「五」



怪談話をしていた。

呼ばれたような気がしたので混ざった。理由はそれだけ。

そして気付くと僕が大トリを飾る事になっていた。

「それじゃあ怖いの頼むぜ?」

「ショボい話とか勘弁な」

この怪談話に参加しているのは4人。歳は全員僕と同じくらいだろうか。

「ねえねえ、期待してるよ?」

「楽しみだなー」

男2人、女2人。とてもノリのいいメンバーだと思う。
まあ怪談話でこのノリが良いか悪いかと聞かれれば答えに困るが。

「……うん」

その頷きは何に対して、誰に対して向けられたものなのだろう。
自分でも判らないが、何となく決意のようなものはしておかないといけない気がした。だから僕はそう言って頷き、軽く目を閉じた。

「……」
「……」
「……」
「……」

そしてそれは他に人にしてみれば開始の合図と映り、全員無言になって息を飲む。ごくり、という音が聞こえたような気がした。

「……僕が今から話すのは全部で5つの怖い話。聞いた事がある話、知ってる話も出てくると思うけど、最後まで聞いて欲しいんだ」

まず話を始める前に一言そう付け加える。
そうじゃないと話の冒頭で「あー、それ聞いた事あるー」とか「それって死んだお姉さんが出てくる話?」みたいな事を言われてしまう。
さすがにそれはやめて欲しいのでしっかりと確認を取る。幸いみんな判ってくれたようだった。

「……それじゃあ最初の話。『山小屋の四人』って言われてる話なんだけど、知ってる人は?」

ゆっくりと周囲を見渡すと、4人全員が小さく手を挙げる。中には露骨に「はいはい、アレね」という表情を浮かべている人もいた。

「……そっか。でもまあ話の細部が違ってたりとかもあるだろうし、とりあえず聞いて欲しい」

その後に小さく、呟くように「これも最後の伏線だから」と続ける。それまでちゃんと聞こえたのは何人いるだろうか。

そして僕は話を始める。



『山小屋の4人』

とある大学の山岳部の話。

雪山登山に挑戦した5人の部員がいたが、途中で酷い吹雪に遭い、1人が凍死してしまった。
残る4人も体力の低下が著しく、このままでは全滅するかもしれない。そんな状態だった。
しかしそれでも死んだ仲間を置き去りにするような真似はせず、全員で交互に死体を担いでは極度に視界の悪い中をはぐれず歩いていた。
するとしばらくすると運がいい事に山小屋を発見。4人は何とか一命を取りとめ、吹雪の脅威から逃れられる事となる。
だが吹き付ける風と雪は凌げても凍えるような寒さはどうにもならない。山小屋には薪もストーブも毛布もなく、低下した体温は一向に戻る気配がない。それどころか夜になって寒さが増すと更に体温は低下、もしこの状態で寝てしまうと凍死は確実という状況に4人はあった。

どうにか朝になるまで全員眠らずに起きている必要がある。しかし身を寄せ合ってお互いを見ようとしても、真っ暗な山小屋の中では目の前の仲間が起きているか寝ているかもよく判らない。
このままでは危険だ、何か4人全員が眠らずに起き続けていられる方法はないだろうか……
そう考えていると部員の1人が「こんなのはどうだろう」と提案してくる。

その案とは、まず死んだ仲間を山小屋の中央に寝かせ、残る4人はそれぞれ小屋の4隅に座る。そして1人が壁際を這って進み、その先にいる仲間にタッチする。タッチされた仲間は同じように壁際を這って進み、向こうにいる仲間にタッチ……
それを延々と繰り返せば全員寝ずに起きていられるし、身体を動かす事で体温も上がり、凍傷も防げるはず。

この提案に残る部員達は迷わず賛同。さっそくその案の通り死んでしまった仲間を山小屋の中央に置き、それぞれ4隅へ。
そして壁際を這い進み、別の隅にいる仲間にタッチしてはまた這い進む、という行為を繰り返し、見事に彼らは朝になるまで誰も死ぬ事なく生き延びる。

山は前日の猛吹雪が嘘のように穏やかな晴れとなり、4人は山小屋を見つけた時と同様に死んでしまった仲間を交互に背負いながら下山を開始。途中で天候が荒れる事もなく、無事に麓に到着する。

こうして九死に一生を得た山岳部の4人。勿論仲間を1人失ってしまったのは辛いが、一緒に帰って来れた事がせめてもの救いだった。
もし死体をそのまま山に置いていれば再発見は困難、動物に食い荒らされたり春先に腐乱死体となって発見、という事になれば置き去りにした罪悪感に一生苛まれていたに違いない。
4人はそう考え、仲間を見捨てずに下山出来て本当に良かったと思っていた。

そして冬山の事件から数年後、大学も卒業しお互い別々の道に進んでいた4人は久しぶりに会って飲もうという話が持ち上がり、在学中によく行っていた飲み屋で再開、簡単な同窓会のようなものを開く。

乾杯直後はお互いの近況や仕事の話、家庭を持った者はその大変さと幸せを酒の肴にして楽しく喋っていたのが、やはり時間が経つと雪山の事件の話になる。

あの時は本当に生き延びれてよかった。
運も良かったがそれ以上にみんな頑張った。

そんな前向きな話を続けるも、どうしても心の中には死んでしまった仲間の事が離れない。
彼の事を言うべきか、黙っているべきか。皆がそう考えているのか、4人に沈黙が訪れる。

数分後、1人が「あのさ、俺ずっと考えてた事があるんだけど……」と口を開く。彼はかなりの量の酒を飲んでいたが、酔いは完全に吹き飛び、口調も表情も真剣そのもの。
そして彼はゆっくりと、淡々と話し始める。

「山小屋での事なんだけどさ、あの4人が這い進んでタッチするってヤツ、おかしいと思わないか?」

3人は黙って聞く。

「あれを提案したのは俺なんだけどさ、無事下山してしばらく経った時にふと気付いたんだよ。あの方法は無理だって。成立しないって」

3人は黙って聞く。表情から心境は察せない。

「よく考えてみろよ? 俺が最初に動いて別の角に移動してタッチ、その場にいるヤツがまた進んでいく、次のヤツもタッチ。……でもそうするとさ、最後のヤツは誰にも触れないんだよ。だってそこにいた俺はもう移動してるんだもん」

彼は冷静を保って話していたが、最後は震えていた。
恐怖か、それとも何か別の感情かはよく判らない。

ただ、その話を聞いた3人は大声を上げて驚くでもなく、彼の話がそこで途切れても何も言わずに黙っていた。

「きっと、あいつだろうな」

誰かが不意にそう呟く。全員そう思っていた。
あの日、激しい吹雪の中、凍えるような暗闇の中。
本来であれば成立しない、5人いなければ出来ない事がやれたのは、きっと死んだ彼が仲間まで死なせまいと参加してくれたからだろう。

4人は全員黙りながらも、そう思って静かに肩を震わせていた。
するとその時、大学時代から変わっていない飲み屋の親父さんが声をかけてくる。

「あれ? 1人帰ったのかい? 久しぶりに来てくれたからサービスしてやろうと思ったのに」

そう言って近付いて来た親父さんが持つお盆には、5つのグラスが乗っていた――



「……っていうお話」

決して明るいとは言えない部屋の中、僕は4人の顔を軽く見回す。
話を始める前にあった露骨な表情は消えていた。退屈そうな素振りを見せる人もいなかった。

「何か知ってるのとちょっと違った〜」

「最後のくだりは俺も初めてかな」

この話の最大の肝である、山小屋で起きた"4人では成り立たない出来事"の部分はよく知られていても後日談には幾つかのパターン、派生があったりする。
僕はこの後日談が一番好きだった。

「いいよいいよ、次もお願いね」

「今度は知らない話で頼むぜ?」

1つ目の話を終えた時点では4人とも概ね好意的、特に問題も無く僕は次の話をする事にした。

「それじゃあ次は……『百物語』っていう話。これも知ってるよって人、いるかな?」

最初の話を始める前同様、聞いた事がある人がいるか質問する。
3人が「同じ名前の話は聞いた事あるけど……?」みたいな顔をしていた。
僕が「1つ合わない話」とネタバレにならない程度のヒントを出すと、2人が反応した。

「……うん」

再び誰に対して、何に対して向けられたのか判らない頷き。
でもそれは決して無意味なものでも、間を繋ぐだけのものでもなく、明確な意図があった……ように思う。
そんな自分の想いが伝わったのか、4人は先程同様にしっかりと聞く体勢に入る。
そして、2つ目の話を始めるべく、僕は口を開く。



『百物語』

これは少し前の話。

勿論この百物語というものすごい昔からあって、江戸時代の頃にはもう広まってたみたい。
だからこれは百物語の起源とかじゃなくて、実際にやってみた人の話なんだ。

ちなみに百物語ってのは知ってるよね?
用意するのは100本のロウソクと、100の怖い話。参加する人数に決まりはないみたい。

で、やり方なんだけど、まずロウソク全てに火をつける。そして怖い話をみんな順番に披露していく。終わったら話をした人がロウソクを1本、フーッて吹き消す。
そうやって怖い話を100回、火の付いたロウソクがなくなるまで続けるんだけど、これを最後までやると不思議な事が起きるって言われてる。霊とか妖怪を呼び寄せるんだって。

まあそれはただの心理現象だって言う人もいるんだよね。
ロウソクの火にゆらゆら照らされた中、怖い話を100回も聞けば普通の人は冷静じゃいられなくなる。終わるまで何時間もかかるから疲れも出るだろうし、何か起こるんだっていう先入観から幻覚を見る事だってある。それに集団心理も働くしね。

でも、中にはそれらの幻覚だとか思い込みだとかいうのじゃ説明の付かない事象が起きた、って報告もたくさんあるんだよね。そこだけ大雨が降ったとか、そこだけ地震が起きたとか、いきなり家が軋んだり窓が開いたり火事になったり……
誰かが死んだとか、行方不明になったとか、そういう話もやっぱりあるわけ。

で、20年位前になるのかな?
その話を聞いて興味を持った人が「本当に不思議な事が起きるか実験してみよう」みたいな事を言い出して、友達数人と百物語をする事になったんだ。
実験って言ってもカセットデッキを用意して、怖い話を始めて終わるまでを全て録音するだけなんだけど、それでもみんな面白がってやってみる事になった。
きっと何か不思議な出来事が起きればいいな、くらいの思いでやったんじゃないかな? 江戸時代の頃もそういうノリでやってたみたいだしね。

こうして録音しながらの百物語が始まる。
面白半分な所はあったけど、100の怪談話に関してはみんなちゃんと怖い話を披露した。

「これは林間学校で起きた話なんだけど……」

「友人から聞いたんだけどさ、街外れのトンネルの横に電話ボックスあるじゃん?

海で何者かに引っ張られた話。墓地で幽霊が出た話。ドライブ中にカップルが体験した話。顔のない子供が現れた話。古い旅館で起きた話。訳あり物件の話。飛び降り自殺の名所での話……

当然似たような話、そこまで怖くない話もあったけど、中にはゾクッとするような話が出てきたり、喋り方が上手な人がいたりで結構雰囲気は出てたみたい。
それにやっぱり100本のロウソクが灯ってる状況って普段の生活ではそうそう体験出来ないだろうしね。当然期待も膨れていくわけ。

最初はたくさんのロウソクに「これ終わるのか?」みたいな感じもあったみたいだけど、残りの本数が少なくなっていくと、やっぱりドキドキしてくる。
あと何本、あと何本で全部消える……とか考えると、興奮と恐怖が押し寄せてくるわけ。

そして何時間という長い時間を経て、とうとう最後の話。100話目の怖い話が始まった。
内容はそこまで秀逸でもなければ怖くもなかったんだけど、みんなもうドキドキで聞いてる。勿論その話のオチが気になるとかじゃなくて、その後の事が気になってる。
そんな中で最後の怪談話が終わり、その人は恐る恐る残った1本のロウソクに息を吹きかける。

……明かりが無くなり真っ暗になる。

……そして静寂。

……

……何も起きない。

期待したような事、実際に起きたと聞いていた出来事は何1つ起きない。
しばらくしてみんなも口を開き始めて「まあそうだよな」とか「そんなの起きる訳ないよなー」みたいな事を言うわけ。
で、最終的に「でもまあ面白かったからいいか」とかいうノリになってお開き……になると思いきや、参加した1人が腑に落ちない表情で「つか1つ多く喋ったヤツ誰だよ?」って言い出した。
参加したのは全部で5人。喋らないといけない怪談話は100だから、1人につき20の怖い話をしないといけないのね。
それは始める前からみんなで決めてて、ズレたり余ったりはないようにしてた。
でも、その人は19回しか喋ってない、と。

「おいおい、誰だよ」
「またそうやって驚かせようとする」

当然そんな声が上がってくる。
みんな誰かがわざとやった、怖がらせようという仕込みだと思ってる。
するとこの百物語をやろうと言い出した人が「ちょうどいい、じゃあ今から録音したテープを再生してみよう」と提案。みんなも「それがいい」とカセットデッキの前に集まってくる。

ガチャ

再生ボタンが押される。
最初に流れてくるのは「これは林間学校で起きた話なんだけど……」という話。
続いて友人から聞いたトンネル脇の電話ボックスの話、海で泳いでいた時に体験した話……と続いていく。

始めの方はカセットデッキから声が聞こえてくる度に「ああ、これは俺の話だな」としっかり照らし合わせていたが、中盤からはもう「この話はウソだろー」とか「これ結構怖いじゃん」みたいな雑談が大半を占めるようになる。

しばらくそんな状態が続き、終盤に差し掛かろうという時。デッキから流れてきた声を聞いた途端、全員が凍ったように固まる。

その声はこの場に居る5人の誰のものでもない、聞いた事のない声。
百物語をしている時は誰も気付かなかったが、明らかに異常な、苦しみに満ちた声だった。

そして謎の人物は怖い話を始める。
その怪談話の出だしはこうだった。

「この話は俺が殺された時の話なんだけどさ……」



――話が終わる。

「……」
「……」
「……」
「……」

静まり返っていた。
すぐに口を開く人はいなかった。
怪談話が終わった後特有の空気が流れていた。
僕はこの空気が、独特の雰囲気が嫌いではなかった。

「……と、まあこういう話」

意識して少しくだけた口調でそう言う。
それは「もうこの話は終わったんだよ」という意思表示。それくらい4人も判っているだろうけど、しっかりと頭を切り替えてもらうため、僕はあえてそう言った。

……前の話を引きずられても、ね。

あまりそれは喜ばしいことではない。
だって次も、その次も僕が話すのだから。

「これ、初めて聞いたけど結構くるね」

「何か今の俺達に近い感じがするんだよな」

「うん、わかるわかる」

確かにロウソクはないし、100個も怖い話はしていないが、状況としては似通ったものがある。そういったものが恐怖感を煽ったのだろう。

こうして2つ目の話も無事終わる。流れは悪くない。

「それじゃあ次の話なんだけど……してもいいかな?」

「ああ」

「うん、お願い」

あまり間を置く事なく僕は3つ目の話に入る。
色々と今後の事を考えながら。

「3つ目の話は『窓の手』っていう話。廃病院に肝試し……って言えば判るかな?」

それまで同様、話を始める前に既に知っているかどうかを聞く。
4人を順々に見ていくと、3人が知っているような目をしていた。



『窓の手』

夏に起きた怪談話。

とある街に住む若者達が幽霊が出るという噂の耐えない廃病院へと肝試しに行く事になった。
その使われなくなって久しい病院へと向かったのは地元の男女5人。決して大きいとは言えない街に退屈を感じていた彼らは刺激を求め、郊外にポツンと取り残されるように建つ廃病院へと車を向かわせた。

目的地である病院は十数年前に閉鎖、その原因は当直医師の火の不始末から起きた火災。この火事で当直室に隣接していた入院病棟が焼け、寝ていた大勢の患者の命が奪われた。
当然この事件は大々的に報じられ、病院は閉鎖。事実上の倒産となり、建物は敷地ごと放置され、今では不気味な廃墟として存在していた。

病院で起きた火事により患者が死亡、中には重症で身動きが取れず、ベッドの上で焼け焦げた人もいる……となれば、そこに心霊現象の噂が立つのは必至。
街で囁かれている「夜中に患者の呻き声が聞こえる」だとか「何かが燃える匂いが立ち込めてくる」という話は後付けであり作られたものに違いない。
肝試しに行こうと言い出した男はそう思い、何も起きる訳がないと高を括っていた。

車に乗っているのは男3人、女2人。
その中の女1人は多少の霊感を持ち、時折普通の人間が感じ得ない瘴気であったり、生身の人間ではない存在を察知する事があると言う。

病院が近付くとその女は急に寒気を感じ、この先にただならぬ気配が幾つもうごめいている事を感じ取る。勿論彼女はそれを口にし、街へ戻ろうと懇願するのだが、乗り気の4人は聞き入れない。結局彼女は1人車を降りる訳にもいかず、また霊感の無い4人が心配なため同行を決意する。

そして数分後、5人は病院の敷地内に到着する。ひび割れだらけ、生命力逞しい雑草の生い茂る駐車場跡に車を停め、正面玄関へと歩いていくのだが、霊感体質の女はさらに強まる自分達以外の気配に激しい頭痛を覚える。
やがてその感覚は霊感が無いと思われていたもう1人の女性にも現れ、肝試しを発案した男以外の2人も気味が悪くなり、不安を感じ始める。

しかし発案した男はそんな事お構いなし、1人でずんずんと先頭を進んでいく。
男も多少の不気味さは感じていたが、言い出した張本人であるという気負いが先行し、無理矢理4人を引き連れるような形で正面玄関へと向かっていた。

そして5人は無残に割れたガラスが痛々しい正面玄関に到着。しばらく放置されていた建物は荒れ果て、外壁はスプレーで書かれた落書きも少なくない。
だが不思議な事に火元の宿直室、火事の被害が酷かった入院病棟には一切落書きも悪戯もなく、侵入された形跡も見当たらなかった。

おそらく自分達のように肝試しに訪れた多くの人も、大勢の死者を出した病棟から発せられる異常な空気、恐ろしい気配を感じ取ったのだろう。受付や診療棟、食堂や待合室には廃墟特有の雰囲気が見て取れるも、問題の病棟はそれとは全く異なる雰囲気が漂っていた。

「もうここまででいいだろ」
「早く帰ろう」

この異質な雰囲気に4人は口々に戻る事を提案するのだが、肝試しを発案した男は意地になり、「今から俺が1人で入院病棟に入って最上階まで登る」と言い出す。

おかしな気配も異常な空気も全て思い込み、自分が何もない事を証明して見せる。
男はそう考え、4人の制止も聞かずに死者を大勢出した病棟へと進んでいく。「最上階の一番奥の部屋から手を振るから、みんなは外で待って見てろ」と言い残して。

男の足音が聞こえなくなり、残された4人は言われるままに外に出る。
そしてあまり見たくはないが入院病棟の最上階を見上げ、男が無事姿を現すのを待っていた。

数分後。
最上階である4階、その一番奥の方から男の声が聞こえてくる。
まず「ついたぞー!」という声。続いて「おーい!」という声と共に手が振られる。

それを外から見た4人は絶句する。

……手は、病棟全ての窓という窓から伸びていた。



「きゃあっ!」

僕が「……っていう話なんだ」と言う前に、1人だけこの話を知らなかった子が声を上げる。おそらく廃病院の窓から突き出た手、という光景をイメージしたのだろう。理想と言えば理想の反応だ。

「初めてだと怖いよな、この話」

「うんうん、判る」

「オチ知ってるのにビクッとしちまったぜ」

残る3人は僕の話で、というよりは彼女の声につられて恐怖心が表に出たという感じ。話し手としては不本意と言えば不本意だけど、これも怪談話ならではの反応……という事で。

さて、それじゃあ次の話を始めようかな。

僕は「どうして窓から手が伸びていたかというと、身動きが取れない患者が唯一出来た行為が手を振って助けを求める事だった」とか「窓からたくさんの手が伸びた光景は事件が起きた時、駆けつけた消防隊が実際に見たもの」とかいう先の話の補足・解説の言葉を飲み込み、4つ目の話に移る。

「次の話も廃墟が舞台なんだ。元豪邸にテレビ番組の取材が潜入、後日収録したテープに……って話、聞いた事あるかな?」

「うーん、ちょっと知らないな」

「聞いた事なーい」

「もしかしてアレかな?」

反応を見た限り、知っているのが1人、知らないのが3人という感じ。
ちなみにこれまでに喋った話と合わせると、全部知ってると答えたのは1人だけ。すでに聞いた事がある話が続く、という聞いていて退屈な展開になっていないのは喜ばしい事だった。

ただ個人的には……いや、何でもない。
大丈夫、僕はただ普通に、いつものように5つの話を聞かせればいいんだ。

「……うん」

自分に言い聞かせるように、そして話を始める気持ちの切り替えに。
僕はまたコクリと頷き、周囲を見渡す。4人ともしっかり話を聞く体勢に入っていた。



『廃墟取材』

これはテレビ局の撮影クルーが体験した話。

番組に寄せられた「呪われた館」の情報を聞いたスタッフは早速チームを組み、撮影へと向かった。
目的は当然カメラに心霊現象を収める事……と思いきや、そこにはテレビの世界らしい事情があった。例え本当の幽霊が撮れても、その画が地味であればボツになりかねないのだ。
そんな撮れるか撮れないか、本番に使えるか使えないか判らない心霊映像よりは、いかにも何かが出そうな雰囲気を上手く伝えるVTRの方が重宝される。

つまりリポーターが興味を煽るコメントを言い、音声はその声を上手く拾い、カメラマンは建物がより不気味に映るアングルで撮り、ディレクターは「コロス」だの「死」だの、いかにもな落書きを見つけてはカメラに収めさせ、リポーターに触れるよう指示。最悪小道具担当に古いナイフや謎の手帳を用意させ、見栄えのいい映像を撮る事が1番の目的となっていた。

伝わりにくい「地味な本物」よりも、誰の目にもそれと判る「見せ掛けの偽物」
その考えは昔から現在まで変わっておらず、この撮影チームもまた見た目重視の考えでいた。

「呪われた館」として情報が寄せられた建物は、とある大金持ちの邸宅だった物件。この館を建てた人物はかなり手広く、またかなり悪どいやり口で儲けていたらしく、そんな主の性格を反映したかのような悪趣味な建物だった。
和洋入り乱れ、統一性のない外観に加え、内部もまた無駄に入り組んだ気味の悪い間取り。
よろしくない会合、違法な取引も頻繁に行なわれ、悪の親玉が住むに相応しい館だったのだが、やがて彼の元に警察の操作が入り、悪事の数々が明るみに出る事となる。
当然のように有罪判決が下され、一緒に住んでいた家族や経営に携わっていた親族の一部にも逮捕者が出た。

マスコミの執拗な取材攻勢は長らく続き、また世紀の大悪党の家を見ようと大勢の人が絶えず敷地を囲む。当然残された家族には世間の鋭い目が向けられ、外に出ることもままならない状態が続いた。
そして数ヵ月後、残された家族はとうとう精神を病み、最後は発狂しての殺し合いが起き、家主の妻や幼い子供をも巻き込んだ惨事となった。

こうした背景を経て主を失った館は新たな買い手も付かず、管理も放棄され、死んだ家族の幽霊が住み着く「呪われた館」としてその地に残る事に。
地元では有名な心霊スポットとして知られ、番組に情報を送ったのも同じ街に住む視聴者からだった。

寄せられた話によると、この館ではかなりの確率で怪奇現象に遭遇するらしいのだが、その大半が「見えない誰かが探し物をしているように棚や引き出しが動く」と「家の中を誰かが絶えず歩き回っているような感覚と物音」の2つ。

番組スタッフはこの頻度の高さと画の撮りやすさに惹かれ、即取材を決定する。
普段ならまず数名での下見を行なうのだが、いきなり本番の体勢で取材に挑む事にした。
メンバーはリポーター、カメラマン、音声、照明、そしてディレクターの5人。ちなみにリポーターは最近出てきたばかりの若手芸人で、怖いもの知らずキャラで売ろうとしていた事から起用が決まった。

こうして前乗り無し、下見無しで向かった潜入撮影。それはあまり気の効いたコメントに期待が出来ない分、ハプニングやリアルな臨場感を狙っての事だった。

撮影はまず館の正面から始まる。

「僕達がやってきたのは地元で「呪われた館」と呼ばれている建物です」

「いやー、ここから見ただけでも何か出そうな感じがしますねー」

「それでは入ってみましょう。おじゃましまーす」

世辞にも褒められたものではない、特徴の無いレポートが始まる。
ディレクターの表情が冴えないのは若手芸人にも十分見えており、何とか挽回しよう、盛り返そうと意気込みながら館の中へ。

しかしその後も彼は"色彩感覚が狂いそうな廊下"、"シャンデリアにぶら下がるコウモリの群れ"、"死んだ家族が寝ていたであろうベッド"という触れるべきポイントを完全にスルーし、口を開いても「ここは台所ですね」や「ここはトイレです」といった、見れば判る事しか言わない。

使えないコメントの連続に首を振るばかりのディレクター。それを見た若手芸人は焦りに焦り、触れなくてもいいような割れたガラスや「○○参上!」という落書きに過剰反応しては泥沼にはまっていく。

ああ、このロケは失敗かもしれないな。

ディレクターは相も変わらず割れて床に散らばるガラスや花瓶ばかりを紹介してる芸人リポーターを見てそう思う。
そして言葉に詰まり、苦し紛れに家具を持ち上げたり引っ張ったりしているのを見て、いよいよお終いだなと感じたその時だった。

「あれ、何だこれ?」

と、リポーターが持ち上げた戸棚の奥から何かを見つける。
それは赤い宝石の付いた古い指輪だった。

「すいません照明さん、ちょっとこれ照らしてもらえます? カメラさん見えますかね?」

思いがけない発見に喜び、興奮気味に指輪を拾い上げて撮影陣の前に突き出す芸人リポーター。

「これ高いんですかねー? どうしよう、もらっていこうかなー?」

指輪を手のひらに乗せ、そう言いながらレポーターは鈍い輝きを放つ宝石を指差す。
それを受けてカメラマンが指輪をアップで撮ろうと近付つくのだが、その瞬間ギギギッと天井が揺れ出し、スタッフの立っている場所とは別の位置から足音が聞こえてくる。

「うわっ!? 今何か聞こえた!!」

素で驚く芸人リポーター。その物音はスタッフにも聞こえ、5人は大慌てで周囲を見渡す。
ここまで明確な心霊現象は全員初の体験、カメラマンは音が鳴る場所を追ってカメラを振り、照明がその後に続く。音声も何とか足音を収めようと至る所にマイクを向け、ディレクターはリポーターそっちのけで次々と指示を出す。

天井の軋み、5人を囲む足音は続き、さらに音は大きくなり発生源が近付いてくる。また室内だというのに不気味な冷たい風が吹き、異常な状況であるのは明らか。
ディレクターはこのまま撮影を続行するかどうか悩むが、照明が立っていたすぐそばの壁にヒビが入り、音声が機械の故障を訴えたため、撮影を断念して外に出る事に。

大慌てで館から逃げ出す5人。何とか無事にロケ車まで戻った後、再び潜入するかどうかを話し合うも、クルーは全員反対。

これはもう仕方ない、怪奇現象も起きたしVTRとしてもいいものが撮れた。
ディレクターはそう判断し、局に帰るためロケ車を走らせる。
幸い帰りの道中で何かが起きたとか、クルーの誰かが体調を崩す事も無く、車は何事もなく局に着き、その場で解散となる。

そして後日、芸人リポーターも含めたクルー全員で撮影されたテープを見る事となり、5人は編集スタジオに入ってあの日の出来事を確認する。

ガチャリ、とデッキがテープを飲み込み、モニタに「再生」も文字が表示。
館の前に芸人リポーターが立ち、「僕達がやってきたのは地元で「呪われた館」と呼ばれている建物です」と説明を開始する。

リポーターのコメントは「いやー、ここから見ただけでも何か出そうな感じがしますねー」と続き、「それでは入ってみましょう。おじゃましまーす」と言いながら館の中へと入っていく。

「……あれ?」

そう怪訝そうな声を上げたのは音声スタッフ。彼は今のVTR中にリポーター以外の声が聞こえたと言い、一旦巻き戻して見たいとディレクターにお願いする。

そして5人は再びリポーターが館の紹介を始めている場面から見直す。

「僕達がやってきたのは地元で「呪われた館」と呼ばれている建物です」

……何も聞こえない。

「いやー、ここから見ただけでも何か出そうな感じがしますねー」

……ここも変わった点はない。

「それでは入ってみましょう。おじゃましまーす」

「……」

聞こえた。小さい声ではあるが、間違いなく人の声が入っている。
今度は音量を上げ、その部分だけをもう一度聞く事に。

「それでは入ってみましょう。おじゃましまーす」

『はーい、どうぞー』

その声は女性のもので、館の内部から聞こえてくる。
まるで客を歓迎するかのような優しい声は、そこが一般家庭であれば何もおかしなくないもの。しかし館は無人、廃墟化して久しく、そんな中でこの声はひどく不自然に、とても不気味なものだった。

「……おい、あの時こんな声聞こえたか?」

「いえ、全く聞こえてません」

ディレクターは気味悪がりながらも音声に当時の状況を聞く。
しかし別の声が紛れ込んでいれば当然音声は報告するはず。つまり現場では全く聞こえなかった、という事になる。

一体何なんだろう。クルーは全員そう思いながら、VTRの続きを食い入るように見る。

リポーターが建物内に入る。
ここでは異常は起きない。

台所やトイレに入って紹介する。
ここでも特におかしな事は起きない。

しかし割れて破片が床に散らばった花瓶に触れた時の事だった。

『……その花瓶、気に入ってたんですよー』

割れたのが残念そうな声がスピーカーから流れてくる。
当然ロケ中はこの声を聞いている者はいない。

そしてコメントに困った芸人が苦し紛れに戸棚を動かした時。

『ああもう、やめてくださいよー』

困っているような言葉とは裏腹に、口調は子供のイタズラを諭すような優しい声。しかしその声は次の瞬間一変する。

それはリポーターが指輪を発見した場面だった。

「あれ、何だこれ?」

『ソレはワたしノ指輪!!』

突然人が変わったかのような声を上げ、それまでの女性の声と重なるように別の声が加わる。
その声は深い地面の底から聞こえてくるような不気味に響く声。まるでこの世のものとは思えない、直感的に幽霊の声だと判る声だった。

「……」

まるで取り憑かれたようにモニタを見入る5人。
ある者は冷や汗をかきながら、またある者は恐怖で顔を引きつらせながら。

「これ高いんですかねー? どうしよう、もらっていこうかなー?」

『やメロ、置いテいけ! 置いテいケ! オイテイケ!!!!』

完全に声が入れ替わり、聞こえてくるのは幽霊と思われる声。この建物を「呪われた館」と言わしめる張本人のものだろう。

「もういい! 一旦止めろ!」

モニタには目まぐるしく映像がスイッチし、館の至る所をカメラが追いかけている場面が流れた時だった。
ディレクターが大声でそう叫び、デッキに一番近い所にいた音声が停止ボタンを押す。

「……」

静まり返る編集スタジオ内。VTRが止められた後は誰も口を開こうとせず、恐怖でゼイゼイと息を吐き、身体を震わせていた。

「……おい、何だったんだよアレ……」

しばらく経ってから、ディレクターがようやく喋り出す。
だがその言葉に答えられる者は1人もいない。

「あの指輪は一体……」

誰かに問いかけているのか、それとも自問自答なのか。
ディレクターはそう言いながら何も映っていない真っ黒のモニタを眺める。

「なあ、あの指輪って結局どうしたんだ?」

異変が起きてからは指輪ではなく、周囲を撮り始めたカメラマンがふとそんな疑問をリポーターに投げかける。すると残りの4人も「そういえば……」という顔になり、視線が芸人に集中する。

「え、その、売れば金になるかなー? とか思って、ポケットに入れて持って帰ってきちゃいました。あの指輪は俺の家にあります」

と、バツが悪そうな顔で芸人がそう答える。
それを聞いた撮影陣は「まさかあの状態でそんな事を考えるとは」と呆れ、また「おいおい、そんなの持ってきて大丈夫かよ?」とか「祟りとかあったら怖いでしょ?」や「それは犯罪だぞ」と芸人を注意する。

するとその時だった。

停止ボタンを押したはずのテープが勝手に回り出し、モニタに館の映像が流れる。

そして……

『そウか、じゃア取りに行カないト』

という声が聞こえ、再び画面は真っ黒に。

次の日、リポーターは大量の真っ赤な血を流しながら自室で死んでいるのが発見された。




「……というお話」

僕はそう言うと軽く目を閉じてうな垂れる。

「こえぇよ」

「うわー」

「寒気がしてきた……」

そんな声が聞こえてくる。反応は上々だった。

「撮影してる時に聞こえないって怖いよねー」

「気付いてないだけでずっと近くにいたって事だもんな」

うん、確かに気付かずにずっと近くに幽霊がいるのは怖いかもね。
でもそれは幽霊だって判った後の事であって、その時は判らない。

そういうものだよね。

……そして。

まだ、判ってないよね?

「でもそういうのって何となく判りそうなんだけどなー」

「ああ、俺もそう思う。やっぱおかしいって気付くだろ」

僕がそんな事を考えているとも知らず、4人は今の話について色々と意見を交わして盛り上がっていた。とても楽しそうだった。僕もその話に混じれるのなら混じりたかった。
でもまだ僕の話は1つ残っている。僕は早くその話がしたかった。

「……次が最後の話なんだけど、そろそろ話してもいいかな?」

「おうよ、頼むぜ」

「うん、お願い」

最後の話、という言葉に惹かれたのか、4人はすぐに話を聞く体勢に入ってくれる。この部分に関しては今回のメンバーはとてもいいと思う。他はまあ……少し鈍いところもあるけど。

「5つ目の話は『絵殺し返し』っていう話なんだけど、聞いた事ある人いるかな?」

「……いや、知らないな」

「うん、私も」

「初めて聞くよ」

「俺もわかんねえや」

最後の話は誰も聞いた事が無いようだった。
まあ知らなくて当然と言えば当然かもしれないな。
僕はそう思いながら、最後となる5つ目の話を始める。

……もう、戻れないよ。

その前に一言、すぐ隣にいる人にも聞こえない小さな声で呟きながら。



『絵殺し返し』

これはとある美大を舞台に起きた本当の話。

その美大に通う1人の生徒の話なんだけど、彼はいつも劣等感を抱えていた。
絵を描くのが何よりも好きで、子供の頃からずっと絵を描いていた。だから美大に通う事にした。
だけど彼は絵を描くのは大好きなんだけど、実力の面ではそこまで上手い訳じゃなかった。どちらかと言えば下手な方だった。

勿論彼は自分の実力が高くない事を知っていた。
だから熱意とやる気、根性だけは負けないつもりで、いつか上手く絵が描けるようになろうと努力していた。

でも現実というのはとてもシビアで、とても残酷。彼はクラスメートの1人からいつも馬鹿にされ、彼の描く絵を否定され、酷評されていたんだ。
そのクラスメートはとても絵の技術に長け、また世渡り上手で交友関係が広かった。教室でも常に周囲に誰かがいて、クラスの中心的人物のようになっていた。

そんな人気者のクラスメートに対し、1人でいる事が多かった彼。だから馬鹿にされる対象になったのかもしれないし、純粋に画力の低さが原因だったかもしれない。
ただ、彼はそれでも耐えた。表立って擁護してくれる友人はいないし、成績の悪さから教諭の対応もいいものとは言えなかった。
でも好きな絵が描けるから、好きな事が出来るならこれくらい大丈夫。彼はそう思い続けて頑張っていたんだ。

だけどそんなひたむきな努力もついに折れてしまう。度重なる悪口と露骨な嫌がらせに彼は自信を失い、熱意まで失いかけ、やがてノイローゼになってしまった。

どうして自分ばかりこんな目に遭うのか。
どうしてアイツばかりチヤホヤされるのか。
おかしい。
不公平だ。
アイツが羨ましい。
アイツが憎い。

彼はそう思うようになり、初めて人を恨んだ。
生まれて初めて人を殺したいという感情が芽生えた。

……そんな時だった。
絵を使った呪いの方法がある、という事を知ったのは。

その呪いの方法とは、まず呪いたい相手の現在、元気な状態を絵に描き、そこから段々苦しんでいたり、傷付いている姿の絵を描いていく、というもの。
最終的に相手が死んでいる絵を描き、完成させる事で呪いが発動。相手は描いた通りの症状を経て死に至る、との事。

彼はこの方法を試してみる事にした。
呪いを完全に信じた訳ではないが、せめて絵の中でくらいはクラスメートを苦しめたい、苦しんでいる姿を見てみたいと思い、アパートに画材道具一式を持ち込んで筆を取った。

この呪いに必要なのは特殊な紙でもインクでもなく、求められるのは一定の画力。下手な絵では効力がなく、またいくら絵の上手い人でも手を抜いて描くと効果がない。
1枚1枚、線の1つ1つに全身全霊を込めないといけないため、相手を恨む心が枚数に比例する。出来るだけ少ない枚数で相手を呪い殺そうという考えでこの呪いを使うと描き上げる前に精根尽きてしまい、自身の命に関わるケースも少なくない。

絵が上手くないと言っても、それはあくまで美大の中での話。
長年絵を描き続けてきた彼は呪いを成功させるため、また自分の実力を上げるため、真剣にクラスメートの絵を描き始めた。

最初は健康な姿。集団の中で振りまく笑顔の彼を、キャンバスを睨みつけながら描いていく。
自分にだけ見せる卑下た笑顔ではないのが怒りを増幅させる。相手の健康な姿を描くのは屈辱的であり、この呪い最初の難関でもあった。

しかし裏を返せば、それくらいで投げ出すような恨みでは呪い殺すのは無理。それに耐えて次の絵、相手が傷付いている絵を描いて初めて効力が生まれる、という事なんだ。

そして2枚目。彼はまず手に傷を負った絵を描く事にした。腕から手の甲にかけて刃物のような切り傷を1本、流れ出る血と共に描く。
確実にその時の彼は自分の描く絵に負の念を送り込んでいた。絵の中の相手に恨みをぶつけていた。

3枚目。次は片腕を失くした絵を描き上げる。彼のイメージとしては先の傷で腕が化膿し、切断を余儀なくされた、というもの。彼はそういった想像を全力で、持てる全ての技術を用いて筆を走らせていた。

続いて4枚目。続いては足に怪我を負った絵を描く事に。太腿に血の滲んだ包帯を巻き、横たわっているクラスメートを一生懸命描き上げる。あまり得意ではない構図だったが、相手を恨む気持ちが勝ったのか完成は上出来だった。

5枚目。今度は病に苦しんでいる姿を描こうと彼は考える。脇腹を押さえ、脂汗を流しながら顔を歪めているクラスメート。この絵のイメージは突然発病した難病に苦しんで教室内をのた打ち回っている図を想像してのものだった。

こうして彼は6枚目、7枚目と次々に絵を描き上げていく。
まともな食事も摂らず、睡眠時間も極限まで短く。絵の質を落とさず、それでいて一刻も早く完成させるにはそうするしかなかった。

また、彼には他にも早く完成させたい理由があった。
それは相手にこの呪いを知られたくない、気付かれたくない、という事。

……この呪いに限らず呪いには「呪詛返し」というものがあり、自身に向けられた呪いを跳ね返す方法が存在している。
それは相手の絵が完成する前に、相手が描く枚数より多い絵を先に描き上げる事。つまり全10枚構成で相手の死を描くとしたら、呪いを返すには11枚以上を先に書き上げればいいんだ。

ただしこれには1つ大きな制限がある。それは既に完成している絵と絵の中に割り込ませるのは反則、というもの。
例えば「指を怪我した絵」と「腕を失くした絵」の間に後から「手首を切った絵」を描いても意味が無いんだよ。
そのため、少ない枚数で呪いをかけるのは危険な行為となるんだけど、先に説明した通り呪いに使う絵は心血を注いで描き上げないと効果がないから、あまり無茶な枚数設定は呪い完成の前に自分が倒れてしまう事も考えられる。

この呪いは非常によく出来ているというか、使用者の心情を上手く利用しているというか、呪いたい相手が絵の中で次第に傷付き衰弱しているのを見ると、もっと苦しめたい、もっとジワジワ命を削っていきたいと思うようになり、当初の枚数を大幅に超えてしまう危険性を孕んでいるんだ。

所要時間を考えて必要最低枚数で呪いをかけるつもりでいても、呪詛返しが怖くなったり、描いている途中でもっと苦しめてやりたいと思ってしまう……

一見条件や制約が少なく、絵心さえあれば使いやすい呪いに見えて、実は下手をすると自滅もありえる。それがこの呪いの最大の特徴であり、また恐ろしい部分でもあるんだよね。

勿論この呪いを知っている人は少ないし、相手が知っている可能性は当然低い。それに仮に絵を見られてしまっても効果が消える訳ではないしね。

だが万が一相手が呪いを知っていたら、もし呪詛返しをしてきたら。

彼は絵を描いている最中、次第にその事が頭をよぎり不安に駆られていく。
しかし気を抜いてはいけないし、手を抜いてもいけない。

今は絵に集中するんだ、呪いをかける事だけ考えるんだ。
そう自分に言い聞かせ、彼は一心不乱に筆を走らせる。
既に絵の枚数は20を越え、絵の中のクラスメートは両手両足を失っていた。

だがここで彼にとって予想外の事が起きる。

長らく大学に顔を見せていないのを不審に思ったクラスメートが彼の部屋を訪ね、そこで彼が狂ったように絵を描いているのを見てしまう。

身体を失った自分の絵と、鬼気迫る表情で筆を取る彼の姿に「これは普通じゃない、何かある」ってクラスメートは考える。
そして色々調べて、周囲の友達に聞いて回ったりして、彼がやってる事が呪いだというのが判明する。その呪いが発動間近だという事もね。

自分にとんでもない呪いがかけられてるのを知った相手はすぐに対策を考える。
当然呪詛返しをしようとするんだけど、向こうはもうかなりの枚数を描いている。
そのため相手は同じ美大の友人の力を借りて、自分を含めた4人がかりで絵を描く事にしたんだ。

さすがにいくら先に始めたと言っても、1人対4人では分が悪く、すぐに形勢は逆転。
相手は友人を上手くローテーションで回し、彼が死ぬ絵を描き上げようとする。勿論彼よりも多い枚数でね。

……そして数日後、1人の男に小さな怪我から始まる原因不明の怪我と病気が連続して発生。描かれた絵の通りに病状が悪化し、最終的に死んでしまう。

その亡くなった男は何と友人4人と結託した方の男。
実は死んだ男は先に呪いをかけた彼だけでなく、他のクラスメートからも結構恨まれてたんだよね。

ただそれは表立ったものじゃなく、みんなの中にゆっくり蓄積していったもの。
彼を執拗に責めて馬鹿にしてるのも、内心いい気分ではなかった。でもそれを直接言うと、今度はこっちに被害が来るんじゃないかって思って誰も言えないでいた。

そんな思いを周囲全体が強く感じてる時なんだよ、男が自分に呪いがかけられている事を知ったのは。
男は「自分に呪いをかけられてるから跳ね返すのを手伝え」みたいな形でいつも一緒にいる4人を使おうとした。まるでそうするのが当然、とでも言うように。

さすがにこれには周囲も怒って、みんな最初に呪いをかけた彼の肩を持つようになった。
そして男の言う事に従うフリをして呪いの仕組みやルールを詳しく聞き出し、それを利用した。

実はその4人、見た目は上手に描いたけど全く心を込めてなかったんだ。
さらに効果が無い絵の途中割り込みを何枚も入れ、男に完全に勝ったと思わせて、十分に安心させたところで突き落とす、という作戦を取った。

……こうして1人の死者を出し、また呪いの存在を知る人間を増やしまった事件なんだけど、舞台が絵心のある者が集まる美大というのがいけなかったのか、それから数年間、不可解な事件が立て続けに起きるんだよね。

きっと呪いの効果が本物だって事を知ったクラスメートが話を広めたか、他の人にも呪いをかけたか、そのどっちかだと思う。

結局その不信な事件は最初の呪いに関わった人が全員退学して、ようやく収まったみたい。

……ま、最終的にその美大自体が無くなっちゃったから、退学した4人がそれからどうなったかはよく判らないんだけどね。



――話が終わる。

これで5つの話、全て喋り終えた事になる。
僕は「……ふう」と大きく息を吐き、ゆっくり周囲を見渡す。

「……」
「……」
「……」
「……」

4人はまだ黙ったまま、僕の話を聞いている時の姿勢のままだった。
何か思う事があるのだろうか。

「……そうそう、最初に話した事だけどさ」

僕は構わず固まったままの4人に話しかける。
すると2人が我に返り、残る2人に話しかけて正気を取り戻させる。

「この5つの話を始める時、「最後に伏線がある」って言ったよね。まずその事を話すよ」

「……」
「……」
「……」
「……」

黙って僕を見る4人。さっきと同じような光景だが、今回はちゃんと僕の話を効く体勢に入っている。

……ただ、全員どこか妙にそわそわしているというか、疑問を抱いているようだった。

だから、僕はそのみんなが気になっているであろう事を先に話す事にした。

「あ、でもその前に1つ。最後の話に出てきた美大なんだけど、――っていう名前ね」

「え……?」

「それって……」

目を見開いて驚く4人。みんな聞いた事はあるようだ。
まあこの街にあった学校の名前だしね。

「……で、最後の伏線なんだけど――」

何か言いたそうな顔、今の話をもっと詳しく、という視線。
それらを完全に無視し、僕は話を戻す。

「今僕が喋った5つの話、全部知っちゃった人は死んじゃうんだよね」

溜めを効かせるでもなく、声色を怪談調に変えるでもなく。
僕はさらりとそう言う。

「……え?」

帰って来た言葉は1つ。4人とも同じ反応。

「だからさ、今5つの話を聞いたでしょ? それを聞いちゃうと死んじゃうんだ」

――静寂。

「実は最後の美大の絵の話、あれの呪いが発動するパワーって、こうして人の命を集めないと発動しないんだよ」

――まだ静寂。

「ゴメンね、黙って喋っちゃって」

僕は素直に頭を下げる。

悪い事をしたとは思っている。

でもこれは仕方の無い事。

だって僕が呼ばれてここに来たって時点で、もう逃げられないんだから。


「……何だ、そういうオチか」

「あー、なるほど」

ここでようやく口を開く。
どうやら僕の話を「この話を聞いてしまった人は呪われる」系のものだと判断したようだ。

……まだ怪談話が続いていると思っているのかな。

確かにそういう話はある。
でも残念だけど違うんだよね。

だってもし「聞いたら死んじゃう話」なら、誰にも伝わらないはずだもん。
まあ怪談話に嘘は付き物だけどさ。

……でも、この話は本物、なんだよね。

僕は4人が本当に怪談話の延長だと思っているのか、それとも事実を認めたくないがための自己防衛なのかを見極めるべく、みんなの目を見る。

「……」

どうやら全員、怪談話の延長だと、怖がらせるための嘘だと思っているようだ。

――意外と気付かないんだな。前のメンバーはすぐ気付いた人がいたのに。

僕はそう心の中で呟く。実はもう言葉は発せれない。
後はこれから4人を連れて行く事が僕の役目になる。
怪談話の語り部はもう終わりだ。

「いやいや、その手には引っかからないぞ?」

「十分怖かったからもういいよー」

「この手の話は逆に冷めるって」

確かに今の話には矛盾のようなものがある。いや、普通に考えれば完全に矛盾か。
この5つの話を全てを知ってる人は死んでしまう、でもそれだと……

「おい、こいつの足……消えかかってるぞ!」

「きゃああああ!」

……そう、今の5つの話を全部知ってる僕は生きれない事になる。

だけど僕は自分が生きているなんて言っていない。

「ほ、本物……!?」

「うあああああああああっ!!」

……そう、僕もまた、以前にこの5つの話を聞いてしまった1人だから。

「いや……浮かんでる、この人浮いてるよ!!」

「ああああああああああああああ、夢だ、これは夢だ!」


――果たしてこの中に気付いた人はいるだろうか。

消え行く仮の身体を見つめながら、ふとそんな事を考える。

さっきまで僕が話した5つの話、全て登場人物が5人だった事。
そして登場人物の内、1人が死ぬ、もしくは既に死んでいる話だったという事。

……つまり、今の状況と同じなんだよね。

僕はそう心の中で呟く。

そして、こうも呟く。

……まあもう少しで「その状態だった」になるんだけど。





                                            「五」 END



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