「駄菓子屋メモリアル。」



今日の明け方、寝る間際に何故か子供の頃に通った駄菓子屋の情景が浮かび、懐かしさや楽しかった思い出、そしてペーソス満載の感情を抱き、なかなか寝付けなかった。
そんな訳で日記にてこの気持ちを、そして頭に浮かんだ当時の思い出なんかを書いてみようかな、なんて思ったり。

その駄菓子屋は自分の家から遠くもなければ近くもない、子供が自転車で向かうに丁度いい距離にあった。小学校に通い始めたばかりの頃、そこに行くのはちょっとした冒険気分で、何とも言えない高揚感を抱きながらその店を目指していた。
多少大きくなり、店の位置が完全に行動範囲内に入ってもその気持ちは残り、やはり自分の中では特別な存在だったんだなあ、と今になってようやく全てを理解したように思える。

小学校の頃、遠足のおやつは決まってその店で買っていた。扱っているものはチープな駄菓子がメイン、友達が持ってくるお菓子に比べ、どうしても地味というか寂しい感はあった。何ならちょっと馬鹿にされたこともあった。
でも自分はそのチープで細々した駄菓子が好きだった。そして「明日は遠足なんだ」と報告する自分に対し、「そうなんだ。楽しんできてね」と言ってチョコとラムネのくじの特賞をくれる店のおばちゃんが大好きだった。
だから自分は何度も来ようと思った。例えいつも一緒にいた友達がもう行かないと言っても、自分ひとりで通おうと思った。

ひとつ10円、20円の駄菓子。それは子供ながらに儲からない商売なのではないか、と推測できた。いくら自分がお小遣いを散財しても、タバコ1箱にも満たない金額ではどうしようもない。そのため、自分が何を買うか、どのくじを引くかで悩んでいた時、ふらっと現れたおっさんがタバコをカートンで買ったりすると、とても自分が情けなく、売り上げに貢献出来てないことが悔しくて悔しくて仕方なかった。

中学に上がり、部活やら何やらで行く機会が減ったその駄菓子屋。それでもヒマを見つけては通い、10円や20円のくじに一喜一憂、多少湿っている感も否めない「うまい棒」を買い、とりあえず身体には良くないであろうゼリーを食べ、店のおばちゃんと楽しくお喋りをしていた。
……が、今思えば自分があまり店に行かなくなった(行けなくなった、と言い訳したいのだが、やはり”行かなくなった”なのかもしれない)辺りからおばちゃんは店を閉めることを考えていたように思える。
「最近の子供は駄菓子なんて……」みたいな言葉を何度か口にしたし、昔は溢れるくらい置いていた駄菓子/くじの類が明らかに少なくなっていた。

だから、なのかもしれない。
多分自分も気付いていた。
だから、食べたくもないスナック菓子を無理して買った。
だから、くじはハズレでよかった。1等を引いたら申し訳ない、出来れば1等はもっと小さな子供、自分が初めてこの店に来た辺りの年代の子供に当てて欲しかった。
だから、自分はおばちゃんに笑って欲しくてテンションを上げ、極端にハズレの確率が高いくじなのにも関わらず、「ハズレ」の文字を見せて悔しがっていたのかもしれない。

今現在、その駄菓子屋は無い。建物も無い。
気付けばそこには別の建物になっていた。

願わくばずっと残っていて欲しかった。
それが叶わないのなら、せめて最後にたくさん買い物をさせて欲しかった。
そして欲を言えば、自分が最後の客になりたかった。おばちゃんに「お疲れ様」と言いたかった。「ありがとう」とも「お世話になりました」とも言いたかった。

駄菓子屋、というものは小さな夢と子供の楽しみがたくさん詰まっているものだと自分は思う。そしてそういう場所であって欲しいと思う。
時代が変われば商売の形態も変わる。それは理解出来るし、それが判らない程自分は愚かでも勝手でもない。
でも、現実に足しげく通った駄菓子屋が跡形もなく消えてしまうと、そんな理論では片付けれなくなる。
そして「もし自分がもっとたくさん買い物をすれば……」、「もっと友達を連れて行けば……」と有り得ない存続の可能性を思い、最終的には「自分のせいで店をつぶした」とまで考えてしまう。

本当に勝手だ、と思う。
それこそ思い上がり、勘違いも甚だしい。
でも、それでも自分は勝手に使命感を抱き、勝手に誓う。

いつか自分が物書きを生業に出来たなら、必ずあの店を作品に登場させよう。
現実世界ではもう無くなってしまったけど、作品の中ではずっとあの場所にあって、子供が100円玉を握り締めてくじを引いていて、おばちゃんが笑顔で応対して、そこに自分もいて、「久し振り」って言ってもらえて、子供に混じって駄菓子を食べて、水風船やロケット弾を買って、子供の頃は買えなかった模型飛行機を買って……
僕は、そんなことがしたい。
そして「昔は駄菓子屋っていう、とっても楽しい場所がたくさんあったんだ」という事を伝えたい。
そして自分と同年代、それ以上の年代の方に「ああ、そういえば自分もよく行ったな」と存在を思い出してもらいたい。

10円、20円の駄菓子。それはきっと儲からない。
でも、それでもギリギリまで店を続けて、例え客が少なくなっても店の中にあるイスに座って客を待っていたおばちゃん。
それは我慢の足りない自分にはとてもじゃないけど真似出来ない事。到底辿り着けない境地。
だから、僕はおばちゃんにはなれないから、違う形で「駄菓子屋」というものに接する。

そのためにも、そんな些細な、それでいてある意味大きな夢・目標のため、自分はもうちょい根性を入れて頑張らなアカンと思う。




最後に。

おばちゃん、ありがとう。






<トップへ>


inserted by FC2 system