「はい。」
 山に入ってから何度目かの指示。1つ道を曲る度に道幅が狭くなるが、不思議と舗装だけはされていた。

 …これは順調に正解ルートを通っている、と考えてよさそうだ。途中で急に砂利道になったりもしたが、どうやらそれは巧妙なカモフラージュだろう。だとしたらあとどのくらいで―
「ッ!?」
 その時だった。それまで穏やかだった周囲の空気が瞬時にして淀んだものに変わり、悪霊のものと思われる大小様々な霊気が流れ込んできた。
「橘さん…」
「ええ、かなり広い範囲で異界化が進んでるわ。」
 俺より霊気に対する感覚が鋭い橘さんはそれだけ言うと、施設がある方向をじっと見つめる。
「…確か結界を張って霊の流出を防いだ、って言ってたよね。ここでこれだけの霊気を感じるということは、建物の中はもっと酷いことになってるかも…」

 …厳しいな。俺は予想を上回る状況の悪さに、事の重大さを改めて思い知る。
「あとどのくらいで着きますか?」
「そうね、もう少しで見えてくると思うわ。この先にある大きなカーブを抜けたら着くみたい。」
「分かりました。」
 もしこれでまだまだ先、と言われたらどうしようかと思ったが、もうすぐ着くという言葉に俺はホッと胸を撫で下ろす。さすがにこれ以上敵の霊気が高まるのは勘弁して欲しかった。
「…片瀬君、あそこを見て。」
 そんなことを考えている間に車は最後の直線に入り、すぐに目的の建物が見えてきた。思っていたより大きく、近代的な機材が並ぶ国の秘密施設。とりあえず俺は敷地の中には入らず、道端に車を止めることにした。
「やっと到着か…」
 そう呟きながら外に出る俺。細心の注意を払って周囲を見渡すが、いきなり敵が襲いかかってくる様子は見受けられなかった。

 …キッ、バタン!
「ふう、やっと着いたな。」
「やっぱり外に出ると、この異常な空気がよく分かりますね…」
 すぐに宮内さん、織原さんたちが合流。みな車を降りると同時に敵の気配を探り、一応の安全を確認してから俺と橘さんの元へ集まってくる。
「どうやら結界は塀に沿って張られているようだな。」
「そうね。…でももう長くは持ちそうにないわ、門の辺りから霊気が漏れ始めてる。」
「森の中で感じたのはこのせいか…」
「ここからじゃ中の様子は分からないけど、きっと完全に異界化していると―」
 織原さんと橘さんは瞬時に状況を把握し、これからどうするべきか話し始める。どうやら織原さんは車の中にいる時から色々と考えていたらしく、橘さんに幾つか確認を取っては頷いている。
「あんな慎重になってるオリさんは初めてだぜ。」
 織原さんの様子を目で追っていた宮内さんはそう言うと、一旦視線を施設に向ける。
「それだけの敵がこの中に、オリさんをああさせるだけの何かが壁の向こうにあるってコトか…」
 納得というか、どこか自分に言い聞かせるような口調の宮内さん。しかしその言葉に負の感情はなく、未開の地に挑む冒険者のような意気込みが感じられた。
「みんな、聞いてくれ。」
 その時、橘さんと話を終えた織原さんが声を上げ、俺達を呼び寄せる。
「…では今から施設内に潜入する。分かっていると思うが、この壁の向こうには都心から集められた霊が詰め込まれている。おそらく敵の数は膨大、強さに関しても決して楽に倒せる相手だけではないだろう。そこでだ、みんなにはこれから俺が言う通りに動いて欲しい。…頼めるな?」
 織原さんの声に全員が頷く。
「よし。まず中に入ったら橘に敷地全体を覆う防御陣を張ってもらう。これで瘴気を払えば、かなり戦いやすくなるだろう。俺達は橘が詠唱を終えるまでの間、敵を近付けないようにするんだ。」
 ササッ、俺達は返事をする代わりに素早く移動し、橘さんを中心に等間隔に散らばる。
「…宮内、三浦、俺が合図をしたら門を開けてくれ。片瀬は俺と一緒に速攻で中に入り、前面を固める。その後に橘、水野と続き、門を開けていた2人が橘の両脇に付く。おそらく敵が襲ってくると思うが、橘が防御陣を張り終えるまで持ちこたえるんだ。」
「了解です。」
「みんな、お願いね。」
「任せてください。」
 俺達は言葉を交わし合い、お互いの役割を確認する。そこには全員が全員を信頼しているからこそ発生する安心感、心強さがあった。
 そして、俺達は動き出す。
「…」
 宮内さんと三浦が門に手をかけ、グッと力を入れる。
「今だ、行くぞっ!」
 織原さんの言葉を合図に、固く閉ざされていた門が一気に開け放たれる。
 ザザッ!、門が開くと同時に地面を蹴る音が2つ、俺と織原さんは敷地内へ飛び込んだ。
「うっ!?」
 門を抜け、剣を抜こうとした時だった。俺は急に激しい頭痛に襲われ、膝から崩れそうになる。
「しっかりするんだっ、神経を集中していないと瘴気にやられるぞ!」
 織原さんの怒鳴り声が響く。敷地内は充満した瘴気のせいで、完全に異界化している…、俺はさっき橘さんがそう言っていたことを思い出し、剣をギュッと握ることで何とか頭痛を振り払う。そして視界を再び前に向けると、建物がある方向から多数の霊が襲いかかってくるのが見えた。
「片瀬、あの集団は俺達2人で食い止める、いいな!?」
「はいっ!」
 俺は返事をしながら左手に霊気を集中、特大級の火炎弾を造り出す。
「くらえっ!!」
 ゴオオオオォォッ!、轟音を響かせ、火炎弾は敵の先頭集団を焼き払う。まともに攻撃を喰らった霊の大半は消滅したが、数体が無傷のままこちらに向かってくる。
「任せろ!」
 織原さんはそう言うと、霊を正面から迎え撃つ体制に入る。瞬時に両手へ霊気を送り込み、気を急激に高める織原さん。そこに敵が3体、一斉に攻撃を仕掛けてきた。
 ブンッ、ブウウンッ!
 敵が織原さんの間合いに入った、俺がそう思った時、周囲の空気が激しく震えた。動きだけ見れば何もないところへボクシングのワン・ツーを出したような織原さん。しかし強大な霊気をまとったパンチは空間をえぐり取るだけの力を持ち、それをまともに受けた敵は成す術も無く消滅、後に残るのは歪められた空間が元に戻る時の低い音だけだった。
「…まだまだ来るぞ、気を抜くなよ?」
「はい!」
 織原さんはファイティングポーズを、俺は剣を斜め上段に構え、次なる敵襲を迎え撃つ。
 その間に後ろから橘さん達が追い付き、俺達は全方向をカバー、次々と襲いかかってくる敵を全員の力を合わせて戦っていく。
 シュッ、ズバァッ!
「三浦、後ろは頼んだぞ!」
 ドムッ、ドゴオォッ!
「ああ、任せろ!」
 剣での斬撃と法術を使い、三浦の補助に回る俺。そしてすぐに橘さんの方を向き。攻撃を仕掛けようとしていた敵を焼き払う。その直後、俺を狙っていた敵の群れを宮内さんと水野が横から蹴散らす…。そんな戦いが数分続いた。
「…くっ!」
 大技を繰り出すとまだ少しだけ頭が痛む。それは周りも同じらしく、みんな本来の動きが出来ていない。既に倒した敵の数は俺だけで三桁を越えているにも関わらず、途切れることなく敵は現れる。
「ハンパじゃねえな…」
 ちょうど背中を合わせて戦っていた宮内さんが言葉を漏らす。まだ息は上がっていないものの、瘴気を含んだ物質に自分の霊気を通すのはかなり厄介そうだった。
 パアアアァッ…
「っ!?」
 その時、急に眩しい光が辺りを包み、今まで感じていた重い空気があっという間に消えていく。同時に頭痛も治まり、どこか重かった身体も元に戻っていた。
「みんな、お待たせ!」
 俺達の中心にいた橘さんが声を上げる。振り返って見てみると、額にうっすらと汗を浮かべて立っている橘さんの足元には複雑な陣が描かれている。
「助かったぜ、これでまともに戦える。」
 防御陣が張られたことを理解し、そう言って安堵の表情を浮かべる宮内さん。
「よし、一気に攻めるんだ!」
 完全にペースを取り戻した織原さんが叫ぶ。今ここにいる敵の数はあと僅か、さらに防御陣のおかげか、新手が現れる気配も感じられない。
 …織原さんの言う通り、攻めるのは今だ!
「はああああっ!」
 俺は元に戻った霊気を全身に溜め、敵の中に突っ込んでいく。当然敵は1人になった俺に狙いを定め、一斉に攻撃を仕掛けてくる。しかし、俺の狙いはそこにあった。
 ゴオオオッ…、シュッ、ズバッ、ズシャアアァァッッ!、身体の中心に集まった霊気を風に変え、大気の渦として放出。無数に生じた風の刃が敵を切り刻む。
「…やるじゃないか片瀬。」
 俺の放った攻撃が収まり、敵が消滅したところで織原さんが近付いてくる。
「とりあえずこれで敵襲第1弾は全滅、計画通り防御陣も張ることが出来たな。」
「ええ。」
「だがな片瀬、敵はまだまだ腐る程残っている。これからが勝負だ。」
「…はい、分かっています。」
 そう言って俺は敵がいるであろう建物を見つめ、剣を一旦鞘に収める。
「オリさん、次はどうしますか?」
 俺達のやり取りを後ろで見ていたのか、ちょうど会話の区切りがついたところで宮内さんが話しかけてくる。
「ああ、今話す。みんなは…もう集まってるか。」
 織原さんが振り返ると、そこにはもう全員が並んでいた。
「…では聞いてくれ。俺達はここから3つに別れて行動してもらう。ペアを組むのは俺と三浦、片瀬と宮内、橘と水野だ。」
 こうして織原さんの説明が始まる。

 …この施設は2つの大きな建物で構成されており、造りは違うが広さはほぼ同じになっているらしい。そこで俺達と織原さん達はそれぞれ別の建物に入り、中にいるであろう大量の敵を倒していくことに。残る橘さんと水野はこの場に残り、防御陣の維持に徹する…。大まかな説明は以上、地形や状況を考慮した的確な作戦だった。
「さっきの戦闘で感じたのだが、敵は集団で現れるものの、統制は全く取られていない。そのため多少なら囲まれても対応出来るだろうし、今は防御陣もある。勿論油断は禁物だが、力を合わせればいけるはずだ。」
「分かりました。」
 俺もこの広い敷地内を全員で動くより、多少危険度が増しても別行動を取ったほうがいいと思う。術者がいくら橘さんとはいえ、さっきまであれだけの瘴気が立ち込めていた場所だ。防御陣をこのままにしておくのはやはり不安がある。まだ建物の外に敵がいることも考えられるため、ここは水野と2人で残ってもらうのが賢明だろう。
「このペアなら普段から仕事をする機会も多いですし、何とかいけるでしょう。」
 と、宮内さんも賛成。三浦も頷いている。
「水野、お前は攻撃範囲が広く、一度に複数の敵を倒せる武器を多く使える。戦闘の際は橘をしっかり援護するんだぞ。」
「はいっ」
 元気よく返事をする水野。その頼もしげな言葉に横にいた橘さんが微笑む。
「よし、では宮内と片瀬は向かって右側、俺達は左側の建物に入る。…行くぞ!」
 ダッ、俺達は3つに別れ、それぞれ行動を開始する。
「それじゃあオリさん、先に行きます!」
「ああ、気を付けろよ!」

 建物に向かって走り出してすぐだった。先に入口が見えてきたのは右側、俺達は織原さんと三浦より一足早く中に入っていく。
 ダッ、バタン!
 短い通路を抜け、俺と宮内さんはメインホールと書かれた部屋に出る。すると次の瞬間、まるで見計らったかのように周囲の気が変わり、天井から大量の霊が現れた。
「チッ、いきなりかよっ!」
 そう毒を吐きながらも、すぐさま迎撃態勢に入る宮内さん。ほぼ同時に俺も剣を抜くが、構えた時にはすでに宮内さんのコインが敵を捉えていた。
 ボンッ、ドカァッ!
 普段より強力な霊気を込められているのか、コインは一度敵に当たっても貫通し、数体まとめて倒していく。
「ふんっ!」
 シュッ、ズパァッ!
 俺も負けずに素早く剣を振り、衝撃波で一気に敵を消し飛ばす。だが圧倒的な数で押してくる敵の勢いは衰えることなく、逆にその集団の中から2体、飛び抜けて高い霊気を持った敵が飛び出してきた。
「キシャアッ!」
「ウガアァ!」
 奇声を上げながら攻撃を仕掛けてきたのは何と侍の霊。おぼろげではあるが、手には霊気で造られた刀が握られている。
 ス…、シュンッ!
「まずいっ、宮内さん離れて!」
 敵は狂乱状態ではあるが、剣の腕は間違いなく一流…。太刀筋からそう判断した俺は宮内さんに注意を促し、自分も十分に間合いを取る。

 …霊気を具現化出来るのは生前から相当な力を持った者のみ。この霊は剣術の腕だけでなく、霊能力も持ち合わせているのか…
 俺は敵から目を逸らさずに移動し、宮内さんの前に立つ。
「宮内さん、ここは俺に任せて下さい。」
「…ああ、頼む。その代わり他のヤツは片付けておくぜ。」
「…お願いします。」
 この2体を相手にするのであれば接近戦は必至、そうなると剣を持たない宮内さんでは少々分が悪い。俺達はそう考え、戦う相手を分けることにした。
 ダッ、そうと決まれば話は早い。俺は2体の侍の霊に向かって飛び込み、浅い連撃を交互に打ち込んでいく。その間に宮内さんは壁際まで下がり、俺の死角を突いて攻撃しようとしている残りの敵を次々と撃破していく。
 ヒュン、カキッ、ブンッ!
「はっ、たあぁ!」
 強力なバックアップを得たおかげで目の前の敵に専念出来るようになった俺。向こうは剣の世界を生きてきた本物の侍、現世において剣を振るう者として、これ以上の相手はいないだろう。
「グオオッ!」
 ヒュンッ、ガキィッ!
「負けるか!」
 シュッ、ブンッ!
 俺は敵の斬劇を剣の腹で受け流し、反撃に移る。しかし俺の放った攻撃は空を斬り、その際に生じたわずかな隙を突いてもう1体が斬りかかってきた。
「くっ!」
 反射的に身体を捻り、バックステップでその場を離れる俺。すると敵は剣をピタリと止め、追撃しようと飛びかってくる。
「甘い!」
 かなりのスピードではあるが、あまりにも攻撃が直線的すぎる。俺はそう叫び、剣を前に思いっきり突き出す。いつもは振ることで衝撃波を出しているが、刺突でも発生させることが出来るのだ。
 〜〜ッ、ドゴオオォッ!
 空間を切り裂くような音の後、俺が放った衝撃波は見事に命中、敵の胴体に大きな穴を開ける。攻撃範囲は極端に狭まるが、力を一点に集中させるため、刺突からの衝撃波は絶大な威力を持っている。
「うおおおっ!」
 ダダッ、ズバアアァッ!
 この機を逃す訳にはいかない。俺は勢いよく床を蹴り、渾身の一撃を繰り出す。
「…〜ッ」
 無念、と言わんばかりに膝からゆっくり崩れ、敵はバタリと倒れて消えていく。
 残るは1体!
 俺はキッと敵を見据え、剣を構え直す。そして自ら相手の間合いに入り、純粋な剣と剣との打ち合いを誘う。
 ジリッ、ジリッ…
 その誘いに乗ったのか、霊もギリギリのラインを維持しながら剣先を俺から離さない。
「まさかこんなヤツまで集められてたとはな…」
 構え合うことで判る相手の強さ。思わず口にした言葉は緊張をほぐそうとして出たものかもしれない。
「キイイィッ!」
 気合いと叫びが混同した声を上げ、敵が先手を取って襲いかかってくる。
 ヒュッ、シュ、スパアッ、カキィィン!
「ぐっ!」
 かわすのが間に合わず、柄をうまく使って残撃を受け止める俺。敵はスピード、パワー、霊気の質量、どれを取っても先に倒した霊より上の力を持っていた。
 …ザザッ、俺は少し距離を置き、構えを攻撃主体の上段に切り替える。ちらりと部屋の反対側を見ると、宮内さんが大量の敵を相手に奮戦している。どうやら1体たりとも俺の方へは向かわせないよう、常に自分を壁にして戦っているようだった。
「マジで助かります、宮内さん…」
 そう呟き、俺は自分の剣に霊気を注ぎ込む。
 すると次第に刀身が輝き出し、光はやがて両腕にまで達する。
「ググ…」
 敵は俺の霊気を含んだ剣の力を察し、動揺に近いうめき声を上げる。反対に俺は勝機ありと判断し、迷わず前に踏み込んだ。
「行くぜぇ!」
 身体を出来るだけ低く下げ、刃先で目測を付けながら斬りかかる。
 グンッ、そして俺は敵の目の前に来たところで大きく身を伸ばし、相手の左肩口から斜めに剣を振り下ろす。
 〜ッ、…スパッ!
 無音。その後に遅れて空気が裂ける音。敵の胴体が分断された音が聞こえたのはもっと後だった。
 ズズズ、ドザッ。敵の最後は悲鳴でもなければ未練の言葉でもない、床に自分が落ちる音だけ。何かをさせる間も与えない、音速を遥かに超えた一撃は「無の剣」と呼ばれる古代剣術の流れを汲む必殺剣。これは神代さんの得意技であり、俺が使える最強の居合い術でもある。

「…ふう。」
 大きく息を吐き、俺は剣から霊気を抜く。すでにこの部屋に他の敵の霊気はなく、感じるのは宮内さんの気だけ。どうやら向こう側の戦闘も終わったようだ。
「ったく、数だけかと思ったら中に厄介なヤツが混じってやがった。」
 と、グチをこぼしながら歩いてくる宮内さん。だがすぐに真剣な顔になり、部屋の奥にある扉を見つめる。
「…さ、今作った借りを返すためにも先を急がないとな。」
「そうですね、行きましょう。」
 この先にはまだまだ多くの敵がいるはず、俺は宮内さんの言葉に強く頷き、2人並んで扉へと駆け出した。

  ・

 その後、俺と宮内さんは建物の中をどんどん突き進み、幾度となく現れる敵を協力し合いながら倒していく。
「…ふう、まだ先があるのか…」
「さすがに、少し、疲れてきましたね…」
 実験室のような部屋、モニタールーム、倉庫、機械類が並ぶ制御室…と進んできた俺達2人。かなり奥まで来ていることは分かるのだが、さらに先へと続く扉があった。

「そういえば…」
「どうした片瀬?」
「今思い出したんですけど、さっき通ってきたモニタールーム、あそこに映ってた部屋は全部通ってきたような気がするんですよ。」
「本当か?」
 宮内さんに聞き返され、俺は再度モニタールームで見たものを思い出す。
「ええ、多分間違い無いかと。…でもカメラが回ってない場所があるかもしれないんで、決め付けるにはまだ早いんですけどね。」
「ぬか喜びはいただけねえな。ま、考えてても仕方ねえ。進むぞ。」
「はい。」
 ギィィ…、俺は次でラストであって欲しい、という淡い希望を抱きながら扉を開ける。
「あ…」
「外…だな。」
 どこか肩透かしを喰らったような顔になる俺と宮内さん。いつもならここから厄介極まる、みたいな展開になることが多いのだが、2人の目の前に見えるのは外の風景。これはどう頑張っても屋外にしか見えない。
「…ええっと、終わり…ですかね?」
「ああ、やけにあっさり解決したな…」
 確かに俺達は建物に入ってから、数え切れない数の霊を倒してきた。勿論その中には手ごわい相手、強い力を持つ者も多々混じっていたので、楽勝とは言えない。だが…
「宮内さん、これはやっぱりおかしいですよ。こんなに簡単に片付くとは思えません。」
「そうだな…。ッ!?」
 バッ!、その時、俺と宮内さんの視線が一点に集中、瞬時に戦闘態勢に入る。
「織原さん、三浦…?」
 2人が見つめるのは隣の建物。その中から感じるのは織原さんと三浦の霊気の他にもう1つ、敵のものと思われる恐ろしく強力な霊気が混じっていた。
 〜ビクンッ!
「!?」
 何か、全身を電撃が走ったような感覚が俺を襲う。嫌な予感、急激に高まる不安…。
「まさか、今のは…」
 考えたくはないが、それは唐突に、そしてはっきりと霊気の変化として表れていた。
「三浦の気が…消えた。」
 信じられない、と言わんばかりの宮内さん。俺も全く同じ気持ちだった。
「そんな…、一瞬で?」
「片瀬っ、急いでオリさん達のところへ行くぞ!」
「は、はいっ!」
 一体何が起きたんだ…、俺は湧き上がる不安を払拭するように一心不乱に走る。だが…
 〜ッ、ズドォォンッ!
「!?」
 もう少しで建物の中に入れる、という時だった。突然爆発に似た轟音が鳴り響き、地面が大きく揺れる。
 …敵が現れた。数は一体、巻き上がった土埃でしっかりとは見えないが、仁王像のような法衣を身に纏っていた。おそらくどこかの寺社に封印されていたか、もしくは奉られていた者が瘴気を浴びて凶悪化したのだろう。ただどちらにしろ、恐ろしく強大な力を持っていることに変わりはない。敵は俺達の前に立っているだけなのにも関わらず、少しでも気を抜くと吹き飛ばされそうな程の強い霊気を発していた。
「…くっ」
 それでも俺は何とか剣を構え、その圧倒的な霊力に対抗しようと自分の霊気を最大限までに高める。
「…やってやろうじゃねえか。」
 そう言って宮内さんも全身から気を放出し、霊気を無数の帯に変えていく。2人が捻出した霊気の量は間違いなく過去最大、しかし敵の霊気はさらにその上をいっていた。
「オリさん、持ちこたえて下さいよ…」
 建物の中からは織原さんと敵の霊気、その2つがさっきから激しくぶつかり合っている。だが相手は三浦を瞬時に無力化させるだけの力の持ち主、このまま織原さんを1人にしておく訳にはいかない。
「片瀬…」
「はい。分かってます。」

 …総力戦で敵を迎え撃つ、俺と宮内さんの頭の中にある思いは同じだった。初めから、そして最後まで持てる全ての力を出して戦う。やるべきことはただそれだけ。自分の力を、共に戦う者の力を信じる、それだけだ。
 ダダッ!、俺達は何の合図もなく同時に地面を蹴り、素早く左右に散る。今まで何度となく一緒に戦ってきた2人の動きに無駄はなく、お互いベストの間合いで攻撃を仕掛ける。
「うおおおぉッ!」
「喰らえッ!」
 ブウウゥン…、という霊気が共鳴する音の中、俺は両腕から炎と風の渦を、宮内さんは霊気の帯をそのまま突き刺そうと念を飛ばす。
 ゴオォッ、ドムゥッ、ズシャアアァッ!
 効いたかどうかは不明だが、放った攻撃は全て敵に命中、さらに俺達は間髪入れずに追い打ちをかける。

 …一気に決めてやる、ヤツに反撃させる暇は与えない!
「ていっ、たあっ!」
 俺は一心不乱に火炎弾と雷光を飛ばしつつ、ジリジリと敵に近付いていく。相手がどう出るか分からない場合、攻め続けるというのは悪い策ではない。例え与えるダメージは微弱でも、蓄積していけば必ず結果につながる…、俺はそう信じて攻撃を続ける。
 フッ…
「!?」
 その時、俺の身体がゾクリと震えた。まるで大空に花火が打ち上げられたかのように、織原さんの気が突然大きくなり、そして消えた。
「…オリさん?、…オリさんッ!」
「そんな…」 
 宮内さんも俺も攻撃の手が止まり、反射的に織原さんの気を探そうと意識を建物内に向けてしまう。一瞬この隙を突いて反撃されたら…とも思ったが、幸い敵はその場から動くことはなかった。
「…」
 結局俺は織原さんの気を察知することが出来ないまま、仕方なく敵に視線を戻す。
 シャキッ、俺は自分の中にあるやるせない思いと、高まる怒りの感情の両方を込め、剣を構える。

 …この状況下で自分がやるべきこと、取るべき行動とは何か。もし俺にもっと力が、絶対的な力があったらどうなっていたか。そんな想いが俺の中で形を成しては消え、そしてまた形を成しては消える、を繰り返す。
 目の前の敵を倒す。
 織原さんと三浦を探す。
 2人と戦っていた敵を倒す。
 …この全てを早急に行わなければ…。
 では一体どこから?
 何を一番先に?
 具体的な策は?
 それ以前に俺に出来るのか?
 …駄目だ、答えが出ない。
「…俺に、もっと力があれば…」
 そう、俺がもっと強ければ、これらを全て瞬時に片付けれるだけの力があれば…
「片瀬ェッ!!」
「はっ!?」
 完全に混乱していた俺を現実に戻したのは宮内さんの叫び声だった。そして…
 ズシャッ!!
「え…?」
 なぜ宮内さんが目の前に?
 まず初めに思ったことはそれだった。
 ゴブッ、ビチャ…
 どうして宮内さんから大量の血が?
 次に思ったことはそれ。
「片瀬…、戦いの最中に、よそ見と考え事は…、禁物だぜ…」
 バタッ…
「宮内、さん…?」
 どうして、倒れるんですか?
「…」
 俺の目の前にいた宮内さんが視界から消え、代わりに敵の姿が目に映る。敵はいつの間にかすぐ近くまできていて、手が真っ赤に染まっていた。
「…」
 ここまできたところで俺はようやく全ての事態を理解、把握した。
「…」
 言葉が出なかった。
 …敵は俺に向かって攻撃してきた。それを俺は気付かなかった。そこに宮内さんが割って入り、俺の代わりに攻撃を受けた。
 そしてその結果、宮内さんが倒れた。
「…あ、あああ…」
 狂う、俺が、壊れる。
 俺は何てことを、俺が宮内さんを、俺のせいで宮内さんが、俺のせいで三浦が、織原さんが…
「…う、うあああああああぁぁッ!!」
 壊れる、壊す、壊れる、壊す…
 全てが俺のせい、全て、俺が悪い。
―片瀬!
―片瀬君!
「…え?」
 完全に自我が崩壊する、まさにその直前。俺を救うかのように2つの声が聞こえてきた。
 1つは目の前、倒れた宮内さんから。そしてもう1つは橘さんが遠くから俺の意識に直接話しかけてきたものだった。
「片瀬…、らしくないぞ…。それにお前は何も悪く、ない…」
―そうよ片瀬君、しっかりして!、自分を見失っちゃダメ、意識を強く持って!、そうしないと自分自身に負け…キャアアッ!
「っ!?、橘さんっ!?」
 叫び声を最後に橘さんの声が途切れる。そして宮内さんもさっきの言葉以降、何も喋らなくなり、全身から霊気が抜けていく。
「宮内さん!」
「…」
 宮内さんは俺の声に反応し、僅かに口を動かす。だがその口から明確な言語が発せられることはなく、短いうめき声が聞こえてきただけだった。
 〜ッ!、〜ドゴォォ…
「!?」
 必死に何かを喋ろうとしていた宮内さん、しかしその声は急に起きた爆発音でかき消されてしまった。
「…まさか…」
 俺は爆発があった方向を見て再度愕然とする。考えたくはないが、それでも頭に浮かぶ最悪の事態。俺はすがるような思いでその方向に気を向け、霊気を探る。
「そんな…」
 …水野と橘さんの気が、どこにもない。
「!、この気は…」
 代わりにその場にあるのはさっきまで建物の中にあった、織原さん達と戦っていた敵の霊気。
 ガクンッ
「うっ…!?」
 急に急に身体が重くなり、何か上から押し付けられている感覚が俺を襲った。それはそれまで俺達を守っていた防御陣が消えたということ、つまり橘さんの霊力が及ばなくなったということを意味していた。
 これで俺の抱いていた淡い、微かな期待が完全に叩きのめされた。あの橘さんまでもが敵にやられ、残っているのは俺1人。

「…」
 まだ怪我と呼べる傷はないものの、精神的なダメージは相当大きい。以前の俺ならもう立ち直ることは出来なかっただろう。だが、今はかろうじてだが、こうして立ち、剣を握っている。
 それは自分の意思で「立って」いるのか、それともみんなの想いが、みんなへの想いが俺を「立たせて」いるのか…。自分でもどっちなのか分からないが、それでも俺はまだ敵と向き合うだけの気力を持ち合わせていた。
「…」

 …俺は、弱い。決して自分をけなす訳でも、過小評価している訳でもない。精神的な強さ、心の強さという点で俺は確かに弱い。
「…でも、強くなりたい。」
 ゴゴゴゴゴォ…、その言葉を口にした時、俺を包む霊気が明らかに変わった。上手く説明できないが、『何か』を越え、そしてその先にある『何か』を得た。そんな感じがした。
「やっと解りましたよ、神代さん…」 

 …俺はさっき、力を欲した。だれにも負けない強い力、全ての物事を解決させるだけの力。だがそれはあの時神代さんが伝えたかった、本当の意味での強さ、力ではないことをようやく理解した。
「どうしてもっと早く、気付かなかったんだろうな…」
 そう言って俺は自分の手の平を見つめる。出来ればここまで追い詰められる前に、みんなが傷付く前に答えに辿り着いていたかった。
 バチッ、ピシィッ!
 自分でも信じられない強さの霊力が全身から湧き上がり、周囲の空気が激しく震える。
『…グ』
 その急激な霊気の上昇に、それまで沈黙を続けていた敵が声を上げる。
『主ノチカラ、我ニ拮抗セントス…』
 敵はそれだけ言うと、ゆっくり両手を上に掲げる。
『ダガ我等、対ヲナシテ動ク者。真ノチカラ、イマダ発揮セズ…!』
 〜ッ、ズドォォンッ!
「!?」
 織原さんの元へ向かっている時と同じ、轟音と土埃が巻き起こり、敵の霊気が1つ増える。その気は間違いなくさっきまで橘さんがいた場所にあったもの。そして姿を現した敵は、先まで戦っていた相手と全く同じ外見をしていた。
『見ヨ、コレゾ我等ガチカラ…。コレゾ万物ヲ従エシチカラナリ…』
 ス…、スウッ…
 敵は対を成して動く、という自身の言葉通り、ゆっくりと重なり合って融合を始める。厳密に言えば対を成す、と融合は別物なのだが、この際そんなことはどうでもよかった。当然敵の力量は個々を合わせたものより高くなっているだろう、だがそれでも俺は一対一で戦う方がよかった。
「行くぜ…」
 傷付いた仲間のために、今までの自分に踏ん切りをつけるために、俺は敵に向かって走り出す。心の中にあるのは全力で敵を倒すことのみ。今日になってもう何度となく決意したことではあるが、全身からみなぎる霊気がこれで最後だと告げていた。
 サッ、ビラッ、俺はありったけの札を取り出し、その全てに霊気を込める。使うのは冥府炎、雷神、土竜の召還攻撃符術。単体で使っても相当な威力を持つ術だが、組み合わせると破壊力がさらに増す。
「オラアァッ!」
 ブンッ、…キシャアアァァッ!!
 俺の放った札は手を離れると同時に変化、土の竜に炎と雷が絡み付き、敵へと襲いかかっていく。
 ドゴオアァァッ、ビチッ、ビチビチッ!
 激しい衝撃と爆炎、それに雷の音が響き渡る中、敵は両腕を交差させたまま動かない。全霊気を守りに回したような格好だが、上半身を中心にかなりの傷が出来ていた。
『グ…、マサカココマデトハ…』
 攻撃を防ぎきれると思っていたのか、敵はそう言って俺を睨みつける。そしてゆっくりと防御の構えから攻めへと体勢を変え、刺すような霊気を俺に向けて飛ばしてきた。
『受ケテミヨ、我ガ腕撃!』
 ダッ、敵は叫び声を上げると同時に腕を振り上げ、一気に間合いを詰めて殴りかかってくる。その速さは尋常ではなく、俺はかわすことも剣で受けることも出来なかった。
 ブンッ、ドゴムッ!
 敵の拳が俺の下っ腹に直撃、鋭い角度からえぐるように繰り出されたパンチは痛みを感じるより先に俺の身体を吹き飛ばす。
 ドサッ、ザザザザ…
 俺は地面に叩き付けられ、さらに余った勢いで何十メートルと転がっていく。それでも何とかすぐに立ち上がり、剣を構えるが、その先に敵の姿はなかった。
 …後ろ、いや上か!?
 微かに流れる敵の霊気を感じ取り、俺はさっきの二の舞にならないよう、素早く迎撃態勢に入ろうとする。だが先の攻撃で骨が折れてしまったのか、身体をひねった途端、激痛が走る。
「うう…」
 …マズい、このままではまた―
 そう思った時にはもう手遅れだった。
 ガシッ、ドゴオオッ!、俺は上から飛んできた敵に頭を鷲掴みにされ、そのまま地面へと押し付けられる。
「ぐあぁッ!」
 ギシギシと全身からおかしな音が鳴り、叩き付けられた時とはまた違う痛みが俺を襲う。
 …くそ、負けて、たまるか…
 敵の力は凄まじく、俺を中心に周囲の土地が陥没していく。しかしそんな絶望的な状況下に置かれても、俺は決して勝負を投げようとはしなかった。
 〜ッ、ドゴオッ!
『ウガアァッ!?』
 俺はゼロ射程から火炎球を打ち込み、敵をはね飛ばす。当然俺にも爆発のダメージはあるが、今はこの状況を抜け出すことが最優先だった。
「まだまだ、これから、だぜ…」
 身体も服もボロボロ、まさに満身創痍、といった感じの俺。だが剣を握る腕と、敵を見据える瞳はまだしっかりとしていて、全身を包む霊気も衰えてはいなかった。
『ナゼダ、ナゼ倒レヌ…!』
 間違いなく致命傷は与えたはずだ、と言わんばかりの口調で話す敵。
『我ノチカラハ貴様ノ比デハナイハズ、ナゼ立チ上ガレルノダ!?』
「…力を求め、力を得て、そして力に過信する…。もしかしたら俺もこうなっていたのかもな…」
 俺はそう言って遠くで横たわる宮内さんを、織原さんと三浦がいる建物を、そして水野と橘さんがいる方向を見つめる。
「今なら分かる、感じることが出来る…。みんなの霊気を、みんなの想いを…」
 パアアァッ…、俺の身体が輝き出し、同時に5つの異なる霊気が集まってくる。
『コ、コレハ…!?』
 説明するまでもなく、この霊気は宮内さん達のもの。一度は完全に消えていたのだが、俺の霊気に共鳴し、僅かながらに復活していた。その5つの霊気を譲り受け、俺の身体はさらに輝きを増していく。
「…みんなの力、借ります!」
 俺はそう叫び、敵に向かって大きく飛び跳ねる。そして剣を振りかぶると同時に、宮内さんの能力である霊気の帯を無数に伸ばし、次々と突き刺していく。
 ズシャッ、カキィ、スパッ、ザクッ!
 霊気の帯は半数近く命中し、敵の動きを鈍らせる。そこに俺の斬撃が加わり、攻撃はさらに激しさを増していく。
『ウオオオッ!!』
 この猛攻に敵は守りを一切排除し、捨て身の攻撃に切り替える。俺の斬撃をまともに受けながらも、敵はひるむことなく拳を突き出してきた。
 ブンッ、ドガッ、シュンッ、ブンッ!
 手数に優れる俺と、パワーに優れる敵。性質は異なるが、総合すると両者の打ち合いは全くの互角。敵は剣が当たっても霊気のガードがあるため、致命傷を与えるまでにはいかない。一見こちら側に有利な剣と拳の対決、しかし事態はそう簡単なものではなかった。
 シュッ、ガキッ、ズガアッ!
 この状態はしばらく続き、お互いに一歩も譲らないという展開になる。
 …ドゴォッ!、バキイィッ!
「うあぁッ!」
『グ…』
 戦局に変化が起きたのはそれから数分後、相打ちかと思われた攻撃は僅かに俺の方が浅く、敵に絶好のチャンスを与えてしまう。
「させるかっ!」
 …霊気よ、盾になれ!
 俺は水野の物質化能力を使い、目の前に霊気の盾を出現させる。
 ブンッ、ガキイッ!
『ッ!?』
 盾は見事に敵の攻撃を防ぎ、俺のピンチを救ってくれた。さらにそれだけでなく、この敵にとって予想外の出来事により、反撃に転じるに十分な間合いと隙を生じさせる。
「ウオオオオォォァァアッ!!」
 続いて使うのは三浦の変異能力。俺は一時的に筋力を限界以上にまで引き上げ、その力をフルに生かした上段からの斬り落としを放つ。
 スッ、…ズシャアアァァッ!
 俺の剣術と三浦の能力を合わせた残撃が決まり、敵に相当の深手を負わせる。生半可な剣では振り下ろした瞬間、刃にかかる空気圧で折れてしまいそうな一撃。それは敵の霊気のガードを崩すのに十分な威力を持っていた。
『ガ、グウオォ…』
 ザシッ、敵は膝から崩れ、両手を地面に付く。だがそれも束の間、敵は気合いと共に即座に立ち上がり、恐ろしい形相で俺を睨み付ける。
『…許サヌ、認メヌゾ…』
 ユラッ、敵は不気味に身体を揺らし、ゆっくりとこちらに向かってくる。一歩近付くごとに霊力を、そして憤怒の念を増大させる敵。その姿はまさに鬼神のそれであった。
『…我ガチカラコソ最強、貴様ラゴトキニハ負ケヌ!!』
 …ゴゴオオオオォォッ、ダッ!
 敵は全身から赤黒い霊気を発し、大地と大気を切り裂くような勢いで俺に襲いかかってくる。
「はあっ!」
 ブウウゥン…、シュッ!
 普通の状態なら成す術も無くやられていただろうが、今はみんなの力がある。俺は織原さんが使う空間移動で敵の攻撃をかわし、背後から剣を振るう。
『クッ!』
 完全に虚を突いたと思った俺の攻撃だが、敵の反射神経も相当のものだった。あれだけ勢いよく踏み込んだ攻撃にも関わらず、敵は的確にカウンターを狙ってくる。
 …橘さん、どうか俺に力を!
 パアアッ、俺の想いが伝わり、橘さんの守りに優れた霊気が俺の身体を包み込む。
 ドゴッ、ズシャァァッ!
 敵の放った攻撃が俺のみぞおちに当たるが、同時に俺の斬撃も敵の胴体を捉える。相打ちのように見える両者の攻撃、しかし今度は俺の方が大きいダメージを与えることが出来た。
『ウ、ウウ…』
「どうだ、これが俺達の力だ…」
 俺はそう言い放ち、苦しむ敵の前に立つ。自身の能力に頼る敵に対し、協力することでそれ以上の力を得た俺達。その差が今、明確なものとなって現れようとしている。
 …誰一人欠けることなく帰るんだ…
 ギュッ、剣を握る両腕に俺の力が、そして宮内さん、三浦、織原さん、水野、橘さんの力が込められる。
 …俺達は負けない。例え一人では敵わない相手でも、俺達には仲間がいる…
「…この一撃、俺達が持てる全ての力を賭けて…」
 スッ、チャキッ、これで終わらせる、その強い想いが俺を動かす。そして…
「撃つ!!」
 ズシャャャアァァァッッ!!

  ・

「…」
 しばらくの間、全く動けなかった。
「終わった…」
 ガクッ、バタンッ、俺はそれだけ言うと地面に倒れ込み、そのまま仰向けになる。
 張り詰めていた空気が緩み、同時に俺の身体からも気が抜けていく。

 …敵は最後に放った攻撃をまともに喰らい、悲鳴も上げずに消えていった。今まで戦ってきた中で最も苦戦を強いられた敵、それは己の力こそが全て、絶対の力を求める者だった。
「…チカラの意味、か…」
 ふっと神代さんの顔が浮かび上がり、その後すぐにみんなの顔が続く。
 …本当に晴らしい仲間に、本当にいい人達に巡り合うことが出来た。俺は心の底からそう思い、改めてみんなに感謝する。
「よし、もう起き上がれるな。」
 そう言って俺は立ち上がり、しっかりとした足取りで歩き出す。
 目指すは俺に強さとは何かを教えてくれた人達、チカラの意味を気付かせてくれた人達。
 …そして何より、これ以上ない素敵な仲間達の元へ、俺は歩き出す。

 これから先、楽しいことも、辛いことも。
 その時、その場所に俺がいて、みんながいればそれでいい。
 それこそが、みんながいることこそが、俺に強さを、本当のチカラを発揮させてくれるのだから…


                               < ―「チカラの意味」 完― > 








<トップへ>




inserted by FC2 system