「ロングコートのキセキ」

登場人物

瀬戸口 康平(せとぐち こうへい)
主人公。長身でガタイもいい。クルマ&運転好き。

萩野 智里(はぎの ちさと)
ヒロイン。身長・体重・3サイズともにジャスト平均。気弱。

「ロングコートのキセキ」

…12月。それは誰が何と言おうと冬。
そして北国のこの街では、すでに白一色の世界が広がっていた。

ブロロロロ…

康平:
「…」

俺はその深い雪の中、クルマで家へと帰ろうとしていた。
今日は朝から雪が降り続け、大通りにも雪が消えずに残っている。

そのため通行量の多い道では大渋滞。
俺はその混雑を避けるため、わき道を選んで走っていた。

…クンッ、タタン!

康平:
「おっと」

凍った路面に前輪を取られ、慌ててハンドルを切る。

康平:
「…ふう、完全に凍ってるな」

今走っているのは地元の人間もあまり通らない林道。
近道であることは間違いないのだが、いかんせん雪が多すぎる。

康平:
「こりゃあ対向車が来たらメンドイぞ…」

ギュッ

俺は強くハンドルを握り、わざと轍の外にタイヤを入れる
もし対向車が来た場合を想定し、道の脇に寄ってみたのだが…

ゴッ、ガガガガガ!

康平:
「うおっ!」

自分でやったこととは言え、あまりの衝撃に声が出る。
これはマジで対向車が来ると厄介なことになりそうだった。

康平:
「あっぶね〜。直進でこれだもんな。
…頼むからこの先だけは誰も来んなよ…」

そう呟きながらギアに手を伸ばす俺。
ライトが照らす先にはこの道で一番大きいカーブがあった。

ガコッ、ガゴッ!

ギアを4速から2速にシフトダウン。
十分に速度を落としてカーブに差し掛かる。

と、その時だった。

康平:
「ッ!?」

曲がり始めた瞬間、俺の目にカーライトの光が飛び込んでくる。
勿論それは自分のクルマが発するものではなく、他人のものだ。

康平:
「くっ!」

ググッ!

反射的にブレーキを踏み込む俺。そして同時にハンドルを逆に切り、
カーブの外側目一杯に車体をずらす。

ツツ…ッ

…しまった、ブレーキを踏みすぎたか!?

両車輪で新雪を噛み、十分な減速を得られたと思ったのだが、
それ以上に強くかけたブレーキが車体を滑らせる。

パッ、…タン、タタンッ!

反射的に右足の踏み込みを緩め、すぐに素早い断続ブレーキ。
その間ハンドルは小刻みに左右に散らし、乱れた挙動を制す。

グ、ググッ…

康平:
「…直った!」

最終的には力で押すハンドリングで車体を直し、
走行ラインを確立させる。

康平:
「よっしゃ、これであっちが少し脇に寄れば通れ―」

康平:
「…あれ?」


どういうことだ?

確かに対向車のライトはこちらを照らしていた。
が、その光は全く動いていない。

と、いうか完全に止まっていた。

康平:
「…ん?もしかして…」

1つの仮説が浮かび上がり、さらにスピードを下げる。

康平:
「あ、やっぱり」

対向車が道を大きく外れた所で止まっているのを確認し、
俺は予想が当たったことを実感する。

…俺の立てた、そして見事当たった仮説。
それはさっき俺がなりかけた”乗り上げ”だった。

タイヤで踏み固められていない部分と、新雪のままの部分。
その2つの高低差がありすぎると、乗り上げてしまうことがある。

康平:
「うわ、フロントが完全に埋まってるよ…」

思わず声が出る俺。その言葉通り、
止まっているクルマのバンパー部分は雪で見えなくなっていた。

おそらくこのドライバーはカーブでの減速を怠った、
あるいはハンドル操作を誤ったのだろう。

そして車体を滑らせ、制御不能に。
あとはそのまま新雪に突っ込み、動けなくなった、という訳だ。

康平:
「あれは新しい型のマーチ…。乗ってるのは女の子、か?」

俺のクルマのライトに照らされ、明らかになる車種とドライバー。
車体で隠れて確認しにくいが、女の子が立っているのが見えた。

康平:
「…助けたほうがいいよな…」

別に女の子だから助ける、という訳ではないが、
とりあえず俺は窓を開け、女の子に声をかけることにした。

康平:
「クルマ、埋まったんスか?」

女の子:
「あ、は、はい…」

俺の問いにオドオドしながら答える女の子。
…歳は俺と同じくらいだろうか?

康平:
「アクセル、ベタで踏んでバックしても駄目でした?」

女の子:
「はい…。思いっきり踏んだり、色々試してみたんですけど…」

そう言って女の子は視線をタイヤに移す。
目を向けるとそこにはかなり悪戦苦闘した形跡があった。

康平:
「…」

…一番やっちゃいけないコトしてるな…

今まで埋まった経験、こういう場合の対処方法を知らないのだろう。
俺はタイヤ近辺の雪の様子からそう察した。

…新雪に突っ込んだ時、一番やってはいけないこと、
それはタイヤと接する面を踏み固めないことだ。

雪から抜け出す時の鉄則は短期勝負、
出来れば1回で一気に抜けるのがベストである。

しかし彼女の場合、踏み込みが甘かったのか、
上手く抜け出すことが出来なかった。

それでもアクセルを踏み続けたため、
雪はタイヤに接している部分が完全に固められてしまった。

これではもういくらクルマにパワーがあっても空回り、
というかさらに埋まってしまい、余計脱出が困難になる。

康平:
「ちょっと俺にやらせてもらいます?」

女の子:
「はい、お願いします…」

とりあえずダメ元でやってみるか…
俺はそう思いながら外に出る。

康平:
「う、寒…」

こんなに冷えてたのか…
そんな中、このコはずっと外に…?

康平:
「あ、寒いでしょ?俺のクルマに乗っててよ」

女の子:
「え、でも…」

康平:
「いいから。…顔色、よくないよ。
少しでも身体を暖めておいたほうがいいって」

女の子:
「…」

あれ?黙っちゃった…
何か突き放すような言い方しちゃったか?

女の子:
「うう…、ありがどうございますぅ〜
寒いし、誰も通らないし、携帯圏外だし…。うう〜」

…泣いちゃった。
まあこんなトコで1人立ち往生だもんな。仕方ないか。

康平:
「ま、何とか頑張ってみるからさ。
ダメでも家まで送るし、とりあえずクルマに乗ってて」

女の子:
「は、はいぃ〜」

うう〜、よかったよ〜、と言いながらクルマに乗り込む彼女。
こんな時に不謹慎だが、泣き顔がとても可愛かったりする。

康平:
「…っと、んなコト考えてる場合じゃねえか。
さて、やってみっか…」

バタン!

康平:
「よし、まずは思いっきりバックかな」

座席の位置を変え、ペダル周りを確認した後、
俺はギアを「R」に入れ、アクセルを目一杯踏む。

ギュイイィィン…キュルキュリキュル!

康平:
「ちっ、やっぱ駄目か」

予想通り、タイヤはただただ空回りをするだけ。
せめて少しでも動いてくれればよかったのだが…

康平:
「次は少し前に出てみるか…」

ギュイイィン…!



こうして俺は出来る限り、知りうる様々な手段を試し、
脱出を図ったのだが…



…10分後。

康平:
「こりゃあアカンな…」

脱出作戦は思いっきり暗礁に乗り上げていた。
と、いうかこれはもう操縦技術でどうこうなる問題ではなかった。

康平:
「あ〜、スコップとか積んどきゃよかったな〜」

残る手段は車体周り全体を掘り下げるか、力で押し出すか。
せめて俺のクルマで牽引出来ればよかったのだが…

康平:
「牽引ロープも積んでないんだよね、俺」

…さて、と。こうなったら仕方ないな。

バタンッ!

俺はクルマを降り、前輪の前にしゃがみ込む。
タイヤが作り出した溝はさっきより少し深くなっていた。

康平:
「あ〜あ、すり鉢みてえになってやんの」

車輪の前後は当然、さらに左右の雪も踏み固められ、
ツルツルになっているタイヤ周辺。

おそらく俺が来る前に相当ハンドルを回したのだろう。
これも焦るとやってしまいがちな失敗である。

康平:
「これはちょっと厄介だな…」

パタン…

康平:
「ん?」

背後から物音がしたので振り返ると、
そこには俺のクルマから降りた女の子が立っていた。

女の子:
「あ、あの…、どうですか?」

そう言いながら近付いてくる女の子。
十分温まったのか、顔色はかなり良くなっていた。

康平:
「う〜ん、キビしいっすね〜
牽引用のロープかスコップでもあればなんとかなるですけどね」

女の子:
「そうですか…」

康平:
「せめて何かタイヤと地面の間に咬ませるものでもあれば…」

そう言って周囲を見渡す俺。
しかしそんな都合のよいものは見つからない。

…トランクにもロクなもんが入ってないし、
こりゃあマジでどうしようもな…

康平:
「あ」

女の子:
「?」

そうか、このテがあったか…

俺はキョトンとしている女の子をよそに、
浮かび上がった打開策を実行しようと立ち上がる。

康平:
「ええっと、ポケットに入ってるのは携帯と…財布か。
あ〜、スイマセン、ちょっとコレ、持っててもらえます?」

羽織っていたロングコートに入っていた物を取り出し、
半ば強引に手渡す俺。

女の子:
「え?は、はい…」

言われるままに財布と携帯を受け取る女の子。
頭上には「?」マークが浮かんでいるようだった。

康平:
「さて、と」

ガバッ!

俺はおもむろにコートに手をかけ、一気に脱ぐ。

女の子:
「!?」

この突飛とも言える行動に驚く女の子。
その表情は「一体何を?」と言わんばかりである。

康平:
「うお、寒むっ!」

女の子:
「あ、あの、何を…?」

康平:
「ん?まあ見てればわかるよ。
…大丈夫、おかしくなった訳じゃないから」

クルマから降りた時以上の寒さに耐えながらそう答える俺。
勿論おかしくなった訳ではなく、考えがあっての行動だ。

…さっき俺が何気なく喋った、”何か咬ませるものが〜”
という言葉。

俺はその咬ませる物として、自分が羽織っていたコート、
これを使おうと考えていた。

康平:
「…うん、この長さならいけるな」

一応長さを確認し、埋まったタイヤのすぐ脇にコートを敷く。
そして襟元を少し咬ませ、セッティングは完了。

康平:
「あ〜、ちょっといいですか?」

ここまで作業が進んだ所で女の子に声をかける俺。
この後の工程は彼女にも手伝ってもらわないといけなかった。

女の子:
「はい、なんですか?」

康平:
「えっとですね…」

と、ここで言葉が詰まる。
そう言えば名前を聞いていなかった。

なんだろう、どう呼べばいいんだ?
あなた、キミ…、う〜ん、何か違うな…

女の子:
「あ…、名前がまだでしたね。私、萩野智里っていいます」

そんな俺の心境を察したのか、彼女は自分から名を名乗ってくれた。

智里:
「ええっと、その…
呼び方で悩んでいられたように思ったのですが…」

康平:
「う、うん。そうなんだ。よかった、名前を教えてくれて。
…それにしてもよくわかったね」

智里:
「はい、手と目の動きでなんとなく…」

康平:
「そっか。…あ、俺は瀬戸口康平ね」

智里:
「瀬戸口さん、ですね。わかりました。
…あの、それで私に言おうとしてたことは…?」

康平:
「あ、そうそう。忘れるトコだった。あのね萩野さん、
ちょっとクルマに乗ってもらえるかな」

俺はそう言いながらコートを指差す。

康平:
「こうすればタイヤが回って、抜け出せるかもしれないんだ。
で、俺は前から押すから、アクセルを踏んでもらいんだけど…」

智里:
「は、はい。わかりました。
…でも、いいんですか?」

彼女の視線が敷かれたコートに向けられる。
確かにこれは躊躇してしまうかもしれない。

康平:
「あ〜、気にしなくていいっスよ。そんなに汚れないだろうし、
他に咬ませる物もないしね」

余計な気遣いをさせないよう、勤めて笑顔で答える俺。
その気持ちが伝わったのか、彼女はコクリと頷く。

智里:
「…優しいんですね」

康平:
「え?」

智里:
「な、なんでもないです。そ、それじゃ私、車に乗りますから!」

そう言って顔を赤らめ、慌てて運転席に乗り込む萩野さん。
なんだろう、そんなに恥ずかしいことを言ったのだろうか…?

バタン!

康平:
「…ま、いいか。それより今はこの状況を何とかしないとな」

俺は萩野さんがドアを閉め、準備が整うのを確認すると、
クルマの前に移動し、グッと腰を下ろす。

ガシッ

康平:
「…」

右手をボンネットに、左手をバンパー下に伸ばし、
一番押しやすい、力が入るポイントを探す。

…よし、ここだな。

両腕ともしっくりくるポイントを探り当て、
運転席にいる萩野さんに声をかける。

康平:
「それじゃあ萩野さん、”せーの”で押すから!
それに合わせて思いっきりアクセル踏んでね!」

智里:
「はいっ」

康平:
「いくよ…。せーの!」

ググッ、ギュイイッ!

一気に、そして全力で押し出す俺。
その両腕に力強いエンジンの振動が伝わってくる。

コートを咬んだタイヤの回転音は今までとは異なり、
空回りとは明らかに違う音が鳴っている。

康平:
「んぐぐ…」

いける、このまま全身で押し出せば、きっと動く。
俺はそう確信し、肩を使って車体に力をかける。

…ギュ、…ギュ

康平:
「!」

動いた!

両腕に伝わる確かな手ごたえ。
僅かではあるが、車体が前に動き出しているのが判った。

ギュギュ、ギュリギュリッ!

そして次の瞬間、タイヤは深い溝から這い上がるように抜け出し、
クルマはそのまま勢いよく車道へと戻っていく。

康平:
「ハア、ハアッ…、やった…」

ザシッ

俺は息を切らしながら雪の上に膝を付き、
無事に動き出したクルマを見つめていた。

…バタン!

と、その時、眺めていたクルマのドアが開き、
萩野さんが駆け寄ってくる。

智里:
「ありがとうございますぅ〜!」

嬉しさと安堵、感激といった感情を全面に出し、
俺に向かって満面の笑みを浮かべる萩野さん。

…う、めちゃくちゃ可愛い…

思わず固まってしまう俺。
今の萩野さんの表情にはそれだけの魅力があった。

智里:
「助かりました、動きました、抜け出せました〜!
本っ当にありがとうございますっ!」

ガシッ、ギュッ!

俺の手を取り、包み込むように握り締める萩野さん。
その手はとても暖かく、そしてとても気持ちよかった。

智里:
「あ…」

ピト。

だがその動きは突然止まり、萩野さんはみるみるうち赤くなる。

康平:
「?」

智里:
「す、す、すいません〜!つい浮かれちゃって…。
…って、手まで握ってるし〜!?」

あわわわ…、と言わんばかりの慌てっぷりを見せ、
萩野さんはパッと手を離す。

康平:
「や、別に構いませんよ。暖かくて気持ちよかったし、
俺としてはラッキーかな、なんて―」

智里:
「!!!?」

今度は「ボボン!」という効果音が出そうなくらいの勢いで、
首から上を真っ赤にする萩野さん。

智里:
「あの、その、えっと、のも…」

康平:
「野茂?」

智里:
「ああっ、違いますぅ。…あの、私、人とお話するのが苦手で、
慌てると上手に喋れなくなるんです…」

そう言うと、途端にテンションが下がる萩野さん。
がっくし、というかしょぼ〜んというか、とりあえずヘコんでいる。

康平:
「ふ〜ん、そうなんだ。ま、苦手なモンは誰にでもあるし、
そんな落ち込まなくてもいいと思うよ?」

智里:
「え…」

康平:
「それよりよかったじゃん、クルマ、抜け出せて」

智里:
「は、はい…。でも…」

康平:
「ん?」

じぃっ〜、という視線を浴びる俺。
なんだろう、照れくさいな…

康平:
「…あ。もしかしてコートのこと?
だったら気にしなくていいってば」

智里:
「それもありますけど…。
瀬戸口さん、解けた雪で服が濡れてます。寒そう…」

康平:
「や、そんなでもないよ。クルマに乗れば暖房も効いてるし、
これくらい大丈夫だって」

そう言いながら俺は雪の上に敷かれたコートを手に取り、
パンパンと付着した雪を払う。

康平:
「あ…」

あらかた雪を落とし終えた時だった。
コートをよく見ると、襟元と背中の部分が数ヶ所切れていた。

おそらくタイヤの回転で破れたのだろう。
ま、仕方ないか。俺はそう思い、そのまま着ようとしたのだが…

智里:
「瀬戸口さん、コートが…!」

と、しっかり萩野さんに見つかってしまった。

康平:
「ああ、ちこっと切れちゃったね。まあそんなに目立たないし、
着て歩いてても気付かれないでしょ」

智里:
「そんな、ダメですよ…。」

自分のせいでコートが…、そんなことを思っているのか、
萩野さんは目に涙を浮かべ、うつむいてしまった。

智里:
「私、弁償しますから…」

康平:
「そんなのいいって。この他にも羽織るものは持ってるし、
これだって直せばいいことじゃん」

萩野さんに非はない、そういう思いを込め、
俺は出来るだけ軽い口調で話す。

智里:
「…じゃあ、その破れたコート、私に直させて下さい」

康平:
「ええっ?」

智里:
「そうじゃなきゃ気が済みません。それに、
助けてもらったお礼もちゃんとしたいし…。お願いします!」

真剣な表情で懇願する萩野さん。
確かにこれだと気が済まないかもしれないな…

康平:
「…うん、わかった」

智里:
「あ、ありがとうございますっ」

康平:
「でも、ホントに軽〜いカンジでいいから。
あんまり気を遣うのはナシにしてね?」

智里:
「は、はいっ」

コクリと頷き、萩野さんは「わかりました!」
と言わんばかりの表情を見せる。

智里:
「…」

そして今度は無言で、さらに上目遣いで俺を見つめ、
口元を緩ませる。

智里:
「やっぱり、優しい…」

康平:
「え…?ゴメン、聞こえなかった。今なんて?」

智里:
「ああっ、何でもないです!
ただ”よかったな”って言っただけですからっ」

康平:
「そっか。…でもそうだよね、ここじゃ携帯も繋がらないし、
近くに家もないしね〜」

智里:
「はい…。本当に瀬戸口さんが止まってくれてよかったです」

ニコッと笑いかける萩野さん。
…ヤバイ、めちゃくちゃ可愛いぞ。

智里:
「…あ。忘れてました。預かってたお財布と携帯、
お返ししますね」

ポン、と手を叩き、上着のポケットに手を伸ばす萩野さん。
と、なぜかそこで動きが止まる。

智里:
「そうだ…」

康平:
「ん?」

智里:
「あの、瀬戸口さん。ちょっと携帯、いいですか?」

康平:
「え、いいケド…?」

なんだろう、電波は届いてねえってのに…
まさか壁紙&着メロチェック?…んなアホな。

智里:
「私の番号、打ち込んでおきますから。
…これでコール押して、すぐキャンセル、っと」

ああ、なるほどね。
…納得。

智里:
「お待たせしました。発進履歴の一番最初、私の番号です。
…で、瀬戸口さんの番号、教えてもらいたいんですけど…」

そう言いながら萩野さんは慌てて自分の携帯を取り出し、
素早く番号を聞く体制に入る。

康平:
「はいはい。…それじゃいい?
ええっと、090、35…」

…こうして俺と萩野さんはお互いに番号を教え合い、
後日コートを渡す&お礼を兼ねて会うことにした。



…そして数日後。

康平:
「ええっと、確かここを曲がった先だよな…。
お、あったあった」

…今日は日曜日、俺は萩野さんに会うため、
待ち合わせ場所の喫茶店へと向かっていた。

ちなみにこの店を指定したのは萩野さんで、
とてもいい雰囲気で、コーヒーも美味しい、とのこと。

俺は聞いたことがある程度で、入ったことはなかったのだが、
どうやら結構有名な店らしい。

康平:
「…へ〜、こりゃ人気がある、ってのも納得だな」

店の前を通り、裏側にある駐車場へとクルマを進める俺。
その時チラリと店の中が見えたのだが、確かにいい雰囲気だった。

バタン!

康平:
「…よし、約束5分前。コートは持ったし…、と。
うん、忘れ物はないな」

ドアを閉め、窓ガラスに映る自分を見ながら持ち物確認。
一応それなりにピシッとした格好で来たのだが…

…バタン

康平:
「ん?」

と、その時、駐車場の一番奥の方からドアを閉める音が。
何気なく振り向くと、そこには萩野さんの姿があった。

康平:
「あ、萩野さん…」

智里:
「こんにちわ、瀬戸口さん♪」

パタパタ…と駆け寄り、俺の前に立ったところで挨拶。
そしてペコリと軽く頭を下げ、微笑みを浮かべる。

康平:
「…あ、ええっと、もしかして待たせちゃった?」

一連の萩野さんの仕草に見とれ、思うように言葉が出ない俺。
…しまった、せめて挨拶くらいは返すべきだったか…

智里:
「いえ、そんなことないですよ。
それにまだ待ち合わせの時間になってないじゃないですか」

康平:
「そりゃそうだけど…。
でも俺より早く着いてたんなら、中で待ってればよかったのに」

智里:
「あ、そうですね」

テヘ、と言わんばかりに少し舌を出す萩野さん。
いままでの仕草からも十分見て取れるが、とても嬉しそうだった。

康平:
「ま、とりあえず会えたんだし、お店に入ろっか。
…確かオススメのメニューがあるんだよね?」

智里:
「はい、コーヒーとのセットなんですけど、色々選べるんですよ。
ケーキとかパフェ、ピザトーストとかもあるんです」

康平:
「そうなんだ。う〜ん、ピザトーストは惹かれるなあ。
あの火傷を恐れずに噛み付くのが好きなんだよね〜」

智里:
「え〜、惹かれる理由がそれなんですか〜」

康平:
「ははは、ゴメンゴメン。
…あ、でもそれを差し引いてもピザトーストは好きだよ」

智里:
「じゃあ頼んでみます?ここのはホントに美味しいですよ」

康平:
「よっしゃ、これで頼むもんは決まったね。楽しみだな〜♪」

智里:
「はいっ」

萩野さんは大きく頷き、少しだけ先を歩いていた俺の隣に並ぶ。
そして2人はそのまま一緒に店内へと入っていく。

店員:
「いらっしゃいませ。…2名様でよろしいですか?」

康平:
「ええ」

店員:
「はい。それではあちらの空いているお席へどうぞ。
ただいまお水とメニュー、お持ちしますので」

智里:
「はーい」

店員さんが差したのは窓際のテーブル席。
外の景色がよく見える、いい席だった。

俺はそのテーブルの外側に座り、奥に萩野さんを通す。
…確かこうするのがマナー、だったと思う。

その後すぐに水とメニューを持った店員さんが現れ、
俺と萩野さんはすぐに注文を済ませる。

俺はさっき言った通り、ピザトーストのセット。
萩野さんはモンブランのセットを頼んだ。



智里:
「…あの、ええっとですね」

店員さんがテーブルから離れ、2人になった時だった。
なぜか急にオドオドした口調で萩野さんが話を切り出す。

智里:
「きょ、今日は会ってくれて、本当にありがとうございます」

改まって、と言った方がいいのだろうか。
とりあえず萩野さんは初対面の時に近い固まりっぷりだ。

智里:
「って、これは駐車場で会った時に言えばよかったんですけど…
何かタイミングを逃した、というかその…」

智里:
「とりあえずですね、今日はしっかりとお礼を言うために―」

店員:
「失礼します」

智里:
「はうっ!?」

と、ここでコースターとスプーンを持った店員さん登場。
このよろしくないタイミングにさらに慌てる萩野さん。

康平:
「あのさ、萩野さん。そんなにかしこまらなくてもいいし、
慌てなくてもいいから。…ね?」

智里:
「は、はい…」

康平:
「大丈夫、ちゃんと気持ちは伝わってるからさ。
だから、さっきまでのフツーな感じで喋ろうよ」

智里:
「…」

しょんぼりしていた萩野さんの表情が少し、また少しと明るくなる。

智里:
「私、助けられたり、なぐさめてもらってばっかりですね」

テヘ、と少し恥ずかしそうな笑顔を見せる萩野さん。
その表情に直前まであった堅さはなかった。

康平:
「そんなことないって。…さ、それじゃ仕切りなおし!
…萩野さん、張り切ってどうぞ〜」

何だかよく分からないテンションとノリの俺。
しかし、嫌な感じは微塵もなかった。

智里:
「あはは、じゃあ張り切っていきま〜す」

康平:
「はいはい」

智里:
「瀬戸口さん、この前は本っ当にありがとうございました!
ワタクシ萩野智里、とっても感謝してますデス!」

康平:
「オッス、こっちも助けてよかったと思っております!」

智里&康平:
「…」

少しの間。そしてその後…

智里&康平:
「…ぷっ」

お互い、このおかしなやり取りに頬を膨らませて吹き出す。
…とても穏やかで暖かい、そんな空気が2人を包んでいた。



やがて注文の品もテーブルに並び、俺達は会話を続けながら、
運ばれてきたメニューに手をつけることに。

萩野さんの言う通り、俺が頼んだピザトーストはかなり美味く、
コーヒーも味・香りとも申し分ない。

…ちなみにこの時にはもう2人とも完全に打ち解けていて、
会話の内容も実に多種多様、つまり雑談を楽しんでいた。

智里:
「…じゃあ瀬戸口さんって、お料理とかもしたりするんですか?」

康平:
「う〜ん、やるって言っても、ほんの少〜しだけどね。
腹減った時にちょいちょいと、ってカンジ?」

智里:
「それでもスゴイですよ〜。…あ、それとですね―」

と、まあこんな調子である。

…何かこういう、ゆる〜いグルーブってのもいいもんだな。
そんなことを思わず考えてしまう俺。

ま、そう思っちゃう要因はやっぱり…

康平:
「…」

俺は振られた話に頷きながら、改めて萩野さんを見つめる。
身振り手振りをまじえて話す姿は本当に楽しそうだった。

智里:
「…で、その時に聞いたのが…って、瀬戸口さん?」

康平:
「ん?」

智里:
「どうしたんですか、じいぃっと私の顔を見て…
あ、もしかして何かついてます?」

そう言って頬や口元をペタペタと触る萩野さん。
…しまった、ちょっと見つめすぎていたか…

康平:
「いや、そんなんじゃないケド…」

とっさのことに言葉が出ない俺。こりゃあ何か言わないと…
と、苦し紛れに辺りを見回すと、横に置いていた紙袋が目に入る。

康平:
「あ、そうだ。コレを渡すの、まだだったね」

俺はそう言いながら紙袋を手に取り、テーブルの隅にポンと置く。

康平:
「一応汚れは取ったし、ちゃんとたたんで入れたんだけど…
大丈夫だよな?」

袋を少し開き、ゴソゴソ…と軽く中身を漁って確認。
…よし、ホコリも付いてないし、バッチシ乾いてる。

智里:
「…」

そんな俺の様子をじっと見ている萩野さん。
気のせいか、その表情は少し曇っているように見えた。

康平:
「…あのさ、もしかしてまだ気にしてる?」

智里:
「えっ?」

康平:
「萩野さん、何か浮かないっていうか、少し暗い顔してたからさ。
…別にメチャクチャ高いもんでもないし、何度も言うように―」

智里:
「違うんです…」

康平:
「え?」

智里:
「…もちろん気にしてない、と言えばウソになるんですけど、
それとはまたちょっと別のことが…」

その言葉の後、萩野さんは「よしっ」という、
何かを決意したような表情になり、再度口を開く。

智里:
「瀬戸口さん、ちょっと中を見せてもらってもいいですか?」

康平:
「あ、うん。構わないけど…」

…別のこと、か。一体何なんだろう。
俺はそう思いながらも、手にしていた紙袋を萩野さんに渡す。

ガサガサ…

智里:
「…」

萩野さんはコートを取り出すと、真っ先に背中の切れた部分を見る。
そして何かを確認するように手でよく触り、素材をチェック。

それからも萩野さんは念入りに切れた周辺、裏地…と見ていき、
最後に全体を軽く見て、他に切れた部分がないかと調べる。

智里:
「…よかった、他は大丈夫みたい。
でも、ここだけはやっぱり完全に切れてる…」

康平:
「…」

萩野さんがここだけ、と言った部分、それはタイヤに咬ませる時、
一番負担がかかった襟元部分だった。

確かにそこは他の切れ目、傷と比べると少々目立つ部分ではあるが、
別に萩野さんがここまで悲観するような事ではないように感じる。

しかし…

智里:
「このコート、今は普通に着れるようにも見えるんですけど、
多分直してもすぐにダメになります…」

康平:
「え?」

智里:
「私、そんなに上手じゃないけど、お裁縫とかするんです。
だからこのコートも直せる、って思ってたんですけど…」

康平:
「…無理っぽい、ってヤツ?」

智里:
「はい…。この部分が切れちゃうと、どんなに修繕しても、
すぐにダメになっちゃうんですよ」

そう言って萩野さんは俺に切れた部分を見せ、説明を始める。

智里:
「よく動いたり負担がかかりやすい首、肩、そして両腕…、
その負担のほとんどがこの近辺に集まるんです」

康平:
「あ〜、言われてみればそうかも…」

智里:
「しかもこのコートの場合、ただ切れてるだけじゃなくて、
擦れてちぎれてる状態なんですよ」

智里:
「こうなっちゃうと普通に縫うだけじゃダメだし、
裏から布を当てても上手くいかなんです」

康平:
「そうなんだ…」

とてもわかりやすい説明に、ただ頷くだけの俺。
…それじゃあもうこのコートは着れないのか…

萩野さんには気にするなと言っているが、このコート、
結構長く着ているため、それなりに思い入れがあったりする。

ま、最悪ボロボロになることを覚悟して使ったのだから、
今更どうこうは言えないのだが…

智里:
「そ、それでですね…」

康平:
「ん?」

智里:
「私、考えたんですけど、このコートの寸法を測って、
新しいコートを作ればいいんじゃないかと思うんです」

康平:
「はい?」

智里:
「瀬戸口さん、私にこのコートと同じものを作らせて下さい。
多分すっごく時間はかかるけど、きっと完成させますから」

康平:
「そ、そこまでしなくても―」

智里:
「いえ、やらせて下さい。…瀬戸口さんは私の車を出すために、
あんなに頑張ってくれた。だから私も…」

グッ、と腕に力を入れ、俺の目を見て話す萩野さん。
その目は本気そのもので、やる気と決意が満ち満ちていた。

康平:
「…わかった、それじゃあお願いしようかな」

智里:
「あ、ありがとうございますっ!」

康平:
「そんな、お礼を言うのはこっちのほうだよ。
…あ、でもさ、これだけは言わせてもらえるかな?」

智里:
「は、はい…」

康平:
「俺は裁縫とか全然知らないんだけど、多分コートを作るのって、
スゲー大変なんじゃないかと思う」

康平:
「なんで俺はいくら時間がかかっても構わない。
…だから萩野さん、絶対に無理とかしちゃダメだよ?」

智里:
「…」

康平:
「これが俺からのお願い、っていうか約束事…になるのかな?
なんか偉そうなコト言ってゴメンね」

智里:
「そ、そんなコトないですよ」

康平:
「…俺さ、本当に嬉しいんだ。今日もそうだけど、
相手のことをすごく気遣ってるのが伝わってくるのね」

康平:
「ここまで真剣、っていうか親身になって話してくれる人、
あんまいないよ?…だからホントに嬉しい」

智里:
「瀬戸口、さん…」

康平:
「そういう訳なんで、コートに関してはゆっくりでいいから。
…オッケー?」

智里:
「…」

萩野さんは少しの間、俯いたまま黙っていた。
しかし次の瞬間、パッと上げ…

智里:
「はいっ、オッケーです!」

そう言って俺に今までで一番の笑顔を見せてくれた。



智里:
「瀬戸口さん、今日は楽しかったです。
…って、ホントはお礼を言うのが目的だったんですけどね」

康平:
「ははは。まあいいじゃん。それに俺もスゲー楽しかったしさ。
全然問題ないって」

智里:
「はいっ」

…あれから俺達は再度おしゃべりタイムに突入、
お礼そっちのけでかなり色々な話をした。

そのため、店に入ったのはお昼だというのに、
帰る頃には少し暗くなり始めていた。

智里:
「…それじゃあ瀬戸口さん、コートはお預かりしますね。
ちゃんと待っててくださいよ?」

萩野さんはそう言ってコートの入った紙袋をギュッ、と抱き寄せ、
大事そうに胸元に寄せる。

康平:
「もちろん!これで新しいコートなんか買ったら何て言われるか…
なんなら上半身裸で待っててもいいくらいだよ」

智里:
「あははは、それはちょっと困りますよ〜」

康平:
「え?じゃあ下も裸じゃないとダメなの?
萩野さんもキビシーなあ」

智里:
「ち〜が〜い〜ま〜す!」

そう言ってプイッ、と顔をそむける萩野さん。
しかしすぐにニコッと笑いながら振り返り、俺の顔を見つめる。

智里:
「…でも、本当に待ってて下さいね。時間はかかっても、
絶対に完成させますから」

康平:
「うん、待ってる。頑張ってね」

智里:
「はいっ」

康平:
「あ〜、それとさ…」

智里:
「?」

康平:
「お礼とかコートとか、そんなの全然関係なく、
これからもちょこちょこ遊んでくれない…かな?」

恥ずかしさを隠すため、頭をポリポリ掻きながら、
そして視線を逸らしながらそんなことを言ってみる俺。

智里:
「…」

そんな俺に萩野さんは少し驚いた表情を見せ、直後に頬を赤らめる。
そして…

智里:
「は、はい…。あ、あの、喜んで」

と、恥ずかしながらも頷いてくれた。

康平:
「…ありがと。それじゃ今度は俺がおごる番ね。
ええっと、ドコがいいかな〜?」

早くも次に会った時の事を考える俺。
そんな俺を見て萩野さんはクスクス笑う。

智里:
「あはは、楽しみにしてますね。
…でも、きっとどこだって喜びますよ、私」

康平:
「う〜ん、嬉しいこと言ってくれるなあ。
あ、じゃあさ、遠くまでドライブ&ご飯ってのは?」

智里:
「いいですね〜、喜んでお供します♪」

康平:
「よ〜し、それじゃあ行き先とか、しっかり考えておくから。
決まったらすぐに電話するね」

智里:
「はいっ。…あ、私からも電話してもいいですか?
もっとたくさんおしゃべりとかしたいし…」

康平:
「うん、全然オッケー。いつでも電話しちゃっていいから」

智里:
「わかりました。…えへへ、今から楽しみだな〜」

…こうして俺達は駐車場内でも長々と話しこみ、
結局完全に暗くなるまで2人でいた。



それから月日は流れ、季節は冬から春へと変わろうとしていた。
その間、俺達は何度も電話をし合い、何度も一緒に遊びに行った。

相変わらず朝と夜は寒いものの、晴れた日の陽気は穏やかで、
ドライブや映画、買い物にはちょうどいい感じだった。

この月日の間に、俺は萩野さんを智里ちゃん、と呼ぶようになり、
また彼女も俺のことを下の名前で呼ぶようになっていた。

まだ少し抵抗があるのか、時々呼び方が”瀬戸口さん”に戻るが、
全く気にはならないし、まあそれはご愛嬌。

だが、どうしても気になることが1つだけあった。

…それはあのコート。
やはり1から作るのはかなり難しいらしく、まだ完成はしていない。

俺はあれからも”急がなくてもいい”と言い続けているのだが、
智里ちゃんはどうしても早く完成させたいようだった。

まあそろそろロングコートを羽織る季節でもなくなるし、
その前に渡したい、という考えはとてもよく分かる。

…俺のためではなく、智里ちゃんのためにも、
早く完成してくれればいい、そんなことを考えていた時だった。

♪チャラチャラララ〜、チャララララ〜

康平:
「ん?」

テーブルの上に置いていた携帯が鳴り出す。
この着信音は智里ちゃんからだな…

ピッ、

康平:
「はいはい?」

智里:
「あ、康平クン、聞いて聞いて!やっと完成したよ〜!」

康平:
「えっ、ホントに!?」

智里:
「うん。すっごく遅くなっちゃったケド、ちゃんと作れた。
…でさ、すぐにでも渡したいんだけど、今大丈夫?」

康平:
「もちろん、今スグにでも出れるよ」

智里:
「じゃあ、今からいつもの公園で待ち合わせでいいかな?」

康平:
「了解。駅側にある噴水の前にいるよ」

智里:
「うん、私も今から向かうから」

康平:
「ああ、それじゃ公園で」

智里:
「は〜い♪」

…ピッ

康平:
「よし、急いで準備すっか」

俺は電話を切ると同時に洗面所に向かい、身だしなみを整える。
そして速攻で着替えを済ませ、家を出る。


…バタンッ!

康平:
「さて、と」

キュルルルッ、ブオォォォォォ…

康平:
「うん、今日もエンジンはご機嫌、と。…そんじゃ行きますか」

いつもの軽快なエンジン音に満足し、グッとアクセルを踏み込む俺。
長い付き合いの愛車は俺の気持ちを汲むように勢いよく走り出した。



…クルマを走らせてから20分ほど経っただろうか。
すでに俺は約束の場所に着き、智里ちゃんを待っていた。

…ま、2人の家の位置からして、俺のほうが先に着くよな。
そんなことを考えていると、遠くから智里ちゃんの姿が見えてきた。

その手にはキレイにラッピングされた袋を大事そうに抱え、
俺の姿を見つけると、嬉しそうに手を振りながら駆け寄ってくる。

康平:
「お、来た来た」

智里:
「あ〜、やっぱり先に着いてた〜」

俺の前に立つなり、そう言って悔しそうな顔になる智里ちゃん。
だがすぐにいつもの笑顔に変わり、俺に話しかけてくる。

智里:
「こんにちは、康平クン♪」

康平:
「おう」

智里:
「そして…」

そう言いながら智里ちゃんは手にしていた包みを前に出し、
多少はにかみながら俺に見せる。

智里:
「大っ変お待たせしました、本日やっと、康平クンのコート、
完成いたしました。…どうか受け取って下さい!」

康平:
「はい。それではありがたくちょうだいします。
…ホント、お疲れ様でした」

俺は両手で包みを受け取り、心を込めてねぎらいの言葉をかける。

智里:
「うん、ありがと。…でも、やっぱり少し遅かったね。ゴメン」

智里ちゃんはそう言うと、周囲に目を向ける。
確かに公園内にロングコートを羽織った人は誰もいなかった。

それは今日がたまたま暖かかったからだよ。
…俺はそう言おうとしたが、その前に智里ちゃんが口を開く。

智里:
「…頑張ったんだけど、な…」

康平:
「智里ちゃん…」

…グスン、という音が聞こえた。
そして、次に智里ちゃんの肩が小刻みに震えだす。

智里:
「…ううっ、頑張ったよ、私、頑張ったのに…
康平クンみたいに、上手くいかないよ…」

今まであれだけ明るかった…いや、明るく振舞っていた智里ちゃん。
しかし、本心は悔しさで一杯だったようだ。

康平:
「…」

…クソッ、こんな時、なんて言ってあげればいいんだよ…
智里ちゃんが頑張ってたのは俺だって知ってただろ!

グッ…、俺は力一杯拳を握り、必死でかける言葉を探す。
しかし浮かぶ言葉はどれも陳腐で、言うに値しないものばかり。

違う、こんな言葉をかけたところで、智里ちゃんは…
クソッ、しっかりしろよ俺!

ビュウゥゥゥ〜!

ちょうどその時、俺と智里ちゃんを冷たくて強い風が吹き抜ける。
その風はまさに冬の風で、それまでの暖かさは瞬時に消えていた。

そして…

康平:
「…あ」

目の前に映りこんだ”あるもの”に、思わず声を上げてしまう俺。
その”あるもの”とは…

康平:
「…」

俺は無言のまま空を見上げ、両手をかかげる。
するとその手のひらに、冷たい感触が走った。

康平:
「智里ちゃん…」

ずっと下を向いたままの智里ちゃんの名前を呼び、
そっと両肩に触れる俺。

そして俺は出来る限りの、そして今までで一番優い口調で、
智里ちゃんに声をかける。

康平:
「…智里ちゃん、全然遅くなかったよ」

智里:
「…え?」

康平:
「ホラ、顔を上げてみてよ」

智里:
「…」

俺の言葉に従い、ゆっくりと顔を上げる智里ちゃん。
すると…

智里:
「あ…、雪、だ…」

康平:
「うん。雪だね」

そう言いながら俺は受け取った包みを開け、
智里ちゃんが頑張って作ってくれたコートに袖を通す。

康平:
「ね?全然遅くなかったでしょ?
こんなに雪が降ってきたら、コートは必要だよ」

智里:
「康平、クン…」

康平:
「うん、暖かい暖かい。しかサイズもピッタリだ。
さすが智里ちゃんだね」

智里:
「…」

ダッ、…ガシッ!

それはまさに一瞬の出来事だった。
智里ちゃんが俺に抱きつき、ギュッと顔を押し付けてくる。

智里:
「ううっ、康平クン、康平クン…」

康平:
「…よかったね、智里ちゃん」

俺はそう言って智里ちゃんの肩をポンポンと叩き、
その後、ギュッと抱き寄せる。

康平:
「…ね?このコート、暖かいでしょ?」

智里:
「うん…。すっごく暖かいよ。すっごく…」

…こうして俺達は少し季節外れの雪の中、
お互いに力強く抱き合い続けた。

暗く、冷たい空の下、
冬の風が吹き付ける中、

そして雪が舞い散る中、
俺達は抱き合った。




…それからしばらく後…

康平:
「ちょ、ちょっとこれはいくらなんでも恥ずかしくね?」

…ごそごそ

智里:
「え〜、だってこうしたほうが暖かいよ?
それに、康平クンと密着出来るしね〜♪」

俺の言葉に対し、劇的に近いところから返事が返ってくる。
と、いうか目の前に智里ちゃんの頭があった。

康平:
「や、でもさ、1つのコートに2人で入るのは…」

…もそもそ

智里:
「あは、康平クンの身体、あったか〜い。それにがっしりしてて、
包み込まれてる感がすっごくするよ」

康平:
「それは実際に包まれてるからじゃ―」

智里:
「ぶ〜、そんなコト言わないの!」

康平:
「…はい」

と、まあ、こんなカンジでバカップル全開のことをしていたりする。
…って、俺、まだしっかりと告白してねえや。

康平:
「あ、あのさ、智里ちゃん」

智里:
「ん?なになに?」

康平:
「今更なんだけどさ…」

こうして俺はこれ以上ない近い距離で告白を始める。
色々と順番はおかしいかもしれないけど、これでいいと思う。

それは確証にも似た予感。
そして何より、そう思わせるだけの笑顔が目の前にあるのだから…


                     <「ロングコートのキセキ」 END>









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