「2550ゲームの果てに」




――2005年6月、某県某市。某パチンコホール内――


「…」

…タン、タン、パシッ

チャリチャリッ…、トン!

…タン、タン、タン

ジャララッ!

…トン!

…タン、タンッ

「…ん」

上段BARテンパイ、か…
さて、直で狙うか、それとも…と。

パシッ!

「…お」

軽く声を上げる和仁(かずひと)。
その声は驚き半分、そして喜び半分、といった感じだった。

和仁の視線の先にある3本のリールはそれぞれBAR、BAR、7の絵柄が一直線に並び、パチスロ用語で言うところのリーチ目、というものが出現していた。

ちなみにリーチ目というのは「ボーナスが揃うようになりましたよ」というサインのようなもので、それまではいくら狙っても揃わないように制御されていた絵柄が揃うようになった事を打ち手に教えるもの。
まあこの説明でも判らない人はいるかと思うが、要はこれからコインが増える、という事だ。

…投資4本で入り、か。

悪くはないな、と和仁。
確かにこの投資額でボーナスを引けたのは大きい。

決して早すぎるでもなく、勿論遅すぎるでもない初当たり。
それは「適度」という言葉を、何事においても順当な展開を好む和仁にとって好むべき展開であった。


チャリ、…トン!

「さて、と」

タンッ
コインを1枚投入、レバーを叩いて遊戯開始。
まずは左リールにBIG絵柄と呼ばれる「7」と「カエル」が固まって並んでいる箇所を狙う。
リール中段に止まったのはカエル絵柄だった。

タンッ!
そして今度は右リール、定期的に見える緑色にタイミングを合わせストップボタンを押し、カエル絵柄を並べる。
これでテンパイ、つまり大当たり一歩手前である。

「…」

パシッ!
無言のまま、それまでより少しだけ力を入れてストップボタンを押す和仁。
しかし残念な事にカエル絵柄は揃わず、リール枠の上部にカエルの足がちらりと見えているだけだった。

…ま、仕方なし、か。

勿論本当はそのままカエル絵柄が揃って欲しかったのだが、こればかりは和仁が思うように致し方ない。
和仁は「ふう」と息を吐くと、手にしていたコインを1枚投入し、ゆっくりとレバーを叩く。
そして…

タンタンタン!

♪チャラララララ…

3つのリールの中央にBAR絵柄が並び、軽快なBGMが流れる。
ちなみにこのBAR絵柄を揃えるのに要した時間は1秒弱、これは中々の早業である。

…またしても説明になるが、パチスロには何種類かの出玉の異なるボーナスが搭載されている機種が大半で、和仁が今打っている台もそれに当たる。
ビックボーナスとレギュラーボーナスと呼ばれるそれは、ビックであれば370枚前後のコインを、レギュラーであれば110枚程度(獲得コイン枚数は機種によって大きく変動、この説明はあくまで今和仁が打っている機種での数値)のコインを得られる。
和仁が引き当てたのは残念ながらレギュラーではあるが、現金投資が止まるというのは嬉しい。例え一時的にしろ、持ちコインでの遊戯が出来るというのは気分的にも楽になる。

「…」

トン…、タン、タン、タン、ジャラララ!
トン…、タン、タン、タン、ジャラララ!

無表情で同じ動作を繰り返し、ボーナスゲームを消化する和仁。
しかしその口は微かに動いており、流れるBGMに合わせてハミングとも擬音を並べた歌声とも取れる声(?)を発していた。
…つまりご機嫌、という事である。

「あれ、レギュラー?残念だったねえ」

ボーナスゲームの消化も終盤に差し掛かったその時だった。
和仁は背後から…というか耳元から話しかけられる。

「…遅い」

ボーナス中は音がうるさいため、声の主と和仁、両者の顔は限りなく接近している。
しかし、和仁はそんな吐息を感じ取れるような距離から発せられた言葉に対しても特に反応は見せず、ただ淡々とBETボタン、レバー、左リール停止ボタン…と、ボーナスを消化していく。

「ゴメンゴメン、ちょっと仕事が長引いちゃって…」

そう言って声の主は和仁が打っている台の隣に座り、会話をしていても一定のリズムを崩さない和仁を見つめる。

…タン、タン、タン、ジャラララララ!

と、ここで8回目のコイン払い出しが終わり、BGMも止まる。
そして和仁は「ふう」と軽く息を吐き、ようやく隣に座って自分を見つめている人物に向かって視線を返す。

「よ」

「ん」

限りなく短い、挨拶と言うにはあまりにも適当なやり取り。
だが2人にとってはこれが普通、もうずっと昔からの「会話」だった。

「久し振り」

「そうだな、微妙に久し振りだな」

「あ、お土産はないよ?」

「いらねえよ」

「そ」

淡白、と表現すればいいのか、少ない文字数での会話は続く。

「…」

「何?」

「少し痩せた?」

「どうして?」

「微妙に顔のラインがスッキリしたっぽい」

「…それって前に会った時は顔のラインが微妙にスッキリしてなかった、ってコト?」

「いやいや」

予期していなかった言葉が返って来たのか、「まいったなあ」と言わんばかりに苦笑いを浮かべる和仁。

「前は前で非常にお美しいお顔でしたよ?」

「はあ、そうですか。ありがとうございます」

「…で、痩せた?太った?それとも現状維持?それじゃなかったら化粧のスキルが上がった?」

「う〜ん、じゃあ化粧スキルの向上で」

「さいですか」

これが2人の会話パターン、スタイルなのだろう、そこには長い付き合いがあったからこそ生まれる独特の空気があった。

「…さて、それじゃあ化粧スキルが上がってますます美人になった麻琴(まこと)さん?」

「うわ、イヤな言い方。…で、何よ?」

「飲物、いる?」

そう言って立ち上がり、ポケットからサイフを取り出す和仁。
回答を聞かずして行動に出るところを見るに、どうやら自分が飲むついでのようだった。

「ん〜、じゃあミルクティー。それじゃなきゃ栄養ドリンク」

「判断に悩む2択だな…」

ポリポリと頭を掻きながらも、和仁は「了解」と言い残して自販機コーナーへと歩いていく。

「…」

そんな和仁の後姿をじいっと見つめ、口元を緩ませる麻琴。
そして「変わってないなあ」と小さく呟き、それまで和仁が打っていたパチスロ台に視線を移す。

…ホント、好きなんだなあ、この台。
麻琴は少しだけコインが増えた和仁の台に手を伸ばし、数枚のコインを手に取る。

チャラ、チャリ…

「…」

戯れるように、そしてどこか感慨深く、数枚のコインを手のひらに載せて遊ぶ麻琴。
決してお世辞にも綺麗とは言えない、小さなキズが目立つ銀色のコイン。
それは麻琴にとって”1枚20円で貸し出される遊戯をするために必要なもの”とは違う、別の感情が抱かれていた。

「もうあれから7年、か…」

チャラ、チャリ…
麻琴は手にしたコインを元の場所に戻し、今度はスロット台上部、データグラフに目を向ける。
そこには出玉推移を表すグラフと、ビックボーナス13回、レギュラーボーナス2回という情報が表示されていた。

「私にはいっつも”ビックとレギュラー、同じくらいの台を打て”って言ってたのに…」

そう言って少しだけ頬を膨らませ、続いて自分の座っている台の情報を見る麻琴。
だが彼女の座っている台は開店してからまだ誰も打っていないらしく、全て「0」と表示されていた。

…もう、これじゃ何も分からないじゃない。

データから判断材料を見出す、という行為を何気なく、それこそ当然の事として行う麻琴。しかしそれは彼女の外見、ギャンブルとは無縁のように見える姿と相当のギャップがあった。

事実、少し離れた場所で別の台を打っていた中年男性は先程からチラチラとこちらを見ていた。それだけ今の彼女の格好、白衣姿というのはパチンコ屋の中で浮いて見えるのだ。

「…あ」

と、急に麻琴が声を上げる。

…そうだ、私、白衣を着たままだったんだ。

考える時に出るいつもの癖、白衣の両ポケットに手を入れている事に気付き、続いて自分が今、職場でなく外に出ている…という事をようやく把握する麻琴。

この格好で真剣にデータグラフ見て考え込んでたんだ…

「う〜ん、ちょっと恥ずかしいかも」

考え込んだのも束の間、麻琴は「まあいいか」といった感じで白衣のポケットから手を出し、和仁の隣で自分もスロットを打つ事にした。


…ガシャン!
…カチャリ、カチャリ、カチャリ…

あ〜あ、結局千円札崩しちまったよ。
ドリンクじゃなきゃ手持ちの小銭で事足りたのに…

取り出し口に手を伸ばし、麻琴ご希望のミルクティーを手にする和仁。
もう片方の手にはすでに栄養ドリンクが握られていた。

「アイツ、疲れてんのかな…?」

何か飲みたいものは?という問いに対し、栄養ドリンクを候補に挙げた麻琴。
和仁がそう思うのは当然、というか自然な流れだった。

まあ本人は「そんなに忙しくはない」と言ってたけど…
アイツ、あれでも医者だからなあ。
それとなく聞いてみるか…

手持ちの小銭では足りなかった事に文句(勿論冗談交じりだが)を言おうと思っていた和仁だったが、今の麻琴の生活環境を考え、何も言わずに飲みたい方を渡す事に。

…カシャリ、カシャリ、カシャリ…

「…って、全部百円玉かよ!うわ、しかも端数の80円、全部十円玉で戻って来たし…」

…カシャリ、カシャリと落ちてくる小銭の数に1人ツッコミを入れる和仁。
そして「あ〜あ、サイフが無駄に重くなるなあ…」とグチをこぼしながら釣銭を取り出す。

「…そういえば」

存分に膨れ上がったサイフをポケットに入れたところで、和仁はふと昔を思い出す。
この状況、そしてこの心情は過去にも経験があった。

…ああ、7年前にもあったな、こんな事。

始めはおぼろげに、そして次第に鮮明に。
和仁は7年前にもあった出来事、麻琴と今の関係を築くに至った出来事を思い出す。

麻琴が思いを馳せていたのも、和仁が思い出したのも7年前のある出来事。
共に同じ時間に、同じ場所で、同じ記憶を思い出していた。

「…」

…懐かしいな。
タン、タン、タン…とストップボタンを押しながらは麻琴。

「…まさかミルクティーはホットがよかった、なんてコトはねえよな」

…まあいいや、もしホットが飲みたいと言われたら、今持っている2本は俺が飲めばいい。
と、やけに重たくなった左のポケットを気にしながらは和仁。

同じ時間に、同じ場所で、同じ記憶を。
麻琴と和仁、この2人の間にあるのは恋人とも親友とも違う、少し変わった関係。
その微妙なれど強い繋がりを得たのは、2人が高校生の頃。まだお互いに面識らしい面識もなく、接点と言ったら「クラスメート」くらいしか無かった時の事である。

きっかけは、偶然。
その偶然を引き止めたのは、落としたサイフ、パチスロ、オルゴール。

和仁と麻琴、この2人の絶妙な関係。
今に至るまでの経緯は少しだけ変わっていて、それでいて十分に起き得る出来事の積み重ね。

それは1/303と1/606の合算で求められる、2人を繋ぐ完全確率方式。
共に設定1のボーナス出現率で勝利を収める、そんな日常レベルの奇跡によって2人は繋がり、引き寄せられた。

…その確率はなかなかに低い。
しかし、それは決して絶望的なものでも、ましてや神がかった数値でもない。

「…ほれ、どっちにする?」

「あ、やっぱり両方買ってきた」

全ては偶然が引き起こした事、もしくは一部に必然が隠されていたのか。
それは誰にも、当の本人達も判らない、判り得ない。

「俺は何でもよかったからな」

「そ」

だが、それでも、2人が今もこうして、7年という月日を経ても一緒にいる事実。

「…じゃ、ミルクティーで」

「ん」

この何気ない、ごくごく自然なやり取り。

「ありがと」

「いえいえ」

意識するでもない、しないでもない関係。

「…あのさ」

「ん?」

「今ね、昔のこと、思い出してた」

そんな、空気のようでいて、それでいてしっかりと。

実際に触れ合える関係、それこそが今の2人だった。



――1998年6月、同県同市。駅前――


「どうしよう、これじゃあ家にも帰れない…」

麻琴はこれ以上ない困った顔でそう言うと、何度となく調べたバッグの中を再び確認する。
しかしいくらしっかりと覗いてみても、手を入れて奥の奥まで探しても、失くしたサイフが出てくる事はなかった。

…ああ、やっぱりどこかで落としてしまったんだ。

それまでわざとその可能性を否定、そうではないと淡い期待を抱いていた麻琴だが、ここでとうとう観念して事実を受け入れる。

「…買ったものは落として壊しちゃうし、サイフも失くしちゃうし…。もう最悪だよ…」

力なくそう言い、ガクリとうなだれる麻琴。
実は彼女、今の言葉からも判る通り、失くしてしまったものはサイフだけではなかった。

麻琴が買ったもの、それは前々から妹へプレゼントとして贈ろうとしていたオルゴールで、全体がガラスで出来たとても綺麗なものだった。
前々から「いいな」と思い、その店の前を通るたびに足を止めては売場に並んでいるオルゴールを見つめていた麻琴。

いつかは買おうと考えている内、3個あったオルゴールはいつの間にか1個売れており、ラスト2個になっていた。店員に聞くと再入荷の予定はない、今売場にあるものが売れたらそれでお終い、との事。

まだ1個残っているものの、いつ売れてもおかしくない…。そういった背景もあり、麻琴はちょうどいい機会と言わんばかりに、来月に迫っていた妹の誕生日プレゼントにそのオルゴールを贈ろうと決め、こうして今日、買物にやってきたのだ。

…それだけ好きな、気に入ったものであれば自分のために買えばいいのだが、どうしても麻琴は「自分のため」になると踏ん切りが付かず、なぜか我慢してしまうタイプだった。

それならいっそ大好きな妹のために買い、「プレゼント」という大義名分を付けてしまえばいい。麻琴はそう考え、意気揚々とオルゴールを売っている店に入り、ほんの少しの緊張と共に店員に声をかけ、念願の品を手にした。


…と、それがつい30分前の事。
本来であれば購入の達成感と喜びで一杯、ニコニコしながら帰りのバスに揺られているハズだった。

が、その喜びが仇となったのか、不幸な事に麻琴はちょっとした不注意により、オルゴールが入った買物袋を落としてしまい、修復不可能な状態にしてしまった。

普段はとても落ち着きがあり、周囲からも大人だと言われている麻琴だが、やはりそこは17才の少女。待望の品を手にし、テンションが上がってしまったのだろう。

理由は何てことのない前方不注視、正面から歩いてきた人に気付かずにぶつかりそうになり、慌てて身体をひねってかわそうとしたところ、買物袋が手から離れてしまい、その場に落としてしまった。

ガシャ、という鈍く嫌な音。
ガラス製品ということでしっかり梱包はしてもらっていたが、さすがにこのショックには耐え切れず、オルゴールは複雑にヒビが入り、パーツの至る部分が割れて外れていた。

状況を見るに、ぶつかりそうになったのは明らかにこちら側に非がある。
まあ状況がどうであろうと相手に文句を言えるような性格ではないため、麻琴はその壊れたオルゴールを持って立ちすくむだけ。
それでも何とか気を取り直し、淡い期待と切望に近い感情を抱いて品物を買った店に戻り、事情を説明する麻琴。
しかし破損の原因は完全に人為的なもの。そのため…というか当然というか、返品も返金も交換も受け入れてもらえなかった。

が、ここで不憫に思った店員から「一応レシートと商品を預かっておき、店長に事情を話してみる」という提案が。
麻琴はその言葉に最後の望みを託そうと、サイフの中に入れておいたレシートを渡そうとするのだが、ここでさらなる不幸が麻琴の身にふりかかる。

何とバッグの中に入れておいたはずのサイフが見当たらず、レシートはおろか、所持金全てを失っていたのだ。
勿論その場で何度もバッグの中を調べ、他にサイフを入れておけそうな場所を探したのだが、結局麻琴のサイフは見つからなかった。

結局残ったのは壊れてしまったオルゴール、そして特に何も入っていないバッグのみ。
これにはさすがに気丈…というか芯の強い麻琴もショックを隠し切れず、ただただ呆然とするばかり。
ずっと前から買おうと思い、ようやく買ったオルゴールを自分の不注意で壊してしまい、さらに原因こそ不明なれどサイフまでも落としてしまう…
唯一の救い…になるかどうかは微妙だが、店員は残った1個のオルゴールを特例として麻琴の取り置き品にしてくれた。

「このオルゴールは売らずに取っておくから、いつかまた買いにおいで」という言葉に対し、本当に申し訳無さそうな顔で何度も頭を下げる麻琴。
本当は泣きそうになる一歩手前だったのだが、せっかく心配してくれている店員に悪いと思い、何とかこらえて店を後に。

そして今、麻琴はバスターミナル内にあるベンチに座り、次々と停まっては発車していくバスを見ながら途方に暮れていた。
所持金がゼロならここにいてもどうする事も出来ないが、他に行くアテもないし、何よりまだ正常な思考は働かなかった。

携帯電話は持っていない、テレホンカードは失くしたサイフの中。その時点で麻琴の中では手詰まり、他に手段は見当たらなかった。
これがいつもの麻琴であれば、せめて過去に一度でもこういう状況に遭遇していれば、タクシーで帰宅して親に料金を払ってもらう…という手段や、交番にいるお巡りさんに事情を話し、自宅に電話をかける…といった事も思い出せたであろうが、この放心にも似た状態では無理だった。

「…はあ。どうすればいいんだろ、私」

もう何度となく発した言葉。そしてセットで付いてくる悲しいため息。
日曜を利用して駅前までやってきた麻琴だったが、すでに休日を楽しむといった余裕は微塵も残っていなかった。
ついさっきまでは楽しく、充実した日曜を過ごしていたと思っていたが、今は全くの逆。
どうしてここまで、と言わんばかりの転落っぷりに麻琴はただただ落ち込むしかなかった。

「…」

と、ここで麻琴は周囲をゆっくりと見渡す行動を取る。
依然その動作に本来の麻琴らしさ、普段見せているキビキビとしたものは見受けられなかったが、それまでの「ただ目の前を通るバスを見つめるだけ」とは違い、何かしらの目的があるようだった。

「…」

まずは駅の入り口付近を、続いて反対側にある大きな交差点を。
…せめて誰か知ってる人に会えれば。
麻琴はそう思いながら、まるで祈るように。
もう一度駅の入り口を、そして今度は―

「…あ」

思わず、といった感じで声を上げる麻琴。
それは駅前にあるデパートの横、やけに賑やかな音が聞こえてくる、あまり趣味がいいとは言えない電飾が施された建物、パチンコ屋の前に視線が向けられた時だった。

そのパチンコ屋の正面付近、「イベント開催中」と「出玉で勝負!」と書かれたのぼりの隙間から、友人と呼ぶには語弊があるものの、それなりに知った顔が見えたのだ。

「あれは…高木君?」

と、自信なさ気に呟く麻琴。
あまり目が良くない上、見えたのはそれほど親しくない人物…。
確かに大ピンチな状況ではあるが、さすがに一目散に駆け出すような真似は出来ず、麻琴はしっかりと人物確認をしようとする。

…どうしよう、あの顔はきっと高木君…。
でも、もしかしたら別の人かもしれないし、そもそも高木君ってこの辺に住んでる人なのかも知らないし…

目から送られてくる情報、そしてそれを脳内にある記憶に照らし合わせるに、今自分が見ている人物はクラスメートの高木和仁で間違いない。
そう、頭の中では回答が出ているのだ。しかし、どうしても完全な確証が持てず、麻琴はその場でオロオロするばかり。

…今ここで高木君に声をかけないと、もう知ってる人には会えないかもしれない。でも本人じゃないかもしれないし、そうだとしたらそれはそれで恥ずかしい。それにもう少し待っていたら、仲の良い友人に会えるかもしれない…
予測、希望、願望が入り乱れ、「かもしれない」という言葉がグルグルと回っては消え、その度に不安の度合いが増していく麻琴。

「…よし」

とりあえず近付いてみないと。考えるのはそれからでいいじゃない、麻琴はそう覚悟を決め、勢いよくロータリーを飛び出す。
そしてちょうど青に変わった横断歩道を駆け足で渡るのだが…

「…え?あれ?」

ちょうど横断歩道を渡りきり、パチンコ屋はもう目の前という所で麻琴は救世主になるかもしれないクラスメートを見失ってしまう。

「そんな…、さっきまであそこを歩いてたのに…」

信じられない、という顔になる麻琴。
確かに今さっきまでこの道を歩いていた、それは間違いない…はずだ。
しかし、麻琴が探していたクラスメートの姿はどこにもなく、視線の先には何本もの派手なのぼりが立てられているだけ。

またしても痛恨のミス、千載一遇のチャンスを逃してしまったのか?
麻琴の頭の中にそんな考えがよぎる。

「…」

…そんな、それはいくらなんでも酷すぎる。
私が何をしたっていうの?日曜日に街に出て買物をするのがそんなにいけないの?
と、今度は不毛な自問自答を始めてしまう。

おそらく相当まいっていたのだろう、普段はそんなネガティブな思考に陥ることは無いのだが、今の麻琴はまさに悲劇のヒロイン、少々オーバーな芝居を演じているような状態だった。

「…っ」

グスン、と鼻をすする音。そして両目から涙が溢れそうになる感覚。
…もう嫌だ、どうして私だけがこんな目に遭わないといけないの?
それまで我慢してきた感情が一気にあふれ出そうになる。クラスメートの目撃に一時は助かったと思い、それが見事に打ち破られたのが決定打になったのだろう。

「うう…」

短く、どこからか漏れるような声。

…ああ、泣いちゃうんだ。
自分の意思とは関係なく震え始める肩に、そして込み上げてくる何かに気付き、そんな事を考える麻琴。

「…」

きっと無駄な行為、我慢しても何の意味も無い…
心のどこかでそう思いながらも麻琴はギュッと唇を噛み、最後の抵抗を試みる。

…と、その時だった。
それまで少ししか聞こえなかったパチンコ屋の喧騒が一瞬大きくなる。
見るとパチンコ屋の自動ドアが開き、そこから客が出てくるのが見えた。

「…あ」

虚をつかれたような声が自然と漏れる。
その客は麻琴が探していたクラスメート、あまり話したことは無いものの、今の麻琴にとっては生命線とも頼みの綱ともなり得る人物、高木和仁だった。

…よかった。
見間違いじゃなかった、そして見つけることが出来た。

麻琴は安堵の表情を浮かべ、へなへなとその場にしゃがみこみそうになる。
だがここでまた見失ったりしてはいけない、麻琴はそう思い、さっきまでとは異なるドキドキ感を胸に秘め、和仁に向かって歩いていく。

「…ちっ、よさ気な台は全部埋まってる、か…。ここは1シマに2台しか高設定を入れてねえからな、どこか別の店を見て回るしかねえな…」

と、一方の和仁は麻琴のそんな気持ちも…というかすぐ近くにいる麻琴の存在にも気付かず、本日の対戦場所をどこにするかを考えていた。

ちなみに説明する必要も無いだろうが、和仁は麻琴と同じ高校2年生。本来であればパチンコ店の出入り及び遊戯は出来ない年齢である。

「う〜ん、日曜でも高設定を入れてて、さらに今から行っても空いてる店…って、そんなトコねえよなあ」

出来れば平日、それも開店から勝負したいぜ…と、学生にあるまじき考えを巡らす和仁。

「…」

一方、そんなお気楽な和仁とは対照的に、必死な表情の麻琴。
今ここで話しかけなければ、和仁を呼び止めなければ…、そんな思いが麻琴を早足に、そして怒っているようにも見える顔にさせる。

「…仕方ねえ、ダメ元でアーケードの『セブンス』にでも行くか」

と、こちらは本日の勝負で頭が一杯の和仁。この時にはもう麻琴はすぐ目の前まで近付いてきていたのだが、全く気付かずに歩いていた。

…どうしよう、何て言って声をかければいいんだろう?
自分から近付いて行って『こんにちは高木君』って言うほど仲良くないし、そもそも学校でもそんなに挨拶しないんだよね、高木君って。

もう和仁との距離は数メートルもない、という所で急に弱気になる麻琴。
声をかけること自体はそれほど苦でもないだろうが、その後にすべき事情説明まで考えると、どうしても変に構えてしまう。

…ああ、出来れば高木君の方から私に気付いてくれないかな。
そう思いながら和仁の進路の前で立ち止まる麻琴。

…ああ、出来れば高設定台、しかも自分の好きな機種をゲットしてえなあ。
そう思いながら前方不注視気味で歩く和仁。

そして麻琴と和仁の距離はメートルからセンチへと単位が変わった所でピタリと止まり、ここで初めて2人は視線を合わせる事に。

…それが7年前、とある日曜に起きた出来事であり、以降の2人に大きな影響を与える出来事でもあるのだが、勿論当の本人達は気付いていない。

…それが、ある意味「初めて」となる出会いだった。



――2006年6月、ホール内――


チャリチャリ、トン!

…タン、タン、タンッ

「…」

無言で遊戯を続ける和仁。
その動作には一切の無駄がなく、スピーディかつ正確という理想的な遊戯スタイルを維持していた。

チャリ、チャリ、チャリ、トン!

…タン、…タン、…タン

「…」

その隣にはこれまた無言でコイン投入→レバーオン→ストップボタン×3を繰り返す麻琴の姿があった。
和仁に比べると少し遅い感もあるが、それでも一応の格好はついていた。

「…あれ?」

と、停止したリールを見て動きが止まる麻琴。
そして人差し指を唇に当て、考え込む仕草。
続いてパチスロ筐体に張られてある基本リーチ目表とリールを交互に見つめ、さらに店内に張られている別のリーチ目表を見る。

…う〜ん、どっちにも書いてないなあ。
コレってリーチ目だっけ?

悩む麻琴の前に表示されている絵柄は左リール下段から斜め上がりに並んだ、7、7、BARの一直線。
…確かBAR先頭からの直線型はほとんど入ってるハズなんだけど、これはどうなんだろう?

「…ねえ、かずひ―」

「入ってねえ」

瞬時に返ってくる和仁の返答。
まだ名前を呼んだだけなのだが、それまでの麻琴の様子を横目で見ていた和仁には、彼女が何を聞こうとしてきたのか丸わかりだった。

「う…そうなんだ。残念」

「この場合、右リールのBARが上段じゃなくて下段なら入りなんだよ」

「あ〜、やっぱりか〜」

もしかしたらそうかも…という思いがあったため、悔しそうというよりは納得に近い表情を浮かべる麻琴。

「…そういや昔っからこの目が出ると聞いてきたよな?」

「そうだっけ?」

「ああ、久し振りに打つ時は大体聞いてきた。…ま、確かに期待出来そうな並びだからな」

チャリチャリチャリ…

和仁はそう言いながら残り少なくなった持ちコインを全て投入、そして筐体に表示されたクレジット(現在何枚の持ちコインが台の中に入っているかを表示してくれる場所)とデータランプに表示された現在の回転数を見比べる。

…何か今日はコインの持ちがいいな。
普段であればレギュラー1回分のコインで遊べるゲーム数は80回転前後だが、現在の状況は30枚近くの持ちコインを残して71ゲーム回している。
パチスロで勝つには少ない投資でのボーナス獲得も大事なのだが、それ以上に追加投資を押える事が重要になってくる。
そのため、この状況は和仁にとって喜ばしい事なのだが…

♪チャラララ、チャラララ、チャラララララ〜

「あ…」

と、ファンファーレ音と共に聞こえてくる麻琴の声。
見ると麻琴の台では7絵柄が見事に3つ並んでいた。

「…何?生入り(リーチ目の出現を経由せず、ボーナス成立ゲームで直接揃う事)?」

「うん」

「おめでとさん」

コイツ、普段は左リール以外は適当押しなのに…
と、複雑な顔で麻琴を見る和仁。

ちなみに生入りとは、先の説明にあったリーチ目の出現によるボーナス察知を飛ばし、そのままボーナス絵柄が揃う、というものである。

…そう、例え回転しているリールの絵柄が全て見えようと、いくらリーチ目を熟知していても、毎ゲームしっかりと特定絵柄を狙ってストップボタンを押そうとも、今の和仁の台のように少ないコインでたくさん回す事が出来たとしても、肝心のボーナスを引き当てなければ意味が無い。

その証拠に麻琴の台の千円辺りの回転数は22回、和仁より10回以上少ないのだ。しかも麻琴は毎ゲームしっかりと狙ってストップボタンを押している訳ではない。
…所詮パチスロなんてそんなもの、100の知識と100の経験より、1の運が勝る事が往々にしてあるのだ。

「…ったく、麻琴は運が良いというか、ヒキが強いというか…」

「あはは。ま〜たそんなコト言って。『パチスロは完全抽選方式、長い目で見れば個人の引きに差は無い!』って教えてくれたのは和仁でしょ?」

「ちっ、なんでそういうセリフだけは覚えてるんだよ。だったらリーチ目の1つでも覚えろってんだ」

露骨に嫌そうな顔を浮かべ、舌打ちをする和仁。
しかしそれは明らかに演技とわかるもので、実際その目は少し笑っていた。

「…変わってないなあ」

そんな和仁を見てクスクスと笑う麻琴。
呟く、というよりは普通に声に出していたのだが、ボーナスBGMにかき消され、和仁の耳には入らない。

…ホント、変わらないな。

今度は心の中で、少し憂いと懐かしみを含みながら呟く麻琴。
その言葉の通り、今の2人の関係…というかスタイルは当時と何ら変わっていなかった。

…こうして和仁の隣に座って私も一緒にスロットを打つ。

…和仁がレギュラーボーナスを引き、直後に私がビックを引く。

…そして愚痴をこぼし、わざと不機嫌そうになりつつも、アドバイスとリーチ目講座だけはしっかり続ける。

…でも逆に私が負けている時はそっとコインを渡してくれて、色々気遣って話しかけてきたり、店員さんを捕まえて「頼むから出してやってよ」と冗談を言う…

「…ふふ」

当時から続く、そして何回も繰り返された光景が頭の中で展開され、思わず笑い声を挙げてしまう麻琴。
その表情は常に喧騒と勝負の熱気に包まれているパチンコ屋の中において、ひどく不自然な柔らかいものだった。

…だが、それは今だから出来る事。
パチンコ屋の雰囲気にも慣れ、和仁の性格なり人柄なりをしっかり分かっているからこそ思えるようになった事である。

「…」

まさか7年経ってもこうして和仁と並んでスロットを打ってるなんてね。
麻琴は相変わらずの和仁に対し、そして相変わらずの2人の関係に対し、呆れとも懐古とも微妙に違う、上手く言い表せない感情に浸っていた。

「どした?急に動きが止まったけど?」

「ううん、何でもない。ちょっと考え事」

「そんなのボーナスが終わってからにしろよな。ずっと音楽鳴らして俺に嫌がらせしてんのかと思ったぜ」

「もう、そんな事しないよ〜」

麻琴考えている事などお構いなし、和仁は冗談交じりで皮肉を言っては軽く息を吐き、なかなか次のボーナスに繋がらない自分の台を恨めしそうに見る。

その「頼むから当たってくれよ、麻琴に負けるのは面目がつかないんだよ」と言わんばかりの表情に、またしても柔らかい笑顔を向ける麻琴。

…うん、やっぱり変わってない。
全然変わらないっていうのもどうかと思うけど、こういうのはアリよね。

トン…、タン、タン、タン。…ジャラララ!

トン…、タン、タン…、タンッ。…ジャラララッ!

小気味よいテンポでレバーを叩き、リズミカルにストップボタンを押していく。
そのタイミングは基本的に一定だが、時に勢いよく、時にタメが入る。

少ない投資でボーナスを引けた時は軽快に、まだまだ負債を取り戻すには足りない時は多少乱暴に。
ストップボタンの押し方1つ取っても、その所作は人それぞれ、そして感情によっても大きく異なる。

…ああ、そういえば最初に打った時、何かが揃う度にオドオド、何も揃わなければ揃わないでオドオドしてたな。

打つのは当時と変わらぬ台、隣に座っているのは当時と変わらない人物。
この空気の悪い騒音の中、1人でちょっとしたタイムスリップ気分を味わう麻琴。

あれから7年、周囲の環境も自分の生活も変わってしまったけど、何ら変わらない場所がある。
麻琴はそれが何だか嬉しくて、いつでも帰って来れてまたすぐ戻れるこの場所が、そして何より隣にいる変わらぬ人の存在が嬉しくて、ボーナスを消化している間は終始笑顔だった。

一見するとコインが増えて嬉しいな、とも取れる麻琴の表情。
しかし今の麻琴にとって、目の前のコインの枚数は大した意味を成さない。

それより何より、この空間、この雰囲気に自分が自然に入り込めている事が嬉しかった。

…そう、あの時と変わらないこの雰囲気に。



――1998年6月、駅前。某パチンコホール前――


……ッ、……♪〜……

「…」

「…」

後方で自動ドアが開く度に店内の音が漏れ聞こえ、ドアが閉まるとその音は極端に小さくなる。
ジャラララッというパチコン玉の音、大音量で流れる少し前に流行った曲、そしてファンファーレに続く「○○番台、スタートおめでとうございます」というアナウンス。

そんなパチ屋から流れる特有の音が聞こえる中、黙って見詰め合う和仁と麻琴。
お互いただのクラスメートという関係でしかないため、こうして外でバッタリ会った所でフランクな挨拶が交わされる…という事はない。

というか和仁にとっては挨拶どころではなく、学校内では「真面目で優秀」で通っている麻琴に自分がパチ屋に出入りしてる現場を見られたか否かでドキドキしていた。

「…」

そのため、普段であればそれほど親しくない麻琴であっても「よう一条、奇遇だな」くらいは言える和仁も今ばかりは気まずさから無言に。

「…」

一方の麻琴も麻琴で、やっと和仁に会えたというのに何をどう話せばいいのか判らず黙っていた。
さらに麻琴の場合、それまでの不安や絶望といった負の感情から開放された安堵感が無駄に大きく作用し、涙で目が潤んでいる。

…え?何で?どうして涙?

と、それを見た和仁は早くも混乱気味。
そうでなくてもパチンコ店出入りを目撃→その場でこっぴどく注意→しっかり学校に報告→然るべき処置…という最悪のシナリオを頭の中で描いていた和仁。

おそらくそのせいだろう、「優等生の麻琴にとってパチ屋の出入りは怒りで涙が出る程の許されない悪事。だからこうして泣きそうになっている」という憶測が和仁の頭の中で急速に完成。それまでだって十二分に頭を回転させていた和仁にとって、この憶測の連続&目まぐるしい展開は頭をショートさせる条件を完全に満たしていた。

「…な、なあ一条」

「…」

とりあえず何か口に出しとけ、とりあえず先に謝っておけ、という結論に達した和仁と、相変らず無言の麻琴。
さらに麻琴は何も喋らないばかりか、どんどん涙が溜り、どんどん顔が怒ったように赤くなっていく。

勿論それは和仁の主観。本当は麻琴も和仁同様、「何か喋らないと。でもなるべく的確に事情を説明しないと」という考えで混乱していた。

「…ええっと、そのだな」

「…」

口を開いたはいいが、全くのノープランだったため、次の言葉が何も出てこない和仁。
対する麻琴もやっぱり無言の態勢を崩さず、見方によっては「両者にらみ合いの図」とも取れる状態になっていた。
…まあ和仁は思いっきり挙動不審、にらみ合いというより「一方的に睨まれている状態」だったりする訳だが。

「…」

「…」

日曜の昼、場所は駅のすぐ近く。
そんな人通りの多い場所、さらに歩道の真ん中を使っての男女の対峙はそれなりに、いや相当に目立つ。

だが和仁も麻琴も周囲の視線に気付く余裕もなければ、他の事に頭を使えるだけの冷静さも持ち合わせていない。

幸い、歩いている足を止めてまで両者を見る歩行者はおらず、和仁と麻琴は「人の流れは邪魔するものの、誰にも邪魔はされない」という少々変わった状態を作り出していた。

「…」

「…」

またしても無言。
時間してみればそれほど長くはないのだが、当事者である2人にとってはヤカンに入れた水が沸騰するまで待つクラスの長さに感じていた。

…と、ここで和仁が動きを見せる。

「あー、アレだ。言いたい事があるのは判るし、これは全面的に俺が悪い。だからさ、今日の所はこの辺で勘弁という事で、詳しい話はまた明日にしよう…ってのはどうよ?」

まるで妻に浮気がバレた甲斐性無し亭主の如く、一方的に謝っては一方的に話を進めようとする和仁。
…要は後日自分はどうなっても構わない、だからこの場からは退散させて、という事である。

「…」

「よ、よし、それでオッケーな。…大丈夫、学校へはちゃんと行くから」

和仁はそう言いながらぎこちなく手を挙げ、これまたぎこちない作り笑顔を浮かべつつ、この場を立ち去ろうと後ずさり。

「…!」

するとそれを見た麻琴、この場を逃したらもう本当に誰にも会えなくなると思い、懇願するような顔(本人はそのつもりだが、実際は必死の形相)で和仁を見つめ、そして…

「うううっ…」

漏れるような声を上げ、とうとう声を出して泣き始めてしまう。
これまでに何度も号泣しかけてはギリギリの所で我慢していた麻琴だが、ここでリミッター解除。
今日起きた出来事を頭の中でプレイバックしてはさらに涙をぼろぼろとこぼしていく。

…な、泣いたー!?

俺?俺が悪いの?いやいや、それはおかしいって。
ちょっ、いくらなんでもそれはないぜ一条…

と、これは和仁の心の叫び。

今まで女の子を泣かせた経験もなければ、そもそもマジ泣きする女の子を目の前で見た事がない和仁にとって、この麻琴の涙は完全な反則攻撃。

こんな理由も不明のまま泣かれるくらいなら、まだ急所を蹴られた方がマシ…
っていうかむしろ急所蹴りで堪忍してください、と和仁。

情けない事この上ないが、それだけ麻琴の涙…というか女の子の涙には得も知れぬ力がある…
和仁はこの状況からそう学び取り、逃げる事を諦めて麻琴に近寄る。

「悪ぃな一条。…その、謝るからさ、泣くのやめてくんねえか?」

「…ううん、高木君が謝る事なんて、何もないよ…」

泣かせたのは自分のせいと思い込んでいる和仁。
一方の麻琴はそんな和仁の思いを自分に対する気遣いと勘違いし、さらに嬉し涙がプラスされる。

そうなると当然和仁はもっと慌てる訳で、事態はさらに複雑で大変な事になっていく。

…場所は駅前、それもパチンコ屋の入口付近。
そこで交わされる誤解と曲解の応酬、慌てまくる和仁と涙が止まらない麻琴。

かなり風変わりな光景ではあるが、このやり取りがあったから、そしてこの後2人がとる事となる行動こそが、以降何年と続く長い付き合いの始まりになる事を和仁と麻琴はまだ知らない。

そう、この段階では知る由もない。

しかし、確実に2人の周期、運命という名の抽選方式は「劇的な出会い」というフラグを引き当てていたのだった。



――2005年、6月。ホール内――


「…お、402枚か。結構取れたな」

「うん、何かたくさんオレンジが落ちた」

麻琴のBIGボーナスが終了、スランプグラフに獲得枚数が表示される。
この機種で400枚を越えるというのはなかなかに上出来な数値、和仁はそんな好ましいコイン獲得枚数を叩き出した麻琴に自身の遊戯の手を止めて話しかける。

「一応聞くけど、ハズシは…」

「してないよ。出来ないもん」

「だよな…」

ハズシを使わなくても400オーバーかよ…

そう心の中で呟く和仁。
ったく、フル攻略でも375枚しか取れない時だってあるのに…と、普通にボーナスを消化しただけの麻琴をうらやむ。

…パチスロにおいて打ち手の技術が反映される、つまり収支に影響を及ぼす点は大きく分けて2点。

まず1点目は通常遊戯時。
これは機種にも夜が、基本的にパチスロにはリールの配列上、しっかり狙わないと揃わない絵柄が存在する。

しかしそれら絵柄は往々にして出現率は低め、払い出し枚数も少ない事が多いため、大した差にはならないように初心者は感じてしまう。

確かに短時間勝負、ボーナスを数回引いたらヤメ…といった勝負であれば大差としては現れない。
だがこれが長いスパン、終日勝負や1日以上の周期で考えるとなかなかどうして侮れない数値になっていく。

これも機種によって大きな変動があるが、同じ台を1日打ち込んだ時、全ての絵柄を取りこぼさずに打ち切った場合と豪快に外した場合とでは金額にして数千円、時に1万円という差になって現れる事がある。

まさに塵も積れば〜の典型的パターン。それが通常遊戯時の打ち手による差異である。

「う〜ん、調子いいかも。こんなに取れたのは久し振りだよ♪」

「偏りって怖ぇな…」

「…でもこれってただ運がよかっただけ、なんだよね?」

「ああ」

「確か3回目のナントカゲームが始まる前からは真ん中から止める…だっけ?」

「いや、右から。それとナントカゲームはジャックゲームな」

「そう、それそれ。…いっつも思うんだけど、その辺は技術と知識だよねー」

「わかってるなら実践せえや。しっかり教えてやるって」

「えー、いいよムズカシイもん」

「ったく、結構な差が出るってのに…」

勿体ねえなあ、と言わんばかりの和仁。
一方の麻琴も「わかってるんだけどね」と苦笑い。

…パチスロにおいて収支に影響を及ぼす点の後者、それは言わずがもなBIGボーナス消化時である。

BIGボーナスというのは30ゲーム続く子役ゲームと3回のボーナスゲームで構成される…と言っても、知らない人にはそれだけで「いや、よく判らないから説明はいいよ」になってしまうため極力割愛するが、要はこの子役ゲームでよりたくさんのコインを台から吐き出させる事が1番重要な点になる。

この30ゲーム続く子役ゲームというのは何も「必ず30ゲーム遊べる」ではなく、5ゲームで終わる事もある。
子役ゲームは文字通り、たくさん子役が揃う状態。したがって長く続けば続くほど多くのコインを獲得する事が出来る。

勿論それにはまた色々と手順なり何なりといった技術的なものが介入したり、パンクやらハズシといった専門用語がどうしても出てきてしまう。

それらを全くスロットを知らない・やらない人に説明するのは困難、例えるならコンビニもガソリンスタンドも信号機も知らない人に道案内をするようなもの。
そのため、この場でそれ以上踏み込んだ説明はしないが、とりあえずパチスロにおける勝負は「7を揃えてからが本当の勝負」という事に要約される。

つまりパチスロは知識と技術の双方が必要、少しでも勝率を上げるのであれば、少しでも手にする金額を多くしたいのであれば努力と勉強が必要。どんな物事においても楽は出来ない、という事である。

「…さて、それじゃ俺も麻琴に続いてボーナスを引けるよう頑張りますかね」

「うんうん、その意気だよ」

「…何で上から目線なんだよオメエは」

「え?だって私の方が勝ってるもん」

「く…」

この流れで行くと次は「悔しかったら7を揃えればいいじゃない、7がダメならカエルを揃えればいいじゃない」と、どこぞのマリーアントワネット嬢のような事を言い出すのが目に見えていたため、和仁は何も言わずに自分の台に向きなおし、再びペシペシと高速的確遊戯を始める。

「ふふ、頑張ってね〜」

「…っ!?」

そんな和仁に対し、さらに麻琴の追い討ちにも似た応援が。
これには思わず「うっせえ!」と反応してしまいそうになった…というか、半分身体を振り向きかけていたのだが、そのモーション途中でピタッと止まってしまう。

「?」

文句が飛んでくると確信、そしてその文句に対しての迎撃態勢を整えていた麻琴が首を傾げる。
そして次第にニヤニヤし始める和仁の顔と、彼の打っていた台のリール配列を交互に見た後、麻琴は「ああ」と和仁の行動に納得。

そう、今の間に和仁の台にリーチ目が光臨。このボーナスがBIGであれば先に引いたレギュラー1回分のコインにより、和仁は麻琴より多くのコインを獲得する事になる。

…あっちゃ〜、タイミング最悪〜

と、それまで優位に立っていたが故の余裕しゃくしゃくな態度を後悔する麻琴。

…ああ、きっと鬼の首を取ったかのように色々言ってくるに違いない。
多分「あれ?そういえばさっきまで上から目線で話してくれたよね?」とか言うんだ、そして「獲得枚数、どっちが多いのかな〜?ん?ん?」とか聞いてくる気なんだ。

和仁が麻琴の言動を読んでいたように、麻琴もまた和仁の言動を読む事が可能。
長い付き合いなのでお互いの出方はよく知っているのは当然、麻琴はこれから始まるであろう和仁による反撃に備える。

「…ふっふ〜ん」

「うわ、鼻歌だよこの人」

「ま、色々言いたい事はあるし、実際これから思いっきり言う訳なんですが、その前に一応揃えておきますかね」

「…ちぇっ」

「ほう、気付いてましたか。さすがは麻琴さんですな」

「…そんな判りやすいリーチ目出してよく言うよ。…性格、悪くなったんじゃない?」

「うっせ、変わってねえよ」

麻琴の言葉に対し、素の状態で答えてしまう和仁。
本人もそれに気付き、すぐに嫌味キャラに切り替えようとするのだが、面倒臭くなったのか、それとも「早くボーナスを揃えたい衝動」に駆られたのか、結局何も言わずに台に向かってしまう。

「…さて、と」

「あ、勝手に仕切りなおした」

「はいはい、勝手に仕切りなおしましたよー。それが何かー?」

「うわ、ムカつくなー」

「さ、それじゃ揃えますか。…あれ?確かこれで逆転だよね?」

わざとらしさ極まりないコメントを吐きつつ、和仁はコインを1枚投入し、リールを回す。
そしてタイミングを見計らい、トントントン!と高速でボタンをストップするのだが…

「…あ」(×2)

和仁と麻琴、2人の声が見事に重なる。

そんな2人が見つめる先、和仁の台は何ら変化を見せない。
鳴るはずのファンファーレ、来るはずの払い出しもなく、通常の状態を保つ台。

「…ぷっ」

「…マジか、またバケかよ…」

そう、麻琴が思わず笑ってしまうように、和仁が悔しそうに漏らしたように、和仁が引いたボーナスはまたもやレギュラー。
そうなると当然7絵柄は揃わない訳で、センターラインには「レギュラーボーナスなのにBIGボーナスを狙った時に出る目」が出現していた。

「あははは、残念〜!」

「…」

全くもって残念そうではない言い方の麻琴と、額に手を当ててガックリとうな垂れる和仁。
そして和仁は半分下を向いたまま再度コインを1枚投入、魂が抜けたような状態のままタン、タン、タン…とリールを止めていく。

♪チャラララララ…

「はい、おめでとう」

「…ありがと」

今度はしっかり揃った絵柄、すぐさま始まるジャックゲーム。
センターリールに並ぶのは黒い「BAR」と書かれた絵柄。

「黒いの大好きだね、和仁は」

「好きなわけねえだろ…」

結局和仁は獲得枚数で麻琴には追い付けず、泣く泣く本日2回目のレギュラーボーナスを消化する事に。

実は最初に引いた時に出たコインはすでになくなり、追加で2千円の投資をしていたため、もしこれがBIGボーナスだとしても純増枚数で麻琴に負けている。

しかし2人の中での勝負はあくまで総獲得枚数もしくはボーナスの数。
勿論最終的な収支が一番重要ではあるが、遊戯中は先の2点に重きが置かれる。

それは2人が初めて並んでパチスロを打った時から続く、ある種「決まりごと」のようなもの。
まだボーナスの概念も、そもそも打ち方すら全く知らない麻琴に対し、多少でも判りやすく説明するため、少しでも早くシステムを理解してもらうために和仁が口にした独自のルール。

本当は少し違う…というか、かなり言葉足らずなルールではあるが、7年立った今でもそれは2人の間で正式なものとして使われていた。

「…」

それがどこか嬉しく、またどこか少し恥ずかしい。
微笑ましいとも言える2人だけのルールに、改めて和仁は麻琴の不思議な繋がりを実感しては短いボーナスゲームを消化していく。

『この黒いのをたくさん引いた方が「出る台」って証拠なんだぜ』

そういえば昔、そんな事を熱く説明していたな…

そう、思いながら。



――1998年、6月。駅前近く、某ファミレス――


「…落ち着いた?」

「う、うん…」

麻琴はそう言って手元のジュースに手を伸ばし、ストローに口をつける。
それは恥ずかしさを隠すため、さっきまでの慌ていた自分、泣きそうになっていた自分を見られてしまった事に対しての照れ隠しの意味合いが大きい。

パチンコ屋前での偶然の対峙から30分弱、2人はとりあえず落ち着いて話をしようと近くのファミレスに入った。

サイフを落とした麻琴は「私、お金無いから…」と断りを入れたのだが、「全額オレが出す」という和仁に押し切られる形で入店。

最初は遠慮から何も注文しないでいるつもりだった麻琴。しかしそれも和仁の巧みな話術により断念し、結局その好意に甘えてパスタとドリンクバーを注文した。

「連れの女の子が何も頼まないで自分だけ好きなものを食べる、ってイヤじゃん?少しはカッコつけさせてよ」

そう言って笑顔でメニューを手渡し、「注文しないなら勝手にこの『バナナミックスフライ丼』ってヤツ、頼んじゃうよ?しかも大盛り」という冗談で緊張をほぐそうとする和仁の配慮が麻琴の心を動かしたのだろう、この一言から麻琴は少しずついつもの調子を取り戻し、それまでの経緯をしっかりと和仁に説明した。

妹のためにオルゴールを買いに来た事、それを自分の不注意で壊してしまった事、店員のはからいで取り置きをしてもらっている事、そしてサイフを落としてしまい途方に暮れていた事…

麻琴はそれら全ての出来事を包み隠さず和仁に話した。
決して自分の事、それも失敗談や恥ずかしい話は特に他人に喋らない麻琴だが、それまでずっと1人で問題に対処しようと強く思っていた反動か、それほど親しい訳でもない和仁に事細かく説明をした。

和仁も和仁で、普段であれば話の途中でどうでもいい合いの手を入れたり、面白おかしく茶化す事が多いのだが、この時ばかりは黙って真面目に話を聞いた。


…そして10分強。

麻琴があらかたの事情を話し終え、それらを和仁が大体理解した辺りで頼んだ料理がテーブルに並ぶ。

「…さ、熱い内に食べようぜ。話はそれから。な?」

「う、うん。…それじゃあいただきます」

「どぞどぞ♪」

しっかりと和仁にお礼を言ってからパスタに口をつける麻琴。
和仁もそれを見てから自分が頼んだチーズハンバーグランチに手を伸ばし、溶けたチーズをわざと伸ばしては苦戦しているマネをして麻琴を楽しませる。


「…で、みんなして俺を見て笑うのな。メチャクチャ恥ずかしかったよ」

「あはは、そうなんだ…」

「…」

…まだ、少し無理してんな。

食事が始まってから5分、ただひたすらに楽しいお喋りを続けているように見せかけつつ、麻琴の心境を探っていた和仁がそう心の中で呟く。

和仁とっておきのハンバーグネタ、「全長40センチ、つまり16文の『馬場バーグ』なるキワモノメニューに挑戦し、見事に撃沈」という話をしてもまだ少し笑い方に陰りがある麻琴。

…出来ればネタがつまらないから笑ってない、であって欲しい。
でもこの話はかなり自信があるんだけどな…と、複雑な気持ちの和仁。

今までこのネタでかなりの人数を笑わしてきた手前、麻琴には大笑いしてもらいたいという気持ちが、笑う事で悲しい気分を吹き飛ばしてもらいたい、という気持ちが和仁にはあった。

一方の麻琴も「楽しい話だな」、「面白いな」、「話が上手だな」とは思っていたし、しっかり笑っているつもりだった。

あまり空いていないと思っていたお腹も実は結構ペコペコ、それまで過度の緊張によって気付かなかっただけで、パスタを頼んだ辺り…というかメニューを見ている時から空腹を感じていた。

美味しい料理、そして楽しいお喋りをしてくれる相手…
それらは麻琴を安心させるに十分な要素だったのだが、それでも気がかりな事、どうしても忘れて楽しむ事が出来ない点があった。

「…なあ一条」

「?」

「…お前、これから予定とかある?」

「え、特にないけど…?」

当初の予定ではここでご飯を食べた後、交通費を和仁が麻琴に貸して別れる…という事になっていた。

和仁が麻琴に会った時、一番最初に思った事、危惧していたパチ屋の出入りだが、何と麻琴はあっさり黙認。

「別に自分のお金で遊んでいるなら特にうるさく言う気はないよ。…まあホントはよくない事ではあるんだけどね」

そう言ってお咎めナシの判決を下した麻琴。
和仁はそんな麻琴を見て、自分の抱いていた「融通の利かない優等生」という印象を破棄。
「結構話せるヤツじゃん。それに笑うと結構可愛いし」と、一気に脳内で麻琴株の価格を上昇させる。

…ホント、オレの勘違いだってのが判った時は「しまった!」と思ったけど。とはその時の和仁の正直な感想。

そう、まだ麻琴がパチ屋から出てきた事に対して怒っているのだとばかり思っていた和仁は先手を打って全てを白状。さらに普段から休日はパチ屋で勝負している事まで喋ってしまった。

そんな和仁の激白対し、返って来た麻琴の言葉は「…え、そうなの?」という素っ気無いもの。
このある意味衝撃的、完全に想定外な反応に「ヤバイ、早まった!」と、劇的に後悔する和仁。
だが時すでに遅し、自分から勝手に自首したような形になった状態を元に戻す事は不可能であり、2度目の覚悟を決める和仁だったが、麻琴の裁きは前述のように無罪放免。

「本当によかった〜」と胸を撫で下ろす和仁と、「これでお互いに秘密が出来ちゃったね」と言う麻琴。
別に和仁としては今日の事を誰かに話す気は無かったのだが、確かに「双方弱みを握り合っている」という状態の方が形として成立する。

こうして平等なのか不平等なのか、はたまたこれが秘密の共有、弱みの握り合いになるかどうか微妙な関係を築いた和仁と麻琴。

それはどこか連帯感を伴う、ちょっとだけ背徳の香り漂うもの。
運命共同体、と呼ぶのはあまりにも大袈裟だが、日常レベルの生活で考えるなら、普通の学生同士という括りで考えるなら、それはやはり特別なもの。

…だから、かもしれない。

まだ相手の全てを理解した訳ではない、完全に心を許した訳ではないが、それでも和仁は思っていた事を口にする。

「…あのさ、もし一条がよければだけど…俺と一緒に打ちに行かない?」

…と。



――2005年、6月。ホール内――


「う〜ん、プチハマリの予感…」

「ああ?まだ下皿にコインあるだろ?」

人差し指を口に当て、「む〜」と言わんばかりの表情を浮かべる麻琴。
その視線の先には自分が打っているパチスロ台、そしてその上にあるデータグラフ。

すでに先のBIGボーナスが終わってから麻琴は130ゲーム程回し、持ちコインを半分以上使っていた。
しかしまだまだ現金投資には遠く、手持ちコインが尽きる前に再度ボーナスを引けるチャンスは十分にあった。

それに対して和仁は2度目のレギュラーボーナスで得たコインも呑まれ、またしても追い金を余儀なくされている状態。

自分の状況に比べれば全然マシだろ、それを「プチハマリの予感」とか言いやがって…と、麻琴の言動がとても面白くない和仁。

「…ったく、コイン持ちがメチャクチャ良くてもボーナスを引けなきゃお手上げだっちゅうの」

「ははは。確かに和仁の台、回りはいいんだよねー」

「…まあな。千円辺り36回くらいは行ってるんじゃねえか?」

「うわ、スゴイね。私なんか29回を切るかな?ってくらいなのに」

「それでもBIG引いてんだろ。…あー、この展開はマズイかもしれんなー」

そう言って一度レバーを叩く手を止め、大きく背中を伸ばす和仁。
この小休止はちょっとした気分転換、頭を切り替えようとしての行動だったのだが、効果は特に期待出来ない。

…和仁が「この展開」と言った、レギュラーボーナス→現金投資→レギュラーボーナス→現金投資の流れ。その真綿で首を絞められるような状態、じわじわとサイフの中身が減っていく展開はかなり好ましくない。

勿論何もボーナスを引けずにハマリ一直線、みたいな展開よりはマシなのだが、例えレギュラーでも中途半端にボーナスを引けるとかえって深追いしてしまう事があり、和仁もそんなタイプに属してしまう打ち手だった。

「よしっ」

切り替え終了とばかりに気合を入れ、コインを手にする和仁。
出来れば早く次のボーナスを、最悪でも回収不能な負け額だけは回避しないと…

そんな思いを秘めつつ、和仁はきっちりと各リールの狙うべき場所、止めるべき箇所を確実に狙ってストップボタンを押していく。

パチスロにおいて「ヤケになって適当打ち」を一番の愚行と考える和仁だけあって、決して捨てゲームを作らないその姿勢はポリシーや美徳といった言葉を彷彿とさせる。

…が。

どんなに素晴らしい意気込みを持っても、どれだけきっちり通常ゲームを消化しても、ボーナスを引けない時は引けないもの。

それは和仁も重々承知、パチスロとはそういうもの…と言い聞かせて遊戯を続けているのだが、こういう時に限ってそんな強い意志を見事に折ってくれる出来事が起きてしまう。

♪チャラララ、チャラララ、チャラララララ〜

「…あ」

「…う」

またしても麻琴の生入りが炸裂。しかもBIGである。

「入っちゃった…っていうか揃っちゃった。テヘ」

「あー、もう知らん知らん!」

テヘ、じゃねえよこの四捨五入すれば三十路女!という悪態を吐いてもよかったのだが、その後で確実に待ち構えている報復行為が怖いので結局言わない和仁。

それまでのやる気を十二分に削いでくれた麻琴のBIGボーナスゲットに和仁はスッ…と立ち上がり、力なく首を振りながら歩き出す。

「ドコいくの〜?」

「トイレだトイレ」

「あっそ」

これも気分転換の手段か、本当はあまり尿意も感じていなかったが、とりあえずトイレに向かう和仁。

トン…、タン、タン、タン。…ジャラララ!

「〜♪」

そんな和仁を他所に、麻琴は機嫌よくボタンを止めてはコインを増やしていく。

これでさらに現金投資が遠のいた事になる麻琴と、未だ安定ラインには程遠い和仁。

知識も技術も経験も、全て和仁が上だと言うのにこの戦績…
まだ結果が出るには幾分早いが、まあこれが現実といった所だろうか。

これで2回目になるが、パチスロにおいては100の知識と100の経験より、1の運が勝る事が往々にしてある。

…そう、パチスロとはそんなものなのだ。



――1998年、6月。駅前、某ファミレス――


「…え?」

しばらくの間の後、ようやく口を開く麻琴。
だがその返答及び表情から察するに、理解度は限りなくゼロに近かった。

…私が、高木君と…パチスロ?

和仁の口から発せられた「一緒に打ちに行かない?」という言葉を何度か噛み砕き、ようやくその意味を理解する麻琴。

そして…

「ええええー!?」

「ちょ、声デカイから!驚きすぎだから!」

思わず箸を床に落としてしまうだけの大声、そして反射的に立ち上がって口を塞ごうとしてしまう程の驚きっぷり…

その遅れてやって来た麻琴の過剰反応に和仁は大慌て。何とか落ち着いてもらおうとするのだが、当の本人も結構な混乱っぷりを発揮しているため、手元のコップを倒してしまう。

「ああっ、水が!」

「ハッ!…高木君、コレ使って!」

そんな和仁を見た麻琴はすぐさま自分のバックからハンカチを取り出し、素早く手渡す。
その一連の動きはまさに高速、それまで慌てまくっていた人物とは思えない素晴らしい対処を見せる。

「サンキュ!」

「どう?足りる?まだティッシュもあるけど?」

「いや、大丈夫。溶けかかった氷しか入ってなかった」

「よかった…」

「…って、メチャクチャ的確に動いてるし!」

「へ?」

…と、ここで我に返る麻琴。
そして急激に顔を赤らめ、「あわわわわ…」と言いながら座っていたソファーにちょこんと腰掛ける。

「…いや、別にそこまで慌てなくても」

「そ、そうだね、あはは…」

確かに和仁の言う通り、そのまま普段の優等生スタイルでいればいいのに、何故か慌てる系のキャラに戻ってしまう麻琴。

…う〜ん、もしかしてこっちが一条の本性?いや、まさか…

きっとまだ気持ちの整理がついてないんだ…と、和仁は好意的に解釈し、これ以上の追及を避ける事に。
そして話題を元に戻そうとするが、いきなりではなく段階を踏み、自然な流れで行こうと頭の中で展開を組み立てていく。

「…ま、何にせよサンキュな。…ハンカチ、洗って返すよ」

「い、いいよ、私が洗うから」

「んー、じゃあお言葉に甘えて…と」

そう言って和仁はハンカチの濡れた部分を上手く内側に折り、カバンの中に入れても周りに被害が及ばないようにしてから麻琴に手渡す。

「はい、確かに」

「…よく考えたらアレだな、いきなりハンカチとか持ってきたらオカンに何を言われるかわかったもんじゃねえな」

「え?そうなの?」

「そ。そうなの」

想像なんかしたくないのに出てくる母親の顔、そして「ちょっと!このハンカチは何なの!?もしかして付き合ってるコでもいるの!?だったらちゃんと一回ウチに―」という展開…

和仁は容易に読めるそんな一連の流れを頭の中でシュミレートし、心から「一条がハンカチを引き取ってくれてよかったー」という顔になる。

「…ふふっ」

「あ、笑ったな」

「ゴ、ゴメン。…でも、やっぱりおかしいよ」

…と、クスクス笑う麻琴。
その笑顔はかなり自然で、とても柔らかいもの。

だが、それでもどこか本心からではない…というか、何か心にひっかかるものがある様子。

「…」

それを鋭い洞察力で見抜いた和仁は今までの軽いおふざけキャラから一転、真面目な顔で麻琴に話しかける。

「…なあ一条」

「はい?」

「…オルゴールの事、ずっと考えてるだろ」

「え…」

「いや、考えないようにしてるけど、気を抜くと浮かんでしまう…が正解かな」

「…」

ど、どうして…?という顔になる麻琴。
そこには今さっきまでの笑顔、そして「元の自分に戻りつつある自分」の姿は微塵もなかった。

「やっぱりな。…妹さんへのプレゼント、だっけ?」

「…」

コクリと首を縦に振る麻琴。
その反応を見た和仁は何かを確信したように頷き、さらに話を続ける。

「まあ今日が妹さんの誕生日な訳じゃないし、店の人も取り置きをするとは言ってくれた…」

と、ここで一旦間を置き、和仁は間合いを取るかのように手元のジュースを一口飲み、再び話し始める。

「確かに時間的な余裕はある。…でも」

「…」

「それ以外は不安要素だらけだろ?…いや、もしかしたら時間に関しても不安かもな」

「…」

もう一度、今度は少し困ったというか怪訝そうな表情を浮かべながら頷く麻琴。
そこには先の「どうして…?」という感情をさらに肥大化させ、さらに不可解な謎を追加したような感情が見て取れた。

「…ん、何でそこまで解るの?って顔だな」

「う、うん…」

「まあ簡単に言えば勘、になるのかな?それプラス一条の目の動きや喋り方からも何となく察せるけど、一番の決め手は「俺も同じような経験があるから」だな」

「同じ…経験?」

「そ」

軽く頷き、残っていたジュースを飲み干す和仁。
かなり短い…というか発した言葉は1文字だが、麻琴にはその返事がとても深い意味を持っているように思えてならなかった。

穏やかな表情と共に発せられた和仁の返答、それはどこか頼れるような、頼っても大丈夫なような雰囲気があった。

そして何より、「同じような経験をしている」という言葉が麻琴を安心させる大きな要素に、心強い味方を得たような気持ちにさせていた。

「…そう、なんだ。高木君も同じような経験、あるんだ」

「まあな。…あ、でも一条のような姉妹愛に溢れたエピソードではないぜ?もっとこう…アホな感じだ」

「そんな言い方…」

「いいんだって、実際そんな言い方しても仕方ねえ事だったんだから。…あと先に言っておくけど、どういう内容かは話さねえからな」

和仁はそう言って少し恥ずかしそうに視線を逸らす。

「…」

…なんだろう、楽しそうに話す人だったり、同い年なのにすごい年上っぽい部分がある人だったり、ちょっと子供っぽい所もあったり…

少し前まではただのクラスメート、それもあまり仲がいい訳でも、特に印象に残る出来事もなかった和仁だが、今は違う。

「…」

麻琴は改めてこの頼れるクラスメートを、高木和仁という人物をまじまじと見つめる。

今日こうして出会わなければ、もし駅前で和仁を見かけても躊躇して話しかけなければ、そもそも自分がサイフを落としてなければ、この2人で食事をしている状況は起こり得なかった…

それはただの偶然、たまたま起きた事と片付ける事も出来る。
勿論、麻琴もこの出会いに運命だ何だという付加価値を付ける気はさらさらない。

…でも。

と、麻琴。

「な、何だよ、急にジロジロ見て…」

「ゴメンゴメン、ちょっと…ね」

「うわ、気になるなー。…もしかしてラヴ方面の話か?俺にときめいたりしたのか?国語の教科書風に言うなら「赤い実はじけた」か?」

「…それはないかな」

「う〜ん、残念…」

本気ではないだろうが、それでも悔しそうなリアクションを取る和仁。
だがその立ち振る舞いに嫌味な部分、自意識過剰であったり勘違い極まりない部分はなく、相手を楽しませようとする心意気だけが伝わってくるのが嬉しかった。

…でも、きっといい出会いなんだろうな。

これがさっき麻琴の頭の中に浮かびかけた言葉であり、率直な感想。

駅前のパチンコ屋さんの前で会ってからまだ1時間も経ってないけど、この人はきっといい人。高木君はいい人だと思う。

麻琴はそう確信し、和仁を「自分的いい人ランキング」の上位に置く。
これはかなりのジャンプアップ、ランク圏外から一気にトップ付近に踊り出た事になるのだが、別にだからどうしたと言われればそれまで。
やはり今の段階では麻琴の赤い実ははじけない。

…って、何を考えてるんだろ、私。

セリフツッコミを入れる麻琴。
そして「…あ、そういえば…」と、ある事を思い出す。

それは今さっき思い描いた内容に出てきた、「駅前のパチンコ屋さんの前で会ってから〜」という部分。

確か高木君、俺と一緒に打ちに行かないか、って言ってたような…

その後の自分の過剰反応やらハンカチのくだりやら何やらですっかり忘れていたが、一連の出来事のきっかけになったのは和仁の提案だった。

「…で、話を元に戻すけどさ」

ちょうど時同じくして、和仁もその話題に戻ろうと麻琴に話しかける。

「もしよければパチスロ、打ってみない?」

「…」

さっきも言われた事なので、いきなりの提案ではない。
しかしあまりに突飛、あまりに今までの話の流れからかけ離れた事のため、麻琴はどう対応すればいいのか判らない。

「えっと、その…」

「やっぱ抵抗ある?」

「ええっと、それもあるけど…」

「けど?」

「私、サイフ落としたし、お金ないし…」

どうしてだろう?それくらい高木君も判ってるはずなのに…?

それは前から麻琴の中で燻っていた思い。
サイフを落としたから、家に帰れずに途方に暮れていたから会えたというのに、その辺を和仁はすっかり忘れてしまっているのでないか。

麻琴はそう事を考え、和仁の提案に、そしてその提案にある真意を探ろうとする。
だがいくら考えを巡らせても自分を納得させるの回答は浮かばず、結局無言。
ここはもう和仁に全てを判りやすく説明してもらった方がいいな、と思い始めていた。

「勿論サイフの話は覚えてる。…それにさっきも言った通り、一条がオルゴールの事をかなり気にしてるのもね」

「…」

「これもさっき言ったけど、確かにまだ時間の余裕があるかもしれない。…でも確証はないんだ。もしかしたらオルゴールは売られてしまうかもしれないし、妹さんの誕生日までお金を用意出来るかどうかも判らない。…違う?」

「う…」

…反論出来なかった。「違うよ」なんて言えなかった。
高木君の言う通り、店員さんとの約束はあくまで口だけのもの。事情を説明してみると言っていた店長さんがダメと言えばそれまでだし、そうなったらもう同じオルゴールを見つけるのはかなり難しくなる。

それにお金だってそう。
落としたサイフにはオルゴール代とは別に自分が普段の生活で使うお金も入っていた。
それを全て失い、さらにもう1度オルゴールを買うお金も必要になる…

…どうしよう、高木君に言われるまで全然気付いてなかった。

麻琴は和仁に会い、無事に家に帰れる事だけで安心していた節があったのだが、冷静に考えると和仁の言う通り、不安要素はかなりある。

「そりゃあ一条はかなり金持ちの家で、小遣いも貰い放題…って事なら何の問題もないけどさ」

「ううん、そんな事ない。お金持ちじゃない、普通の家だよ」

「なら尚更だ。出来るだけ早くオルゴールを買って手元に置きたい。そして可能なら少しは手持ちの金も欲しい…。さすがにノーマネーで学校生活はキツイだろ?」

「そ、そうだね…」

頷くしかない麻琴。
しかし「でもどうしてそれとパチスロが?」という思いもあった。

「…そこでだ。俺にいい案がある」

和仁は自信たっぷりにそう言い、おもむろに自分のサイフを取り出す。
そして所持金を確認し、さらに何か指折り数えては「よし」と頷く。

「なあ一条、俺は今手持ちに2万9千円ある。って事はここのメシ代を引いても2万6千円は残る計算になる」

「う、うん…」

すごいな高木君、いつもそのくらい持ち歩いてるんだ…
あれ?でもそれって全部パチスロの資金?そんなにお金を使うものなの?

和仁の言葉に頷きつつも、頭の中では色々と推測が展開してしまう麻琴。
とりあえず今この段階で判った事は和仁の懐具合だけである。

「…まあ本当はこれからさらに一条に幾らか貸すんだけど、それでもスロットを打つだけの金は十分に残る」

「うん…」

「さて、ここで提案だ。聞いてくれ」

パン!と太ももを叩き、「本題に入るぞサイン」を送る和仁。
麻琴もそれは十重に承知、それまで以上にしっかりと話聞く体勢に入る。

「実は今日、近場のホールで1軒、「レディースイベント」をやってる店があってさ。女性限定の優良台が結構用意されてるんだよ」

「レディース…イベント」

「そうそう。まあよくある客寄せの一環なんだけど、信頼率はバツグンでさ。ガセはまずないと思っていい」

「…ガセ」

「ああ、ウソって事な。「この台は出ますよ〜」みたいな札を差しておいて実は…みたいなケース、結構あるんだよ」

「え、でもそれっていいの?」

「本当はダメかもしれんけど、その辺は上手くやってるっていうか、巧妙っていうか、まあ色々あるんだよ」

その辺をしっかりと説明する事は出来るが、和仁はあえて省略する。
こればっかりはいくら麻琴に理解力があろうとも全くの初心者には伝わらない。

パチスロには設定というものがあって、それが6段階あって、1がダメで6がよくて、それぞれ機械割というのがあって…と、「出る台/出ない台」を説明する時点で専門用語が並んでしまうため、和仁はそういった説明を全て省き、本題だけ話す気でいた。

「…でだ。一条、そのレディース台を打て。金は全額俺が負担する」

「…ええええー!?」

一番初めにパチスロを勧めた時よりは幾分トーンダウンしているものの、それでもかなりの驚きっぷりを見せる麻琴。

しかし和仁はそんな麻琴のリアクションをスルーし、そのまま話を続ける。

「大丈夫、俺がずっと横にいてレクチャーするから。一条はただ適当に打ってるだけでいい」

「で、でも…」

「もしレディース台に座れたら、今日だけでオルゴール代を落とした額、全部回収出来るかもしれないぞ?」

「え…?」

ホント?パチスロってそんなに儲かるの?
麻琴は和仁の言葉にピクリと反応、ここで初めて和仁のパチスロ提案に心が揺れ動く。

「勿論絶対なんて事はないけど、かなりの高確率で勝てる事は間違いない」

「でも、でも、私パチスロとか全然知らないし、多分ヘタだし…」

「だから大丈夫だって。そんな構えるもんでもねえよ。…まあ不安かもしれんけど、それ以上に魅力的な話だと思わない?」

「それはそうだけど…」

言葉を濁す麻琴。
和仁の言う事が本当だとしたら、これほど嬉しい事はない。

しかし…

「ええっと、その…」

「ん?どした?」

確かにおいしい話ではある。
だが麻琴にはどうしても腑に落ちない…というか理解出来ない点があった。

「どうしてそこまでして、お金を出してくれてまで私に打たせようとするの?」

純粋に私のために、オルゴール代と落としたサイフに入っていたお金を取り戻すために誘ってくれているのか、それとも別の目的があるのか…

麻琴にはその辺りが全く読めず、また読めないが故に不安感が高まっていた。
勿論和仁を疑う気はないのだが…

「…答えは簡単。俺が必死になって出ない台を打つより、一条が出る台を打った方が勝てるから。以上」

注釈通り簡潔に理由を説明する和仁。
低設定、高設定という言葉を使わず、出る台、出ない台と表現する配慮が和仁らしいと言えばらしいのだが、とりあえず真意に関しては何も包み隠さず説明した事になる。

「そう、なんだ…」

あまりにキッパリ、あまりに自信たっぷりに言い切る和仁に対し、同意するしかない麻琴。

高木君がここまで断言するなら、きっと本当なんだろうな…

そう麻琴は判断し、決意を固める方向、つまり和仁の提案に乗ってパチスロを打つ事になびき始める。

「そりゃあ俺が出る台を打てればそれに越した事はないけど、さすがに性別の壁は越えられないからな。いくらなんでも女装はしたくねえし」

「う〜ん、意外と大丈夫かもよ?」

高木君、結構肌とか白いし、指とかキレイだし…
髪と服を何とか上手くやれば簡単にはバレないような…と、勝手に脳内で和仁の女装化を図る麻琴。
何もそれはイタズラやからかい半分ではなく、麻琴の中では結構真面目なシュミレートだったのだが、当の和仁は微妙な表情。

「…全然嬉しくねえよ」

そう答えるのが精一杯、何か面白さと皮肉のスパイスが効いたコメントでも…と思うも、残念ながらナイスなセリフは出てこなかった。

「ねえ高木君、スカートは長い方がいいかな?」

「だからやらねえって…」

どこかポイントが外れている&意外としつこい麻琴に「勘弁してください…」という顔になる和仁。

しかし麻琴のプチ暴走もここまで、以降はしっかりと和仁の説明なり何なりを聞いては確認するように頷いていた。

まず千円札を台の隣に入れ、コインに替える。

基本的にコインは3枚入れてから回し、ボタンは左から止める。

それを繰り返し、たくさんコインが出る状態になったら和仁が教えてくれる…

この他にもパチ屋でのルールであったり、もしも年齢を聞かれたら「大学1年だ」と答える…といった緊急時の取り決めを話し合う2人。

そして…

「…よし、後はもう実践だな」

「うん、頑張るよ」

「その意気その意気」

和仁は満足そうに頷くと、レシートを持って立ち上がる。
そして手早く会計を済ませ、店の外で待っていた麻琴と合流。いよいよ勝負の地、近くにあるというレディースイベントを開催しているパチンコホールへと向かう。

「ううう、大丈夫かな〜、19歳に見えるかな〜」

「ま、その時は「童顔なんです」で乗り切るしかないな」

「そこが一番不安かも…」

「おいおい、勝てるかどうかが最重要じゃねのかよ」

「それもそうだけど〜」

「…あ、ちなみに聞くけどさ」

「うん?」

「オルゴール代と落としたサイフに入ってた額って幾らくらい?」

「ええっとね…」

と、そんなやり取りをしながら歩く和仁と麻琴。
その姿は付き合ってる学生カップルに見えなくもないが、2人の微妙に合わない歩幅であったり、ちょこちょこ手と手がぶつかる辺り、せいぜい「仲のいい友達」といった感じだった。



――2005年、6月。ホール内――


♪チャラララ、チャラララ、チャラララララ〜

「…やっと来た…」

疲れきった顔、口から生気か何かが出てきそうな表情の和仁。
しかし彼が座っている台からは和仁の状態とは裏腹に軽快なBGMが鳴り響いている。

「おめでと、やっと初BIGだね」

と、すでに4回のボーナス、その内3回がBIGという麻琴が労いの声をかける。

ちなみにこの時点での和仁の投資金額は2万円少々。キレる程の大ハマリではないが、この負債は結構大きい。

「ああああ〜」

奇声をあげた上にグデグデ感丸出し、今にも崩れ落ちそうな態勢でボーナスを消化していく和仁。
しかしリールを見る目とそれを止める手だけはしっかりしており、高速かつ完璧に近い消化手順を踏んでいた。

…う〜ん、すごいなあ。

そんな和仁を横で見ていた麻琴は素直に感心しつつ、自分も負けていられないと回転するリールを目で追い、止めるべきポイントを狙ってボタンを押していく。

「…」

「…」

何とかここから巻き返しを計るべく必死の和仁と、このまま現状維持でもいいかな?と余裕のある麻琴。

思い描く展開はかなり違うが、2人並んでの遊戯はまだまだ続くのであった。



――1998年、6月。某ホール内――


「うわー、私パチンコ屋さんにいるよー」

「はいはい、そんなキョロキョロしない」

「あ、コップのジュース自販機だ。私ミルクココア好きなんだ」

「わかった、途中で休憩入れる時に飲もう」

初めてのパチ屋にテンションが上がっている麻琴と、まずは何より狙い台を確保しないと…と思っている和仁。

「それにしてもちょっとうるさいかも…」

「まあこういうもんだと諦めろ」

ガンガンに流れる有線も、絶えず聞こえてくるジャラジャラ…というパチンコ玉の音も、ファンファーレと共に流れるアナウンスも、全て新鮮に映る麻琴だったが、さすがにこの喧騒にはあまりよろしくない印象を受けた模様。

「あとタバコの匂いもキツイね」

「そうだな、吸わないヤツにとっては気になるかもな」

「…ええっと、高木君は…」

「安心しろ、吸わねえ」

「うん、わかった」

ホール内を歩きながら会話を続ける和仁と麻琴。
周囲の喧騒に声が掻き消されないよう、いつの間にか喋る時は顔を近づけ合うようになっていたが、2人は特に気にかけていない。

麻琴は初めての経験の連続に、和仁は狙い台をゲットするべく夢中。
そのため、両者が喋る時の顔の近さに気付いたのはしばらく後。何とか空き台を見つけ、並んで座ってからの事だった。

「…そ、それじゃさっき教えた通りに打ってみな」

「う、うん…」

遅れてやってきた恥ずかしさ、今までもうちょっとで唇同士がぶつかるかもしれない距離で話していた事を意識してしまい、出合った時以上にぎこちない会話になってしまう2人。

…ジャラララララ

「あっ、何か出てきた」

「コインだよ、どこをどう見たってコインだよ」

…チャリ、チャリ…ポロッ

「おっと」

パチスロ初体験の麻琴は勿論、全然慣れている和仁まで投入しようとしたコインを床に落としてしまう始末。さらにコインを拾った後、後頭部でリールを叩いて回してしまう…という恥ずかしプレイまでやらかしてしまう和仁。一方の麻琴も初心者全開、リールを止める度に「…えい」と言っている。

…あー、こりゃアカン。俺がしっかりしないと。

スッ…、タン、タン、タン!

ジャララッ…トンッ、タンタンタン!

ここでようやく本来の調子、いつものペースで遊戯を行う和仁。
自分の台の出目をしっかり見つつ、絶えず隣の麻琴の様子も見る…という集中しづらい状況ではあるが、それでも和仁の台は各リール狙うべきポイントがしっかり止まっていた。

…こうして遊戯開始から1分。

「…あ」

「どした?」

急に声を上げる麻琴に和仁が何事かと聞き返す。

まさかリーチ目が出たとか?
いや、まさか。

自分が出した予想を自分で否定、早々にその可能性を蹴る和仁。
そもそも麻琴にリーチ目及びリーチの概念は教えていない。

だとしたら何を…?
そう思いながら麻琴を見ると、当の本人は停止したリールを指差して喋り出す。

「何かジャラジャラって聞こえたよ?」

「ああ、それは揃ったら10枚貰えるって絵柄が揃ったからだな。…見てみ、斜めにオレンジが並んでるだろ?」

「そっか、なるほど…」

うんうんと頷き、3つ並んだオレンジ絵柄を確認する麻琴。
そしてパネルに表示されているキャスト欄と払い出し枚数を見ては「…よし、覚えた」といった表情を浮かべる。

「…」

…これで有効ラインの概念、子役揃いの概念は分かったみたいだな…

和仁はそんな麻琴の様子を見つつ、次に起こるであろう事、次に疑問に思うであろう事は何かと考えを巡らせる。

…と、その時だった。

「あ」

ほんの少しの間おろそかにしていた自分の台、ちょうど第3リールが止まった所で思わず声を出してしまう和仁。

…リーチ目じゃん。

そこに出現していたのは少々難解、ちょっと打った事がある程度の人には気付かない、リール枠上部の絵柄が絡むリーチ目。

…ラッキー、投資1本でボーナスじゃん。

何だよ、俺の方が先に引いちゃったな…と、少しバツの悪そうな顔をするも、「まあこればっかりは運ですから」的な言い訳を心の中で展開する和仁。

どうしよう、「これがリーチ目で、次に偉い絵柄を狙うとコインがたくさん出るんだぜ」とか言って軽くでも教えた方がいいのかな…

と、ここで和仁はしばし熟考タイムに突入。
…でもなあ、上手く伝えないと「じゃあこの通りの並びにならないといけないのね?」とか誤解して覚えそうだし…

っていうかこれからずっと打つ訳じゃないんだし、そこまで教えなくてもいいか。

そう和仁は結論を下し、ここは何も言わず普通にを揃えて「これがボーナスだよ」と簡単に説明する事に。

だがコインを投入し、第1リールを止めたその時…

♪チャラララ、チャラララ、チャラララララ〜

「…え?」

「うわ、何か鳴った!カエルが揃った!」

…何と和仁が目を離しているわずかな間に麻琴もボーナスゲット。
さらに偶然ではあるが、しっかりと枠内にBIG絵柄のカエルが並んでいる。

「ねえ高木君、これって…」

「ああ、大当たりだ。金額にして約7500円ゲット、ってヤツだな」

「ええええええ!?だって私、まだ5分も打ってないよ?時給計算したらスゴイ事になるよ!?」

「時給で計算するなよ…」

ボーナスを引き当てた事より、そのボーナスで得られる金額を聞いて驚く麻琴。
慌てまくって時給計算をしてしまったのはまあご愛嬌、というやつだ。

「…す、す…」

「す?」

「すごいねパチスロって!」

「そ、そうか…」

嬉しさと喜びの感情全開、麻琴はまるで初めて食べるごちそうを目の前にした子供のように瞳を輝かせ、その感想を熱く和仁に語ってくる。

「ええっと、これからどうすればいいんだっけ?…換金?」

「早い早い早い」

踏むべきステップを一気に飛ばした早さ、そして時間的な早さの2つに対してツッコミを入れる和仁。
確かに今すぐにやめて換金すれば8000円程度の儲けにはなるが、それで高設定確定台を手放すのは勿体無い。

そこで和仁は何とか長時間勝負をしてもらうため、今ここでやめてはいけないアピールをする事に。

「…なあ一条」

「?」

まだ麻琴の台はカエルが揃ったまま、ボーナスゲームは始まっていない状態。
本来であればすぐに遊戯方法の説明をして(…と言っても難しい事は教えれないので、全て順押しで消化させるしかないのだが)コインを増やしてもらうのだが、その前に自分の台にもボーナスが来ている事を教えようとする。

「実は俺も…」

と、和仁はここで言葉を一旦区切り、素早く自分の台に視線を向け、これまた素早くリールをストップ。
すると和仁の台にもBIG絵柄の7が見事に揃い、軽快なBGMが鳴り出す。

「…ボーナスゲットしてたんだ」

意識的にカエルを避け、7絵柄を揃える事で「この絵柄でも大丈夫なんだぜ?」というレクチャーをしつつ、和仁は「こんな感じで結構頻繁にボーナスが引けるんだぜ」的な表情を見せる。

「すごいすごい、さすが高木君〜」

「まあな。…そんな訳であんま設定の高くない台でもこうやって出るんだ。一条の座ってる台ならもっと出やすいぞ?」

「ホント!?」

「ああ、確率の話をしてもピンとこねえと思うけど、全然当たりやすいのは確かだ」

「そうなんだー。じゃあもっとたくさん出そうね!」

「よし、その意気だ。…こういう幸先のいいスタートってのは結構大勝ちに繋がるからな。お互い頑張ろうぜ?」

「うん!」

「よーし、それじゃあボーナス中の打ち方だけどな…」

…と、和仁は麻琴の台に手を伸ばし、打ち方の説明をする。

まあ説明と言ってもひたすらMAXBETボタン→レバーオン→左から順に止める、を繰り返すだけなのだが、それでも麻琴は真剣に和仁の言葉に耳を傾ける。

・・・パチスロ開始から7分。
両者共に投資千円でボーナス、しかもBIGを引き当てるという理想的な展開を見せる2人。

このままコインが増え続けると信じて疑わない麻琴と、「これでいきなりハマり出したら何て言おう…」と不安を抱く和仁。

しかし勝負はまだ始まったばかり、これからどうなるかは全く判らない。

オルゴールと落としたサイフに入っていた分のお金を取り戻すため、高設定確定のレディース台を打ってもらって分け前を得るため…

2人の思いこそ違えど、こうして並んでボーナスを消化しているのは紛れもない事実。

それが7年前、和仁と麻琴の初めての連れスロだった。



――2005年、6月。ホール内――


♪チャラララ、チャラララ、チャラララララ〜

「よっしゃ、BIG!」

「おお〜、すごいすごい〜」

「これでレギュラー挟みの3連荘、何とか盛り返して来たぜ!」

そう言いながら頭上のドル箱に手を伸ばし、和仁は下皿に溜っていたコインを移しかえる。

まだドル箱を使うのは早いような気がしないでもないが、これは和仁なりのこだわりがあっての事だった。

確かにコインを縦に差し、カツカツに詰めれば何とか下皿に収まる。
しかしそれでは次のBIGボーナスを引いた時、そこに至るまでに費やした具体的なコイン枚数が判りにくくなる。
適度にBIGボーナスが続いたら一回下皿のコインをドル箱に移し、常にBIG一回分で得たコイン以上の枚数を下皿に置かない…

これがコインの消費感覚を掴む和仁なりの戦法。
それは適度な所でやめれる、台に見切りをつける事にも繋がったりもする。

コインをドル箱に入れておけば即移動も可能、続行か撤退かで悩んでいる時、下皿にコインがあると考えている最中もどんどん入れてしまうが、ドル箱に移しておくと不思議とコインを取る手が出にくくなったりもする。

…まあこれらは全て和仁の根拠なき理屈であり、彼の中だけで適用されるローカルルールであるのだが。

♪チャラララ、チャラララ、チャラララララ〜

するとその時、和仁の隣でも軽快なボーナスBGMが。

「うわ、私にもBIG!」

「何っ、やるじゃねえか小娘!」

「小娘…」

自分に続き、連続で麻琴もボーナスを引き当てた事にテンションが上昇、和仁は勢い任せ口任せで麻琴の事を「小娘」と呼ぶ。

さすがにもう「小」はつかない、何なら「娘」も少々キビシイ歳の麻琴はかなり複雑な表情。
目の前ではBIGボーナス音、普段であれば気分が高揚するBGMが鳴り響いているのだが、微妙に喜べないでいる麻琴がいた。

「どうした小娘、チャッチャッと消化しろよ。もしかしたら高設定かも―」

「小娘って言うなああ〜!!」

「うわっ、どうした麻琴!?何があった!?」

「おのれのせいじゃ〜!」

…こうしてBIGボーナスそっちのけ、和仁の言葉にカチンと来た麻琴が拳を震わせながら立ち上がり、しかるべき制裁を加えようと和仁に迫る。

ちなみに今現在、和仁の戦績は総投資金額2万2千円の回収金額約1万4千円でマイナス6千円。
対する麻琴は総投資金額6千円の回収金額約2万3千円でプラス1万7千円。

果たして和仁の収支はプラス領域に辿り着けるのか、麻琴の調子はこのまま落ちる事はないのか。

…そして何より、どちらがより多いコインを獲得出来るのか。

その結果は、まだ出ない。



――1998年、6月。ホール内――


「…ねえ、これってリーチ目?」

「あー、残念。それっぽく見えるんだけど違うんだよ」

「そうなんだ、難しいねー」

「まあ基本の法則さえ覚えておけば大丈夫だって」

和仁と麻琴の初の連れスロは開始から1時間半が過ぎ、最初は何をするのも、何が起きても不安そうだった麻琴もかなり遊戯に慣れていた。

元々頭の回転のいい麻琴は打っている間にどんどんシステムを理解、この時にはもうリーチ目の概念やボーナス抽選方式まであらかた覚えていた。

その間、2人が引いたボーナスは計8回。
どちらもBIG3回、レギュラー1回と、すでに現金投資ゾーンから脱出。持ちコインでの比較的余裕のある展開になっていた。

おそらく設定にはかなりの差があると思われるが、ここまでは和仁が少し強いヒキを見せ、何とか麻琴に並んでいる…という状態。

一方の麻琴は初心者のためどうしても回転数が少なく、せっかくの高設定台の恩恵をまだフルに生かせていない様子。

しかしコツを掴み、打ち方もどんどん様になっていく麻琴は次第に和仁との間に差異をつけようとしていた。

…タン、タン、パシッ

チャリチャリッ…、トン!

…タン、タン、タンッ

「…あ」

「…お」

2人が続けて声を上げる。
最初に麻琴が、その後を和仁が。

両者の視線の先は麻琴の台、カエル絵柄と7絵柄の組み合わせによる基本形のリーチ目が出現していた。

「ええっと、これは大丈夫だよね?」

「そ。しかもBIG確定目な」

「へー、そういうのもあるんだ。やっぱり奥が深いね、スロットって」

「まあな。…で、どうする?自分で揃える?」

「うん、やってみる」

そう言って麻琴はコインを1枚投入し、慎重にレバーを叩く。

「・・・」

ゆっくりと、落ち着いて。
まるでそう言い聞かせているような麻琴。

じいっ…と回転するリールを見つめる顔は真剣そのもの。まだ両ボーナス絵柄をしっかりとは見えていないが、それでも麻琴は指先でトン…トン…とリズムを取り、1回で決めようという意志の強さが伺える。

…タン

そして左リールが止められ、中段にカエル絵柄が停止。

……タン

続いて中リール。左よりやや時間がかかったが、こちらも見事7絵柄が止まる。

「…」

最後となる右リール。
ここで7絵柄を上手く止めれば見事BIGボーナススタート。
それまでボーナス数で並んでいた和仁を抜き、さらに獲得コイン枚数を伸ばす事になる。

「…」

…そう、そのタイミングな。

横で見ていた和仁が無言で頷く。

大丈夫、しっかり指で取ってるリズムと7が落ちてくるタイミングが合ってる。
後は慌てずにストップボタンを押すだけだ…

自分の台を半分放置しながら麻琴の挙動を見守る和仁。
そして当の本人、麻琴も集中力を切らさずに回転を続けるリールを見ている。

…が。

…トン

「え?」

「…アウチ」

ここで痛恨の時間切れ。
台は無情にも麻琴のストップボタン停止を待たずして最後のリールを強制的に止めてしまう。
その結果、残念ながら7絵柄は揃わず、再度コインを入れる所から始めないといけなくなる。

「…どうして?」

「あー、そういう決まりなんだよ。リールを回転させたまま黙ってると機械が勝手に止めるんだ」

「ええええ〜」

へなへなと肩から力が抜け、「そんなあ…」という顔になる麻琴。
大した時間ではないとは言え、ずっと回転を続けるリールを凝視していたのだ。確かにしょんぼりもするだろう。

「…どうする?もう一回自力で挑戦する?」

「うん!」

…お、気合入ってんな。
和仁の問いかけに即答、大きく頷きながら早くもコインを投入している麻琴から、さっきまでのしょんぼり気分は完全に吹き飛んでいる。
そんな様子の麻琴を見た和仁はもうこちらからの手助けは不要と判断。余程の事が無い限り、向こうからヘルプ要請が来た以外はもう好きにさせようと考えていた。

「…ま、頑張れ。俺はちょっとジュースでも買ってくるよ」

「…」

回り出したリールを見ていた麻琴は無言で応答、軽く首を縦に振り、すぐさまBIG絵柄を目で追う作業に戻る。

…ええっと、確かミルクココアが好き、とか言ってたな。

本当は「奢るけど何がいい?」と聞くつもりだったのだが、あまりの没頭ぷりに質問で邪魔するのは悪いと思い、仕方なく麻琴の分も自分で決める事にした和仁。

幸い、パチ屋に入った直後に交わした会話から好きな飲み物を聞いていたので、和仁は無難にそれを買おうとするのだが…

「…あ、ねえや」

麻琴が好きだと言っていたミルクココア、確かに和仁もこの自販機で見た事があったのだが、時期的な問題か、それとも期間限定の新商品が幅を利かせているせいか、ミルクココアが見当たらない。

…まいったな。

たかがコップ一杯の飲み物、それも和仁の奢りなので何を買ってもいいはず。
しかし嫌いな飲み物を「はい、俺の奢りね」とか言って無理に飲ませるのも気が引ける。

まして向こうは女の子、これが野郎相手なら「遠慮せずに飲みやがれ」と言いながら強制的に顎を掴み、ホットだろうと氷満載だろうと流し込めるのだが…

「…いいや、コーラと紅茶にしとくか」

そう言って和仁は買う物を決定。両方見せてどっちがいいか聞けばいいさ…と、無難なチョイスにする。

…そうだ、ミルク繋がりで紅茶はミルクティーにしとくか。

サイフを取り出している途中でそんな事を考える和仁。
…と、小銭のスペースに指を入れた所である事に気付く。

「…あ、小銭がねえ…」

指先から伝わる硬貨の感触はとても軽くて小さなもの、つまり1円玉が数枚のみ。
ここで和仁はファミレスの会計で小銭をほとんど使った事を思い出す。

「仕方ねえ、札を崩すか…」

ラスト千円からまさかの大逆転、もしくはあと千円あればハイエナされずに済んだのに…という経験があるため、なるべくパチ屋内で紙幣を崩したくない和仁。

しかしどう頑張っても手持ち硬貨の3円では飲み物を買えず、和仁は諦めて千円札を自販機に入れる。

「…さて、と」

全てのボタンが赤く光る中、和仁はまずはコーラを、そして取り出し口からコップを取った後、ミルクティーのボタンを押そうとするのだが、ここで再び選択肢が。

「アイスとホット、か…」

そろそろ夏だし、アイスでいいとは思うけど…
でもアレだよな、コーヒーや紅茶に関しては年中ホットの人もいるんだよな。

…いいや、冷たいのにしよ。
もし一条が「コーラがいい」とか言ったら、ミルクティーを飲むの俺だもんな。

和仁はそう考え、アイスと書かれたボタンを押す。
実はアイスであろうとホットであろうと、紅茶の類はあまり好きではなかったりするのだが、ここは相手に選択の幅を与えるためのあえてのチョイス。

まあそれでもアイスなら一気に飲めるし、きっと一条はミルクティーを選んでくれるさ…と、全く根拠のない事を考える和仁。

…カシャリ、カシャリ、カシャリ…

「…さ、戻りますか」

取り出し口横の矢印ランプが全点灯、「おとりください」の表示が出ると同時に釣銭が落ち始める。

…カシャリ、カシャリ、カシャリ…

「…ん」

不当に長く、そして不当にたくさん落ちてくる釣銭の音。
見ると戻ってくるべき800円の中に銅色の貨幣が混じっている事に気付く。

「何で10円が出てくるんだよ…」

釣銭切れか、それとも何かの嫌がらせか。
まあ間違いなく理由は前者だろうが、とりあえず釣銭取り出し口から戻ってきたのは通常より10枚程多い貨幣達。

…あ〜あ、サイフが重くなるの嫌なんだよな。

そう心の中でグチをこぼしつつ、手にしたコップの中身はこぼさないよう慎重に。
和仁はコーラとミルクティーを持って麻琴の元へと戻っていく。

…まさかまだ揃えてない、って事はねえよな…

そんな事を、考えながら。



――2005年、6月。ホール内――


チャリチャリッ…、トン!

…タン、タン、タン

「…!」

…来た!

左、中リールとあまり期待の出来ない出目だったが、最終リールで一発逆転。
和仁の台には超強力図柄とされる「右リールチェリー付き下段7」が停止していた。

「…あ、ゲチェナだ」

「おうよ」

「おめでと」

下段チェリー付き7、略してゲチェナは麻琴も当然知っているリーチ目な訳で、和仁はそれに気付いた麻琴から簡単な祝福を受ける。

「あんがと」

タン、タン、パシッ!

♪チャラララ、チャラララ、チャラララララ〜

BIGボーナススタート。
和仁はフランクな返事をした後すぐに高速で7を揃え、そのまま子役ゲームを開始する。

データランプに表示された回転数は215、前に引いたBIG1回分のコインが呑まれる寸前での引き戻しだった。

「渋〜い展開だねえ」

「ほっとけ」

麻琴の台の下皿にはまだBIG1回分以上のコインがあり、さらっとではあるがドル箱にもコインが入っている。
ここまでのハマリは最大でも186回転という理想的な出玉推移を描く麻琴に対し、和仁はなかなかに厳しい勝負を強いられていた。

「…」

適当打ちでボーナスを消化してたら、今のBIGを引く前にドル箱からコインを移していたかも…

麻琴は何とか持ち前の技術で持ち応えている和仁の様子を見ながら、「私も少しはBIG中の打ち方を覚えようかな…」と、少々真剣に考えてみる。

…が。

♪チャラララ、チャラララ、チャラララララ〜

「あ」

ここでまたしても生入り。しかも当然のように揃っているのはBIG絵柄。
さすがにこれには麻琴もビックリ、横では和仁も苦笑い。すでに悔しいという感情は消え、「もうどんどん出しちゃって下さい」という感じだった。

全く目押しもせず、半分和仁の台を見ていたというのにボーナスゲット。
まあ運とヒキがいいとこういう事も多々起きる。

「…うん、別に覚えなくていっか」

麻琴はついさっきまで考えていた技術向上の意気込みをポイと投げ捨て、「このままでもいいや」とこれまで通りのスタイルで行く事に。

…何度も言うが、パチスロとはそんなものである。



――1998年、6月。パチンコ店裏、換金所前――


「ここが換金所な」

「へー、外にあるんだ。…どうして?」

「ま、これにも色々と理由があってだな…」

と、和仁が麻琴に本日十数回目のパチ屋レクチャーを始める。

ちなみに2人の手には景品のカードと端数コインで貰ったお菓子が握られており、すでに麻琴は渡された板チョコを半分以上食べていた。

結局あれから麻琴の台は「さすが高設定!」と言わんばかりの大爆発。
クレジット内3連BIGを始め、基本的にプチハマリすら起きなかったのは上出来もいい所。
和仁は序盤こそ麻琴に追いつけ追いこせの好勝負を見せていたが、中盤から失速。
中間設定ですらないと判断した和仁はそこからほとんど打たず、ずっと麻琴のサポートに着いていた。

その結果、和仁は総投資金額が千円の回収金額1万3千円のプラス1万2千円。
麻琴は和仁と同じ総投資金額千円の回収金額が4万6千円とプラス4万5千円の大勝利。

これには麻琴も大満足…というか恐縮極まりない、といった感じ。
もしかしたらまだ勝ったという実感が沸いてないのかもしれない。

「それにしても…」

端数コインで貰った煎餅をかじりながら和仁が口を開く。

「まさかあそこまでビックリするとはなー」

「だって、こんな額になるなんて全然予想してなかったし…」

からかうように笑う和仁と、恥ずかしそうに答える麻琴。

実はコインを計量器に流した時、幾らの勝ちになるか和仁が教えた所、対応した店員さんも思わず苦笑いする程の大声を出す麻琴の姿が…という出来事があったのだった。

「…ま、初打ちでこの金額だもんな、そりゃ驚くか」

「うん」

驚くと言えば、実は和仁にもビックリの出来事があった。
何と2人が打っていた台は共に最低設定の1、何やら手違いで高設定札を差す場所を間違えていたらしく、カウンターでレシートを景品に換えている時に店長が現れ、これでもかと言わんばかりに頭を下げ、必死に謝ってきたのだ。

これにはさすがに和仁も驚きを隠せず、何も判っていない麻琴の横で今日の展開、そして2人のボーナスの引きに「こんな事もあるのか」と複雑な気持ちに。

まあ高設定台の札を信じて疑わず、麻琴に「これが高設定台の出方なんだ」と言っていた自分が恥ずかしい…という部分も往々にしてあるが、とりあえず今日の所は「勝ったからよし」にしておこう。

「…でも勘違いすんなよ?いっつもこんな恵まれた展開になる訳じゃねえんだからな」

「うん、それも分かってる」

しっかりと、そしてハッキリとそう答える麻琴。
その返事に和仁も一安心。変な自信を持ったりせず、「パチスロなんて簡単」という思いも抱いていないであろう麻琴に胸を撫で下ろす。

「…あ、お金が出てきた」

「そりゃ出るさ」

そうしてる間にも和仁は景品を換金所のトレーに乗せ、先に現金に交換してみせていた。
スッ…と引かれていくトレー、そして金額を表示する機械がピッ、ピッと鳴り、景品の代わりに現金が置かれたトレーが出てくる。

それを見た麻琴はここでも興味を示し、「おもしろいなー」と言いながら自分も換金。
しばらくしてから結構な大金が出てくると、今度は「あわわわわ…」と慌てる麻琴。
和仁は「いいから早く取れ」と、後ろに並んでいたオッサンに軽く頭を下げつつ麻琴を促し、換金所を後にする。

こうして初パチスロを終えた麻琴と、初めて全くの初心者と一緒に連れスロをした和仁。
結果は上々、お互い勝利を収め、達成感に満ちた顔で2人は駅前を歩く。

まず向かったのは近く…というかパチ屋の隣にあるコンビニ。
麻琴は「どうして?」と首をかしげたのだが、和仁がレジに持っていった商品を見て納得。

和仁が買ったのは安物の香水、それも柑橘系の少し香りの強いもの。
パチンコ屋の中にずっといたので鼻が慣れてしまい、本人は全然気付いていなかったのだが、今の麻琴はかなりタバコ臭かったりする。

まあ和仁はいつもの事、もし親に追及されても「ゲーセンにいた」と答えれば特に問題はない。
しかし麻琴の場合はそうもいかず、このまま家に帰ろうものなら面倒な事になってしまう可能性特大である。

そのため、和仁はタバコの匂いを消せるだけの強力な香水を買い、コンビニを出た所ですぐさま麻琴に向かって豪快にプッシュ。
ついでに自分にも軽く香水をふりかけ、両者の服や髪からタバコの匂いがしなくなったのを確認してから行動を開始する。

2人が目指すのは当然オルゴールを取り置きしてもらっている雑貨店。
しかし店に向かおうと歩き出した直後から、麻琴が妙に不安そうにソワソワし始める。

「どうした?」

「う、うん…。お札を裸で持ち歩くのに慣れてないから…」

「ああ、そういう事か。確かにちょっと不安になるかもな」

麻琴の言葉に納得する和仁。
サイフに入れるではなく、金をそのまま持ち歩くのは少し抵抗がある…
それは和仁にも何となく理解出来た。

落としても気付かないだろうし、そうなった場合まず手元には戻ってこないだろう。
さらに麻琴が今持っているのは1万円札がメイン、そりゃ過剰に心配もするわな…と、落ち着かない様子の麻琴を見る和仁。

勿論麻琴は落としやすいポケットには入れず、厳重にカバンの置にしまっているのだが、それでも「どこかから落ちないかな…?」と、しきりにカバンを気にしていた。

「そんなオドオドしてたら不審者だと思われるぞ」

「そ、それは困るかも…」

「だったらピシッとしろよ。そんな状態じゃまたオルゴール落とすぞ?」

「うう、それも困る…」

…ホント、学校にいる時と雰囲気違うよなー

困ってばかりの麻琴に苦笑いを浮かべる和仁。
こんなに感情を表に出すヤツだって知ってたら、もっと前から喋ってたのに…

と、和仁は隣で未だ「カバンに隙間はないかチェック」を行っている麻琴に対し、そんな事を考えながら彼女の歩幅に合わせて歩き続ける。


「…あ、そこのお店だよ」

それから5分程経っただろうか、麻琴が目的の店が見えてきた事を和仁に伝える。

「う〜ん、俺にはまず縁のない店だな…」

「え〜、そんなコトないよ〜」

「いやいや、店全体から乙女臭が漂ってるような店には入らん。というか入れん」

「…イヤな言い方だなあ。乙女臭って…」

麻琴がオルゴールを買った店は確かに和仁が言うように、「女の子が入る店」という色合いが濃かった。
さすがに「乙女臭」は言い過ぎだが、ガラス製の小瓶や置物、アロマテラピー関連のグッズやインセンス…といった品揃えの数々は和仁にとって馴染みのないものが多い。

しかし麻琴の言っている事もあながち間違いではなく、そこまで男子禁制な雰囲気を出している訳ではない。
女の子と一緒なら全然普通に入れるような感じ…とでも言えばいいのだろうか、とりあえず和仁も「店の前でずっと待っているよりは中に入った方がいいか」と、麻琴の後に続いて入店する事にした。

「いらっしゃいま…あら?」

「あはは、どうも〜」

「さっきのお嬢ちゃんじゃない、どうしたの?」

どうやら店員のおばちゃんは麻琴がオルゴールを買った時に接客した人らしく、すぐに麻琴に気付いて話しかけてくる。

「ええっと…」

ちょっと待って下さいね、といった感じで麻琴はカバンを開け、ゴソゴソと中を漁る。

「…?」

そんな麻琴を不思議そうに見る店員のおばちゃん。
おそらく買いに来るのはもっと後で…みたいな話をしていたのだろう。

…さすがにそれが今すぐ買うとはこのおばちゃんも思ってないよな。

麻琴とおばちゃん、2人のやり取りを少し離れた場所から見ていた和仁はそう心の中で呟き、軽く口元を緩ませる。

「…あった」

少しの間の後、ようやくカバンの中からお金を取り出す麻琴。
そしてチラリと和仁の顔を見て微笑みかけ、小さく口を動かす。

「ったく、さっさと買えよ…」

麻琴の口の動き、それは間違いなく「買うね〜♪」と言っていた。
その嬉しそうな顔、今にも手をパタパタと振ってきそうな様子の麻琴に、和仁は照れ臭そうにそう言うのが精一杯。

わざわざ会計の前に報告するなんて、まるで付き合ってるみてえじゃねえか…

そんな悪態を吐こうともするが、それを麻琴の前で言うのはもっと恥ずかしい事になりそうだったのでヤメ。

結局和仁はそのまま黙って麻琴の買物を、大事なプレゼントのオルゴールを買うのを見守る事に。

そして…

「取り置きしてもらってたオルゴール、買いに来ました!」

勢い良く、そして満面の笑顔で代金を支払おうとする麻琴。

その手に持っているのは勿論、裸のままカバンにしまいこんでいた1万円札だった。



――2005年、6月。換金所前――


「取り返した…、盛り返した…」

「あ〜あ、最後のハマリがなければな〜」

戦いを終えた男の顔、まさに感無量といった感じの和仁と、不服そうにボヤき続ける麻琴。

…それは今から1時間前、一度はいい出玉の波に乗れていた和仁だが、そこから悲運の連続ハマリ。
再び「何とか負債を少なくする事」を目的に打つ展開を余儀なくされた和仁は完全に意気消沈、麻琴に寄りかかってきそうな身体の傾きっぷりを見せながらの遊戯になっていた。

一方の麻琴は遊戯開始時からの好調をそのままキープ、バキバキの連荘もなければハマリもなく、緩やかにコインを増やしていた。

…が。

時刻も8時半を回り、「そろそろ区切りをつけてヤメよう…かな?」という所で和仁の台が大爆発。
ほとんどコインを減らす事無く次のボーナスをゲット、という展開が続き、結局BIG6回、レギュラー3回の計9連荘で一気に息を吹き返し、収支もプラスの領域に。

こうして和仁の台が出始めると、隣の麻琴は「私も負けていられない」と対抗するようにペースを上げて打ち始める。
しかしここで麻琴の台は急に失速、それまでコンスタントに引けていたボーナスはどこへやら…といった感じでコインが呑まれていく。

それから2人の出玉推移、形勢は逆転。
打つのをやめてコインを計測器に流す時には和仁の獲得枚数の方が多かった、というまさかの結末が待っていた。


「逆転した…、取り返した…」

「どうしてあそこで700とかハマるかな〜」

…と、2人はまだ同じような事を繰り返し喋っては、それぞれ自分の手にある景品を感慨深く眺めている。

ちなみに両者の最終的な収支は、和仁が総投資金額4万3千円の回収金額5万5千円でプラス1万2千円、麻琴が総投資金額6千円の回収金額1万9千円でプラス1万3千円と、ほぼ同じ勝ち額。

しかしその出玉推移及び展開は真逆に近く、最後に怒涛の復活劇を見せ、そのままプラス領域にまで持ち込んだ和仁と、最後に深追いしてしまった故に勝ち金を少なくしてしまった麻琴とでは、後味というか得られる達成感がまるで違う。

今回の2人の最終的な収支も、金額だけ見れば麻琴の方が少し上回っているが、感覚的には和仁の勝ち、といった所だろうか。

それは本人達が一番よく感じ取っており、和仁はまるで10万円以上の勝ち額を収めたかのようなホクホク顔。
対する麻琴は1万円以上浮いているのにも関わらず、素直に喜べずにいた。

「それにしても…、ちょっと遅いわね」

「…だな。とっくに5分は経ってるんだけど…」

ようやく通常のテンションに落ち着き、いつもの口調で喋り出す2人。
しかし声のトーンは総じてやや低め、どこか手持ち無沙汰な感が見て取れた。

…和仁も麻琴もさっきから景品のカードと端数コインで貰ったお菓子を持って換金所の前に並んでいるのだが、トレーの上には「休憩中。5分で戻ります」という紙が。

最初は「まあたった5分だし・・・」と、この場所で換金が再開されるまで待っていたのだが、これがしばらく経っても何ら動きがない。

そのため2人は時間を潰すため、「今日の戦績を振り返るトーク」を繰り広げていたのだが、結果はさっきの通り。

一方は悦に浸り、一方は悔やみまくり…と、何ら有益性も楽しみも見出せずに話は終わり、今はこうして休憩時間の長さにグチをこぼしている…という状態。

このまま休憩中が続くのであれば、一旦換金は諦めてどこかで時間を潰した方がいいかもな…
と、和仁がそんな事を考え出した時だった。

「…お、何か動いた」

「戻ってきたみたいだね」

麻琴の言う通り、換金所のすりガラスの向こう側に人影が現れ、スッ…と景品受け渡し口が開く。
そして「はい、おまたせ〜」という気の抜けたおじいちゃんの声が聞こえ、休憩中と書かれた紙を回収、2人に向かって景品を置くようトレーを指差す。

「じゃあ俺から…」

そう言って先に景品を置いたのは和仁。
するとすぐにトレーが引っ込み、程なくして数人の福沢諭吉と新渡戸稲造が現れる。

続いて麻琴も景品を現金に替え、2人は揃って今日家を出てきた時より多くの所持金をサイフに収める。

和仁プラス1万2千円、麻琴はプラス1万3千円。
この純粋な金額の増加に加え、「ドキドキとワクワクを数時間楽しめた」というプラスアルファの要素、人によっては何よりの娯楽性を存分に満喫した2人。

そういった「楽しんだ分も収支に入れる」考えを持つ和仁と麻琴にとって、今日の戦績は実質的な勝ち額も含め、十分といえるもの。

まあ確かに麻琴は少々納得がいかない…というか、自分の立ち回りを悔やんでいる部分はあったが、それでも懐が温まった事に変わりはない。

「う〜ん、時給にして2500円くらい…。うん、悪くないかも♪」

「…昔っから変に時給換算して考えるよな、麻琴って」

「別にいいじゃない。…そ・れ・よ・り、ちょっとお金も増えた事だし、どこか遊びに行こうよ?」

…と、さっきまでの落ち込みようはどこへやら。
すでに頭は完全に切り替わり、麻琴は手にした勝ち額を有効に使おうと和仁を誘う。

「そうだな…、それじゃ飲みに行くか?」

「あ、いいかも♪」

和仁はその誘いに即同意。昼から何も食べていなかったので、食事を兼ねた飲みプランを提案。同じく空腹だった麻琴も頷く。

「…明日、仕事は?」

「うん、大丈夫。明日は遅番だから」

「なら決まりだな。…店はいつものトコでいいよな?」

「いいよ」

「もっと勝ってたら高い店にも行くんだけど…」

「けど?」

「麻琴、白衣だし」

「そうだね、白衣だね」

そう言って少しだけ恥ずかしそうに舌を出す麻琴。
パチンコ屋の中でも十分に目立っていたが、夜の街を歩くとなるとさらに目立つだろう。
さすがにそれは麻琴も勘弁らしく、繁華街にある洒落たバーや人気の店に行くのは断念し、和仁の言う「いつもの店」に行く事に。

それは昔から2人がよく利用する、馴染みの焼き鳥屋。
お世辞にも綺麗な店構えとは言えないし、ムードなんてものは微塵もないのだが、鶏皮と手羽先の美味さは保証付きの店だった。

「…さ、それじゃ行くか」

「ええっと、今回は和仁の奢り?」

「…はて、勝ち額の多いのは誰だったかな…?」

おいおい、自分から誘っておいて「奢って」はないだろう…と心の中で思いつつ、とぼけたような口調で首を傾げる和仁。

「うわ、セコ。それに多いって言っても千円じゃん」

その白々しさ、これでもかといわんばかりの嫌味っぷりに麻琴は口を尖らせ、批難満載の目で和仁を見る。

「だったらワリカンだ。…奢るのは今度、もっと高い店の時にな」

「え、ホントに?」

しかし和仁に麻琴のジト目攻撃は効かず、「はいはい」といった感じであしらいつつ、逆に攻撃…というか揺さぶりをかけてくる。

すると麻琴は和仁の「今度奢る」の一言でコロッと態度を変え、並んで歩いていた間隔を少し狭めては嬉しそうな顔を覗かせる。。

その距離にして3〜40センチ、手を伸ばせば簡単に握り合えるという状態で歩く和仁と麻琴。

だが2人の手は握られる事も無く、勿論腕を組んだりもせず、そのまま前後にブラブラと揺れるだけ。

「う〜ん、麻琴ってこんな物欲に素直な人だったっけ…?」

「そんな言い方はないでしょ。…物欲って」

…と、それなりにいい年頃の、それも容姿だって決して悪くない男女が並んで歩いているというのに、展開されるのは色気も素っ気もない話ばかり。

この色恋沙汰とは無縁、くっ付くとか別れるとかの関係に何故か発展してくれない2人。
しかし和仁も麻琴もこれでよしと思っている部分が大きく、今更「かげないのない」とか「愛しい存在に…」みたいな感情が生まれる事はおそらくないだろうと考えていた。

「…でも、楽しみだな」

「ま、いつになるかは判らねえけどな」

「いいよ、私は忘れないから」

「…そういや麻琴、記憶力とかメチャクチャいいもんな」

「和仁が適当すぎるだけだよ…」

「いやいや、そんな事は…ない…ような…気がしないでも…」

「ほら、喋った先からどんどん自信がなくなってる」

「くっ…、言い返せねえ」

「ダメだなー、そんなんじゃモテないよ?」

「うっせ」

「…もう、本当は優しい所とか結構あるのに…」

「おいおい、何をいきなり気持ち悪い事を言い出してるんだよ」

「えー、褒めたのにその反応ー?」


『今更「かげないのない」とか「愛しい存在に…」みたいな感情が生まれる事はおそらくないだろう…』という先の言葉。

それは2人の、今のところ正式な見解であり、残念ながらその通りだったりする。

しかし、それはあくまでも「おそらく」であり、確定事項ではない。
今後、何らかの経緯を経て、当の本人達もビックリの展開を迎える可能性だってある。

それはパチスロで例えるなら、最低設定の台で大勝ちを収める程度のもの…かもしれない。

だが、大勝ちの定義など人それぞれ。
5千円が5万円になったら大勝ちと思う人もいれば、それこそコイン何万枚、金額にして何十万円という額じゃないと大勝ちとは言わない人だっている。


「…ほら、もう着くぞ」

「うわ、さらっと話題を変えたよこの人…」

せっかく褒めてたのに…と、頬を膨らませる麻琴。
しかし和仁の言う通り、目的の焼き鳥屋はもう目の前。
すでに炭火と肉の焼けるいい匂い、それに焼き鳥のタレ特有の少し甘いが周囲に立ち込め、空腹の2人の胃を急激に刺激し始めていた。

「…最初に頼むのはもも串と鶏皮、それと軟骨でいいな?」

「もちろん!」

「…で、第一弾が届いたと同時に手羽先を頼む…と」

「そうそう、このタイミングで注文すると、ちょうどいい頃に焼きたての手羽先が来るんだよねー」

「…どうでもいいけど、あんまハイペースで飲むなよ?」

酒好きだけど弱いんだよな、麻琴は…と、和仁は店に入る前にやんわりと釘を刺す。
まあこの忠告に効果があるかどうかは微妙だが、とりあえず言っておかないと被害を被るのは自分だ。

…ま、せっかくの飲みの席だ。楽しくやれればそれでいいか。

そう思いながら店の暖簾をくぐる和仁と、「大丈夫、そんなに飲まないって」と言いながら、麻琴は早くも注文する気満々。

「いらっしゃいませ〜」

「はい、2名様ご来店ありがとうございます!」

…と、すぐさま威勢のいい挨拶に迎えられる和仁と麻琴。

こうして馴染みの焼き鳥屋に入り、店員のお姉ちゃんに案内されて席に着くのだが、2人はおしぼりに手を伸ばすより先に注文。

勿論頼むのはさっき話していた通り、もも串と鶏皮と軟骨。
数はどちらも6本ずつ、味は塩とタレを半々。飲み物は和仁がビールを大瓶で2本、麻琴はレモンチューハイ…と、これまたいつも通りの組み合わせ。


「お待たせしました〜」

第一弾となる注文後、程なくしてまず2人の元に飲み物が到着。
早速ビールを注いで…と、和仁が手を伸ばそうとした時、それより早く麻琴がビール瓶を手にしてニッコリ笑う。

「ほら、コップ持って。私が注いであげるよ」

「お、サンキュ」

白衣の女性にお酌、という普段であれば特殊な営業方面の店でしか味わえないサービスにも何ら動じず、そう言って普通にコップを傾ける和仁。

実は白衣姿の麻琴と飲むのは初めてではなく、特にこの店は行き慣れている事もあり、和仁も店の人もあまり違和感はなかった。

さすがに客の中には「ん?」という表情を浮かべる者もいたが、「常連さんよ」という女将さんの説明に納得。2人の前に飲み物が並ぶ頃には、特に好機の目を向けられる事はなくなっていた。

…コポコポコポ…

「…っと、こんな感じかな」

そう言って麻琴は見事にビール7対泡3のベストな割合に注ぎ、それが終わるとすぐに瓶をレモンチューハイに持ち替える。

「よし、それじゃあ本日の勝利に…」

「乾杯!」

…カチン、という控え目な音が鳴り、2人だけのちょっとした宴会がスタート。
まずは咽喉を潤すべく、それぞれコップに口をつける和仁と麻琴。

「…うん、美味い!」

「勝利の味だねえ」

豪快極まりない飲みっぷり、まるでCMのように一気にコップを空にする和仁と、最初の一口はやや控え目の麻琴。
まあしばらく経てば双方同じようなペースになるのだが、とりあえずメインの焼き鳥が来るまではトークを中心に…という流れに。

会話の内容は当然のごとく今さっきまで打っていたパチスロの話になり、2人は「あの時こうなっていれば…」とか「ここでBIGだったら…」と、他愛もない「もしもトーク」に花を咲かせる。

そして待望の焼き鳥がテーブルに並ぶと、2人のテンションは一気に上昇。
話題も普段の生活や仕事についての話になったり、高校時代の昔話、それこそ初めて一緒にパチスロを打った時の話もした。


「…で、結局今日打った台って、どのくらいの設定だったのかな?」

「ん?どうした急に?」

数回目の追加注文を済ませた後、コップの中の氷をカラカラ鳴らしながら麻琴がふとそんな事を聞いてくる。

普段は設定など気にせず、「300分の1も240分の1もそんな大差ないって」みたいな事を言っていただけに、少し驚いて聞きかえす和仁だが、麻琴はそれには答えずに言葉を続ける。

「今日私が打った台って、1回も回ってなかったのね。…で、やめる時に色々データを見たんだけど、よく分からなくて…」

「…」

「その時に思ったの、「初めてあの台を打ってからもう何年も経ってるのに、基本的な事とか全然わかってないんだなー」って。…何だろうね、急にこんな事を考えるなんて」

…カラ、カラン…

麻琴がコップを揺らす度、外側に付いた水滴がこぼれ、氷が鳴る。
その音はどこか悲しげで、儚くも聞こえる。

おそらくそれは麻琴の表情、そしてまだ出しきっていない内に秘めた思いといったものが和仁に伝わってきたから、感じ取れたからなのではないか…

十分にアルコールが回り、酔った姿が妙に色っぽく映る麻琴を見ながら、和仁はそんな事を考える。

そして…

…あれ?俺も少し、酔ってる…?

と、普段であれば思わない事を、普段であれば感じない事まで察してしまう自分に不思議な感覚を抱いていた。

それは和仁が思っているように自分も酔ってしまったからなのか、それとも別の感情が働いているのかは判らない。

…だが、とりあえずそんな曖昧な部分は心の奥底に一旦引っ込め、和仁は麻琴に向かって口を開く。

「…まあ、そのアレだ」

発するのは今現在判っている事、「これだけは」と自信を持って言える事。
しかし真面目な顔で言うにはちょっと恥ずかしい部分もあるため、言葉に本来の滑らかさがない。

「…多分だけど、それは色々と成長したって事じゃねえの?」

「成長…」

「ああ。別にそれはスロットに関してじゃなく、物事全般な」

「…?」

「何だろう、余裕が出てきて、視野が広がると、今まで見えなかった未知の領域がいきなり見えたりして不安になる…みたいな?」

「…」

「きっとそういう事なんじゃないかと、そういう状況にいるんじゃないかと、俺は思った」

「…」

「まあ根拠はないけど、一応これでも長い付き合いだからな」

「…」

一方的に喋る和仁と、黙ってその話を聞く麻琴。
その視線は真っ直ぐ、和仁を見つめながら、まるで心の中まで見るような。

「…あー、何かガラにもない事言っちまった。しかも変に上から目線だし」

だから、なのかかもしれない。
和仁はそんなストレートな視線に視線に照れてしまい、なんちゃってね的な言葉の締め方で逃げようとする。

例えそれが本意でなくとも、言っていてかなりカッコ悪いなと思いながらも、麻琴が望んでいる答えではないと知りながらも、和仁はあえて有耶無耶に話を終わらせる選択肢を選ぼうとしていた。

「スマン、今のは――」

「ありがと」

しかし和仁の言葉を遮るように、「そんな話の終わり方は望んでないよ」と言わんばかりに、麻琴は相変らずの真っ直ぐな視線でそうお礼を言う。

「やっぱり和仁はすごいね。…ホント、頼れるな…」

そして少し涙を浮かべつつ、消え入りそうな声で言葉を続ける麻琴。

「麻琴…」

「…和仁の言う通りなんだ。気が付くとすごい先の事が見えたり、その事を考えたり…」

カラン、とまた氷が鳴る。
見るとグラスの中にあった氷はかなり小さくなり、コップの底には溶けた水がたまっていた。

「…最近になって急に難しい仕事やそれまで以上に責任が伴う仕事が増えてさ。周りはそれを「期待されてる証拠だ」とか「もう1人前の戦力として考えられてるんだ」とか言ってくれるんだけど、私が不安に思ってる事に対しては何も答えてくれない。何もアドバイスをしてくれない…」

「…」

「だから、もう全ての事を自分一人でやらないと、目に見える全ての事を片付けていかないとダメだ、って思うようになって…」

「…そうか」

…麻琴らしいな、と思う和仁。

真面目で責任感が強く、例え自分の手に負えない事でも助けは求めない…
そんな部分はあの頃から、初めてしっかり言葉を交わした「あの日」から変わってないな。

和仁はそう思い、改めてこの難儀な性格の持ち主を、酒が入らないと弱音を吐かない元クラスメートを、白衣で焼き鳥屋に入る一条麻琴という人物を見つめる。

「…ま、あんまり無理するな…って言いたい所だけど、きっと無理するんだろうな、麻琴は」

「うん…、多分無理しちゃうね」

「仕方ねえな、性分だもんな」

「仕方ないよ、性分だもん」

そう言って少しだけ口元を緩ませる麻琴。
和仁もそんな麻琴を見てふっ…と鼻を鳴らし、同じく口元を緩ませる。

するとそれまでピンと張り詰めていた空気は和らぎ、どこか遠くの出来事のように聞こえた店内のざわめきが急に大きく聞こえ出す。

「…ったく、器用なんだか不器用なんだか判らないヤツだな、麻琴は」

「あはは、面目ない…」

ペシッと自分の額を叩き、深々と頭を下げる麻琴。
しかし顔を上げた時に見せた表情は明るく、いつもの麻琴そのもの。

そして元気に店員を呼び、これまた元気にダブルサイズのチューハイを注文。
これだけ見れば完全に酔っ払いの行動なのだが、和仁にはどこか無理をしている…というか演じているように見えた。

…確定。麻琴は不器用だ。

目の前で残った焼き鳥を頬張り、じきに来るであろう出来たて&焼きたてを待つ麻琴を見ながら、和仁は1つ確信する。

一見何でもそつなくこなし、年齢以上にしっかりしていて、どんな事にも冷静に対処出来る…ように見えなくもない麻琴。

しかし、実は意外と苦手なものがあったり、実年齢通りの部分が結構あり、特に自分の事に関しては不器用。

…それが和仁から見た麻琴であり、おそらくそれが本当の麻琴。

和仁はそう確信し、もう一度、目の前にいる白衣姿の酔っ払いを、不器用確定となった麻琴を、様々な出来事とタイミングと不思議な縁で繋がった麻琴を見つめる。


…きっかけは、偶然。
その偶然を引き止めたのは、落としたサイフ、パチスロ、オルゴール。

和仁と麻琴、この2人の絶妙な関係。
今に至るまでの経緯は少しだけ変わっていて、それでいて十分に起き得る出来事の積み重ね。

それは1/303と1/606の合算で求められる、2人を繋ぐ完全確率方式。
共に設定1のボーナス出現率で勝利を収める、そんな日常レベルの奇跡によって2人は繋がり、引き寄せられた。

…その確率はなかなかに低い。
しかし、それは決して絶望的なものでも、ましてや神がかった数値でもない。

一度は購入するも壊してしまい、涙を流し、何とか取り置きをかけてもらい、途方に暮れていた所を偶然クラスメートに会い、そのクラスメートに勧められるがまま…と、色々あった後に再び買う事が出来たオルゴール。

それは偶然なのかもしれないし、もしかしたら必然だったのかもしれない。

だがそれでも、例えそのどちらであっても、事実は1つ、現実は1つ。

こうして今になっても、7年経った現在も、和仁と麻琴が一緒にいる事は事実。

こうして微妙な関係ながらも楽しくやっていけているのも、それは紛れのない事実である。



――2005年、6月。夜中、焼き鳥屋内――


「…で、結局今日はどのくらい回したんだ?」

「ええっと、確か2550回転…だったかな?」

先程のちょっとしんみりした展開の後、また色々な話をしては盛り上がっていた和仁と麻琴。
しかし結局話題はぐるりと一回り、またしても今日のパチスロの話になっていた。

「それで両ボーナス数は?」

「BIGが13回、レギュラーが9回…のはず」

ふむふむ…と言いながら、箸袋の裏に総回転数やらボーナス回数、それに幾つかの割り算の公式を書いては計算を始める和仁。

始めは携帯の電卓機能を使ってみるも、色々とメモっておかなければいけない数字が多く、箸袋の裏を使う事に。

さすがにペンは持っていなかったのだが、何度も言うように目の前の麻琴は白衣姿。
和仁はその白衣の胸ポケットに差さってたペンを借り、カリカリと計算をしていき、予想設定を弾き出す。

「…」

ペンの動きが止まり、答えとおぼしき数字を○で囲む和仁。
しかし止まったのはペンを持った手先だけでなく、和仁の表情もまた固まったまま。
決して算出方法が難しい訳でもなければ、計算ミスがあったようにも見えないのだが…

「どうしたの?」

「…まあ単純計算するなら設定6だな」

「ええっ、そうなの!?」

「でも最後にハマッた事を考えると、中間設定の引き強って線もあるな…」

どうしよう、閉店まで打ってた方がよかったの!?という顔になる麻琴。
しかし和仁は首を横に振り、計算によって出された数値と実際に横で見ていた感想を照らし合わせ、冷静に判断する。

確かに2500回転程度のゲーム数ではボーナスが偏ったりするため、正確な予測は難しい。
和仁が言うように、麻琴が今日打った台は設定6だったのかもしれないし、展開に恵まれただけで低設定だった可能性もある。

「じゃあ和仁の台は?」

「う〜ん、どんなによくても設定3…ってトコかな」

あれは多分低設定だろ…と、自分が打った台の設定予想を麻琴に話す和仁。
最後の連荘はどう見ても出来過ぎ、運によるものが大きいため、計算によって出た数値はあまりアテにはならない。

「そっか…、結構危険な勝負だったんだね」

「…ま、パチスロに「絶対勝てる設定」なんてないからな」

そう言って和仁は計算式を書いた箸袋をクシャクシャと握り潰し、今さっきテーブルに運ばれてきた手羽先に手を伸ばす。

…和仁の言う通り、パチスロにおいて「絶対勝てる設定」というのは存在しない。
設定はあくまで出玉の調節機能であり、いくらその段階の中に差異を設けようとも、それら期待値を大きく振り切った結果になる事、予想だにしなかった推移を描く事は往々にしてある。

たかが2550ゲームで何が判る、そんな設定予想は何の意味も持たない…
そう言う人もいるだろう。

しかし、それら設定の推測云々に関わらず、2人は勝利を収めた。

だったら、それでいいじゃないか、と。

…今日、2人は勝った。十分に楽しんだ。
そしてこうして勝ち額を有意義に使い、パチスロを打っている時に負けないだけ楽しみながら飲んでいる。

例え引き強いだろうと、例え設定が判らなくても、例え展開に恵まれただけだとしても。

2550ゲームの果てに得たものは、何にも換え難いものであり、また何にも変わる事はないのだ。

…そう、変わる事は、ない。



――2005年、6月。同じく夜中、焼き鳥屋内――


「…あ、そうそう」

甘辛いタレにまみれた手を拭こうと、おしぼりに手を伸ばした和仁が思い出したように口を開く。

それはスロットを打っている時、もしくは換金所前で話そうと思って忘れていた事。一応麻琴の耳にも入れておいた方がいいだろうと思っていた、とある未確認の情報だった。

「どうしたの?」

「…まだちょっとどうなるか微妙なんだけど、今日打った台、もしかしたら来年には打てなくなるかもしれないんだよ」

「え?どうして?」

「何かさ、おかしな法改正があって、昔の台が有無を言わさず撤去されるかも?みたいな流れになってる」

「そんな…、イヤだよ」

「俺だって嫌だよ」

「私、あの台が好きなのに…」

…と、麻琴は懇願するような目で和仁を見つめる。
しかしいくら潤んだ瞳で視線を送られようと、和仁にはどうする事も出来ない。

「いやいや、俺に言われても」

「どうにかならないの?」

「わかんねえよ」

「えー、イヤだよー」

「だから俺も嫌だって…」

…あれ、もしかして麻琴、かなり酔ってる?
っていうか俺、思いっきり絡まれてる?

そんな嫌な予感を感じずにはいられない和仁。

だがこの時にはもうすでに手遅れ、嫌な予感というのは何故かよく当たるもので、和仁は完全に酔っ払った麻琴にターゲットとして捕捉されていた。

「ねえ、どうにかならないの?」

「あのなあ、だからわからねえって――」

繰り返される麻琴の質問、繰り返される和仁の回答。

…ああ、やっぱりこうなるのか…

と、和仁。

その表情は「諦めたくはないが、諦めた方がいいかも…」という、かなり複雑なものだった。


…2005年、6月。

それは本格的な法改正、大規模なパチスロ規制が始まるちょうど1年前の事だった。



                                 「2550ゲームの果てに」 END 







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